プロが教えるわが家の防犯対策術!

娘は産まれたときは33cmと標準でした。
しかし生後1ヶ月で39cmになり要観察で病院に何度か連れて行き問題ありませんでした。
1歳の時に48.5cmになり既に3歳児よりも大きい感じでした。
現在は51cmです(3歳半)。
毎日、なるべく気にしないように過ごしてきましたが、昨年から幼稚園の未就園に通園するようになり極度に不安になり始めました。
身長も高い(102cm)ですが、頭のサイズは「大きい」というレベルをはるかに超えています。
「え?」という顔をされて2度見3度見されます。
母子手帳で見ると標準よりも大きいくらいかもしれませんが、見た目は小学校の中学年くらいはあります。
実際に、小学生よりも大きいことはざらで、娘よりも大きい頭の年長児を見たことが無いです。
頭の形も見たことが無いような感じで、とにかく頭の天辺が平らで物を置いてもなかなか落ちないい平らです。両親にも形は全く似ていなくてそれも不安です。どこまで大きくなるのでしょうか・・
本当に不安で怖くて夜中にうなされます。
全身が毛深くて、二の腕は男性のすね毛程濃くて、ホルモン異常かと思い病院には何度も連れて行きましたが、特別おかしな数値では無いと言われました。
肌も両親とも白いほうですが、娘はなぜか色素沈着をおこしたような黒さで病気が隠れていないか不安です。
今は通園の時にいぶかしげに見られるのが堪らないです。悲しいです。
年少にあがるのが怖いです。
どんなことでも構いませんのでご意見ください。

A 回答 (20件中1~10件)

何度もすみません、No.20,21です。


ご質問を投稿なさってから、少しはお気持ちが楽になられたでしょうか。
今回は別視点から回答させていただきます…。

ご質問者は、この質疑内で娘さんは医者からは高機能自閉症か広汎性発達障害ではないかと言われていると仰っていましたが、その見立てには、かなり正確な根拠があり、娘さんの特徴は全て「広汎性発達障害」で説明できると考えてのことだと思います。

頭囲と広汎性発達障害に関した記述は、この質問サイトにも載っていますし、グーグルなどで検索しても“自閉症 頭囲” で検索するとかなりの数でヒットしますから、頭囲の大きさで発達の仕方の傾向を見極めるというのは以前からあったし、根拠あってのことだと思います。

トゥレット障害も頭囲が大きめであることも、体毛が濃いのも、広汎性発達障害の特徴の一部である、そうとらえたとき、それらが独立した特徴ではなくて、一つの連続体に属する特徴なんだと理解できると思います。
娘さんには複数の障害があると考えるよりも、全ては広汎性発達障害というカテゴリー内に収まる特徴であり、発達のバランスとは、そういう風に一見 無関係に思えるようなことにも影響が出るものと受け入れると、心に掛かる負担が軽減できると思います。そして、水頭症でない以上は、心配なさっているほどにアンバランスにはならないと思いますし、成長すればレーザー脱毛という手段もあります。

ともかく、親が気にしなければ子供はあまり気にしないし、親がいつでも平気だという顔をしていると子供も安心します。
だから、お母さんは例え演技であってもお子さんの前では平気だと振舞っていて下さい。トゥレット障害も、親があまり気にすると、それがお子さんにはストレスになって症状が重くなることがありますので、これに関しても、お母さんが止めようにも止められないことですから、それはお子さんの特徴なんだと、それ以上は考えず受け入れてあげてください。無理に症状を抑えようとか、自分が悪いと思わない、その方が子供の症状は軽減するものだそうです。
______

下記の1は、個人のブログなので直リンクを避けるため “h” を外しての紹介になります。タイトルはアスペルガー症候群になっていますが、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)について書かれたもので、文章の真ん中あたりに、ちょうど ご質問者が疑問に思っていた娘さんの特徴と符合することが書かれています。
2と3は主に行動上の特徴について書かれていて、3ではトゥレット障害(トゥーレット症候群)が広汎性発達障害に分類される症状であると書かれています。
発達障害全般が未だ研究途上ですが、1~3のどれも参考になると思います。

1)【アスペルガー症候群】ttp://igagami-takeshi.net/document/2011.12.26.html

2)【手をつないで・・・ 自閉症親子のノンビリ成長記録/高機能自閉症とアスペルガー症候群】    
            http://www7a.biglobe.ne.jp/~poyosuke/1koukinou.h …

3)【広汎性発達障害とは】http://dditoguchi.jp/b01what-pdd.html
    

障害と考えると辛くなると思いますが、概念に縛られずに生まれつき発達の仕方が定型発達とは違うということ、発達の仕方が違っていても伸びしろもちゃんと存在しているということ、そのことを受け入れ、早期から療育することで当人が社会に適応できる力や可能性がぐっと高まること、このことを信じて娘さんたちに温かく接し、親子の信頼関係を深めて行ってください。

