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バカバカしい質問かもしれませんが…
「今よりもっといい政治形態」というのは
存在しないのでしょうか?

例えば、「政党」というのは本当に必要なのでしょうか。
現在では、どの政党もほとんど主義・主張に大差が
ないように思われますし、また、同じ政党であっても
思想の異なる人がいたりします。

それならば、「政党」というものを無くし、
全員が「無所属」の状態になった方が
無駄な派閥争いや権力争いに力を注いだり、
与党VS野党の無駄なあげあし取りといったものが
無くなって、良いような気がするのですが…。

勿論、政党を無くしても結局は
似たような考えを持ったもの同士が集まって
活動をするでしょうし、そこに力関係も生まれるでしょう。
そして与野党の対立があるからこそ、
お互いがお互いを監視してバランスがとれているのだと思います。

でも…
「与党でなければ実際の政治に関われないから」
という理由で自民党に入党したり、
まったく主義・主張が違うのに、連立与党として
政党同士が手を組んだり離れたりしている現状を思うと、
「政党」というものにさしたる意味があるとは思えません。

それならば、案件(たとえば年金問題とか、自衛隊派遣とか…)
ごとに、その都度同じ意見の者同士が集まって検討し、
意見の対立するグループと討論をすれば良いのではないかと…。

つまり、与党であるとか野党であるとか、長年国会議員を
やってるとかやってないとか、そういった事とは関係なく、
同じ「いち国会議員」という土俵で討論をし、
お互いのよい意見を取り入れ、それをより高い次元で
まとめていくといった方法を採る…といった事は出来ない
のでしょうか。

うーん…
多くの先進国が同じ形態をとっている事を考えても、
きっとこれが「妥当なあり方」なんでしょうが…
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

政党は、本来政権獲得を目指す団体でしょう。

それには、その政党の政策が必要です。今の政党は、こうなっていないわけです。

政党を無くしたのは、戦前の大政翼賛会が、ありました。この場合政党を無くしたら、ほとんどの議員がどっどっと流れていきましたね。立候補するのに大政翼賛会の推薦が必要になり、これがないと当選が難しかったらしいです。

もちろん、あなたの考えておられるのは、このような団体ではないんでしょう。でも、政党が無くなるとこうなる危険もあります。いまでも、政権に色目を使うと言われる政党もありますが、議員全員がそうなる危険があると思います。

戦前でも、政友会と民政党の二大政党がありました。よく似ていますが、政友会は、軍国主義的であり、民政党は、少し民主的だったと思います。でも、これがうまく機能しなくなり、結局軍部独裁になりました。本来、そのような自体を阻止すべき立場にあった民政党の責任は、大きいでしょう。

第二次大戦後、議会政治をつぶしたら、結局最悪になったという印象を持ちました。政党は、政策を掲げて政権獲得を目的とする存在なのは、すでに述べました。あなたのお考えでは、政策を同じくする者が新たに政党を作るのが、妥当と言うことになるのでしょうか。

政策を掲げた本来の政党を実現するには、やはり選挙制度だと思います。比例代表一本で行くとある程度可能かと思います。今の小選挙区制度のもとでは、看板が違う政党が二つ並ぶことになりそうです。今の選挙制度にするときにこの危険性は、指摘されたのですが、「いや、二大政党制の方が、政権は安定する」等などとごまかされ導入されました。従来のいわゆる中選挙区制度だとある程度少数意見も反映され、その点で比例代表的な面もあったのですが。

なお、今の憲法自体に政党は、出てきません。議院内閣制を取っていることから、政党の存在が前提なのでは、ないかと言われています。

いずれにしても、今の政党に問題が多いとは、思いますが、不具合の多い機械をなだめすかして使うように政党を良くしていくことの方が賢明ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

私が思い描いていたのは、「各政党が
政権獲得を目指す」という今のあり方ではなく、
「政党という枠組みをなくし、国会議員個々人が、
それぞれの問題について個別に考え、投票する」
という、かなりシンプルかつ原始的なものなんです。

本来、「この国をよくしたい」と思って
政治家になられた方々(と信じたい)の志が、
無駄な派閥・権力・政党間争いによって
歪められていくのを阻止し、
なんとか本来の仕事に集中出来る環境を
作れないものかと思ったのですが…
確かに、現実問題としては「政党を良くしていく」
以外にはないのかもしれませんね。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:28

