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下記の(ア)(イ)は、どちらも敬語として正しい表現でしょうか。もし、違いがあれば、理由も合わせて教えてください。「会うこと可能か否か」という来客に対する、侍従の言葉とお考え下さい。
(ア)「(天皇陛下があなたに)お会いになることができるかどうか確認して参ります」
(イ)「(天皇陛下があなたに)お会いになれるかどうか確認して参ります」

わたしとしては、(ア)のほうが敬意の度合いは高くなると思っています。
「なれる」は可能動詞であり、「お~になる」という尊敬表現の型にはなっていないように思うわけです。
ただ、天皇陛下の「会うという行為」を「お会い」と名詞化して尊敬語として扱っているため、一応、尊敬表現にはなっている。
名詞よりも動詞のほうが尊敬の意味は強く出せる。
また、「なれる」という可能動詞に尊敬表現が適用されていない、という点も合わせて(ア)のほうが敬意の度合いが高いのではないか、という理屈です。
しかし、一方で、「なれる」が「なる」の可能動詞であることも確かですから、「お~になる」という型と考えることができ、(イ)も動詞の尊敬表現の形になっているのだろうか・・・。
と迷っている次第です。

A 回答 (14件中1~10件)

 先日来、ご回答ありがとうございます。


 hakobuluさんが悩むような問題に当方が答えられるか否か悩むのですが……。「すぐに回答を!」ということなので、しゃしゃり出ます。参考になれば。

 相手が相手なので通常の敬語では×……という話はおきます。
 社長のスケジュールを確認する秘書くらいのイメージで考えます。
 菊地康人『敬語再入門』のP.50~に「可能表現・複合動詞の尊敬語」という項目があります。
 そこには、「答える」の可能表現は「答えられる」。その可能表現は「お答えになれる」とあります。
 同様に、「読める」の尊敬語は「お読みになれる」。
「出席できる」の尊敬語は(「(ご)出席なされる」もありますが)「ご出席になれる」が最も自然、とあります。
 ここから類推するに、「お会いになれる」は問題のない尊敬表現のようです。
 いわゆる可能動詞を使うよりも「~することができる」を使うほうが丁重な言い回しか否かは、当方には判断できません。そのあたりに関して、『敬語再入門』はふれていません。

 これは当方の感覚的な問題でしょうが、「お会いになることができる」だと、「できる」の部分も敬語にしたくなります。現実にはむずかしいので、こうしておくしかないのでしょうが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「ご出席になれる」が最も自然なのですか。
大変参考になりました。

>「できる」の部分も敬語にしたくなります。

一理ありますね。

お礼日時:2014/02/08 18:00

ここはあなたが質問された所なので、もう少し質問に関係ないことを書き込ませてもらいます。


>なり得る[narieru]
泳ぎ得る[oyogieru]
の[i]が抜けて可能動詞となったのでしょうね。

 この発想に感心していたら、「Wikipedia」に出ている説(大阪大学研究紀要)なんですね。(笑い)最初からそう言ってくださいよ。
 しかし、もう一つの説にも魅力があります。既にご承知かと思いますが、書いておきます。古語の「知る」という動詞に二種類あります。一つは四段活用他動詞の「知る」で、これは現在の「知る」とほぼ同様、もう一つは下二段自動詞の「知る」で、現在の「知れる」に相当する。言ってみれば「分かる」の意味ですす。
 この「知る」がこの時代の流れで「しる」→「しるる」→「しれる」と下一段に変化します。この途中の形の「しるる」がほとんど「知ることが可能=解る」を意味していました。これからの類推で四段活用に可能動詞が誕生したと言うのです。(ただ、なぜ下二段動詞が四段に影響したか、疑問は残りますが)
 この「類推作用」というのは語の変化には重要な働きをします。「なり得る」説でもどんどん類推によって拡がったと言うことです。
 やっぱり、考える人が考えると、説得力がありますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この発想に感心していたら、「Wikipedia」に出ている説(大阪大学研究紀要)なんですね。(笑い)最初からそう言ってくださいよ。