今は下の娘さんのことが気掛かりだと思いますが、上の娘さんも悩んでいるお母さんのことを心配したり不安になったりしていると思います。
同じ経験のない者が言っても心に響かないかもしれませんが、ご質問者が下のお子さんのことで悲しめば、上の娘さんも悲しむし、お母さんの気持ちが解っていても、上のお子さんは愛情が下のお子さんにばかり向かっているような寂しさを持つものなのです。親が、どんなに愛していても。
子供って親が悲しんでいると直ぐに察してしまうもので、辛いけれど、いま出来ることを考えて、気持ちを切り替えて行くことだと思います。
______

発達障害という響きは重い十字架のようで辛いですが、脳を含めた身体上の設計図は親には書き換えは出来ません。設計図の書き換えはできなくても、子供の心の中を豊かにしたり、周りの偏見を取り除けるように働き掛けたりは親にも出来ます。
先の回答では発達障害にまつわる暗く重たいことばかり書いて申し訳なかったと思いますが、当事者の家族である以上、綺麗ごとばかりは書けませんでした。
けれども、出来る努力をすることで報われたこともたくさんあります。
完璧を目指せば辛いことばかりですが、出来ることを一つ一つやっていくことで得られることは必ずあります。

私は息子の幼稚園でも、小・中学校、高校と、どの担任にも必ず息子が過去に髄膜脳炎に罹ったこと、その影響で脳波に乱れが生じ抗てんかん薬を飲まなければならなくなったこと、ADHDとLDを合併するに至ったこと、全てを話しました。今は脳波が正常になり、抗てんかん薬のお世話になっていませんが、小学生の頃は抗てんかん薬の影響で眠気が強く、動作も緩慢になりやすいということを先生に説明して、理解を得るようにしました。

一般の子からみたら どんくさくて、虐めに遭うこともありましたが、ちゃんと仲の良い友達も出来て、「○○君て、面白いね」と慕ってくれる子もいました。
学校を休みがちだった息子を心配して「○○君が、学校に来ないと寂しいねと生徒が言っていましたよ。私も調子が出なくて寂しいです」と言ってくださる先生もいました。「それって、本当のことでしょうか? 気を遣って言ってくださっているのでは…」と、こちらから尋ねましたら「いえ、本当なんです。○○君はムードメーカーなんで、その場が明るくなるんです」と、息子のことをそんな風に温かな思いで見てくださっていたのです。

息子は人生のスタートを切って直ぐに大病をし障害も負いましたから、だからこそ人に優しくできる子なんです。一度友達になった子はずっと友達でいてくれるし、虐めに遭えば助けてもくれるし、虐めをした子もちゃんと謝ってくれました。
手が掛かるし、馬鹿な子ほど可愛いに近い感覚なのかもしれませんが、「先生、お疲れ様ですと言ってくれるのは○○君だけです。○○君にはいつも癒されています」と息子を褒めてくださる先生もいらっしゃって、転校の時は寂しがって別れを惜しんでくださいました。

そんな風に、障害のことをこちらからきちんと話すと、どの先生も理解を示してくださって協力的でした。障害があるからこそ、良いところを見つけよう、伸ばそうとしてくださる先生方がたくさんいて、息子が周りに溶け込めるよう、仲間外れにならないように心配りしてくださいました。

だから、ご質問者も娘さんのことで心配なこと、気掛かりなことは先生たちにどんどん仰って、心を開いて行ってください。応対に疑問があれば、そのこともちゃんと伝えてください。
医療の場でも教育の場でもです。
こちらが真剣であれば、先生たちは熱意をもって応えてくださりますよ。
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この回答へのお礼

前回に続いてご回答を頂き本当にありがとうございます。
自分の事のようにここまで調べて下さり本当にありがとうございます。
自分ではネットで調べることが怖くて目を伏せていた面もあります。
>娘さんには複数の障害があると考えるよりも、全ては広汎性発達障害というカテゴリー内に収まる特徴
このように考えると全て理解ができるし、精神面でも少し楽になりました。
これまであれもこれも障害のようだと考えて来ましたが、広汎性発達障害の範囲内と考える事で一つ一つを注視する必要が無くなりました。
毎日、動物の鳴き声のようなイビキをかくので毎晩抱いて寝て、私が疲れたら下ろすということをしてきましたが、それも広汎性発達障害のひとつかもしれません。
今日から毎晩の抱っこをやめてみようと思います。

>こちらが真剣であれば、先生たちは熱意をもって応えてくださりますよ。
ありがとうございます。私一人ではとても生きていけないのでやはり色んな方に相談しながらやって行きたいと思いました。
落ち込んだり、そこから抜け出したりを繰り返しながら毎日頑張ってみようと思います。
こんなにも温かいご回答をたくさん頂いて本当にありがとうございました。心から感謝いたします。

お礼日時:2014/02/21 11:34

(No.20の続きです。

ここからは自分の話ばかりで、すみません。)