結論を言ってしまうと、民主主義国家において政治家の


レベル(政治能力・知性・倫理性など)は国民のレベルの
反映であるということです。

どんなに能力があって倫理的にも素晴らしい人が政治家を
志したとしても、選挙民の方がその人の素晴らしさを見抜く
目をもたない限り政治家にはなれません。

タレント的知名度、利権がらみで選ばれた政治家が国会議員
となり国の政治を左右しているとすれば、その人を選んだ
選挙民がそうしているということなのです。

よって、質問者の方がより高い理想を目指した政治を実現
したいと願っているのであれば、まずは国民の政治に対する
意識を啓発し、様々な活動を通して教育し、選挙民全体の
レベルの向上を目指すしか、根本的な解決策はありません。

もちろんこんなことは短期間ではできませんので、それこそ
自分の一生を賭けて、あるいは自分ひとりの人生で足りなければ
自分の子や孫を通じてでも継続する必要があるかと思います。

かなりキツイ内容の回答となりましたが、この問題について
熟慮した私なりの結論です。
私もこの問題には何らかの形で取り組んでみたいと考えては
います。
(自分の生活で追われるなど、厳しい現実に直面しているのが実情なのですが)
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この回答へのお礼

#4の方への「お礼」にも
書きましたが、私も結局は
「良識ある政治←良識ある政治家
←良識ある国民」
…という事だと思います。

と同時に、制度面から何か
改善出来る事はないか…と思ったのですが。

確かに、「選挙民全体のレベルの向上」は
一朝一夕で出来る事ではないですよね。

とにかく、投票率を上げない事には
どうしようもないですよね。

たとえ年金がもらえなくなろうと、
日本が戦争をすることになろうと、
投票に行かない人間には文句を言う権利もないと
思うのですが…。
もっと、自分の生活や将来と政治が
密接な関係にあると自覚してくれる人が
増えるといいですね。

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/11 23:47

 mami0810さんの質問は、極度の政治不信を背景としたものだと思います。

mami0810さんが言われている事は正論ですが、他の回答者の方が指摘されているように、政党をなくしてしまえば大政翼賛会的な、与党を監視する政党のない暴走政治を行われてしまう危険性が高いです。
 また、この国は国民主権ですので、政治の行き先の最終決定権は国民が握っています。政治家ではありません。また、政策を採用するには法律が必要ですので、議会で法案を通す事の出来る数が必要となります。ベストは直接民主制ですが、現実には日常の生活に忙殺されている人が多い為、無理です。
 諸々の現実を考慮した上で最も理想に近いのは、やはり政党が政策をきちんと提示して、有権者が政策で投票する政党(=政党の候補者)を決定する方法だと思います。
 連立与党問題に関しては、選挙前に各政党が多数党となった場合の連立候補政党を有権者に明言し、各政党が連立を組む際に実現させる政策を協定を結んで発表すれば解消できる問題です。
 今の最大の問題は、野党が責任政党という言葉を使い、与党をきちんと監視しないところにあるのだと思います。一昔前、よく「反対のための反対」などという与党の行動を正当化する暴論が聞かれましたが、結局、責任政党の名の下に野党が与党を攻撃しなくなったことは、結果として与党の政治政策を検証する機会を奪っただけで、与党にとって都合の良い政治運営が行われるようになっただけでした。
 特に、実質的に二大政党制に移行した現在、与野党の政治姿勢に差異がほとんど見られない事は致命的と言っても過言で無いでしょう。仮に与党のやり方に反対の場合であっても、野党も同じ姿勢を取っていたのでは、反対する人たちには意思表示する機会が無い事になってしまいますので。手本として名の挙がる英米の二大政党は、きちんと違いがあります。例えば、イギリスの労働党の議員は大半が共和主義者とされ、保守党とは全く毛並みが違っているのが現状です。
 野党の責任と役割は、政府を監視して暴走させないようにする事と、与党とは異なる選択肢を提示し、与党の政策に反対する人々を受け入れる事にあります。よって、今の日本では二大政党が全く機能していません。私見ですが、低投票率の一因は、有権者にとって魅力ある政党がないというものもあるのだと思います。また、二大政党色を強めてしまった結果、新たな政党(環境保護政党や福祉に重視を置く政党)が議席を獲得する事が困難となり、より政界の閉塞感を高めて有権者の足を投票所から遠ざける悪循環を招いています。
 中道左派と中道右派による、差異があり有権者に選択肢の提示できる本当の二大政党を目指すのか、もしくは比例代表制に選挙制度を一本化して様々な民意を議会に汲み上げる多党制を目指すのか、既成政党の政治家の下らないイデオロギー論争ではなく、きちんと国民や国の将来を考えた制度設計をすれば随分とmami0810さんの不満も解消されると思います。
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この回答へのお礼

