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韓国旅客船沈没事故、ネット上に「修学旅行廃止」求める署名運動・・・「日帝残滓」との指摘も=韓国

記事によると、修学旅行を廃止する理由に一つに日本帝国主義の統治時代の慣行の残滓だという意見があるのは、救助支援の拒否、船は日本製との言い掛かりと並び相変わらずの反日の偏見とすべての元凶は日帝に、責任転嫁の方向へ耳目も頭脳も感染蔓延してしまっている為だと思うが・・・

一方で、修学旅行の是非については一考の余地や見直しの意義はあるのかもしれないと思う。
事故後の混乱の渦中ではなく、平常時に冷静な賛否や長所短所の精査と実施内容の変革、参加対象者のニーズ等の様々な意見や提案を受けての合意形成が必要なのだろうと思う。

そこで、皆様にお聞きしますが、修学旅行の必要性や効果、思い出&エピソードについて、お教えください。


※質問の背景と成った記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140418-00000 …

http://www.recordchina.co.jp/gallery.php?gid=86753
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/japan_sout …

A 回答 (13件中1~10件)

私にとっての修学旅行は、学校行事として、何ら疑問や考えも無く、受動的に参加しただけで、実際にもそう言う人が多いのでは?と思います。



ただ、「行って良かったかどうか?」は、「良かった」とは思いますし、もし学生時代に「修学旅行は今年からナシになりました」などと聞かされたら、ショックだっただろうなぁ・・とは思いますよ。

即ち、「日帝残滓」であろうが何であろうが、学生が楽しみにしているものであれば、残置すべきじゃないのかな?とは思いますし、政治やら思想,信条により、「やったり、やらなかったり」を決める様なモノでは無いのでは?と思います。
そう言う思想,発想で、「文化」を抹殺するから、朝鮮半島には「文化」が栄えないのでしょう。

あるいは、思想やら信条で「日帝残滓」と思うなら、そう思う人は参加しないとか、子供が泣き叫ぼうが、親が参加させなきゃ良いだけでしょう。
そう言う意見が韓国内の多数派であれば、そもそも学研面での必須とも思えない修学旅行など、勝手に自然消滅します。

修学旅行を、今回の「旅客船沈没事故」と関連付けて考えるべきなのは、「(修学)旅行の安全性」のみ。
完全に安全性が担保されない修学旅行など、「廃止するかどうか?」と言う議論のテーブルに上げるまでも無く、「絶対にやっちゃダメ。論外!」以外の結論はありません。

そこから派生,発展した、「そもそも修学旅行を廃止すべきか?」などは、事故とは無関係の議論であって、行方不明者が多数の中、行うべき議論ですかね?

更に、何でもかんでもわざわざ「反日」と関連付ける思想は、早急に廃止しないと、韓国と言う国自体の「修学」が、永遠に終わらないです。
実際にも韓国の現状は、「修学旅行」と言うよりは、「未修学迷走」の状態ですから。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>即ち、「日帝残滓」であろうが何であろうが、学生が楽しみにしているものであれば、残置すべきじゃないのかな?
政治やら思想,信条により、「やったり、やらなかったり」を決める様なモノでは無いのでは?と思います。

そこから派生,発展した、「そもそも修学旅行を廃止すべきか?」などは、事故とは無関係の議論であって、行方不明者が多数の中、行うべき議論ですかね?

仰る通りだと思います。


>更に、何でもかんでもわざわざ「反日」と関連付ける思想は、早急に廃止しないと、韓国と言う国自体の「修学」が、永遠に終わらないです。
実際にも韓国の現状は、「修学旅行」と言うよりは、「未修学迷走」の状態ですから。

これも冷静に合理的に諭し説いても、聞く耳を持たず駄々をこねてる児戯だとすれば、韓国の自ら覚醒成長を待つ時間薬と客観的な事実の提供で、少しづつでも理解を得て乖離をミニマム化して行く漢方薬施療・心理カウンセラーで、劇的解決は無理でも副作用やショックを抑えながら症状緩和を行うしか方法はないのかもしれない。

お礼日時:2014/04/19 15:18

日本でも重武装化でトップヘビーとなった軍艦が訓練中に転覆するという友鶴事件が起きたので、徹底的な原因調査を行ってそれ以後の船舶設計に事故の教訓が生かされています。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E9%B6%B4% …

