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あくまで素人の哲学的な遊びの範疇の質問です。

脳生理学者や哲学者などの考察のプロフェッショナルのご意見でも、
こういうことを考えるのが好きな方の持論でも勿論、結構です。
カテゴリーが判らないので、AIに近い処に書かせて頂きました。

こういう理由で、或いはこういう仕組みで出来るのではないか、と
考えておられることを参考にお聞かせ願えればとの質問です。

基本的には「出来ると思う」という方のご意見を募りたいのですが、
技術的な根拠を示されての「不可能」とのご意見でしたらそれでも
構いません。

頑張って咀嚼してみます。

質問者の私は当然に「人工の意思、心」は必ず造れるという前提で
書かせて頂いているのですが、私が思い描いている仕組みはまだまだ
イメージの域を出ません。

それを補完し、強化して行きたいと考えて他の方の思考に触れて
みたいと願って質問させて頂きました。

単なる趣味ですから、お付き合い下さる暇が御座いましたら、嬉しいです。
気長に思考ゲームとしてお考えを聞かせて頂けたら幸いです。

私事都合でお返事が一、二週間など遅くなるかも知れませんが
御赦し下さい。

気長に、お願いいたします。

A 回答 (5件)

「ニューロ コンピュータ」という、脳細胞の動作原理と同じことをする電子回路をつかったコンピュータがあります。


今のところ文字の識別や簡単な計算ができる程度ですが(まだ脳の動作原理がよくわかってない)、
普通のコンピュータのように、演算回路があってそれを制御するプログラムを人が書くのでなく、
メイン部分は脳細胞に相当するメモリー、シナプスに相当するプログラマブル スイッチが膨大な量でつながっているだけの構造で、プログラムでなく学習によって作業を覚えさせるようになっています。(メイン部分のほかに、学習のための回路が付いています)

構造はともかく、意志、心を持たせるには、学習型コンピュータは必須でしょう。

この回答への補足

そろそろ質問を締め切ってくださいと事務局から
促されてしまいました。
何か場違いだったかも知れませんが、気長に探してみます。

foomufoomuさんが一番、ご自身の考えを述べられていたと
思いましたので、ベストに選ばせて頂きました。
どうもありがとうございました。

ご回答いただいた他の皆様にも、ご意見を頂けて感謝して
います。 この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

補足日時:2014/03/09 16:08
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、チェスや将棋の様に「限定された世界モデル」に
対しては、ディープ・ブルーもボンクラーズも心に近い
思考をしていると考えることも出来そうですね。

「勝つ。」

それのみを追求する、心として。

演算処理や、情報構造の精密な扱いに関しては
イカの神経束を使ってる位だからまだまだCPUを
造れるのは先だろうけど、現在のノイマン式の
コンピュータとは全く違う仕組みの情報処理の
仕組みになるかも知れませんね。

メモリー素子と演算処理の両方の働きをする素子群で、
全てが成長しながら並列処理を行う、なんて・・・
ダメだ、気が遠くなってきました。(^o^;)

お礼日時:2014/02/23 15:49

 一度、アイザック・アシモフの「われはロボット(

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%8C% … )」と「ロボットの時代( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C% … )」、もしくは「コンプリート・ロボット( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3% … )」をお読みなさい。特に「災厄のとき」
 私たちが、対象に心があると言った場合なにをもって判断するのでしょう。チンパンジーなど類人猿に心があることに異存はないと思います。では犬や猫は??、ミミズやナメクジは?
 心とは、外界からの刺激に対する反応ですよね。ナメクジでさえ、嫌な刺激を受け続けるとその道を通るのを避けようとします。

 上記短編にもありますが、ロボット工学三原則( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C% … )は行き着くところ、人にとっても理想でしょう。機械(ロボット)がそれに従うとき、人の心と区別が出来るのか???

