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かつてアリストテレスは「重いものは軽いものより早く落ちる」と教えたそうである。
もちろんこれは間違いであり、後にガリレオは落下実験を行ってアリストテレスの教えが間違いであることを実証しました。
しかしながらアリストテレスの考えは実験するまでもなく、論理的に間違いであることが分かるのである。(理由:重い物体と軽い物体を紐で結んで一つにすると、合体した物体は最初の重い物体より重くなるのであるから一番早く落ちなければならないことになる。しかし合体した物体は中にある軽い物体によって落下速度にブレーキが掛かるのであるから、この点から考えると最初の思い物体よりは遅く落ちなければならないことになる。従って「重いものは軽いものより早く落ちる」という考えは論理矛盾を生む)

さて質問ですが、アリストテレスの間違いはガリレオが行ったように実験によって証明することが重要なのか、それとも実験の必要は無く論理的間違いを示すことがより重要なことなのかいずれでしょうか。

何故このようなことを問うのかと言うと、ここに示したアリストテレスの間違いの類は現代にあっても様々な形で様々なところに登場しているからです。例えばその典型としてビッグバン有限宇宙論の間違い、STAP細胞ペテン、・・・等々いろいろあるからです。
 

 

A 回答 (6件)

 #3さんは、なんとなくどっちつかずに読めたので、カウンターとして発言します。



 #3さんの言ってる事はその通りですよ。重さ100kgのH鋼と発砲スチロールの玉とを持ち上げて比べてみれば(どっちも当時はなかったが)、どう考えても100kgのH鋼の方が「良く落ちそうだ」。

 当時は力と加速度に対する定量的理論なんてなかった。また理論が本当か?と、実験しないのも普通だった。それは今風に言えば、「世界は精神の力だけによって解ける」と思われていたからです。その点については、ニュートンもじつは同じだったりするが(^^;)。

 そんな中で、あなたの思考実験をやったらどうなるか?。

  (1)重い物体と軽い物体を紐で結んで一つにすると、合体した物体は最初の重い物体より重くなるのであるから、一番早く落ちるに決まってる.

となり兼ねない。当時でも、当然次の反論はあっただろうと思う。人間は、何でも考えますからね。

  (2)合体した物体は中にある軽い物体によって落下速度にブレーキが掛かるから、この点から考えると最初の思い物体よりは遅く落ちる.

 しかしアリストテレス自然学とは、一種の生物学的自然観でもありました。

  (3)合体した物体は中にある軽い物体によって落下速度にブレーキが掛かった時に、重い物体はブレーキによって軽い物体を感知し、感応する事によって、より重い物体だと認識し一番速く落ちる事になる.

などと言いだし兼ねないのですよ。力と加速度に対する定量的理論なんてなかった時代です。また(3)のような発想から、定量化する必要性も見いだされていなかった時代です。そして実験もしない。

 けっきょく思考実験の結果は、理論のよって立つ仮定に大きく左右され、それはその時代の世界観(物質観)に大きく依存している。(2)はガリレイの立論だと思いますが、彼には機械論的自然観という、アリストテレス自然学に対抗するべき思いがあった。アリストテレス自然学は、少なくとも自然科学としては不味い、と思っていたからです。

 ここで、客観性とは何か?、などとやるつもりはないですが、次は素直に言える気がするんですよ。

  ・けっきょく、思考実験も実証実験も、どっちもやらなきゃ駄目さ.

 もちろん全部を実証実験にかける訳にはいかない。なので思考実験を繰り返し、「これをやれば、これの結果が止めになる」という実証実験を、ピンポイントでやってる気がします。
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こういう一般的な問い方では、論理的な指摘で済むことは、それで済むだろうし、実験が必要なケースには実験が必要であるだろう、としか答え得ないのではないですか。

敢えて言うならば、論理的な指摘であっても、実験による検証という裏付けが必要なケースは多々あるし、実験による検証といってもそれを解釈する適切な理論がなければない。というように相補的なものではないか。

