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中臣鎌足が中大兄王子より「藤原朝臣」に任じられて「藤原姓」を名乗ったのは病床で死の直前
中大兄王子が鎌足を見舞った時だと言われています

詔が出る前に鎌足は死んでしまい正式には「藤原」とは名乗ってないと思うのです
ですから鎌足はあくまで「中臣」であり「藤原」は息子の不比等から名乗ったと思うのですがどうなのでしょうか?

A 回答 (4件)

>鎌足はあくまで「中臣」であり「藤原」は息子の不比等から名乗ったと思うのですがどうなのでしょうか?



中臣鎌足という人物は、本当に不思議な人物です。
日本書紀では、藤原一族の正当性を記した物語ですよね。
この藤原一色の物語でも、百済救済へ向けて派兵する前後の記録から鎌足は消えています。
この事から、俗説として扱われている「鎌足=百済国の人質=百済国の王子=豊璋」との説が出てきます。
大化の改新にしても、百済援軍に猛反対していた(当時の外務大臣)蘇我一族が粛清されたのが要因。
「いっしの変」で、蘇我本家が滅んだ時に「入鹿は、韓人に殺された」という古人大兄皇子の叫びが意味を持ちますね。
以後、天智天皇(鎌足の力で、天皇即位。傀儡政権)は「反新羅政策」を協力に進めます。
まぁ、天皇即位に尽力した鎌足一族に対しては「YES」しか言えなかった様ですね。
天皇を顎で使う事が出来る鎌足一族は、徐々に日本人の長として実力を持ちます。
天智天皇としても、日本の名家として鎌足一族を扱う必要がでてきます。
結果、鎌足の死後「藤原姓」を送りました。

>息子の不比等から名乗ったと思うのですが

実は、その通りで鎌足本人は藤原とは名乗っていませんよね。
息子から「藤原一族の不比等」と名乗ります。
が、日本では「死後の贈り名」という制度が昔からありますよね。
宗教の世界では、空海が(死後天皇から)弘法大師と送り名を得ています。
空海本人は、一度も弘法大師と名乗った事はありません。
が、誰もが「弘法も筆の誤り」など現在でも読んでいますよね。
同じ事です。
天皇に関しても、昭和天皇という号は「死後に与えた追号」です。
現在の天皇は「今上天皇」で、決して「平成天皇」ではありません。
それでも、明治天皇・大正天皇・昭和天皇と「死後の号」で呼んでいますよね。
同じ事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/02/21 08:29

669年に鎌足は亡くなり、中臣「氏」が藤原姓を賜ります。



ご質問の通りに、鎌足は直接は名乗る事は無かったのではないかとは思います。

そして698年に藤原姓を使えるのは、鎌足直系の子孫のみの詔を受け、不比等一人が藤原姓を名乗る様になりました。

その後、鎌足と同様、不比等も正一位の位を二代続けて得、子孫は其の恩恵を受け(祖父が正一位であれば、孫は正六位に生れ付き付く事が出来る)、代々高位の身分を得る事が易くなり、必然、高位の身分と役職を藤原氏で独占するようになりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/02/21 08:29

藤原という名前を考えるときに、その名の付いた都を思い出します。


藤原京。ただ、実際は新益京(あらましのみやこ)と言っていて、天皇が住む場所が藤原宮と言ったらしいです。

さて、ここで問題は、この藤原宮は、694年に飛鳥浄御原宮から遷都しています。着工自体は、676年ころから始まっているようだということです。
何が問題かというと、もし、鎌足が藤原姓であるならば、家臣の名前の場所に宮を移すことにした、ということになってしまうということです。
今でも、部下の名前を家に付ける社長って、おかしいですよね。当時は特に言霊が強い影響を与えている時代。名前は非常に重要ですので、これはあり得ないことです。

なので、少なくとも藤原宮が出来上がった後に下賜されたと考えたほうが無難です。
鎌足がなくなったのは、669年と言われていますから、鎌足の時代には藤原姓は名乗っていないはずです。
藤原姓は、おそらく不比等の代でいただいたのでしょう。
不比等という名前自体、比べるものがないということで、ものすごく不遜な名前ですが、一説には以前は史(ふひと)と言う名前があり、日本書紀編纂の中心であったようです。なので、藤原氏を持ち上げて書いてあると考えなければなりません。

藤氏家伝なども当然疑われるべきもので、実際中臣鎌足は、その出自が非常に曖昧です。百済の王子であったという説を披露する歴史家もいます。
彼らが今後日本で力を伸ばすためにも箔を付ける必要があったので、当時の天皇の住まいであった宮の名前をいただいて、こんなに天皇と近いんだ、とアピールしてたと考えるのが妥当でしょう。
なので、不比等からで間違いないと思います。

歴史は常に権力者によりゆがめられて伝わります。天智が命じたというのは後付けでしょうね。
一般的にはどこにも書いていない、といって一笑に付されるでしょうが、そんなものが証拠として残されているわけがない、というのが常識というものですよね。
権力者の都合の悪いことが表に出てくることなんて、現代社会ですらあり得ないのに、情報化もなにもされてない古代では余計難しいことです。
しかし、人の機微は変わりませんので、今の歴史も当たり前に考えれば、もっと解決することがあるのに、と考える今日この頃です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/02/21 08:29

どうなんでしょうね。



例えば、警官が殉職した時、2階級特進して、ということになりますが、
死んだ人に特進はおかしいので特進してから死んだということかなと思います。

同じであれば、
鎌足が死んでから「藤原」にしても、「藤原」にしてから死んだことに?(-_-;)ホントカ・・・オイ?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/02/21 08:29

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