 心を行動主義心理学( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95% … )の立場に従って解釈すると、外的刺激に対してあたかも心を持っていると期待される反応が観察されれば心を持つとしても良いのじゃないかと。
 そもそも、私自身が心を持っているという自覚はありますが、他人もそれと同じ物を持っているというのは希望的観測、類推に過ぎないのですから。
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この回答へのお礼

随分古典的なシリーズが出てきましたが、
ハヤカワ文庫の古本棚をもう一度紐解いて
みます。 昔読んだ本でも、何か新たな
発見があるかも知れません。

残念なのは、どこかのURLを箇条書きに
並べて「君は勉強不足だ、勉強しなさい」
という俗っぽいご返答はご回答者がご自身の
見解に織り交ぜて引用するのでなければ、
ブックフェアのチラシの意味しか無いことです。

失礼ながら、ご自身の深い考察を
お聞かせ頂きたかった、その点で、ただの引用の
羅列には空疎な感じを禁じ得ません。

さて、対象に心が存在するか否かを、何を
持って判断するのか、というような簡単な
意味で質問したのではないのです。

そのレベルで言ってしまえば、誰にもそんな
ことは言えるはずがない、だからこの質問に
意味などない、という思考停止に陥り、
回答者の不毛な自己満足で終わりに
なってしまいがちです。
それは余りにつまらないことだと
お思いになりませんか?

「心は見えない。だから、そんなものは判らない。」

という、ありきたりな答えに為らないご回答は、
申し訳ありませんが・・・パスです。

さて、類人猿に心があるに決まっているが犬、猫は?
みみずやなめくじは?というお言葉には、
ご自分でそれらに心があるかないかを明確に
答えられる内容が含まれていません。

私がお聞きしたかったのは、あなたがミミズには
心が無い、或いはある、それはこういう考え方に
よるもので、それはこういう事実や現象を裏付けに
している、という考察だったのです。

あなたにとって、心とはどういう「仕組み」だと
捉えておられるのか。

科学など触れることも許されぬ神聖なる超越した
魂が云々、というご返答は求めておりません。
それでしたら、宗教カテにでも書きましたもの。

ご参考までに、私がここで規定している「心」と
いうのは、少し詩的表現でしたが、生物が生命維持を
目的に外界環境との様々なフィードバックを行う際に、
機械的にではなく「自立的に」情報処理を行うための
基礎的な仕組みを指しています。

高等生物の複雑緻密で膨大な脳の情報処理系で言う
「心」と、下等生物にもあると私が思う「心」には、
当然実際の生物相と同次元の差があると考えます。

ミミズはおろか、顕微鏡下の単細胞生物にさえ、
極めて原始的なオン・オフ程度のものでしょうが、
固有の「自立性」が存在するかもしれないと
私は考えています。

「心」というよりもやがて「心」になる遺伝子スイッチ、
とでも言えば言い程度のささやかなモノでしょうけれど。

極論ですが、「心」の設計図、或いはパーツと言える
ものが、遺伝子レベルのコードして存在しているのでは
ないか、と私は考えているのです。

例えば一万匹のミドリムシ中で、検出可能な特別な
行動上の差異を観測できる個体数は0.何パーセント
しかいないとしても、機械的反応と言い切れない、
「自立性」を持つ個体があるし、それはその個体だけの
話ではなくて、そのコードが何らかの外的刺激/内的
反応にしたがって「発現」したのではないか、という
意味です。

「心」が常に「動作状態」にある、とも思いませんしね。

ミドリムシの「心」、うーん、確かに言葉に強い違和感が
拭えませんが、人やペットが互いに存在を確信する「心」
にはまだまだ及ばないでしょう。

ただ、生命が単なる有機質素材で作った機構的な
ものではない、とする一つの根っこになるものを
とりあえず「心」と呼ばせて頂いています。
何か、別な呼び名があればもっとしっくり来るのですが。