\(-_-;)/
なかなか信用してもらえませんが、「読める」などの原型は「読み得る」であり、同様に「食べ得る」「着得る」から「食べれる」「着れる」なども正当性を持った表現ではないだろうかということは、以前から思っていました。当時は「読む(を)得る」のように解釈し、「u抜き」などという表現を使ったこともあります。
実は、3年ほど前に、ラ抜き と 可能動詞に関連した質問をした際、ウィキを初めとして種々の資料やみなさんのご見解に接し、色々と肉付けすることができた、という経緯はあります。
ただ、わたしの最も根本の感覚としては、
可能態のみを表すものとして、当初「読み得る」という表現が始まりだったと仮定すれば、それが「読める」と変化するのに、大して時間は掛からなかっただろう、ということです。
理由は単純で「そのほうが言い易いから」です。
これが、わたしのスタートです。
同様に可能専用表現としての「食べ得る」が「食べれる」、「着得る」が「着れる」となるのに何の不思議があろうか、というわけで、わたしはラ抜き擁護論者です。(ただし、現状のままでは不可。あくまで条件付きでです)
つまり、言い易いからrを付けた、という単純な理由です。
また、tabeeru の e抜きだと 「食べる」に戻ってしまうし、もうひとつ他の理由で、一段のほうは遅れた、あるいは迫害?され続けている、といったことも関係してくるでしょうが、話すと長くなるのでやめておきましょう。
やっぱり、一素人が言うと、どうしても弁解っぽく、あるいは、牽強付会的に聞こえますね。
機会がありましたら、また、色々とお聞かせいただければと思います。

> この「知る」がこの時代の流れで「しる」→「しるる」→「しれる」と下一段に変化します。この途中の形の「しるる」がほとんど「知ることが可能=解る」を意味していました。これからの類推で四段活用に可能動詞が誕生したと言うのです。(ただ、なぜ下二段動詞が四段に影響したか、疑問は残りますが)

知るが自他同型だったとは知りませんでした。
ウィキの説明はさっぱりわかりませんでしたが、そういう意味でしたか。
かなり興味深い話です。
受け売りですが、やはり、「れる・られる(る・らる)」は本来、自発が大元だというお考えでしょうか。
自ずと知れる→結果として知ることができる、という構図で意味が敷衍されてきた、と。
このように考えると、「読まれる」は「状況可能」であり、「読み得る」から変化した「読める」は「能力可能」という自説に弾みがつくのですが。^^
(自説と言っても、一部の方言として、そのように扱っている地域が存在し、それを支持するということなのですが、その原理を使っていない地域のほうが間違っているのだとわたしは思っています)
「この村にもやっと電気が通じ、明るい電球の下で新聞が読まれる」(状況可能)
「彼は視力が良くて、300メートル先の本の字が読める」(能力可能)
これらは使い分けられるべき!というのが私の考えです。
また、その意味で、
「探していた箸がやっと見つかった。これでご飯が食べられる」(状況可能)
「彼はとても胃腸が丈夫で、一分間にご飯を丼で2杯も食べれる」(能力可能)
と使い分けられるべきであり、ラ抜き言葉などとはもってのほかである!と絶叫マシンの女子高生より大きな声を上げたいところなのです。
長くなりますので、とりあえずこのへんで。
あちこちけしかけているのですが、新しくスレを立ててみませんか。^^
    

お礼日時:2014/02/11 22:17

貴人を話題の動作主とする表現形式自体にどこか不敬な調子が生じてしまうように思えてなりません。


「会う」という言葉の変化形だけでは高い敬意を払うべき人の動作語として、イ)・ロ)ともに不適ではないでしょうか。

一般に相対的な敬体表現が求められるのは下手側においてであり、それは対話の世界では話者側が聞き手側に対して、また話題の世界ではその聞き手を意識した上での話題の動作主を通しての被動作主に対して求められる形態が原則になるのだと思います。源氏物語の上のように、昔の絶対敬語であればいざ知らず、今日の相対敬語という形態はそのようなものなのではないでしょうか。

その前置きをした上で、あえて表現を考えてみました。
・陛下にあらせられましては、朝見の儀整いの次第のほどを、ただいまお見届けしてまいります。
・主上におかせられては、やがて拝謁のお許しが叶いますかどうか、ご様子をうかがってまいります。
・お上に謁を賜るご用意がおありなのか、その次第をうかがってまいります。

あえて「会う」に類する敬語を用いる場合には、動作主を「あなた」に置き換えせざるをえないでしょう。
・天顔に咫尺することが叶いますかどうか、ご用意の按排を見届けてまいります。
・陛下に(対し奉り、)御目通りがお許しいただけますかのほどを、ただいまうががってまいります。

これが侍従長や女官長クラス以下に対してであれば、
・侍従長にお会いなさることができるかどうか伺ってまいります。
・女官長にお会いになれますかどうか伺ってまいります。
・その女官にお会いになられるのでしたら、呼び出し致しますので少しお待ちください。
・その女官は既に呼んでおりますので、すぐにもお会いになれます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あえて「会う」に類する敬語を用いる場合には、動作主を「あなた」に置き換えせざるをえないでしょう。