息子の髄膜脳炎が治ったとき、当時の主治医が仰いました。
「息子さん(の能力)は95パーセント治ったと考えて良いと思います。
ただ、この失った5パーセントのことを諦め切れるかどうかです」と。
私は、それまでずっと発達障害は努力次第で治るものと思っていたんです。
だから、先生にも自信満々で「この子は前向きな子ですから乗り切ってくれると思います」と返事を返しました。
でも、やはり、障害は障害なんです。
年齢を重ねて行くことで、それは、ハッキリと形になって表れていきました。

幼稚園の先生がどんなに丁寧に名前を書けるように教えてくれても、作業療法士の先生が手とり足とり読み書きを教えてくれても…記憶がなかなか定着しない。
そのときは理解したように見えても、すぐに消えてしまう。
頑張っても、頑張っても、どんなに悔し涙を流しても出来ない。
だから、障害。

失ったのは5パーセントだから、見た目は健常者でIQの値は正常だから普通学級にも通える。しかし、IQの値が正常なのは、それは検査項目の値を合算した結果であって、ほんとうには どうしようもなく健常者から見たら絶望的にできない分野がある…。人よりも秀でた分野があっても、それを包み隠してしまうほどに足を引っ張る苦手分野があるから、なかなかも持てる能力が発揮できない。
どうしても出来ない子、怠け者、変わった子に人からは見えてしまう。
病気さえしなかったら、しなくてもよかったであろう苦労と偏見…。

そして虐める子は何も事情を知らないから残酷です。
小学校に入学して直ぐに「○○くんが子供で、おばさん可哀想」って、私に言った子がいました。
可哀想だと本気で思うなら、そんな残酷なことを言わないで欲しい。
でも、その子が怒る気持ちもよくわかる。だから返す言葉がない。
その子は習い事があるから早く家に帰りたいし、集団下校のグループの皆に迷惑を掛けたくないから、時間を守るよう、いつも帰り支度を済ませているのだから。
突然、下校時間にトイレに行ったり(しかも、あり得ないほど長時間)、ノロノロと帰り支度の終わらない子は、ただのグズにしかみえなくても当たり前でしょう。
「健康な手足が揃っているのに、受け答えも出来るのに、なぜ出来ない?」と。

私は息子が普通になることに、普通に戻すことに必死でしたし、夫からは私の所為で息子が病気をしたと言われたので、余計に意地になっていました。
でも、私がそうやってコンプレックスに思っていることは息子にはしっかり伝わっていたんです。空気を読めないのは、読みたいとさえ思わずに、意地を押し付けて息子の心を傷つけていたのは私の方だったんです。
父親が私が障害を負わせたんだと言っても、あの子からは一度も責めの言葉を聞いたことなんかなかったのに。いつでも息子は私に優しかったのに。

試行錯誤の努力の甲斐あってか、小学校の5年で一度は撤回された学習障害(LD)ですが、息子は中学になってもアルファベットの順番も読み書きも覚えられず、漢字も間違いだらけで、ローマ字すらまともに読み書きができませんでした。これでは英語の授業についてけるはずもなく、そもそも、まともにノートを取ることが出来ないのだから、授業全般についていけるはずなどありません。

蝶々結びも出来なければ、運動会のダンスも覚えられない。避難訓練や移動教室のような空気を読んで臨機応変に動かなければいけないこと、これにもついていけない。健常者が苦も無く理解できることが理解できないから、何をどう真似れば良いのかすら分っていない。だから私には、息子のは、どうしても学習障害に思える。
夫から神経質だ、気にし過ぎだと言われても、息子がまともに就職できるようになるとは、とても思えない。親は不老不死ではないから先に亡くなってしまう。いつまでも守ってはやれない。学校は将来の準備をするところなのに、通って椅子に座るだけで何も学習が身につかないのなら、学校に通う意義はなんなのだろう?

そんな息子の様子を、引っ越し先でお世話になることになった新しい主治医に相談したら、「お母さんの仰ることは、決して考え過ぎでも大袈裟でもないです。確かに年齢的にできなければいけないことが出来ないのは、当人にとっても困ることです。旦那さんが障害について理解を示し、治療にも賛成してくださるのなら、私が勤務する病院を紹介しましょう。発達障害の治療は両親揃っての理解がなければ、効果は得られませんし、続けることが困難なのです」と。
私は半ば喧嘩をになりながらも夫を説得しました。今や夫は自分でLDの本を買て読むまでになり、治療にも協力的です。

新しい通院先で息子が主に受けたのは、作業療法でした。
二つの絵を見比べて間違いを探す「間違い探し」に、方眼紙上に描かれた星座のような絵を見比べながら、点以外は何も描かれていない方眼紙上に同じ絵を再現したり、先生の手の動きを真似て折り紙を折ったり、漢字の部首などパーツの一つ一つを正確に捉えて、一つの文字として再現する観察力、集中力を付けるための工夫の仕方を教えていただいたり…。
傍らで、作業の様子を見ていると、この子はこんな風に物が省略して見えていたり、逆に混沌として見えていたりするんだな、これが考え方にも影響しているんだな…と、今までは、何故、そういう結果になるのか理解できなかったことが理解できるようになりましたし、本人が持っていないものを親が強く求める傲慢さにも気づかされました。私は、努力の仕方を間違っていたんだ…と。