 まだ今回の事故原因は特定されていませんが、操船しやすくて日本では問題なく運航されていた船を韓国で購入後に定員を増やすために船体上部を改造していたそうなので、日本で作られた船が事故を起こしたという批判も非常識だと思います。
 又、韓国の軍艦は重武装化のためにトップヘビー化しているのではないかという書き込みを見た事があります。
 本来は徹底的な調査を行ってトップヘビーが原因ならば、他の船舶についても調査を行って対策を講じるべきだと思います。
 修学旅行は個人的にはよい思い出づくりになると思いますが、日本統治時代の慣行で止めるべきかどうかは事故と切り離して検討されるべきだと思います。

この回答への補足

※関連記事

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140422/dst …

補足日時:2014/04/22 17:56
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>まだ今回の事故原因は特定されていませんが、操船しやすくて日本では問題なく運航されていた船を韓国で購入後に定員を増やすために船体上部を改造していたそうなので、日本で作られた船が事故を起こしたという批判も非常識だと思います。

全くもってその通りだと思います。

>修学旅行は個人的にはよい思い出づくりになると思いますが、日本統治時代の慣行で止めるべきかどうかは事故と切り離して検討されるべきだと思います。

坊主憎けりゃ袈裟までも…と言いますが、彼の国には反日であれば何を言っても行っても許されるマジョリティに属せるという無茶苦茶が横行しているのだから、何を言っても諭しても詮無き事ばかりである。
平たく言えば八つ当たり、責任転嫁の矛先や辻褄合わせを日本に向けてるだけなのだろう。

お礼日時:2014/04/20 13:14

ANO6.7様の回答に同意しつつ、少し追記させてください。




井の中の蛙と言う言葉がありますが、私の時代と違い車を始め様々な交通機関が発達し、また、メディアの発達により家に居ながらにして、世界中の様々な場所の映像を見る事が出来る時代になりました。

今の世の中は、バーチャルの世界が日常的に浸透していますので、実際に見聞することは大事な事なのかも知れませんけど、子供たちにとっては娯楽の意味合いが強いのではないでしょうかねぇ?


娯楽なら娯楽として、それが学生時代の貴重な思い出になるのなら、私は何も言う事はありません。


しかし、修学にこだわるのなら、家族旅行で行くような行楽地は避けるべきではないでしょうかねぇ?

というより、学生時代でしか行けない行こうとしないような地に行くべきだと思いますが、今の時代は親が反対するでしょうねぇ。


私は、自衛隊基地や米軍基地や、小菅拘置所などを見てもらいたいと思いますねぇ。


現実の日本の社会というもの、そのものを見てもらいたいものです。

歴史的な遺産は、観光地と直結しています。

旅行業界や観光業界も、学校に何らかの誘導をしている事と思われますねぇ。


利便性や安さを考慮して、観光と捉らえればそれもそれでありだと思われます。

しかし、バーチャルで良いと思える場所には、いつか行ってみたいと思い、実際に行く可能性は高いと思われますから、可能性が低いけれど(人気がない)実際に見てもらいたいところこそ、将来の日本を担う若い人達に、その若い感性で見聞してもらいたいと思いますねぇ。


なお、韓国の一部の人間の修学旅行に対する感想思考を持って、韓国人全体への批判の根拠とすることの是非は、賢明なる質問者様なら理解されている事とは思いますが、質問者様の数々の回答は見識の深い思慮深い方である事は容易に判断出来る事であるにも係わらず、韓国関係に限ってたびたび冷静なご判断に欠けておられるように、小生は感じられたのですが…


かの国からは理不尽、不愉快な声も少なからず聞こえて参りますが、日本もまた同様(程度の違いはありますが)であり、そのような人達と同じ土俵に乗って、果たして建設的な展開が望めるか?甚だ疑問でありますねぇ。

ただ、理不尽には然るべき場所と機会にノーと言うべきなのも間違いありませんねぇ。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>娯楽なら娯楽として、それが学生時代の貴重な思い出になるのなら、私は何も言う事はありません。

しかし、修学にこだわるのなら、家族旅行で行くような行楽地は避けるべきではないでしょうかねぇ?