>極度の政治不信を背景としたもの

…その通りです(^-^;)。

やっぱり、諸外国の二大政党制とは質が
異なっているんですね。
でも、実は私個人としては、
たとえば「右か左か」といった
「二者択一でない政治」も、これはこれで
いいんじゃないか、という気もちょっとするんです。
二大政党が似通ってしまったのは、
ある意味それが今の民意を反映してるから
じゃないのか…と。
政策が似通っているとしたら、それは
その政策が妥当なのであって、
ならば与野党で対立する必要はなく、
お互いに議論を詰めていけば事はスムーズに
解決するんじゃないか…と思えるんです。
(たとえば年金の一元化とか)

確かに、「監視の機能が働かない危険」は
増すと思いますが…うーん、難しいですね。

taroimo_hasamiさんの仰るように、どういった形であれ
今の政治が少しでもいい方向に変わってくれると
嬉しいのですが…
(人ごとみたいに言ってちゃ駄目ですね)。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 06:05

「今よりもっといい政治形態」というのを中央集権的な守旧派政治システム、つまり全知全能な国会議員の活動を前提としているところに質問のバカバカしさがあるのではないでしょうか。



スウェーデンの中学校を訪問した時に将来なにをしたいかと聞いたら即座に
「政治家になって地域のために尽したい!」と女子中学生から答が返ってきたので驚いた経験があります。
リーダーを再生産できない日本の教育システムを問う以前に顔を会わせられる範囲で夢や希望を集約する政治システムが日本になく、バカな国会議員を全知全能の選良として扱う仕組みになっている。
これを正すには地方分権を徹底するしかないと思います。

スウェーデンは地方分権が徹底していて、日本の国会議員(中央官庁の役人OBが多い!)みたいに身近な地方行政に国の議員や官僚が口を出し、地方議員や役人をカネで牛耳るようなことがありません。
そして市町村を区切った地域(旧市町村や町内会)に地区委員会という組織を設け、地方議員がリーダー(執行委員)になって若者や女性等々の市民参画を促し、質の高い行政執行に躍起になっています。つまり地方政治家がしっかり仕事をしているということです。

むろん日本の地方議員みたいに議場で眠りこけるだけで高給と議員年金をもらうような地方政治家はいません(尤も700人もいる国会議員はもっとひどい?)。それどころか議員報酬は日当制のうえ仕事がきつくて途中で議員を投げ出す人も結構いるようです。

ただし、日本で地方議員が市民生活の身近な行政執行するには憲法93条第2項や地方自治法第92条第2項を改正しなければなりません。
(王族のいる国では地方政治も議院内閣制ですが日本はアホなGHQに従い地方だけ大統領制にしてしまいました。)

mami0810さん、日本再生の手法はあります。諦めずにガンバッテください。
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この回答へのお礼

地方分権…#5のtanuki4uさんの言葉を借りると、
「”この人はこんな人”と理解できるレベルの政治」
ですね。
確かにそれは大事なことだと思います。
私は、国会議員は「おらが村」のために働いては
いけないと思うんです。
それは地方政治家の仕事で、
国会議員は「国民の代表」なわけですから、
どの地域に対しても平等な態度であるべきですよね。
(それもこれも全て「選挙」のせいなんでしょうが…)

それにしても、日本もスウェーデンのようには
いかないのでしょうか…(溜息)。
しかし、日本の国会議員に「性善説」が通用しないのは
よーーく分かったので、個人の良心に期待出来ない
以上、外側の制度で正していくしかないですね。
(それもなんだか虚しい話ですが…)
でも何にせよ、国民がシラケたり諦めたりしないのが
一番肝心な事ですよね!
回答、ありがとうございました

お礼日時:2004/05/04 05:36

個人的な考えになりますが、



イラク問題の際思ったのですが、今の政治家(特に野党)や一部の国民は、国会で議決された国の方針に対しても平気で異を唱え、反政府という自分の主義主張を貫き通すためには、テロリストにさえ協力しかねない人達が少なからずいるということがよくわかりました。
そして、彼らは「人権」だとか「ジャーナリズム」など反論しずらい言葉を並べて政府を攻撃し、得意満面となっていました。
つまり、彼らにとって政治とは、「お互いのよい意見を取り入れ、それを高い次元でまとめていく」というような高尚なものではなく、(国民を利用して)自らの立場を有利にしたいだけの、単なる権力・派閥抗争でしかないのです。