うちの子の場合は、臨床心理士の心理検査上は、問題がないので心理療法は受ける必要がないと言われ、作業療法の方が効果が期待できるので、当人が受けたい気持ちがあるのなら、受けて欲しいと主治医から説明がありました。
効果はありましたよ。本人はもちろん私にも。
今まで出来なかったことが出来るようになる喜びを、息子は手に出来たのですから。
息子が何に躓き、何に悩んでいるのか、形にしてみることが出来た、このことはとても大きかったです。
結局、凡人は自分と同じような人にしか物を教えられない。
だからどうしても、教える側は発想の転換をしなければならないのだと。

そして、作業療法士の先生と主治医のお話。
これは、親子でカウンセリングを受けているのと全く同義で、とても救われました。
作業療法士の先生からは幼いうちの遊び(創意工夫)がどれだけ後の脳の発達に良い影響を促すのかを教えていただけたし、発想の転換を学びました。
主治医からは、私が自分を責めたり、子供の前で障害のことを口にすることで、どれだけ子供の心を傷つけていたのかを教えていただきました。
お二人とも、お説教するのではなく、一つ一つ、私が自分で答えが出せるように導いて下さった、そんな感じです。
________

今のご質問者は娘さんの障害を、どうやったら受け入れられるのか、そしてどうやって娘さんを守っていったら良いのか、とても悩み、苦しんでいらっしゃると思います。けれど、専門医を訪れて、医療スタッフから養育について学ぶことで、少しずつ、障害について受け入れる事が出来るのではないかと思います。

私の場合は、幼児期の髄膜脳炎発症から10年近く経ってやっと、息子の障害を受け入れることが出来ました。
逃れること、普通にすることにばかりこだわっていたけれど、本人にとっての一番の幸せとは何なのか、このことについてはいつも忘れてはいけないんですよね。
突き進んでいた時は、何も見えなくなっていたし、今は逆に放置気味になっている自分に対して疑問がありますが。
心のバランスを取るには、どうしても専門家や当事者の立場に立てる人たちとのかかわりが重要になって来ると思います。

私は医療スタッフを通した関わりばかりで、発達障害者の家族と話す機会はまだあまり持ててはいませんが、それでも病院の待ち時間で会話を交わしたお母さんたちのお話はスッと心に入ったし、あちらもこちらの話をよく理解してくれて、実家の家族や知人に話せば、投げたボールがそのまま地べたを転がるような、一人芝居をしているような虚しさを感じますが、共感してくれる人、共感を受けることは、やはり人生においては、とても必要な心の糧だと思います。
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この回答へのお礼

前回から頂いているご回答を何度も読み返させて頂いています。
とても背中を押されます。
今朝、もう楽になりたいと思って出した退園の申し出を少し後悔しているところです。

>障害は障害なんです。
年齢を重ねて行くことで、それは、ハッキリと形になって表れていきました
本当に仰るように、まだ3歳の娘にも同じ事を感じています。
春生まれの娘は早生まれの子達からどんどん遅れを取っています。
プレに入園した時はまだ成長に対する希望がありました。言葉も理解も進んで行くと思って来ましたが、時間が経過する程置いて行かれました。

>作業療法士の先生からは幼いうちの遊び(創意工夫)がどれだけ後の脳の発達に良い影響を促すのかを教えていただけたし、発想の転換を学びました
教えて下さってありがとうございます。po-ria1 さんは息子さんの為に本当に努力されて来られたのですね私も学びたいと思います。
幼稚園もやめてしまったので家で娘と一緒に頑張ろうと思います。個人病院も視野に入れて娘が幸せになれるよう、努力したいと思いました。

>実家の家族や知人に話せば、投げたボールがそのまま地べたを転がるような、一人芝居をしているような虚しさを感じますが、共感してくれる人、共感を受けることは、やはり人生においては、とても必要な心の糧だと思います。
実の親と兄弟とは絶縁になってしまいました。一番の理解者であった妹とも。
でもそれで楽になりました。これからは同じ境遇の方と励ましあえたらと思っています。ゆっくりと。

お礼日時:2014/02/21 11:17

(長文なので投稿を二回に分けています。

)

娘さんの外見ですが、みなさんがおっしゃるように、乳幼児身体発育曲線上は、問題のないバランスなのだと思います。
でも、ご質問者が一番気に病んでいるのは、娘さんの頭囲や頭部の形状が、主治医から指摘があったように広汎性発達障害(高機能自閉症やアスペルガー症候群、自閉症を含む)と因果関係があるように思えること、現実にも広汎性発達障害とかかわりの深いトゥレット障害があることだと思います。
誕生時に何も異常がなかった、そんな風に思えていたのに、通常なら成長とは喜ばしことなのに、成長していく上で障害が見つかっていく、そんな恐怖心も悲しみも、血を分けた我が子のことであれば、母親なら耐えがたいものだと思います。
一番つらいのは子供なんだと分っていても、障害を受け入れることはとても辛いことです。