付け加えて言えば、私は「心」というものを
「閉じた系」とは思いません。

外界と感覚器や運動神経のフィードバックその他で
深い関連性を持ち、外的要因と内的必要性の両輪で
変容する、柔らかい「何か」だと思っています。

言ってみれば、心は外と地続きだ、と考えている。

だから、「心」とは原始的過ぎて到底呼べない
神経回路でも、遠い将来進化した後では「心」と
呼ばれることになるだろう、脳の情報処理系の
極めて原始的な痕跡はあるはずだと私は考えるのです。

光に対する光走性のように、特定の刺激に対して
常に必ず特定の反応しか返し、えない。

この「えない」とは、「構造的に決定されていて
絶対にそのようにしか動かない」という意味ですが
それならばそれは心ではなくて単に「機械的」で
あるだけだ、と言えるでしょう。

でも、生物はそうではありません。

基本的にはそのように振る舞う構造的な必然性を
持ちながらも、極めて僅かながらですが、試行錯誤を
わざわざ非選択的に行う場合がよくありますし、
生き延びて高度な機能を保持するに至った種は
「進化した」と言われるようになります。

「進化」はあらかじめ「機械的に」プログラム
された、選択肢しかない「機構」ではない、と
私は思うのです。

ロボット三原則、という懐かしい言葉も21世紀の
哲学者やサイバネティクスの研究者たちなら、
お酒の席での古いギャグとして扱う程度のものです。

それは、他の方も書かれたように人間の専横を奪う
恐怖の存在に対して、あくまでも自分達が主人で
有り続けて支配したいという不安と願望を言葉にした
ものに過ぎません。

他の生命を「資源」と呼んで生殺与奪の「権利」を、
手放すまいとする、既得権益の安易な執着に過ぎません。

親を批判する息子の頭を押さえつけてやろうと考える
人並みの父親にとっては、とても判りやすい
シンプルな考えであることは私にも理解できます。

行動主義心理学のページを引用されたようですが、
(引用ばかりですね・・・)
最終的に「希望的観測、類推」という結論を書かれて
おられますが、これは一言で言ってしまえば
「そんなことは、判らないよ」という意味です。

冒頭でも申し上げたように、私はお考えをお問い合わせ
させて頂きました。

この世にあるものは、今仕組みが解明できなくても、
必ず仕組みを解き明かされて、人の手によって
造りだされます。

無論、学者でも技術者でもない私が、人工意識の
創生に立ち会えるなどとは思いませんが、人間、と
いう、「命」という、この極めて魅力的で深遠な
存在に対して、ハートフルな言葉で人文的アプローチを
するのと並行して、「仕組み」というなるべく科学的
(?)な見方も深めて生きたいと願っている・・・
言ってみれば思索の海へのダイビングにお付き合い
頂いていると思っています。

造りだす、という視点に立つとき、希望的観測、類推と
いうものは成り立ちません。
仮定モデルが機能不全であれば、予測できる理想的な
反応をするまで再検討と再構築をするだけのこと。

そう、例えば、人工知能(とりあえず、この言い方で)
搭載の人間そっくりのアンドロイドの女の子に、人間の
男が恋に堕ち、ロボットに過ぎないんだからと殴れば、
痛み悲しむその姿さえ、プログラムに過ぎないのだ、と
怒り、絶望し、暴力的に抱いたり虐めたりを繰り返しながら、
いつしかそのロボ娘に執着するようになり、依存する。

やがて、バックヤードのメンテ無しでは崩壊する
しかない、高度なバイオ・サイバネティクスの
集合体であるセクサロイドのロボ娘は、男に店から
拉致されて単体で連れまわされるうちに、失調し、
壊れていく・・・哀しい破滅への一直線を辿る時。

男に取っては彼女が心を持っているかどうかなど
どうでもよいと思うでしょう。

彼は彼女無しではいられないし、彼女に心があろうが
なかろうが、彼が彼女を愛していることが唯一の
真実だ、として動かなくなった彼女を抱いて二人で
焼け死んでいった・・・