例えば、
>アリストテレスは自然界には静止があるのが常態で、運動は例外だと考えていました。
という意見も、それが口からの出任せなのか、そうではないのか、どうやって判断するか。自分でアリストテレス全集を読んでみることが最終判定であるはずでしょう。しかし、本人が直接言及しているなら、決着も簡単ですが、そうでないならどう結論しうるか。アリストテレスの自然観を論理的に整合的なものとして構成し解釈することが必要となりますね。

あるいは、重い物体と軽い物体を紐で結んだ思考実験ですが、そのようにある範囲では自由に運動しうる状態の物を合体と観うるのか。それなら二つを一つの箱の中に入れても合体になる。箱を限りなく軽いものとし、相当の大きさがあるとしたとき、それでも二つの合体したものと見るべきなのか。というように、そもそもどういう状態を合体と言うのか、という疑義に対してはどう決着をつけることができるのか。
など、一律にこうであるとは言い切れないのではないか。つまり、一般論で、こっちが重要なんて言う方がおかしくありませんか。
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哲学とは



 アリストテレスは読んだことないが

 アルストテレスについて あああだこうだ 雑談することである。

で そのあと

ビックバンが来て
「人間は、世界と馬車馬の間にある。つまり人参である」という定義がなされ

 「ブータンの幸福は不動である」!と わめき散らして にげていくwww という 素晴らしい学問ですwww
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アリストテレスの「自然学」の運動の考えは観察に基づくもので観察の事実とよく一致していました。


アリストテレスには「トポス(場所)」という考えがあり、「コスモス」は秩序ある世界で、物体はそれぞれあるべきトポスがあり、運動する物体は故郷であるトポスに帰るものだと思っていました。
宇宙は四層に分かれており、下から土、その上に水、その上に空気、その上に炎からなる世界でした。
その四層からなる世界の上にはドーム状の恒星天球という天蓋が覆っており、大地の上を回転しているものと思われていました。
運動について言えば、羽根のように軽い物体は本来のあるべきトポスが天にあるから上昇しようとし、石のように重い物体は本来のトポスが大地に近いところにあるから落下しようとすると考えました。
そして運動には自然運動と強制運動の二つがあり、天体の運動は自然運動で、自然運動は永遠に運動をつづけ、強制運動は一時的にはトポスを離れて上昇しようとしても放物線を描いて地上に落下するものと考えました。

このアリストテレスの「自然学」と「天体論」は観察の事実とうまく一致していましたので、自然の仕組みを説明するものとして、その後2000年に渡って正しいものと信じられてきました。

近世のガリレオはルネサンスの新・プラトン主義の復興に伴って、自然が神の創ったものであり、自然は「数学の言語で書かれている」と信じていました。
つまり、ガリレオはプラトンの数学思想を自然に適用して、アリストテレスの「自然学」と「天体論」を打ち破り、新たに数学的自然科学を打ち立てて行ったのです。
良く、17世紀の「科学革命」は実験的な方法で、アリストテレスの「自然学」と「天体論」を打倒したのだという人がいますが、それは誤解です。
ガリレオが「慣性の法則」を発見したのだという人がいますが、それも間違いです。
何よりも「慣性の法則」を実験で確かめるためには真空を作る必要がありましたが、真空を初めて人為的に作ったのは、ガリレオよりも後のロバート・ボイルです。
ガリレオの時代、真空というものを作れなかったし、ガリレオは真空というものがありえないと考えていたのだから、そんなものが実験できるはずもありませんでした。

アリストテレスは自然界には静止があるのが常態で、運動は例外だと考えていました。
「コスモス」としての世界は静態的・スタティックなものです。
そのアリストテレスの考えに反対したのがデカルトです。
デカルトはアリストテレスの静態的・スタティックな運動論をひっくり返し、自然界の物体は運動しているのが常態で、静止は例外だと考えました。
そして運動する物体はそれを妨げるものがなければ、速度を落とすことなく、直線的に運動を続けると考えました。
かれの「哲学の原理」で、そのことが述べられています。
ガリレオはコペルニクスと同じように運動は円運動が基本だと考えていました。
それに対して円運動は基本でなく、直線運動が基本だと考えたのがデカルトです。
「慣性の法則」を発見したのはデカルトです。
しかも実験によらず、数学によって。
ガリレオは鉄板の上にある球が、何の抵抗もなければずっと運動を続けるに違いない、ということは頭で思い描いていましたが、それを実験することはできませんでした。
現実の鉄板も限りなく、抵抗のないものを作ることはできなかったし、球も完全な円形に作ることもできませんでした。
だから現実には鉄板の上に球を転がせば、止まってしまいます。