私の子供はADHDとLDを合併しています。
当人はそんなことは口にしませんが、二重苦です。
障害の重い軽いは関係ないです。困る以上は当事者にも家族にも二重苦です。
乳児期から言葉や運動能力の発達は人よりも少し遅めでしたが、幼児期に患った髄膜脳炎が発達障害の直接の原因である可能性は否めず…。
病前は年齢に見合わず空気を読める子だったのに、読めなくなってしまった…と変化に愕然としたときは、言葉に言い表せない悲しみを感じました。変わったからと気に病むことも子供に悪くて、こちらが病気をさせておきながら、完全を望むとは酷い親だと思いました。

もしも、髄膜脳炎にならなかったら、何の障害もなく高校は希望校に進学できただろうし、大学も行きたい学校を選べたかもしれません。
もともと発達障害の傾向があったのかもしれませんが、それにしても、髄膜脳炎という大病をさせないように気を付けて育てていたら、ほとんど健常者でいられたのかもしれないと、いつも心の奥底で子供に済まなく思っています。
何れにしろ、我が子の行く道を、選択肢を親が狭めてしまったのではないか、どうして普通の子と同じように健康な脳と体を与えてあげられなかったのだろうと、悲しむお気持ちはよくわかります。


ご質問を読んでいると、自分と我が子のことも思い浮かびましたが、昔、住んでいた団地で出会った若いお母さんを思い出します。
回覧板を持っていくと、いつも悲しそうな顔をしていて…。
「なんでだろう? まだ若いし、旦那さんも優しそうな人なのに」と不思議でした。
でも、それから幾日か経って、その奥さんの旦那さんとすれ違って理由が解りました。息子さんはダウン症だったのです。

(決して差別心から言うのではないけれど、姿かたちのこと脳の障害のことを考えると、ご質問者の今のお気持ちは、ダウン症のお子さんを持つお母さんの心情に近いのだろうと、ふと過去に出会った奥さんのことが思い出されます。)

はじめてダウン症の子に会った私はビックリして、視線の持っていき場に困ったのですが、旦那さんがニッコリとほほ笑んでくれて、腕の中の息子さんもニコニコとほほ笑んでいました。萎縮した自分を恥じるとともに、素敵な親子だなと思いました。
また別の日に、息子さんが同じようにお父さんの腕に抱かれながら、私に向かって「バイバイ」と笑顔で手を振りながら挨拶してくれました。
お父さんは背を向けて、息子さんはこちらを向いて、そういう状態で一瞬すれ違ったのですが、可愛い挨拶に気持ちがほっこりと温まりました。

でも、「そう言えば、息子さんとお母さんが一緒にお散歩しているのは見たことがないな…」と、まだ結婚したてで子供のいない私には、優しそうな旦那さんと、障害があっても、いつでもニコニコと可愛い息子さんに囲まれているのに、いつも悲しそうな顔をしている奥さん気持ちが解るようで解りませんでした。

やがて娘が生まれて、それでもよく解らず、そして、息子が生まれて大病をして…それで、やっと奥さんの気持ちが解った気がしました。
障害というのは自分が抱えるよりも我が子が持つことの方が、ずっと辛いということが。想像と実感は天と地ほどにも違います。傍観者から当事者になることでは全く意味が違います。その重みは身を持って体験しないことには解りません。だから失意のどん底の中にいる時は、暗闇としか言えません…。
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この回答へのお礼

ご回答いただいて大変ありがとうございます。
深く感謝いたします。
返信がこんなにも遅くなったこと、深くお詫びしたいです。悔やんでいます。
本当に申し訳ありません。
こちらに質問してから2週間も経過していたなんて思いもしませんでした。
毎日死に場所探して廃人のようでした。
こんな状況なので今朝幼稚園に退園を申し出ました。
春から着る予定だった制服など見ながら涙が止まりません。

息子さんが髄膜炎という大病をを患って今でも心配や苦労をされている中、こんなにも温かい言葉とたくさんのご回答を頂いて本当に感謝いたします。そして励まされました。
親戚に、3歳で髄膜炎で下半身不随になった方がいます。
現在30代後半の方ですが両親は毎日神社にお祈りしていたようです。宗教に入ってしまってたくさんお布施をしたそうですが今も歩くことはありません。
po-ria1 さんが仰るように障害の重さ軽さは関係ないと思います。障害を抱える本人と親にしか分からないどん底の苦しみはどこまでも付いて来て・・乗り越えることなんてできないから諦めたり折り合いをつけながら生きていくんですよね。

