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どっちが胆力の大きい人物でしたか?

A 回答 (8件)

敗戦後の混乱期で数次に亘って総理を務めた吉田茂が胆力の持ち主だと思います。

敗戦国の政治家ほど惨めなものはありません。もともとが外交官、しかも第二次大戦まえまで瀋陽の総領事を務めて大国間のせめぎ合いをよく知っていた人物です。彼の最大の功績は日本社会党の反対を押し切って、サンフランシスコ講和会議で条約に署名したことです。

伝えられるエピソードには、講和条約調印後に日米安保条約が締結された際に、吉田が同行していた池田勇人(後年に総理就任)に「反対論も多いこの条約だから、君の経歴に傷が付いてはいけない」と同席を許さなかったことがあります。吉田は保守本流の政治家になる池田の将来が分かっていたんでしょうね。

田中は平時の総理としては功績も大きかったでしょうが、吉田のリーダーシップに比べると胆力は小さいと思います。
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田中角栄氏の方が世界情勢や日本の将来等を考えて、日中国交回復やアジア諸国との平和外交、資源エネルギー政策など大きな政策転換を図ったりされた胆力の大きい政治家です。



もっともその為にキッシンジャー氏やアメリカのご機嫌を損ね、ロッキード事件でアメリカに言いなりの免責の下でのコーチャン証言により有罪に貶められました。

当時も最近の鈴木宗男氏の事件や小沢一郎氏の陸山会事件等も、アメリカの属国状態から離れて独自の領土問題や資源外交問題の解決を目指そうとする政治家は、経済界や一部政治家の反発、官僚の不服従やマスコミのネガキャン、特捜部や裁判所の理不尽なでっち上げ事件で有罪判決を受けたりして次々に政治の表舞台から排除されて行きましたね。

それに反してより大きな賄賂を受けていた中曽根康弘氏等は、もみ消し依頼や特捜部のお目こぼしにあずかりそのような酷い目には合わずに済んでいます。

吉田茂氏はアメリカやアメリカと共同歩調を取る経済界や官僚マスコミ等のバックアップもあり、1946-1954年の長きにわたり政権の座に就く事が出来ました。
しかし世界情勢等を考える等よりも、当面の国内政治はアメリカの意向を汲んで運営する方が上手く行くとの態度だったのではないでしょうか。

1951年に西側諸国との平和条約の署名が行われました。
同時に問題の多い安全保障条約をこそこそと吉田首相一人で署名されたのではありませんか。

沖縄はその後1972年迄返還されず、アメリカ軍基地の多くは沖縄へ押し付けられ、現在まで思いやり予算や必要性も余りない辺野古沖基地新設計画などで世界中で一番居心地の良い基地を提供し続けています。

田中角栄氏がサンフランシスコ平和条約締結時に首相だったとしたら、世界各国との講和を目指し、もっと日本の自主性が保たれた状態になっていたのではないでしょうか。


次等を参照下さい。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8420247.html
田中角栄について

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7676931.html
戦後史の正体__日本に影響を与え続けるアメリカ

http://www.sogensha.co.jp/pdf/preview_sengoshi.pdf
戦後史の正体 - 創元社 プレビュー

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自主派
 (積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)
○田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)


対米追随派
 (米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)

○吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
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国際的な感覚を持っていたのが「吉田茂」、国内の事情に詳しかったのが「田中角栄」。


それは「吉田茂」が外交畑を歩いてきたのでワールドワイドでものを見られるようになったと思います。これに反して国内の物事を処理するのにたけていたのが「田中角栄」と言われています。
どちらが 胆力が大きいかと聞かれればずばり「吉田茂」です。
「吉田茂」は今言ったように国際通でしたから太平洋戦争が勃発した時は、すでに日本の敗北を読んでいたと言われています。しかし戦争を始めた以上は勝たねばならない、それが日本人の務めである、とその全知識を戦争勝利に使ったといわれいます。
一方「田中角栄」は、国内の泥臭い闘争や出来事をまとめあげるのが得意であったが、国際問題においては不得意でした。
二人を比べてみればが「吉田茂」は、大和魂を貫き通したいわゆる「けつの穴の大きい人間といえます。
「田中角栄」は人と人との関係を利用するのがうまく、こそこそと小さなことを処理していくのが得意でした。
しかしどちらが大物かといわれるとどうしてもが「吉田茂」だと言わざるをえません。
もちろん「田中角栄」といえども一般の人よりははるかに大きい胆力と指導力とカリスマ性を持っていたと思いますが、どちらが大きい人物かと言われれば上記のような回答になります。
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田中角栄かな



吉田茂は生まれる前の人だから知らない

ここで回答してる人のほとんどが知らないと思いますよ
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それぞれの時代の偉人


人ですが、
胆力で、言うならば、
エリート街道歩んだ吉田茂より、
貧しい家庭から
刻苦勉励し、小学校卒業しただけで、上京し、
働きながら中央工学校で建築学び身を立て、
ノモンハンでソ連戦車に騎兵突撃やらされかけて、
近代戦の恐ろしさを身を持って、知り、
民衆が豊かで幸福にならなければ、豊かな強い日本国に
なれないと、その実現に身を挺した田中さんでしょう。
残念ながら首相在任期間が、短すぎましたが\(^^;)...
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吉田茂だと思います。


後の佐藤栄作もすごかった。
それに比べると角栄さんは少し小さい。

今の政治家は誰も器が小さいですね。
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この回答へのお礼

田中角栄が小さいなんてよっぽど凄かったんですね!

佐藤氏のことも調べて見ます!

お礼日時:2014/01/26 10:55

どっちもどっち。



「ばかやろう!」発言と、ロッキード汚職 をどう考えるか?

僅差でカクエイ かな?
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53歳 男性



お二人が同じ時を生きていたなら、比較が出来ますが

時代が違うので、比較する考えその事に疑問を感じます
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この回答へのお礼

回答になってないですよ

違反報告しときますね

お礼日時:2014/01/26 10:34

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