ではなぜ日本がこのような国になってしまったのか?
私は、日本が敗戦後事実上米国の保護下にはいったため、政治家が国民の生命や安全に関する最終判断を米国に委ね、自らの責任を放棄してしまったことが原因だと思います。
国民の生命や財産を他国やテロリストから守るためには、普段から良好な国際関係を保っておくことが最も大切であるのはもちろんですが、「いざ」という際にそれを許さないための武力を普段から用意しておくのも重要でありかつ当然なことだと思います。
しかしながら、今の政治家(特に野党議員)はそのことへの覚悟や責任感を悲しいくらい持ちあわせていません。「親(=米国)の義務(=占領)として作ったルール(=日本国憲法)のもと、いつまでも親離れできない手のかかる子供(=日本)が、政治ごっこ(=現実離れしたイデオロギー論争)をして遊んで暮らしている」というのが今の日本の現状だと思います。

60年間もの長い間、日本は米国人により押しつけられた平和憲法(?)のもと国家運営を行い、一定の成果をあげてきました。しかしながら、世界情勢が再び混迷の兆しを見せ始め、国内においても経済・教育・治安などあらゆる面でほころびを見せ始めている昨今、そのことに疑問を感じ始めている人が増えてきたのもまた事実です。
アイデンティティークライシスに陥っている日本は、このことを克服できるのか?これが健全な民主主義国家を作れるかどうかの分かれ目になると思います。
もし克服できないならば、日本は自らの主体性を持てない国として、遠からずどこかの国の属国となり、消滅していくこととなるでしょう。
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この回答へのお礼

うーん…私は、
たとえ国会で議決された国の方針であっても、
民主主義国家である以上、異を唱える
自由は保障されていると考えるのですが…。
とにかく、改憲でも護憲でも、大事なのは
国民が真剣に考え、国会でとことん討論し、
結論を出す事だと思うんです。
国民全員が納得する答えなんてものはないでしょう。
「これが正解」なんて、簡単に言える
事でもないと思います。
だけど、だからこそ問題意識を持ち、我々
有権者は国会議員の働きを注意深く見張ってなくては
ならないんですよね。
憲法9条については、日本の今後に関わる大きな
問題ですから、是非とも
「お互いのよい意見を取り入れ、
それをより高い次元でまとめて」いって欲しいと
思います。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:35

もし、全員が「無所属」で出てくるならば、この候補者は「年金」についてどういう態度なのか、教育についてどういう態度なのか、安全保障についてどういう態度なのか、


そういう判断を有権者自身が検証しなくてはならない。

それぞれ個人の考えはバラバラだから、すべてで一致することはありえないから、どこで優先順位をつけるか、というところになるけれど、そこのところで政党としてのまとめをするべきです。
党内ではいろいろあるだろうけれど、政党としてまとめた政策路線で選挙に臨むならば、任期いっぱいはそれに従わなくちゃいけない。従えない人は離党すればいい。

(「政党助成金」を受け取るためだけのために政党を作っている議員もいますが、これは論外。ただ、論外の議員は多い。いまの民主党にしても、まえの保守新党にしても、「政党助成金」の登録の年末に結成届を出しています。公約の縛り、という点ではいちばん徹底している共産党だけが政党助成金を拒否しているわけで、政党らしくない政党で山分けするだけの助成金はリストラすべきでしょうね。)
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この回答へのお礼

他の方々からもご指摘頂いたように、
確かに「各政党の政策をみて投票する」という形態が
有権者にとっても、政治の結果としても
分かりやすいのかもしれません。
ただ、#5の「お礼」にも書いたように、
それぞれの問題について検証しなければならないのは、
政党であっても個人であっても大差ないと思うんです。
なので、選挙制度も多少変えれば、自分の選挙区の
何人かを吟味するだけなので、そんなに苦ではない
んじゃないかと…。
正直、恥ずかしながらいいトシになるまで
政治に関心がなかったので、勉強不足で分からない事も
多いのですが…
私がなぜ「政党廃止」を提案したのかと言うと、
現行の形態では、与党の中で「プチ国会」が行われ、
結局その結果が「法律」になる…。じゃあ、野党の
存在する意味が全くないんじゃないか、と思ったんです。
たとえば、否決された案件でも、与党の「賛成派」と、
野党の「賛成」を合わせれば可決されてた…なんて
ケースも、ありえなくはないと思うんです。
つまり、「国会議員個人」では多数を占めていても、
「政党政治」では汲み上げられないんじゃないか、と。
各党の有力者の意見が強く影響すると、
国会議員の一票は、同じ一票ではなくなってしまうと
思うんです。
稚拙な考えかもしれませんが、
本当の意味での「国民の代表による多数決」が
行われればなぁ…と思います。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:34

