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私は職業訓練指導員を長年やっております。

私は小規模な施設で働いているため、先輩の先生は居ません。(後輩も同僚も先生は居ません。)
自分の小学~大学の記憶、塾やスクールへ通った記憶を頼りに
することもありますが、基本的には試行錯誤して自分で
教え方を身に着けてきたつもりです。


私は、小学~高校の先生たちを反面教師にしているつもりです。
彼らは生徒の理解度や学習状況等をほとんど加味せずに
単元進捗を重視していました。表面的な態度は重視していました。
(居眠りは怒られるとか、宿題やってないと怒られるとか)
私は高校時代クラスで1番の成績でしたが、私が唯一理解していて
他の40人くらいは理解していない状況でも先生たちは学習進捗を
重視していました。
(まったくわけわからなくなってしまうので、寝る→さらにわけわからなくなる
 の悪循環でした。)
それはおかしいと思うので、反面教師にしている次第です。



私の場合は10~20名程度ということもありますが、表面的な態度よりも
理解度や学習状況や表情を把握するようにして、
その場その場で進捗を調整しています。
とくに表情を見て微調整をしたり、課題などをやらせて理解度を把握して
単元進捗を早くしたり、遅くしたり調整しています。


私が教育実習生のとき、現職の先生に生徒の状況に応じて微調整すると
話したら、「それは間違いだ」といわれました。
「先生たるもの先生のペースで生徒に理解させることが重要だ」と
いわれました。
もちろんそれが出来れば理想的です。
しかし、ふたを開けてみれば、先生側の自己満足で生徒の大半はついて来れない
という悲しい結果になっていました。
当時の私はそれでもベテランの先生の言うことだから正しいのかなぁと思っていました。


私も教員になって3~5年のうちは生徒(全体)の表情を把握して微調整するというのは
難しかったのですが、今は出来ます。(完璧ではないですが。)


教員が生徒の状況に合わせて単元進捗を調整するのは悪いことでしょうか?
たとえ全員の生徒がついて来れなくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
もしそうであれば、通学講座である意味が薄れてしまうと思います。
(単元進捗を重視して、生徒の状況に合わせないのであれば、ビデオ受講にすれば良いと思います。)

A 回答 (10件)

 高校の日本史ならば、こちらとしては「教えておきたいこと」も色々とあるわけですよ、本音を言えば。

でもそれをやったら最後、殆どの生徒が着いてくることの出来ないレベルにもなり得ます。
 中世社会論を扱うならば必然的に構造と特性を中心にした内容にもなります。天皇制の問題に象徴される部分もあればアジール論もあります。「王権」をどう扱うかとの問題にも波及します。
 これは何も中世史部分固有の問題でもありません。日本史全体をトータルな形で眺めたらどうなるかとの基本的であると同時に極めて専門性の高い問題にもなります。時にはヴェーバーの方法論などを緩用したり、フリードマンが提起した「歴史と理論に関する三つの類型」などを叩き台にする場合もあります。
 そして更に問題であるのは、授業の内容に一定のタガを嵌める教育指導要領の存在もあります。表向きはガイドラインではあるものの実質の法令に準ずる規定として、それから逸脱することを押さえられてもいる現場を知る立場からすれば、質問者様は贅沢な環境にいるともいえます。
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この回答へのお礼

>一定のタガを嵌める教育指導要領
>質問者様は贅沢な環境にいるともいえます。


そうですね。小~高校の先生はある意味裁量範囲が狭いですね。


心持としては、教員は説明することが仕事ではなく
生徒に身につけさせることが仕事と捉えるべきかなと思います。


例えば10個の事柄があって、10個説明さえすれば、生徒の習熟度が
0だとしてもOK(完璧ではないがマシ)で、
10個の事柄のうち7個しか授業で取り上げられなかったけど生徒の
習熟度が5の場合は3個やりのこしがあるからNG
という心持の先生が多いような気がしています。


先生の心持ってそれが正しい姿なのでしょうかね。


ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/09 08:57

職業訓練とはどんな内容なんですか。

長年先生であるなら質問文を精密されないと。返事もないのに連投するようなパッチワーク教員では困ります。このカテゴリはまともな事を書くと削除されますから別カテゴリで再質問が正解です。PTAや教員の会議が話にならない集団というのと同じ傾向であり隠し毛以外は不毛です。
消されて馬鹿らしいので一言だけ。例えば医学部を卒業するとすぐに医者になるのが現在の制度です。6年の時間と税金と献体を使いながら何も出来ない人に免許を与えています。私立は知りませんが国立で試験対策なんてサービスはないと思います。
貴方のご指摘ですが、全員分からなくなるような授業をする先生の例がありますよね。そうです、正規分布しないのです。統計学の正規分布の意味が分かっていない先生が自ら間違いを教え出すのです。だからその指摘をした貴方の方が頭が正常で頭が良くて本当の教員なのです。つまりこんなところで質問するのがなのです。
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この回答へのお礼