お礼日時:2014/02/21 10:52

#9です。



質問があなたの気持ちなので
私は気持ちの持ち方について回答したつもりでした

気分を害されたのであればすいませんでした

身内の方のアドバイスも
生死にかかわる病じゃなくて良かったと思いなさいとの事だと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/02/21 10:35

いろいろと不安が重なっているようですね。


私も障害児を育てています。重度の自閉症で18歳になり今は障害者施設へ通っています。
ここまでくるには私も大変悩み苦しみました。
特に下の子を妊娠して臨月のとき(このとき4歳多動が激しかった)は毎日不安でした。
こんな状態でもう一人子供が生まれたらどうなるんだろう・・・。夜になるといつも泣いていました。
今だから言えますが、この子を殺して私もおなかの中の子と死んでしまおうと真剣に考えていました。
質問者様同様命に関わる障害ではないけれどと言う気持ち、よくわかります。まさにそのとおりです。
まだ子供が小さかったときは大声、奇声がすごかったのでジロジロ見られる、笑われる、など数え切れないくらいありました。そのたびに落ち込み泣くこともありました。
よく「真っ暗なトンネルの中」と言いますがそんな生易しいものではなく私の場合「ブラックホールに放り込まれた」ような感じでした。
そんな毎日でしたが、子供が障害児の通う施設(幼稚園)に行くようになり、そこで同じ障害(悩み)をもった保護者に会いました。行事で会うたびに集まり気の合う保護者の方と日ごろの困っていることや悩んでいることを思いっきり話すようになりました。悩みを話すと言っても暗い雰囲気ではなくみなさん明るく笑い飛ばしている感じでした。
そうするうちに同じ悩みを抱えているひとがこんなにもいたんだと思い、ここなら私の悩みも話せるし分かってもらえると思いました。

お子さんのことですがトゥーレットのことはわからないので想像になってしまうので違ってしまったらごめんなさい。
今現在なにか薬は飲んでないですか? 薬によっては多毛症になることもあります。
小学校1年で下の毛が大人並みという子もいました。頭の大きさについてですが、トゥーレットの特徴ということはなかったですか?もし特徴があるとすればその特徴がはっきり、異常ではないくらいでる場合とほとんど目立たない場合とがあります。
高機能自閉症はこれからの療育で状態も安定してくると思います。知的な遅れなどはどうですか?
療育センターで障害児の会をいくつか紹介してもらったらいいですよ。
同じ悩み、障害を持つもの同士はちょっとしたことでも分かり合えることも多いです。
そこで話すだけで何の解決にもならなくても話を聞いてもらえただけでもかなりすっきりとします。

こんなことを聞いたことがあります。
障害や病気などがわかったとき一度どん底まで落ちないと這い上がることができない。
どん底まで落ちないと上手に乗り越えることができない。
今質問者様はどん底なのだと思います。私もどん底のときがありました。
一生ここから這い上がれることがないんだろうなと思い泣いてばかりでした。
でも仲間を見つけることで私も随分かわってきました。
だから質問者様も障害児の会とか親の会などたくさんあると思うので、思い切って踏み出してみてください。
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この回答へのお礼

ご回答いただき大変ありがとうございます。
心から感謝致します。
返信がこんなにも遅れた事、深く悔やんでいます。
言い訳のようですが、今日まで錯乱状態で生活してきました。
毎日死のう死のうと考えてパソコンを開くことさえできずにいました。
同じ苦しみを持って努力してこられたこと尊敬します。
私にはできないかもしれません。
あても無いのに、今朝、春から入園予定だった現在の幼稚園を退園したいと幼稚園に伝えました。
買った制服など見ながら泣きはらしたところです。
私には頑張れませんでした。
今はどん底です。何も出来ないです。だけどyhhs さんが言ってくださったこと信じてとりあえず生きてみようと思います。
ご回答いただいて本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/02/21 10:35

小学生と中学生の母親です。

そして、私自身も子供に関わる仕事に携わっています。
初めてのお子さんで、身体的に不安な点がお有りで、そしてもうすぐ幼稚園に上がられるとのことでしょうか?

まず、入園予定の幼稚園には、どのような相談をなさっていらっしゃいますか?
どのような些細な事でも、率直に相談してみられると良いと思います。
私の子供は二人とも、幼稚園、小学校、中学校とごく普通の公立に通っています。
ですから、来る子供も様々、家庭環境も様々な人たちの集団だと思います。

自分の子供が初めて小学校に上がった時、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。
それは、学校での生活、学習、全ての面において【個性】を尊重するように指導しているからです。
私が小学校のころには、学習の面では【解き方】【書き方】が決められていて、そのマニュアルを習っているような雰囲気でした。
言われた通りのやり方でないと、認めてもらえないところがあったように思います。

ところが、今は違うのです。
【自分の考え方がどうであるか】を書かせたり言わせたります。
そして、友達の考え方も、みんなで聞き合います。
その考え方が「間違った方法」であっても、先生は否定はしません
「こういう考え方もある」と受け入れた上で、その考え方では解けない事があるとか、やり方が複雑になるのではないかと提案しているのです。
【自分の考え方を述べる】【他人の意見を聞いて受け入れる】ということを徹底しているように思います。