現在の日本の問題は、形態でなく、中身の問題でしょう。


いまの日本人には先進の政党政治を理解できてない。(これからの日本人はもっと学力低下していくから、もっと理解できない)

たとえば、「政党」として政策を掲げて選挙に臨めば、所属する議員はその政策に同調していることが前提。
したがって、一人一人の政策をいちいち検証しなくても、有権者はどういう政治を望むのかの判断がつけやすい。

しかし、日本の場合は、政策路線でなく「利益団体」として政党を作っている政治家が多いから、比例で当選しながら別の政党に移ったりするやつがいる。
おまけに小泉首相自身の「郵政民営化」のように、政党として選挙公約に掲げてないものが、トップの意向で採用されたり、
かつての村山首相のように、消費税に反対していた社会党が自民党と連立したら消費税を3%から5%にあげたり。
選挙公約が、議員の任期に対する責任として機能していない。
いいかげんな政治家を選んで平気な有権者に根本の問題があるんでしょうね。
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この回答へのお礼

私も「中身の問題」だとは思います。
そもそも「今よりいい政治形態」なんてことを
考えたのも、
「一体どうすれば国民の意思を反映した
クリーンな政治が実現出来るだろうか」
というところからなので…。
だから、#4のRavioliさんが紹介して下さった
スウェーデンのように、「健全な政治」が
行われるのであれば、確かに形態は問題ではありません。
だけど、今のままでは「中身」は変わりそうもないので、
「外身(形態)」から変えてみてはどうだろう…
と思いまして。
本来、「国民の代表(縮図)」であるはずの政治家が、
「政党」に属すことによって、多少その意思が歪められ
ていると感じるのです。
(おかしい事をおかしいと言えなかったり、
意に反する投票をしなければならなかったり)
…なんて書くと、「政党が諸悪の根源」みたいに
聞こえるかもしれませんが、本当に、悪いのは
「いいかげんな政治家」と、それを選んでいる
有権者なんですよね(^-^;)。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:32

政治のコスト効率から考えれば「政党制」がよかろうかと。


24時間365日政治を考えていては、生産が出来なくなります、一般の人間は。特に巨大な人口を抱える近代国家では意見の交換も大変。
※ スイスの極小州ではまだ、直接民主制が機能していますが。
んだもんで、間接民主制がベターとなります。
では、代議員が全部無所属だとどうか?町村レベルあるいは、町内会レベルなら日頃から「この人はこんな人」と理解できますが、国政レベルではわけわかりません。とりあえず、まとまってくれよ、そうすれば選びやすいから。ってことで、政党制が便利なんでしょうね。
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この回答へのお礼

そうですね。そういうことで現在の形が
とられてるんだと思います。
でも、今はどの政党もそんなに言ってる事は
変わらないですよね。
また逆に、
「イラク派兵については○○党に賛同するけど、
年金問題は△△党案がいいと思う。でも、
現実問題政権交代を狙えるのは□□党かぁ…」
なんてこともあると思うんですよ。
確かに、個人名で投票するにしても同じ問題が
生じるかもしれませんが、でも、政党名で
投票するよりは民意が反映されると思うんです。
「政党の力」ではなく、皆が「個人の資質」を見極めて
投票していけば、少しずつ政治も変わるんじゃないかと。
(うーん…やっぱり甘いかなぁ(^-^;))
自分が信じて投票した人が、自分の代わりに政治を
行う…そういうのが理想的だなぁと思って。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:30

「政党」というトピックとはちょっとずれてしまいますが、



「政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される」という古代ギリシャの格言があるそうです。
まさに現在の日本ではないでしょうか。