>だからその指摘をした貴方の方が頭が正常で頭が良くて本当の教員なのです。つまりこんなところで質問するのがなのです。

そうですね。こんなところで質問するのが愚問だったかもしれません。


しかし、色々な回答をお聞きできるのはありがたいです。


ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 14:06

 もしそれを現実的に具体化するならば、習熟度別学級編成に基づく個別カリキュラムを許容するとの大幅なシステム変更が必要でしょうね。


 一斉授業方式が前提とするのは、一つのクラスに属する生徒の学力がある程度の範囲内に収まっていることが前提ともなります。高校以後ならばある程度は可能ですが、公立の小中学校にそれを求めるのはほぼ不可能です。
 一方に合わせれば他方が不満を漏らすことは目に見えています。そして「どこに基準線を引くか」との問題もあります。
 全てを同一のレベルに合わせるといえば聞こえは良いものの、現実的にどうすればそれを実現できるかとの問題に必ず突き当たりもします。
 中学校ならばある程度は意識する必要もありますが、それ以後では意識する必要はないと僕は考えもします。高校は実質的に全入の時代です。大学も選り好みしなければ、殆どの受験者は何れかの大学に入ることも可能です。この現実が問題の根深さを物語っているともいえます。
 学力に不安のある者が専門課程でより高度な知識を得ることができるかといえば、かなりの割合で疑問符も付き、そうした学力不足の学生を受け容れるほどの余裕は本当ならばないはずです。そんな彼等が無理して大学に入ってくることや彼等を送り込んでくる高校までの教員には本当に、責任を果たしているのかとの疑問も感じてしまいます。
 一斉授業をそのまま継続するならば、それに伴う落第や原級留め置きを導入するか、或いは習熟度別編成を導入するかの何れかの選択肢を考えねばならないでしょう。ここで最悪の選択は、小幅な手直しでパッチ的に対応するとの考え方で、それでは問題の先送りとさして変わりもしません。
 職業訓練の場と学校では科目編成も課程の意味も異なります。この点を度外視するならば、それは余りに早計と言えはしないでしょうか。ある意味で職業訓練校は職業的スペシャリスト養成の場ともいえ、逆に一般の小中高校はそれらとは性格を異にするともいえるでしょう。高校以後が普通科と職業科に分かれているのも、そのカリキュラム編成と育成に違いがあるからです。工業高校の情報科や建築科ならばCADの使い方や簡単なプログラミングを扱いもしますが、普通科ではそうした部分は扱いません。学校の目的が異なりもしますから当然の話です。逆に職業科の生徒が普通科に編入したならば途端に苦労も始まります。
 そうした「違いと特性」に基づくシステム変更と質問者様がお求めになられている回答は異なると存じます。授業進捗の弾力的な運営だけで解決できる性質の問題ではないと考える次第です。 

この回答への補足

たとえ全員の生徒がついて来れなくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
というのは
一人もついてこれる生徒が居なくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
という意味でした

補足日時:2014/04/08 19:17
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この回答へのお礼

>授業進捗の弾力的な運営だけで解決できる性質の問題ではないと考える次第です。 
おっしゃるとおりだと思います。


それでも現場の教員は毎日授業を行わなければいけません。
焼け石に水なことはせずに、全員が落ちこぼれても計画通り・予定通りを貫き通すのも正しい選択かもしれませんね。
もっと上の階層で対策すべき問題であり、現場では手の施しようがないということかもしれません。


上の階層と現場の意思疎通が大切だということですね。


まぁ、今回の質問とは若干それてしまいましたが、現場教員の心得として何が正しいのかというのは様々な要因があり、明確ではないということですね。


いずれにしても、私は支障をきたさない範囲でそのときそのときの生徒にあった指導をしていくつもりです。
(小手先でもやらなければ、生徒全員がついて来れない授業になってしまいますので。)

ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 13:54

難しいことですが、もちろん習熟度にあわせて進捗を調整するのはいいのですが、


それで果たして最後(年度末など)に帳尻が合うのかということです。

極端な話をすれば、小学校の算数で九九を一定割合の児童が覚えるまで続けていたら、結局6年生までかかってしまったとします。
その子供たちが中学に進んで数学の先生に「僕たちは算数は九九までしか習ってないので、分数も少数も全くわかりません。」と言われたら中学校の教師は困りますよね?