公立の小学校ですので、特に変わった指導の仕方を取り入れている訳ではありません。
これが今の教育なんだなあと、古い考え方の私は興味深々です。

今時の子供って、以外にリベラルな考え方で育っていますよ。
一昔前なら【普通】と違う事を排除したり、奇異な目で見ていただろう事でも、「そういう事もある」とか「そういう人もいる」という風に受け入れる育てられ方をしているように感じます。
他人は自分とは違う。それを【個性】として受け入れる事に慣れているように感じるのです。

お母様としてのご不安は、痛いほどわかります。
でも親の世代が思っているより、子供たちの方が受け皿が広いように思うのです。
私も色々なことを我が子から教わっています。
自分の硬い頭や先入観を、恥ずかしく思うこともしばしばです。

まずは、幼稚園、そして将来通うことになる学校の先生に、相談なさってみてくださいね。

色々な個性の子供たちを受け入れている百戦錬磨の先生だからこそ、違った考え方や見方を見出してくれるかもしれません。。

私の友人も、お子さんが転校先の学校で支援学級に入るかどうかで、ずいぶんと学校と話し合って、受け入れ体制を説明してもらったと話しておられました。
「関東から大阪まで、実際に学校に出向いたり、何度も電話で話を聞いて、納得してこの学校に転校させたのよ」とおっしゃっていました。
その方は「親がぶれない事が大切だわ」と話してくれました。

じっとしていては、不安ばかりがつのります。
少し動いてみられるのも良いかなと思いました。
そして、お子さんを沢山愛してあげてください。

私の子供たちは特に何らかのハンディがある子どもではありませんが、それでも親として不安な事が沢山あります。
その度に、悩み、落ち込み、誰かに話を聞いてもらって、「別の目で見てくれる人」に頼っています。
どなたか、そういう悩みを相談できる方がいると良いですね。

お気に障る回答でしたら、削除してもらってください。

でも、世の中悪い人ばかりではないという事をお伝えしたくて、回答させていただきました
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>世の中悪い人ばかりではないという事をお伝えしたくて、回答させていただきました
ありがとうございます。
4歳上の長女が幼稚園の時は差別的な事をされるのは考えられませんでした。先生やお母さんたちとは気軽に声をかけあえる間柄でした。
しかし次女が未就園に入ってから、お母さんたちから避けられていることはすぐに気が付きました。それは仕方が無いことだと割り切っていましたが、挨拶も返してくれないお母さん達もいます。
辛いというよりは世の中を恨みました。療育の先生にも話しを聞いて貰いましたが、「人がどう思おうが勝手で、その人の言動は止められない。娘さんが奇異なのも、正直こちらの世界の人間にとっては普通の感想です。」
そう言われました。
それからお母さん達の目がもっと怖くなってしまって、開き直ったり前向きに考えることはできなくなっていました。
でも少しずつ前を向きながら一日一日を過ごしていけたらと今は思っています。

お礼日時:2014/02/06 13:55

うーん。

グラフもみましたが、正常の範囲ですし、そんなに大きいと思いません。

触れてはいけないかもしれませんがトゥレットの症状がひどいと目立ちますよね。頭を前後に激しく振るので立っていられない子どもを知っています。

ひとつ思うのですが、頭が大きいから幸せになれないと決め付け過ぎているような気がします。質問者さんがその暗示にかかってしまっている限り、娘さんは一生「幸せではなくかわいそうな子ども」ですよね。

どんな障害が重くても子どもの幸せを信じて支えていく覚悟をするのが母親かなと思います。

殺してしまおうかって、娘さんの事を本当に愛していますか。その感情は普通じゃない気がするのでカウンセリングを受けられたらと思います。

私の甥っ子や姪っ子にも障がい児がいますし、顔に障がいのあるのがわかるの知人の子どももいますが、母親は日々の小さな幸せに笑い成長に喜び、みんな明るいです。

我が子であれば曲がった手足も頭の大きさも他の子の何倍も可愛く見えると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>私の甥っ子や姪っ子にも障がい児がいますし、顔に障がいのあるのがわかるの知人の子どももいますが、母親は日々の小さな幸せに笑い成長に喜び、みんな明るいです。

人知れず悩んだ(悩んでいる)かも知れませんね。
私もOKWEBと夫以外には泣きついたりしていませんから。
こんな私に温かいご回答を下さった方がたくさんいるように、私も苦しんでいる人に寄り添ってあげられるような人間になりたいと思います。