ガリレオの時代、物体を高い塔のようなところから手放すと、それがどうして落下するのか説明ができませんでした。
ガリレオも説明していません。
ガリレオと同時代のギルバートは「磁力について」という論文で、地球が磁性体で、それで物体を引きつけるから落下するのだと言いました。
それが引力によるものだと発見したのはニュートンでした。

近代科学は実験によってアリストテレスの「自然学」と「天体論」を打倒したのではありません。
プラトンの数学思想を自然界に適用することで、自然を数学化し、その結果今あるような数学的自然科学を作ったのです。
いいかえると数学に適合するように自然界を作り直して行ったのです。
それは発見ではなく、創造でした。

後にフッサールはガリレオによる自然の「数学化」だと言って非難しました。
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実験とは仮説を証明する「手段の一つ」です。



理論だけで、仮説を証明できるならその必要はありません。ただ、その理論が認められるには、実際に実験して証明するよりも大変な時があります。


質問文の理論も、私は馬鹿なので「ふーん そうなんだ」で済みますが、中にはねちねち言ってくる人がいるかもしれません。それで最悪なケースはその人の倫理はそもそも間違っているのに、それが正しいと盲信しているケースです。その間違った倫理で、あなたの正しい倫理を否定するのです。そして、その人が学会の権力を握っていたらたちが悪いです。下手すると、学会で認められません。


当時の事は良く知りませんが、アリストテレス信者の科学者がいっぱいいたのではないでしょうか?もしそうだったら、彼らに正しい理論による議論は無意味です。


しかし、実際に実験し、証明したら、誰もが認めざる終えないでしょう。
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この回答へのお礼

質問文にもあるようにアリストテレスの間違いの類はこの世に蔓延しているのです。
その一つ一つを実験によって検証するのは時間的、経済的に無駄であり、また無意味なことも多いでしょう。
そこで物理的実験ではなく思考実験によって論理的に検証し、間違いを正すことがまず必要なのではないでしょうか。
その役目を担うのがまさしく論理的思考を得意とする哲学なのです。
ところが残念なことに哲学はこの論理的思考に基づく思考実験という大切な作業を完全に放棄し、あらぬ方向に進んでしまった。
その結果生まれたのが意味論とか、認識論とか、存在論とか、はたまたキリスト教神学などという意味のない領域なのです。
これらのものが長年に渡り哲学を支配し、現在においても哲学の進歩を妨げ続けているのです。
アリストテレスは哲学者なのであるから、自身で思考実験をし、間違いを正さなければならなかったのです。
この意味でアリストテレスは哲学者ではなく、ガリレオの方が哲学者であったわけです。
 
 

お礼日時:2014/06/02 11:24

日常的感覚からすると、重い物は強く下に引かれるから、


早く落ちる気がする。
確かに空気抵抗を潜在化すると、小さいほど見付け面積
の割合が重さより大きくなり、落下速度は小さくなり、
砂埃は浮遊するのだ。
そうした、日常的感覚の錯誤の表れが、「時間の流れは
一定である」という絶対時空の考えであり、それを打破した
アインシュタインでさえ、今度は「存在の本質は確率的だ」
という量子論的考えに対して、「神はサイコロを振らない」
と反対して、赤恥をかいた。

その1つの例が、「宇宙は一様で一定である」という定常
宇宙論である。
その根拠は、「重い物は早く落ちる」というのと同じで、
限られた自分の日常経験の敷衍による、観察結果の無視だ。
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