プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は昭和のことにとても興味があります。
そこで、みなさんの昭和のころのいろんなエピソードを教えてください!

現在78歳の私の祖父は、
数学のテストで、赤点回避の30点くらいを取るくらいなら0点を取った方が潔くていいだろう、と書いた答えを全部消して白紙で出しました!

ほかにも、学校給食のことや流行った遊び、今と違うことなど、なんでも教えてください!

よろしくお願いします(*^o^*)

A 回答 (5件)

ANo2です。



懐かしいので再回答させていただきます。

昭和30年代の小学校の様子ですが、子供が多かった時代でしたから、私の通った小学校は1学年が250人前後の5クラスで全校児童数は1,500人ほどでした。

ですから、1クラスの児童数は50人前後になり、現代の小学校に比べると受け持つ児童数が多く担任教師は大変だったと思います。

また、戦後のベビーブームで昭和22年から24年生まれは、後に「団塊世代」と言われるように多かったので、私より2つから3つ上の学年は教室が足りなくなって、理科室や図書室などを教室にしてました。

そして、木造の教室はすきま風が入り冬は寒かったですが、教室には石炭を燃料にする「だるまストーブ」がありましたから、ストーブの近くは暖かかったです。

ですが、このストーブに石炭を熾こすのは、1年生(6年生が面倒見てた)を除いて児童の役目でしたから、2年生であっても日直の順番が回って来た日は、いつもより早い時間に登校して、用務員室前に用意されてる石炭と薪の入ったバケツを持って教室のストーブに新聞紙を丸めてマッチで点火して、その火で薪を燃やして薪が燃え始まったら少しずつ石炭をくべる手順で石炭ストーブを扱うなんて、僅か8歳の子供が平然と行ってた時代でした。


勿論、一般家庭では木炭や練炭を炊事の燃料にしてたり、風呂釜の燃料は石炭が多かった時代でしたから「炭の熾こし方」なんて見よう見まねで自然に覚えてしまうのですが、現代の親が僅か8歳の子供にマッチを預けて単独で練炭や石炭を熾こさせるような危なっかしい真似はさせないでしょうね?

なお、当時の小学校の給食は、コッペパン1個と脱脂粉乳ミルクがカップ1杯が基本で「鯨脂マーガリン」やジャムの他に「鯨肉などのオカズ」が1品付く程度の質素な給食でしたが、残さず食べる子が殆んどでしたから、鯨肉を食べて育った世代ともいえます。

ちなみに、学校給食で使われてた「鯨肉も脱脂粉乳ミルクも今では不味く感じます」から、現代の日本人は贅沢になってしまったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

へ~!すごいなあ!
大人がいないところでストーブに火を付けるなんて…今ではそういうことは危ないから大人いないところではやってはいけないという感じですよね。

見よう見まねでなんでもできるようになる昔の子供すごいです。

昔小学校の給食で鯨の竜田揚げが出てとても美味しかった記憶があります。美味しく味付けされてたのかな?

安全に食べられる食べ物があるのに嫌いだから食べないってのが、私も日本人は贅沢だと思います(・・;)

お礼日時:2014/01/29 19:25

こんにちは。



私が育ったのは昭和末期です。

何はともあれ、「ファミコン」の登場に尽きますよ。
友達同士でカセットの貸し借りをして、さんざん遊びました(笑)

思うに、ファミコンがあれほど成功した理由は、
最初からコントローラが2個付いていたことでしょうね。

友達の家に遊びに行っても、直ぐに仲良くゲームができました。
いまの「対戦」というかたちではなく、
同じ画面の中で、協力して戦ったり、邪魔したりして楽しかったですよ。

オッサンの私が振り返ると、「格闘ゲーム」が流行りだした頃から、
ゲームを取り巻く環境が荒んでいったように思います。

ではでは(^_^)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(*^^*)

ファミコンですか!
ゲームでみんなと仲良くできるのって楽しいですね!
カセットの貸し借りとかも楽しそう!

コントローラ2個ついてるってところがミソですね!

お礼日時:2014/01/29 19:48

昭和といっても末期(50年代後半以降)になりますが・・・



テレビ番組,とくにクイズ番組は視聴者参加型が多かったですね.
現在は「アタック25」くらいしか残ってませんが,あの要領で
回答者が視聴者であるクイズ番組がたくさんありました.