即業訓練でも当然その後の進路(就職先)でも、「このくらいは知っていて(出来て)当然」という水準があるはずです。

理想を言えば、「習熟度も高く、進捗も最後にはきっちりと合わせる」のが指導者の役割でしょう。
この両方を適宜満足させる必要があると思います。

この回答への補足

たとえ全員の生徒がついて来れなくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
というのは
一人もついてこれる生徒が居なくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
という意味でした

補足日時:2014/04/08 19:16
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この回答へのお礼

>この両方を適宜満足させる必要があると思います。

そうですね。
私はこのバランスをとりながら努力していくべきだと思っています。


しかし、私の知る限りでは、単元進捗さえ守ればよしという先生が多いので、いかがなものなのかなぁと思っていました。
むしろ、単元進捗を守れないなら、どんなに生徒が成長しようとも先生失格だという人まで居ます。
逆に単元進捗さえ守っていれば、生徒の出来不出来は先生の授業の進行とはなんら関係なくOKであるという人も居て、腑に落ちていませんでした。


ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 11:25

#3ですが、



たとえ全員の生徒がついて来れなくても単 元進捗を死守するべきでしょうか?

と質問なさっていたので全員を前提に回答したのですが、そうでないなら仰る通りですよ。
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この回答へのお礼

補足、ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 10:56

元塾講師です。



単純な話、大学そのものが陳腐化してしまったので、連鎖的に上から腐ってきています。レベルも堕ちました。中学最初の2年間で修了する事を3年かけるようになったのです。昨年のセンターには数学的帰納法の言葉の意味を問う問題が出てきました。もはや国語です。失笑するしかありません。現状は悲惨極まる状態です。
その中で極端に分ければ二種類の塾があります。進学塾と落ちこぼれ救済型の個別指導塾です。教育本来の意味においては後者の方がふさわしいのですが、1クラス40人も担当する事自体が不可能なのです。せいぜい20人迄です。
さらに言えば、今はゆとり教育なのです。理解度重視にして留年させたら、保護者からクレームが来るでしょう。末期状態なのです。
もう一つ挙げれば、現状の学年制にも問題があります。小中高を4/4/4にしてもいいと思います。

結局、日本には受験教育業者しか存在せず、親も学校も本来の教育の骨子を見失っています。しかし、これを取り戻すのは大変なことですので、教科書の履修内容の変更や学年制は変更することで、教員側の負担も減るでしょう。
かたや6歳の新一年生、かたや12歳の6年生。同じ学校に通わせるのは無理があります。
端的に言いますと、文科省上層部が役にも立っていないのに予算を浪費しすぎなのです。1クラス当たりの人数を減らしてクラスを増やすだけで負担が楽になる。
能力第一の評価システムの再構築とカリキュラムのさらなる熟成を促す事が出来なければどうにもならないでしょう。
まあ、その前に教職員の性犯罪数を公開させて地方公務員法の退職関連と罰則を強化しないと話にならないでしょうね。セクハラしても解雇されない職種ですから。
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この回答へのお礼

>親も学校も本来の教育の骨子を見失っています。

そうなんですよね。
私も教育改革は必要だと思います。
まずは、我々親世代の教育に対する意識の改革が必要なんだと思っています。
それに気づけている人は少ないかなぁと思います。

まず始めの一歩としては、人を育てること、教えること、成長するためのフォローをすること、成長しようと努力すること(失敗しても)は尊いという認識を持つことからだと思います。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 10:35

補足。



>職業訓練校とはちがう

決定的にちがうのは,「学習意欲があるかどうか」だと思います。義務教育だから漫然と通っていて年月が経てば自動的に卒業できる(保護者にも家庭教育という概念がない),進学率ほぼ100パーセントの状況下でなんとなく高校に進学したけど勉強する気はない,大卒の学歴をできるだけ安直に手にしたい。こいうモチベーションでは,教育はうまくいきません。
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この回答へのお礼

>義務教育だから漫然と通っていて年月が経てば自動的に卒業できる

そうですね。
当質問とは別件になってしまいますが、義務教育には学習指導時間以外の指導時間をもっと大幅に増やすべきだと思っています。(学習指導時間を大幅に削る必要がありますが)
(ホームルームとか道徳とかのより良く生きるためのモチベーションや知恵や社会の基本行動を養う時間)
ただ、時間を増やしただけでは実現できませんので、教育に関わる制度や人などを改革する必要がありますけども。