お礼日時:2014/02/21 11:59

こんにちは、はじめまして。


私は、娘が脳出血によって右半身麻痺となり、障害をかかえております。
脳出血をおこしたのは新生児のころ。
いま、3歳になります。
質問者様のお気持ち、お察しします。
いろいろ厳しい回答があり、余計に苦しい思いをされていませんか?
正直、私も読んでいて「そんな事じゃないの、母だからこそ、つらいんです。」とかわりに叫びたい気持ちになりました。
でも、できるだけ冷静にお返事されている質問者様の姿勢、感動致します。
がんばっていらっしゃいますね。つらいですね。
私はやはり、同じ病気を持つ親御さんと会って話すのが1番だと思います。
本当に救われますよ。
自分自身も、同じ思いをされてきた方の言葉はスーッと受け入れられるものです。
私は娘が幼児クラスの歩行できない子達が集まる特殊学級に通っていた頃、それはそれは周りのお母さん方に支えられたものです。
そういう場は、必ずあります。ぜひ探してみてください。
一刻も早く、不安が和らぎますように・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご自身も辛い思いをされている中、温かいお言葉をいただいて本当にありがとうございます。
想像を絶する辛さだったことと思います。
少しずつ受け入れていくことで、日々を生きて来られたのでしょうか。
私はこれまで嘆くことしかできませんでした。
布団の中で震えていました。
今も過呼吸や耳鳴りで体が思うように行かないことがあります。
でも私も同じ子を持つお母さんと交流ができたらと今思っています。
療育の先生にも聞いてみようと思います。
yuchi1515 さんとご家族が幸せでありますように。
心から祈っています。

お礼日時:2014/02/06 13:28

どんなに気にしないようにしようと思っても気になりますよね。


私がどんな言葉を書き連ねても質問者さんの心は軽くならないと思いますが、
ご参考までにお読みいただければ幸いです。

私は学校で教員をしています。
結婚で退職してから少しブランクが空きましたが、今も補助教員として働き、通算で十年を越えました。一児の母です。

平均値から外れた子供というのはどうしても初めは目につきます。どうしても目立ちます。極端に背が高い子、極端に痩せている子、色がとっても黒い子、大きなあざやシミのある子。

私も短い教員生活ではありますが、ものすごく背の高い女の子(私が168cmでわりと長身ですが、中学に入学してきたときにはすでに170cmを越えていました。)、ハーフかと思うような色黒でちりちり髪の女の子はすぐに目に留まるくらい目立っていました。
小学校の入学式で、130cm以上身長のある女の子が入場してきたときもびっくりしました。3年生よりも大きい子でした。

でも、びっくりするのを引きずるのって大人だけのような気がします。
私が出会った上記の子たちはなぜかそろって優秀でお友達が多く、人気のある子でした。
まず本人が気にしていない(ようにしていただけかもしれませんが)し、多少のからかいは最初はありますが、笑い飛ばすくらいにさらっと受け流していました。

それは強さなのかもしれません。
でも、それを続けたり、性格がよく、優しい性格は子供同士には理解されているのだと思います。

だから質問者さんは母として、涙が出る日もたくさんあると思うのですが、お子さんをたくさんかわいがって自信をつけてあげてほしいと思います。
自分で自分のことが好きじゃないと人には優しくできないですから。

だんだんお子さんもいろんなことに気づいたり、耳にしたりすると思います。
そんな時にお母さんが動揺したり、暗い顔をしていると、お子さんが自分を責めてしまうと思うのです。
きっと今でも人前では毅然としていると思いますが、お子さんが悪いことをしているわけではないので、理解してくれる人が現れるまで頑張ってほしいと思います。

愚痴を言いたい日もあると思いますし、涙が出ることもたくさんあると思いますけど、ネットで当り散らしてもいいから、あきらめないでほしいと思います。

蛇足ですが、好奇の目で見たり、排除しようとしたりする人って人間レベルが低い人が多いように思います。
そんな人はこっちから願い下げよ、くらいに思って理解してくれる人を待ちましょう。必ず、いい人はいますから。

がんばってくださいね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>お子さんをたくさんかわいがって自信をつけてあげてほしいと思います。
そう思います。療育の先生からも言って頂きましたが、自己肯定感が低くならないように親としてできる限りの事をしていきたいと思います。
娘は明るくて愛嬌もあってかすぐにお友達ができました。
同じクラスの子どもからも手紙を貰って、娘なりに手紙の交換もしています。
pantaron_ さんが仰って下さって気が付いたのですが、親は心配でも今の娘は楽しく生活できているのかもしれないと思いました。
だからくよくよしちゃだめだと自分に言い聞かせたいと思います。これからたくさんの困難が待ち受けていると思いますが、出来るだけ前向きに考えて行こうと思います。

お礼日時:2014/02/06 13:06

お母さんがうろたえてどうする?あなたは周りの目がと言われるが、世の中そんなものでしょ。

子どもなんてすぐ仲良くなるよ。容貌の違いがあった方が運動会やら発表会やらで見つけやすくてお得だねー。くらいに思って欲しいなー。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>あなたは周りの目がと言われるが、世の中そんなものでしょ
そうですよね

お礼日時:2014/02/21 11:52

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