「百聞は一見に如かず」とも言いますね・・・色んな要素や狙いで行く先や日程や詳細な見学コースを盛り込み、有意義な修学旅行としたいですね。

でも、10人10色であり、予算の制約や父兄の賛同の必要性もあり、それぞれの感性や価値観を満たすことは不可能に近いと思います。

最大公約数や必要十分条件で修学旅行プランの提示や策定への生徒の意向反映、友人と一緒の卒業旅行とか家族の記念旅行の様な手作り感や新鮮な思い出に成るオンリーワン的要素もあればベターな企画と成るのかも・・・

>韓国の一部の人間の修学旅行に対する感想思考を持って、韓国人全体への批判の根拠とすることの是非は、冷静なご判断に欠けておられるように、小生は感じられたのですが…

かの国からは理不尽、不愉快な声も少なからず聞こえて参りますが、日本もまた同様(程度の違いはありますが)であり、そのような人達と同じ土俵に乗って、果たして建設的な展開が望めるか?甚だ疑問でありますねぇ。


仰るとうりだと思います。
一事一人を以て全体を語り決め付けるのは良くありませんし、今回の事故を以て修学旅行の是非を、今、救難を最優先すべき時に論じる事も、適切妥当ではないと思います。

ただ、対岸の家事や他山の石とせず、問題提起をされた時に、考え論議をする事も、後に振り返れば必要な通過点であり、目前の救助活動や原因究明と再発防止をしながらも、同時並行してクリアーしておくべきステージなのかも・・・

お礼日時:2014/04/19 15:06

京都では既に修学旅行の季節です。



広島、長崎、沖縄での戦争の悲惨さを体感する、
または、京都、奈良などで日本の歴史、文化を知る、という意味では意義は十分あるでしょう。
しかし、ディズニーランドやUSJに行く、海外に行くなどは意味が無い。
日本の何かを学ぶ為に行くのが修学旅行。

フランスでは、小学生や中学生が、課外授業の一貫で、ルーブルやベルサイユに行き、学芸員から自国の歴史や文化を学ぶのがプログラムとされています。
ですから日本は修学旅行に置いてそういう事を学ぶのには反対ではありません。


修学旅行には中学時代の1回しか行った事がありません。
高校の時はサッカーの試合があり、留守番でした。
唯一の思い出は、女風呂を覗いた事でしょうか(笑)
片思いの子の全裸が見れて、ずっと興奮してた事を覚えています。
あとは、初めて乗った新幹線でしょうか…。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>日本の何かを学ぶ為に行くのが修学旅行。
ですから日本は修学旅行に置いてそういう事を学ぶのには反対ではありません。

確かに、色んな要素、意図や期待があると思いますが・・・
押し付けられた行く先・日程だったり、旅行社任せのマンネリ企画もメンテナンスと言うか、生徒の希望や参画しての内容の洗い直しが必要な面もあると思います。

大人や教師の都合で思い込みで決めるのは適切では無いだろうし、全て生徒に任せるのも父兄の心配や引率の難しさ等のリスクもあると思うが・・・
せめて、生徒の選んだ実行委員会と職員会議のメンバーが共同で修学旅行企画委員会を立ち上げ、旅行業者とも摺合せの上、行く先・日程・宿泊プランを策定し⇒数プランに絞り込み提案⇒生徒の投票で最終的に決めたらどうでしょうかね?

お礼日時:2014/04/19 14:46

修学旅行については国の教育方針で左右されると思いますし、多国の事ですからどうのこうの言う必用もありませんね。


何でもかんでも日本のせいにするのは、自国では問題を解決する術も方法も知らないから何処かに責任を押し付けて
何とかしようとする国民性の表れであって、それがたまたま政権維持の為に反日運動を先導している政府の思惑と
重なって何倍にも膨れあがったと言う事でしょう。
国民性については、修学旅行の為に乗船していた高校生の母校である学校側に対して怒号ばかりを浴びせる
人達を見れば判りますし、冷静に考えれば学校側も被害者になるだろうと言うのに学校側に責任を転嫁する。
そう言う人種だと言う事でしょう。