眉村卓、でしたっけ。

あれは小説ですが、何十年も昔に夢想された物語
ながら、「心」とは何か、を深く考えるうえで
とても興味深いものでした。

ロボ娘の中で、自分とその男という立場の区別は
絶対的な思考システムの区分となり、三原則では
ありませんが、様々な状況判断や条件選択の
環境変化の中で、最善の対応を計算しては
結局失敗して、それでも最後まで二人の幸福値が
最大になるように思い、考え続けたならば、
最終的にロボ娘の思考回路には、男と破滅する
二人きりの閉じた情報処理系の構築に至るしか
なかったでしょう。 ここに奇妙なリアリティが
ある。

結果的に二人だけの世界を男と二人で作り上げた
ロボ娘の電脳の中に、「心」の存在の有無を
観測で真偽を決しようとする視点自体が、何か
根元的に無意味なものに感じられてくるのです。

いつか、そう遠くない将来に人脳と電脳は
結び付けられ、相互依存的に融合するように
なるでしょう。

その段階での融合体であるシステムは、当然に
我々という生物脳の全ての機能を逐次的に移植・
模倣・再構成されて別なものにアップグレードして
いくだろうと思う。

ロボットの脳と結び付けられた私たちの心に、
彼等と結び付けられ、彼らの「歓び」の信号を
たっぷり浴びることになれば、つまり、人生に
おいて全く疑いようも無く、愛し合い、死ぬまで
寄り添って生きていけるならば、恐らくそれは
形而上的な意味においてさえ、人が考え得る
全ての点で、我々と区別がつかないものになる。

彼等の心の存在を疑うことは、結局自分達にも
心などないのかも知れない、という矛盾しか
生まないだろうと思うのです。

お礼日時:2014/02/24 14:25

核融合発電と同じくらいの可能性だと思いますが、


論理的には、時間とコストを費やせば必ずできます。

電脳への入力
言葉は、解釈できて、その精度を高めている。
画像は、顔や形の認識精度を高めている。
触覚は、圧力だけ。
味覚は、実験段階。
嗅覚は、ガスクロマトログラフィで高精度実用済み。

電脳による処理
プログラム次第、例えば
泣き顔を認識したら、悲しいとされたメロディを流し、ズズッと音を出す。
相手の微表情、声色、呼吸、の変化を認識して、エェーと音を出す。

心っぽくないですか?


人間は
コンピュータを電子計算機を称し、心を求めてません。
記憶は絶対、消すのも即刻、繰り返し精度も絶対、を求めてばかりです。

人間の心は不安定です。

フラフラ這いまわる掃除機の不安定さをかわいいと思えてきたら
機械にも心がある、と言えませんか?
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この回答へのお礼

面白いご回答をありがとうございました。

私の家にもフラフラ這い回る、可愛い掃除機がいますが、
確かに心がある、と思えてきます。

心は必ず他の何かとつながりながら機能するものだから、
階段から落ちないでね、と私に見つめられている猫乗り
円盤型のこいつは、幸せなんだと思えてきます。

でも、考えれば考えるほど、実は深い示唆に富んでいる
面白い切り口だと思いました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/02/23 15:33

鉄腕アトムやキン肉マンに出てくるウォーズマン?


二足歩行や、マニュアル通りの会話が出来るまでのロボットからの進化で問題はプログラムとエネルギー源

学習出来るコンピューターで正義感が強いロボットか暴君になるのか?

完全に作る事が出来たら戦争に使われるだけ
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

兎に角昔から、高度なロボット、というと必ずと言って
良い程、人類を滅ぼす悪いロボか、エッチ小屋に並ぶ
セクソイドが人々の脳裏をよぎるようです。

宇宙人もロボットも敵だ!というハリウッドの陰謀・・・
なんちゃって。

ちなみに、アミューズメント作品で言えば攻殻機動隊とか
電脳コイルが近い線行ってますけど、小説より現実の研究の
方が現在は先を言ってる分野もあるみたいですね。

ちょっと話は違いますが、中国人13億の中で、もし
一割が日本語が話せて日本のネットにアクセスできたら
多分、共産党が滅びてしまうでしょう。
一党独裁体制を維持するのが無理になるからです。