おっしゃるとおりかもしれませんね。
本質的な点についてご指摘をいただいたと思います。
「あなたが天皇陛下に」のパターンと合わせて、当初は4つの例文がありました。
ただ、この場合は謙譲語になりますので、尊敬表現についてのみ伺いたく2文に絞った次第です。

非常に格調高い表現を教えていただき感謝いたします。
いつか侍従長になるときまで、忘れずに覚えておきたいと思います。

お礼日時:2014/02/11 14:15

 No.9で回答した者です。



 どのように勘違いしていたのかが気になりますが、センサクはやめておきます。
 本題は解決したようですが、もう少しだけ本題外の話にお付き合いください。

>なり得る[narieru]
>泳ぎ得る[oyogieru]
>の[i]が抜けて可能動詞となったと思います。
 そういう考え方もあるようですね。以前SNSのmixiで知りました。

>ラ抜きというよりはラ入れであり
 そうお考えであることは、hakobuluさんのブログを読んで知っていました。
 当方はどこで金谷先生のことを書きましたっけ。
 当方は、どちらも一本化?できるのでまぎれが少ない気がする「ar抜き」と考えています。

 そのあたりに関しては、下記が多少参考になるかと思います。コメント欄で金谷先生の説にふれています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1801. …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
> どのように勘違いしていたのかが気になりますが、センサクはやめておきます。

「なれる」の成り立ちについて失念していた、というだけのお粗末な話です。
ただ、可能動詞か助動詞か、という点については、自分の中ではまだ結論が出ていません。

2.
>当方はどこで金谷先生のことを書きましたっけ。
 当方は、どちらも一本化?できるのでまぎれが少ない気がする「ar抜き」と考えています。

a.
金谷氏のことはたしか、ご自分のブログで紹介なさっていたと思います。
それをわたしのブログに引用させていただいたわけです。
当時、一応お断りのコメントをしたはずだったと思います。
彼は「R付き言葉」という表現をしていましたね。
わたしの「ラ入り言葉」とほとんど同じだったのでびっくりした記憶があります。

b.
わたしも一時は「ar抜き」と考えたこともあったのですが、
ただ、
・読まれる yomareru →読めるyomeru
だとするならば、なぜ、
・食べられる taberareru →食べれるtabereru
という下一段などの可能動詞が同時発生しなかったのだろうか、という疑問が残ります。
五段動詞の場合、やはり「i抜き(五段の場合)」のほうが妥当だろうという考えに傾いています。
ウィキなどでは両論併記の形をとっていますね。
上一段・下一段に関しては金谷氏の表現を援用すれば「r入り」ということになるのですが、長くなりすぎますので、また機会を改めたいと思います。
いずれにせよ、
・読み得る yomieru
・食べ得る tabeeru
から、
・読める
だけでなく
・食べれる
という可能動詞もあるほうが自然だ、という見解です。
つまり、ら抜き言葉は認められるのが妥当、ということですが、あくまで限定付きです。
このように、どんどん長くなってしまい、当質問の論点から外れてしまうため、これ以上はあえて触れません。
トビさんなど、他の方が質問を立てられたら、応じさせていただく用意はあります。
  

お礼日時:2014/02/11 14:08

>なり得る[narieru]


泳ぎ得る[oyogieru]
の[i]が抜けて可能動詞となったのでしょうね。

面白い発想ですね。ただ、この可能動詞が発生したは二百何十年以上前だと言われますから、その時代に「~eru」と言っていたら、可能性はありますね。

 わたしにも実は一つの発想があります。古文に「り」という完了の助動詞がありました。これはどういうわけか、四段の已然形かサ変の未然形にしか付かないという特色があります。(「泳げり」・「せり」)その連体形が「泳げる」です。四段にしか付かない点も、形もピッタリなのですが、どうしてそれが可能動詞になったのかという理由が分かりません。また、だれも言わないから無理なのでしょう。
(「り」の接続には別説があり、命令形接続とも言います)
 

 前々回のわたしの発言に誤りがありました。可能動詞に関して、『可能以外の「受身・自発・尊敬」の場合は変化なく「歩かれる」の形にになります。』と言いましたが、これは誤りで「自発」の意味も可能動詞が表すと、「日本文法大辞典」にありました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