一例としてスウェーデンですが、国政選挙の投票率は80%ほどだそうで、
若者の投票率も高い。日本とはえらい違いですね。
スウェーデンは税率が非常に高いですが、税金が国民にちゃんと還元されるので、
平均的にゆとりのある豊かな生活が送れるのだそうです。
そして、税金を無駄遣いするような政治家は次回の選挙で落選する。
とても健全なシステムだと思います。詳しくは下記のサイトをご覧ください。

特に日本では最近の目に余る政治家の失態について、つくづく
「選挙に行くべきだ」と思う今日この頃です。
無党派層が一人一人が自覚を持って、本気で行動すれば、きっと政治は変わるし、
犯罪を犯した政治家が再出馬するというような馬鹿げたことは無くなるはずなんですけどね。

参考URL:http://www.hirake.org/kini/portal/concept.html
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この回答へのお礼

スウェーデンのあり方は、まさに理想ですね。
血税を湯水のように使い、私利私欲のみを考え、
無責任で怠慢な政治家…。
けれど、それを選んでいるのは国民なんですよね。
政治家が愚かだとすれば、それは国民が
愚かだという事に他なりません。

しかし本題に戻れば、議員が「政党」に守られなくなれば、
少しは変わったりしないでしょうか?
私には、どうも「政党」という枠組みが
隠蔽工作や利権の温床になっているように思えて
ならないのです。
一人ひとりの「顔」がハッキリ見えれば、
やがて無能で強欲な政治家は淘汰されていく…
と思うのですが、それはやっぱり甘いでしょうかね(^-^;)。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:29

「政党政治(party politics)」はもともと欧米(よく知らないんですがおそらく英国かフランス?)からのパクリですよね。


それをGHQ(マッカーサー)が日本国憲法として日本の民主主義に組み込んだわけです。

以下は個人的な考えになりますが、日本人には「政党政治」って向いていないんじゃないかと思いますね。もちろん、欧米諸国の政党にも派閥とか多少あるんだと思いますが、日本ほどじゃないと思います。「政党」って言うのはもともと志を同じうするものが集って結成するもので、同じ政党内で意見の違う「派閥」がやたらと分かれていたり、と思ったら志の違うはずの政党が、政権とりのためにくっついたり。特に、政権をとるために自民党にくっついている公明党などにはほんとに腹が立ちます。自民と民主が逆転したら、今度は公明党は民主党につくんだろな・・・(要は、彼らは政権政党になれたらいいわけだから)。

こんなことになるのは、日本の政党・ひいては議員に「志」がないからだと思います。
なぜ「志」がないのかというと、日本人というのは結構長い間「自我」というものを持っていなかった、というのがあると思います。たとえば、第2次世界大戦であれば「天皇」のために戦争をし、江戸時代であれば「幕府」とか「藩」のためであれば自分の命を差し出すことも惜しくなかった。「武士道」ってかっこよく聞こえますけど、実は「自分の考えを持たず、ただひたすら人(特定個人)に奉仕する」ということです。
「自我」を持たない人は「志」を持ちえません。江戸幕府をひっくり返した坂本竜馬とかは「志」を持っていたかもしれませんが、歴史的に見て竜馬のような「自身の大志をもって体制を覆す」様な人はあまりいなかった。
「志」を持ち、たとえ少ない議席であっても国会でちゃんと意見をいえば、竜馬のように実力者も呼応するし、時代もついてきます。

ただし、今の国会議員にそんなことを期待しても無理です。自分の主人に奉仕することになります。国会議員の「主人」は、本来は主権者たる「国民」のはずで、もしそうだったら誰も文句を言わないはずなんですが、実際には「自分の利益に供する国民」のみが彼らの主人です。数が少ないのでフォローも楽です。

もっとも、その「主人」たる国民も半分しか仕事をしていない現状(国会議員の選挙で投票率50%以下なんて情けなすぎます)では、主権者としてそのしもべである国会議員になめられても仕方ないとは思います。国民が社長で、国会議員が社員なわけです。半分の間しか見ていなかったら、社員は見ていない間はサボるでしょう。
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この回答へのお礼

>日本人には「政党政治」って
向いていないんじゃないかと思いますね。

同感です。昔から良くも悪くも「和」を重んじてきた
国民ですから、どうしても「しがらみ」から
抜けられないんだと思います。
「小泉フィーバー」で国民が求めていたのは、
まさに「しがらみからの脱却」だったと思うのですが…。
しかし仰る通り、投票率の低さ(政治への無関心)を
なんとかしない限り、「政治家になめられる」現状は
変えられないでしょうね。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/04 05:26

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