> そこで、皆様にお聞きしますが、修学旅行の必要性や効果、思い出&エピソードについて、お教えください。

必要性は学習の一環として画像や映像で見るのではなく、実際に見て体感したり様々な経験をする事による
学習や社会に出た時の予備学習の様なものと考えれば、必用でしょうね。
思い出などは特にないですね。
体験型でもありませんでしたし、見学が主体でしたから特に印象として深くは残って居ないです。(笑)
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>国民性については、修学旅行の為に乗船していた高校生の母校である学校側に対して怒号ばかりを浴びせる人達を見れば判りますし、冷静に考えれば学校側も被害者になるだろうと言うのに学校側に責任を転嫁する。
そう言う人種だと言う事でしょう。

正に、その通りだと思います。
さらに言えば、船内からの電話だメールだ、電話だというデマや虚偽の横行には不謹慎を通り越し被害者や関係者への冒涜であり心情を無視した非人間的言動だと軽蔑します。
これを日本への歴史問題や竹島の不法占拠等を巡っての誹謗中傷や捏造歪曲の不法不当な要求と干渉に照らし合わすと同病同根の民度・国民性「恨の精神、火病」を窺い知る思いです。

>必要性は学習の一環として画像や映像で見るのではなく、実際に見て体感したり様々な経験をする事による
学習や社会に出た時の予備学習の様なものと考えれば、必用でしょうね。
思い出などは特にないですね。

年代や行先により、また個人の感性や価値観でも多様な側面があるのでしょうね・・・

個人的には、随分と前の事で良くは覚えていないが、「同じ釜の飯を食う」という譬えがあるように、同じ場所を同じ時間で行動し過した思い出は貴重であり、2度とない青春・友情・思い出だとすれば人生日記や人生アルバムに残る書き換えたり書き加えられない、大事なオンリーワンの足跡だと思います。
マクラ投げ・初恋の彼女との語らいや記念写真・修学旅行前に稲刈りを手伝いさせられ腰が痛く不自然な姿勢で汽車に乗り、からかわれた惨めな思いから、百姓は嫌だ!と心で叫んだ記憶が残っています。

私見(独り言)
行く煩わしさと行かなかった悔いは、時が経てしか分からない秤の格差であり、行かずしては⇒何も起こらない、始まらない、残らない。
人それぞれだとは思いますが、人生長く経験してみると、修学旅行も友情も2度と味わえない貴重な体験と思い出であり、時間を経てすべては懐かしい記憶・記念と成っているように思います。

◇人生の日記・アルバムを思い描いてみて下さい。
一期一会、縁あって同窓の仲間と後から語り合ったり懐かしがったり思い出やエピソードを共有したり出来なくなります。
訪ねた所、語り合った時間、一緒に歩いた観光食事、就寝時間を過ぎても遊び、その時の悪戯・イジメさえもが苦かったり甘酸っぱかったり懐かしい思い出&味わいに。

お礼日時:2014/04/19 11:44

もう韓国なんてどうでもいい人になってしまいました。


隕石でも落ちてふっとべばいっそ楽ですね。
ソチのフィギアにもやっぱりいちゃもんつけ始めたし、ソトニコワという17歳の女の子のSNSに侵入し散々いたぶってるそうじゃないですか。
本当にうんざりしてます、ごね得自己中国家。
戦略をもって動いてる中国の方がちょっとだけましなんじゃないかとすら思えるようになってきました。

修学旅行は記憶から消去しました。
前の代がスキー旅行、次の代が韓国旅行(当時は友好的だった)、私たちは鹿児島で社会科見学旅行。
学校は九州にありました。
鹿児島に恨みはないしいいところだと思いますが、あまりにも差別的な個の扱いに楽しいと思ったことは何1つ無く記憶しておくことを脳が拒否しました。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

お気持ちは分かりますが、現実には、いくら迷惑でもお隣に存在していますので・・・
古来、村八分でも冠婚葬祭は付き合うように、非常時や災害にはほっとけないと思うのが人情だと思うが、それさえも曲解したり猜疑心で受け止める相手は…最早、付き合いきれん!

