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○ 地球温暖化問題を考えた時に、あなた自身が無駄の多い生活をしている、と感じることがどの   程度ありますか。

お聞きしたいのは、上の文における「考えた時」の「た」の使い方についてですが、どうしてここで「た」を使ったのでしょうか。「考えた」ではなく、「考える」を使うべきだと思いますけど。よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

「主文節以外(従属節内部)でのルとタの対立の扱いは難しい。

」─まさにそこに焦点を絞ったご質問ということで、この従属節は、いわゆる「とき(時)節」レベルでの構成として捉え、次のようなアプローチはいかがでしょう。
引用:森山卓郎「ル対タの対立が示すものは?」(「国文学 日本語の常識Q&A」1994年12月号)

○温暖化問題を考えている時、~と感じている ことがある。
○温暖化問題を考えない時、~と感じない ことがある。

○温暖化問題を考える時、~と感じる ことがある。
△温暖化問題を考える時、~と感じた ことがある。

○温暖化問題を考えた時、~と感じる ことがある。
△温暖化問題を考えた時、~と感じた ことがある。

×温暖化問題を考えるだろう時、~と感じるだろう ことがある。
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 助動詞の「た」は「過去」や「完了」を表わすことが知られています。


 このほかの用法もあり、必ずしも「過去」の話とは限りません。

http://kotobank.jp/word/%E3%81%9F?dic=daijisen&o …
================引用開始
た 【た】
[助動][たろ|○|た|た|たら|○]《助動詞「たり」の連体形「たる」の音変化》活用語の連用形に付く。連用形が撥音便、およびガ行がイ音便となる場合には連濁で「だ」となる。
1 動作・作用が過去に行われた意を表す。「昨日出張から帰ってきた」「時きぬとふる里さして帰る雁(かり)こぞきた道へまたむかふなり」〈為忠集〉
2 動作・作用の完了を表す。「原稿をやっと書いたよ」「先陣が橋を引いたぞ、あやまちすなと、どよみけれども」〈平家・四〉
3 実現していない動作・状態を仮に実現したと考えていう意を表す。「話が出た時点で考えよう」「今度会ったとき話すよ」

(略)

◆4は連体形の用法。567は、終止形の文末における用法。仮定形「たら」は、多く「ば」を伴わないで「雨が降ったら中止だ」などと使われ、「遅いからもう帰ったら」のように文末に用いられて8の意を表す。
================引用終了

「3 実現していない動作・状態を仮に実現したと考えていう意を表す」(仮定条件)と考えるとよいのでは。辞書にある例文の「今度会ったとき話すよ」が、「地球温暖化問題を考えた時に」とほぼ同じ用法でしょう。
 どちらも「た」を使っていますが、時制としては「未来」のことです。

 仮定条件を表わすときには、「た」の仮定形の「たら」もよく使われます。
 ↑の例文も「今度会ったら話すよ」が、「地球温暖化問題を考えたら」(文章が少しヘンになりますかね)と書きかえることができます。
 蛇足ですが、この「たら」は、「なら」「ば」「と」との比較でよく質問版でおなじみのテーマです。過去ではない用法がほとんどです。「彼を尋ねたら留守だった」のような場合はたしかに過去ですが……。
 下記あたりをご参照ください。
【すれば/したら/すると について。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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過去形と現在形の違い。


過去形なら、その考える内容は過去のこと。
現在形なら、その考える内容は現在から未来に至る内容となる。
考える時・・・・無駄の多い生活をせず・・・・、または、無駄のない生活に徹して・・・。
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No.1の方、No.2の方も触れていらっしゃるとおり、反実仮想という語法が日本の古文にも見られました。


「~ませば」「~ましかば」の形(~せば・~しかばも含む)ではじまり、「まし」「む」などで終わります。

    鏡に色形あらましかば、うつらざらまし(徒然草)

 論理学的には内容が違うかも知れませんが、現代語では次のようにも言われます。
    「クレオパトラの鼻がもう少し低かっ<たら>世界は変わっていただろう。」

 言いたかったのは、この<たら>です。「たら」は接続助詞と考えられることもありますが、元来は「た」という助動詞の仮定形です。この「たら」は文字どおり仮定を表します。古文でも「過去の助動詞」(の未然形「せ」、已然形の「しか」)が使われたように、現代語では過去・完了の助動詞「た」が使われるわけです。
 そして今では仮定に限定されず、単に条件を表す時でも、「た」を使うようになったわけです。
    雪に水を掛け<た>ときは、溶けやすくなる。
    右に行っ<た>時は海岸に出ます。
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「地球温暖化問題を考えた時に」は、完了の「た」でしょうね。


「地球温暖化問題を考える、その時点で」といった意味。
「あなたが、地球温暖化問題を考えるという行為をする、まさにその時の気持ちについてなんですが、あなた自身が無駄の多い生活をしている、と感じることがどの程度ありますか。」というニュアンス。
「地球温暖化問題について、今、実際に考えるとすれば・・・」という気持ちが込められている。
文意からすれば「考えた」とせざるを得ません。

「地球温暖化問題を考える時に」は、「もし、あなたが地球温暖化問題を考える場合」という意味。
「仮に、地球温暖化問題というものを考えるとすれば」という気持ち。
続く文としては、「あなた自身の生活と、どのような接点が浮上してくると思いますか。」など。
「地球温暖化問題を考える時に、あなた自身が無駄の多い生活をしている、と感じることがどの程度ありますか」では、構文上の齟齬が生じるため、いかにも不自然な文になってしまうでしょう。
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過去形として「考えた」という意識で書いた可能性と、仮定として「考えるとした時・場合」という意識で書いた可能性の2つありえます。



どちらも、「考える」ことに時制での活用をさせるか、仮定の活用をさせるか、という意図であり、単純に「考える」とは違う思いが意識的か無意識にか関わって、こういう「考えた時」という表現が生まれたのでしょう。

こればかりは、書き手の意図かもしれませんから、なにが正解であるべきか、というのは他者として論じようがないでしょう。
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僕もそんな感じの疑問を抱くことがあります。


この「た」ですが、普通に用いられる表現ですよね。手元にあった電子辞書を引くと、こんな記述がありました。
「文中に使い、そこで基準とした時点までに起こることを示す。未来の事態にも使われる。」これは何か参考になるでしょうか。
また、僕が真っ先に思い付いたのは、英語でいう叙想法的な使い方の「た」でした。
はっきりとした説明はして差し上げられませんでしたが、よければ参考になさってください。
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