別件になってしまいました。すみません。


ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 10:08

私立の学校のようにベースとなるものにあまり差がないところであれば質問者様のやり方でも十分な進捗が得られると思います。


ベースとなるものが大きく差がある人間が多様に存在する場合はあるところで線引きをしないと進捗が得られないと思います。
学校であれば留年をして理解するという選択肢もあるわけですから、全員がついてこられるように調整するのは間違いというのもケースによっては正しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

>全員がついてこられるように調整するのは
私も全員がついてこられるようにとは思っていません。


半数程度はついてこられるのが妥協点だと思っています。


私の高校時代等は、ほぼ全員ついて来れなくてもお構いなしの先生が多数いらっしゃいました。
その授業に意味はあるのかと疑問に感じていました。


大学の様な、超多人数教室の場合はビデオ受講の様に生徒の理解度お構いなしに進めるべきだと思います。
例えば150人の講義では、生徒の状況に合わせていたら収集がつかなくなります。


>線引き
その線引きまでは努力して調整すべきだと思います。
(線引きには過半数の人がついてこれるとかでも良いと思います。)


ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 09:51

理想論だと思います。



教育実習でこんな経験はしませんでしたか? クラス全員がわかったような顔をするまで時間をかけると,教案どおりにはぜんぜん進まない。素人で教え方が下手だということもあるんですがね。プロでも,そもそも授業に乗ってこなかったり予習復習してこなかったりする生徒がいれば,全員が足並みそろえてとはいかないでしょう。はるか以前の小学校段階からつまづいている高校生もいる。

小学校から高等学校まで,学習指導要領があり,教科書があり,さらに校外模試や入試などの出題範囲があります。スケジュールに追い立てられる感じでしょう。それでもむかしの「世界史」・「日本史」しかなかった時代には,高3終了までに近世までしか進んでいないということがありました。どうせ中途半端なら現在の国際社会に直結する近現代史を教えるべきだという考えから,「世界史A」・「日本史A」ができた側面もあったとぼくは理解しています。この点は職業訓練校とはちがうと思います。

進度を適切にするための効果的なやりかたは習熟度別クラス編成にすることですが,生徒がそれを好むかどうか,難しい問題をふくんでいます。現実的には,高校が入試偏差値で序列化することで,習熟度別(ないし地頭別)はいくらか実現されています。また,1クラスの人数をへらすことも効果的でしょうが,たいへんな人件費がかかります。

なお,ぼくは大学教員ですが,授業アンケートで「わからない」が一定割合いてもぜんぜん気にしません。こういう結果はだいたい正規分布するからです。「わかる」・「よくわかる」が一定割合いて,期末試験でも期待どおりの答案がちらほらでてくれば,それで十分です。とくに義務教育ではありませんから。

この回答への補足

たとえ全員の生徒がついて来れなくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
というのは
一人もついてこれる生徒が居なくても単元進捗を死守するべきでしょうか?
という意味でした

補足日時:2014/04/08 19:12
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この回答へのお礼

例えば2(優秀):6(ギリギリ):2(全然ついて来れない)の割合で落ちこぼれが居るなら、全然OKだと思います。


私の高校時代には、ほぼ全員の生徒がついて来れないような授業を行う先生が多数いらっしゃいました。
また、私の職業訓練校で私以外の講師を雇ったことがありますが、
ほぼ全員がついて来れないような授業をやってしまっていたケースがあります。
ただ、単元進捗だけは死守をして「オンスケジュールで問題なく仕事を完了しました」っていう感じに振舞っていたので、とても違和感を感じました。


ついてこれない人が半数未満であれば許容範囲かなと思います。


多種多様な人々が入校してくる最中、ついてこれる人過半数を保ちながら単元進捗を大幅に遅れさせないというのは難しいでしょうが、それを目指して努力しておりその技術に長けているからこそ教育のプロなのではないでしょうか?
はなからそこをあきらめている教員が多数入ることが腑に落ちません。



ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 10:03

gdbnb6cさんの考えが正しいです。


私は66歳ですが、その通りだと思いますよ。
現職の先生の「それは間違いだ。先生たるもの先生のペースで生徒に理解させることが重要だ」という考えもあるでしょうね。日本伝統としてはそうでしょう。
しかし、教育でも仕事でもgdbnb6cさんの考えに私は賛同します。
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この回答へのお礼

計画は計画として必要ですが、
状況に応じて最善の策をとっていくのが仕事でありプロですよね。

>日本伝統としてはそうでしょう。
そうですね。温故知新ですね。
(良いものは残したいですが、改善すべき点は改善したいです。)

ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/08 11:35

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