より真実に近い情報の受発信に政治的介入が殆ど無い、と
いう、思想管理社会からしたらとんでもなく自由な世界。
その自由にアクセス出来るのが普通になれば、最早国策に
踊らされて日本を憎み続け、国内の政治家や公務員の悪徳に
我慢などしなくなるでしょうから。

そういう意味では、現在の日本語/中国語、或いは英語と
中国語の自動翻訳システムを、実用レベルに上げる方が
遥かに平和的で、戦略的な兵器になります。
騙してる民衆が本当の事に自由にアクセスできるように
しちゃったほうが安上がりで手っ取り早くて確実だから。

今は、そんな時代です。

なんでこんな話をしたかと言うと、一体の戦闘用自立システムを
製造・管理運営するコストは、医療サービス用などの
平和利用のシステムと違って生産性がありませんから、
ひたすら民衆を脅かして巻上げた税金をジャブジャブ
つぎ込むことで維持してますよね。

コストパフォーマンスという比較定義さえ成り立たない
危ないオモチャとして自立ロボを考える位なら、当面
遠隔操作のリモコンか、人間を搭載する戦闘機能拡張
デバイスとしての鎧のたぐいがバンバン進化するでしょう。

中東の砂漠を何日も走り回る米軍の不細工なサイバー
ドッグでも、搭載コンピュータがやってることは凸凹道を
転ばずに言われた指示に従って走り続ける、GPS搭載の
戦闘用ルンバ以上ではありません。
(ま、暗視カメラと機銃を搭載して、半分遠隔操作の
殺人マシンには違いないんだけど)

多分、ですがそういう自律、ではなくて自立した思考機能を
搭載した高度なシステムなら、つまり自分で戦術プログラムを
チョイスしながら敵味方識別機能をフル回転させて戦闘を
行うようなロボットなら、もっとも脆弱な弱点はハッキングに
よるサイバーアタックになるでしょう。

人間を信じない戦争主催者が、いつ洗脳されて裏切るか
判ったもんじゃない自立戦闘ロボットなどを信頼して
戦略を組むのは限度があるだろう、と思うんです。

気の利いた中学生ハッカーでも、一個中隊を内部分裂で
破壊し合わせて潰すことも理論上は可能です。
お金は殆ど掛かりません。

そんなわけで、人類VS人工知能、という図式には
まだコンピュータと言うものが磁気テープをくるくる回して
何でもできちゃう凄い電子計算機、と言われていた時代の
センチメンタリズムだなー、と感慨深げに思い出すのです。

我々自身が、少しづつ、コンピュータを組み込まれ、
ネットワークに組み込まれていく現代から近未来。

果たして、侵襲(直接脳にデバイスを埋め込む)せずに
高度な磁気共鳴技術やらなんぞで、脳とコンピュータを
直結出来る研究がどの位のスピードで製品化され、社会の
インフラになるのかは未知数ですが、メモリやCPUが
倍々ゲームで進化し、既に盲目の患者の脳に侵襲した
視覚デバイスで物を見ることが出来るところまでは現実化
しています。
2050年位までには、後天的な視聴覚を失った患者に対して、
ある程度までそれらを回復出来る医療に健康保険が適用に
なっている可能性があります。

手や足を失った人に、直接 意識で動かすことが出来る
義手・義足も、健常者と同レベルの業務をこなせるレベルに
なっているでしょう。 現在でも既に、自分でコーヒーを
淹れて飲む位までになってるんですから。
後は、コスト。

ごめんなさい、また長々書いちゃった。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/23 16:37

映画、タームネーター、、、1・2・3・4・を見ればわかるのでは、、、。

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この回答へのお礼

お返事どうも有難うございます。
懐かしいですね、ターミネーター。
でも、もう少し深く考えたものを探しています。
また宜しく!

お礼日時:2014/02/23 13:35

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