お礼日時:2014/04/19 11:06

教員です。


No.6さんの回答に補足をします。

経済が発展してから「旅行」が一般的になり、「修学旅行」もだいぶ様変わりしてきました。
特に「平成」の時代になってから「体験型」と呼ばれるスタイルが増えてきました。
広島、長崎、沖縄などで現地の方々の戦争の講話を聴いたり、遺跡をみたりする。
日頃接することができない農業や漁業、林業の模擬体験をする。
成人して家庭を持ってからのレジャー体験として、スキー、マリンスポーツ、キャンプなどを学習する。
遊び要素の強いUSJやTDRにしても、地方の子どもちにとっては、なかなか体験できない施設ですから。
食文化に関わって、それぞれの行先の郷土料理を作ったり、食べたりすることもあります。

確かに、「必要か?」と問われれば微妙かなとは思いますが、「見聞を広める」という本質的な意味合いは変わってないかなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

>経済が発展してから「旅行」が一般的になり、「修学旅行」もだいぶ様変わりしてきました。
特に「平成」の時代になってから「体験型」と呼ばれるスタイルが増えてきました。
確かに、「必要か?」と問われれば微妙かなとは思いますが、「見聞を広める」という本質的な意味合いは変わってないかなと思います。

多様な価値観と個人の自主性や自由の観点から画一的とか集団的な行動は、生徒・親・教員として、それぞれに立場の違いや意味意義にも難しい要素が有りますね・・・

話はそれるかも知れないが、それは合宿や慰安旅行とかの様相の変化にも顕れており、個々の感性や価値観を大事に考え、成れば成るほどに意見集約や合意形成が難しい点で政界再編や憲法改正問題まで、色んなケースの場面に飛躍連想してしまいます。

お礼日時:2014/04/19 11:01

修学旅行の今日的意義は薄れているような気がします。


私が教わったのは、社会に出てからはなかなかできない大旅行、それに伴う実地見聞などの経験を学生時代にしておく、それによって社会勉強の一環とする、ということでした。今は比較的豊かになり、交通も発達し、便利になって、以前のように大人になっても生まれた地方で働き、そのまま人生を過ごしてその地で死ぬ、というひとはごく小数になっていると思います。丹後の田舎だった私のころは大都市(京都、奈良、大阪、東京見物、TVのなかったときで、交通渋滞、エスカレーターなども初めての体験でした。)、長距離大旅行(九州一周:高等学校のとき、専用夜行列車が運行されました)で、それなりに意義があった、と思いますが、今はスキーをさせたりディズニーランドへいったり、要はレジャー旅行に堕しています。外国旅行もありますが、団体でめぐっても見るところは画一的になるし、コスト的にいっても割に合わないと思います。やめてもいいんじゃないでしょうか。

韓国の反日的対応はそういう民族のいつものヒステリックなもので特に変ではないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

また、修学旅行の主旨や意義、その変遷と今日の状況へのご考察は、示唆に富み共感するとともに、大変、参考に成りました。

韓国の反日的対応は仰るように定番と言うか何時も通りと言う事でしょうが・・・
不思議と言うか理解不能な改善解決の無い、否!改善解決を望んでいないとしか思えない八方塞の迷路のような思考に思えます。

お礼日時:2014/04/19 09:51

まぁ、あなたはその記事に釣られたわけです。


普通ならば、一々そんなどうでもいい記事に反応しませんがね!?
韓国の学校が修学旅行しようが、しまいが、日本人にとってはどうでもいい事です。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

お礼日時:2014/04/19 09:40

> 韓国旅客船沈没事故、ネット上に「修学旅行廃止」求める署名運動・・・「日帝残滓」との指摘も=韓国



日本や韓国の学校でよく見かける「クラス分け」制度ですが、これって日本のものです。
因みに、クラスは軍でいう小隊単位、班は分隊単位となっており、軍が教練するときにこの単位ごとで訓練するためにとてもやりやすい制度でした。

日帝残滓ということは、この辺りもやめるのかな?

因みに日本のいわゆるサヨク教師(例えば君が代反対の人たち)はこの辺りのことをどう考えているんだろうね?


> そこで、皆様にお聞きしますが、修学旅行の必要性や効果、思い出&エピソードについて、お教えください。

イヤです。
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この回答へのお礼

ご回答を頂戴し誠にありがとうございます。

関連しての疑問や設問については同様な思いがしております。
立場が変われば見方や評価も異なるのでしょうね・・・
そこに、恨の精神と事大&自大主義がコンプレックスと重なり火病のマグマ(怨念・呪い)と化し、成っているのでしょうか?

お礼日時:2014/04/19 09:45

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