色々興味深い見解をご披瀝いただきました。
日本語に限らないのかもしれませんが、言語の成り立ちというものは、なかなか奥が深いものですね。

お礼日時:2014/02/10 20:46

>「れる」が助動詞と考えると、「なる」の未然形「な」 + 「れる」で、「お~なる」という尊敬表現の型が保たれていることになる。


このような解釈ができるので、2つの例文は尊敬表現としてどちらも対等である、と言える。

 少し違います。「なる」の未然形は「なら」です。可能動詞「なれる」は、下一段活用の動詞として独立したものです。しかし、「なる」から出来たことには問題なく、「お~なる」という尊敬表現の型が保たれているのは確かです。
 可能動詞がどのようにして成立したかは、学者が研究する対象ではありますが、わたしたちはあまり研究することは必要ないでしょう。必要なら調べてみますが。

>「なる」の未然形「な」 + 「れる」

 というようなことが考えられるのは、たまたまラ行五段活用の「なる」だから「れる」の形がでてくるのであって、「泳ぐ」というガ行五段なら「泳げる」になるために「れる」の形は現れません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「なる」の未然形は「なら」です。可能動詞「なれる」は、下一段活用の動詞として独立したものです。しかし、「なる」から出来たことには問題なく、「お~なる」という尊敬表現の型が保たれているのは確かです。

良くわかりました。

>「なる」の未然形「な」 + 「れる」

 というようなことが考えられるのは、たまたまラ行五段活用の「なる」だから「れる」の形がでてくるのであって、「泳ぐ」というガ行五段なら「泳げる」になるために「れる」の形は現れません。

ごもっともです。
どうも、わたしが勝手に勘違いしていたみたいです。
なり得る[narieru]
泳ぎ得る[oyogieru]
の[i]が抜けて可能動詞となったのでしょうね。
食べ得る[tabeeru]
着得る[kieru]
など一段動詞は[r]の追加で、ラ抜きというよりはラ入れであり、これは、発音上からも有効と認められるべきだとわたしは思っているのですが、ボロが出そうなので、この程度にしておきます。
   

お礼日時:2014/02/10 18:14

 No.1/No.6で回答した者です。


 話が見えなくなっています。

「なる」の可能形(と呼ぶことにします)が「なれる」。
 尊敬語の「お/ご~になる」の可能形が「お/ご~になれる」。
 ……と考えて何か不都合があるのでしょうか。尊敬表現の型から外れているとは思えません。
 No.6で書いたように、「なれる」の本来の形は「なられる」で、そこから生まれた可能形が「なれる」でしょう。諸説ありますが、当方は「ar」が抜けたものと考えています。
「なられる」が「なる」の未然形の「なら」に助動詞の「れる」がついたもの……というのは当然のことだと思いますが。

この回答への補足

>「なれる」の本来の形は「なられる」で、そこから生まれた可能形が「なれる」でしょう

そうかもしれませんね。
個人的には、
なり得る[narieru]
泳ぎ得る[oyogieru]
の[i]が抜けて可能動詞となったと思います。
食べ得る[tabeeru]
着得る[kieru]
など一段動詞は[r]の追加で、ラ抜きというよりはラ入れであり、これは、発音上からも有効と認められるべきだとわたしは思っているのですが、ボロが出そうなので、この程度にしておきます。

補足日時:2014/02/10 18:17
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「なる」の可能形(と呼ぶことにします)が「なれる」。
 尊敬語の「お/ご~になる」の可能形が「お/ご~になれる」。
 ……と考えて何か不都合があるのでしょうか。

\(-_-;)/
全くありませんね。
完全に勘違いしていました。
助かりました。

  

お礼日時:2014/02/10 15:54

>なることができるかどうか


>なれるか
いずれも、陛下の意思に関係のない可能性ですね、敬語の必要がないのでは?。
お会になられるかどうか・・・
だと、陛下の意思についての記述になり、当然けいごも・・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>なることができるかどうか
>なれるか
いずれも、陛下の意思に関係のない可能性ですね、敬語の必要がないのでは?。

「お会いになることができる」のほうは、「お~なる」で謙譲表現となります。
「お会いになれる」が動詞としての敬語になっているかどうかが論点です。

>お会になられるかどうか・・・だと、陛下の意思についての記述になり、当然けいごも・・・・。

自然な表現ですね。
ただ、今回は、あくまで可能と尊敬の合体した形についてお伺いしています。
天皇陛下には敬語も警護も必要であるのは同感です。
  

お礼日時:2014/02/10 15:02

>可能動詞って、何か規則性があるんですかね・



あると言えば、五段活用にのみ可能動詞があると言うことです。しかし、上一段・下一段・カ変にも可能動詞があっても不思議ではない、と考えた(本当に考えたかどうかは知りません)から、「起きれる」「寝れる」「来れる」などの「ラ抜き表現」が出てきたわけです。さすがに「サ変」では作りようがないので、「出来る」で済ませています。今、日本語で一番大きな問題がこの可能動詞(上・下一段やカ変の)がどうなのかということです。やがてこれが普通の言い方になると予想する人も多いようです。
 このような可能動詞を認めなければ、「起きられる」・「寝られる」・「来られる」のように、「られる」という可能の助動詞を使わねばなりません。これらから「ら」を取ると、ぴったり「ら抜き表現」の可能動詞ができるわけです。