クイズ以外でも,けっこう「体を張った」内容の番組でも
視聴者参加型がちらほら見られました.
アスレチックみたいなのに挑戦する番組とか.(そして失敗すると水の中に落ちる!)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(^○^)

回答者が視聴者だとすごく楽しめますね!
体を張った番組…出川さん!笑

今でもやってる(?)サスケみたいな感じなんですかね??

視聴者参加型が人気だったんですね!

お礼日時:2014/01/29 19:18

子供の頃の野球遊び(遊び、です。

今のような本格的なものじゃなくて)の時は
敷地が狭くてライト(右翼)の位置が国道一号の真ん中、今で言うセンターラインあたり)にありました。
まだ車が少ない時代で、国道一号でも車はたまにしか通りませんでしたから
ライトの守備は国道のど真ん中で守っていました。

困ったのは車ではなくて馬車でパンを売りに来る「お馬のパン」という移動販売でした。
それが通っている間は野球ができませんでしたから、早く通り過ぎてくれるのを祈るばかりでした。
しかも、通り過ぎた跡には「馬ふん」があちこちにモッコリ・・・
それを片付けて、さあ、試合再開!です(笑)。

あ、バットとボールはかろうじて1セットありましたが、グローブは誰も持っていませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(^O^)

国道のど真ん中で野球とは!
今ではありえないことですね!すごいな~

お馬のパン初めて聞きました!
馬がパンを売りに来るのもすごいなあ

道具がなくてもみんなで楽しく遊べるのもすてきだな!

お礼日時:2014/01/29 19:14

こんにちは。



私は、昭和25年の戦後生まれなので、戦前の昭和や戦時中と戦後間もなくの昭和は知りませんが、物心付いた昭和30年頃からの昭和については鮮明な記憶が残ってます。

まず、昭和30年頃は子供が多かった時代で、近所の子と遊ぶのに不自由しなかったですが、必ずのように「ガキ大将」いました。

ですが、ドラえもんに登場してくるジャイアンみたいに威張るようなガキ大将ではなく、イジメっ子からイジメられるようなオトナシイ子や年下の子を守るような正義感の強いガキ大将でした。

これは、当時は赤胴鈴乃助や月光仮面などのラジオ番組や映画の主人公が「正義の味方」だったことに影響されたと思います。

そんな私も、幼稚園から小学低学年の頃は、かなりのガキ大将でしたから、弱い者イジメをしたイジメっ子に対して仕返しのために殴ってくるような勇ましい子でしたので、子供同士の喧嘩による生傷が絶えなかった子でしたが、少しの傷では親も騒くことなく「赤チン(マーキュロ)」を塗ったぐらいで傷の手当ては済ませてました。

また、男の子が夢中になった遊びでは「メンコ(地方によってはパーともいう)」や「ベーゴマ」ですが、単なる遊びでなく子供の博打で、負けたらメンコやベーゴマを相手に取られてしまうので、負けないようにベーゴマなんかはグラインダーやヤスリで鋳物のベーゴマを削って重心を低くするなどの工夫をして、子供の頃からの遊びを通して工具の使い方と共に「勝負の厳しさ」を自然と身に付けました。

ですから、昭和の子供は器用で「竹トンボ」や「竹馬」なんかは、親の手を一切煩わすことなく子供だけで、自ら竹を削ったり加工して作って遊んでました。

その他のエピソードは、昭和30年代の子供達に流行った「2B弾」という爆竹でしょうか。

これは、マッチ箱で擦るとマッチのように引火して数秒後に爆発する爆竹で、この2B弾を分解して火薬を大量に集めて更に強力な爆弾を作ろうと試みて失敗してしまい指先を何本か失ったり、失明した子供もいたぐらい危険な遊びを昭和30年代の小学高学年ぐらいの子供は平気でしてました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(^_^)

自分で改造して強くするおもちゃって今はあんまりないですよね!たくましいな~!

今のガキ大将っていったらおもちゃ取るわ泣かせるわって感じですけど、昔のガキ大将かっこいいな!

お礼日時:2014/02/01 13:03

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