 五段動詞では「歩ける」という可能動詞と「歩か・れる」という可能の助動詞をつかったものと両方が存在することになっていますが、ほとんどの人が可能動詞を使います。可能以外の「受身・自発・尊敬」の場合は変化なく「歩かれる」の形にになります。この点は「上一・下一・カ変」でも同じで、「起きられる」「寝られる」「来られる」になります。「可能」だけが問題を引き起こしているのですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

規則性はあるということですか。
「なる」は五段動詞なので「なれる」は可能動詞である、と考えて良いわけですね。
ただ、「なれる」が可能動詞だとすると、「お会いになれる」は「お~なる」という尊敬表現の型から外れてしまうのではないか、とも思えるわけです。
#3さんおっしゃるように助動詞と考えると、「なる」の未然形「な」 + 「れる」で、「お~なる」という尊敬表現の型が保たれていることになる。
このような解釈ができるので、2つの例文は尊敬表現としてどちらも対等である、と言える。
こうした論理をご指摘いただいたのかな、と考えている次第です。

ラ抜き言葉に関しては、制限つきでむしろ有効な表現だと考えているのですが、それはまた場所を改めて述べる機会もあるかと思います。

お礼日時:2014/02/10 14:55

 No.1で回答した者です。


 肝心な箇所を間違えてますね。お恥ずかしい限りです。ご賢察いただけたとは思いますが。

×そこには、「答える」の可能表現は「答えられる」。その可能表現は「お答えになれる」とあります。
○そこには、「答える」の可能表現は「答えられる」。その尊敬語は「お答えになれる」とあります。

 ↑の書き方だと引用書籍が誤解を招きそうので補足します。これは当方が妙に省略してしまっています。実際はNo.3のかたの考えかたのとおりで、まず尊敬語にしてから可能形にすることがポイントなんだそうです。
  会う→お会いになる→お会いになれる
 先に可能形で考え、
  会う→会える→お会えになる
 と考える人がいるとか。これは日本語学習者の話ですかね。

 
 本題に関してはほかのかたの回答で解決したと思います。本題から外れますが、ひとつ教えていただけませんか。
 No.3のお礼にあった「五段動詞なので可能動詞かと思ったのですが、そうではないのですね。何か規則性があるというわけでもなさそうで、覚えるしかないんですかね。」はどういう意味でしょうか。
 No.3の回答にあった最後の3行がよくわからないので、redgarberaさんに訊くほうがよいでしょうか。その場合は別の質問にするべきですかね。
「泊まれる」は「泊まる」の可能動詞、「なれる」は「なる」の可能動詞と考えて差し支えないのでは。
「ら行の五段活用動詞からできた可能動詞」(?)ということで、「釣れる・蹴れる・練れる」と同様だと思います。「止まれる」「喋れる」「走れる」「掘れる」なども同様だと思いますが。通常の可能動詞は、辞書検索でヒットしないと思います(「読める」などのように別の意味をもったものは別)。
 規則性は保たれていると思いますし、別に考える理由はないと思うのですが……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD% …

 余計な話で済みません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>まず尊敬語にしてから可能形にすることがポイントなんだそうです。

なるほど。勉強になりました。

>「泊まれる」は「泊まる」の可能動詞、「なれる」は「なる」の可能動詞と考えて差し支えないのでは。

可能動詞か否かという点については、知識不足ですのでさておきます。
ただ、可能動詞だとした場合、「お会いになれる」は「お~なる」という尊敬表現の型から外れてしまうのではないか、とも思えるわけです。
#3さんおっしゃるように助動詞と考えると、「なる」の未然形「な」 + 「れる」で、「お~なる」という尊敬表現の型が保たれていることになる。
このような解釈ができるので、2つの例文は尊敬表現としてどちらも対等である、と言える。
こうした論理をご指摘いただいたのかな、と考えている次第です。
  

お礼日時:2014/02/10 14:30

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