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昨日妹が漫画「エースをねらえ!」全巻を借りてきたので、私も貸してもらって久しぶりに
読みました。何度読んでも何かを教えられる、本当に素晴らしい漫画だと思います。

さて、何度も読んでいるのに今さらですが、この漫画について知りたいことがあります。
いわゆる「ネタバレ」になるかもしれませんが、宗方コーチが死ぬ前と後の付近で
絵のタッチが変わるような気がするのですけど、絵を描く人が変わったのでしょうか。
それとも気のせいでしょうか。

そのあたりをご存知の方、どうぞよろしくご教授ください。

A 回答 (3件)

エースをねらえって宗方コーチが死んで終了です


その後は3年くらいたってからかかれたものなので微妙にタッチが変わったのでは
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この回答へのお礼

ありがとうございましたm(_ _)m 宗方コーチが死んでからの展開は3年後に書き始められたとは、恥ずかしながら知りませんでした。それならば絵のタッチが変わるのもうなずけます。

ただ、ご回答から新たな疑問が生まれてしまいました。「エースをねらえ!」は宗方コーチが死んで終了なんですか?その後の展開は「エースをねらえ!」ではないということですか?連載当時は別タイトルだったとかそういうことなのでしょうか?それとも、コアなファンの間では「宗方が死ぬまでが本物の「エース」だ!その後は蛇足だ!」というテーゼが成り立っているとか?またよろしければぜひ教えてください。

お礼日時:2004/05/20 10:25

作者は、変わっておらず「山本鈴美香」さんです。


原作ですと岡ひろみがアメリカのジュニア選手権に出場する為に旅立った頃、宗方コーチが“岡、エースをねらえ!”という言葉と共に逝く場面で一旦完結しています。

エースをねらえ! 週刊マーガレット連載
第一部1973年2・3号~1975年7号
第二部1978年4・5号~1980年8号

扱いでは、“宗方コーチの死”までが第一部、以降が第二部という扱いみたいです。
ただ、当初から一部、二部という構成だったかは疑問があります。間隔が3年も空いていることから、読者や出版社サイドの要望から第二部が始まったのではないかと考えられます。それは、第二部の重要人物である“桂大悟”が第一部に登場していないことからもうかがえます。第一部では、宗方の大学時代の相方は“太田コーチ”という人物でした。つまり作者は、宗方の死後について第一部連載時点で明確なコンセプトを持っていなかったと考えられます。その為、第二部の開始当初は宗方コーチの生前からスタートし桂大悟と宗方仁の関係を出してきています。

そういう私も学生の頃、文庫本になったものをよく読んでました。第一部は女の子のスポ根物みたいな印象があり、当時体育会系のクラブに所属していたこともあって、宗方コーチの特訓に耐える岡ひろみに結構感情移入していたものです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。大変詳しくどうもありがとうございました。私も非常に残念に思うのは、おっしゃるところの第二部が宗方の死ぬ前から始まっているところです。一度完結して、後から要望により再開させられたんだなということがよく分かってしまうからです。しかしながら、読み進んでいけばもうそんなことはすぐ忘れられる、どうでもよくなるような力強いストーリー展開だと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/27 20:21

こんにちは。


私は30歳代で、「エース…」は当時から好きな作品です。
作者の山本鈴美香さんは「エース…」の第一部と第二部の間に、「7つの黄金郷」を連載していたのだと思います。

>コアなファンの間では「宗方が死ぬまでが本物の「エース」だ!
ってことはないと思います。

それより、この作者さんは未完の作品が多いので、「エース…」は、長編でありながら、スッキリ完結しているので「良かった、良かった」て感じです。
「7つの黄金郷」は、「エース…」以上の作品だと思うのですが、残念ながら未完です。

現在、山本鈴美香さんは「神山会」という宗教法人の教祖をしていると思います。
ですから、「エース…」1部のころから、宗教色がやや出ていると思いませんか?2部のころには、また一段とそうなってますね。
コーチは坊主だしね…。

この方の作品に一貫してあるテーマは、「女の成長とそれを助ける年上男性」だと思います。
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この回答へのお礼

作者が巫女さんになられたという話は、たまたま昔買った書籍「マンガについてボクが話そう」(KKベストセラーズ社刊、秋元康監修、1991年発行)に書かれていて知りました。私としては少々違和感を感じましたが、「エースをねらえ!」という作品自体が持っている魅力はなんら変わるものではないと思っております。

桂大吾を坊主としたことは、物語に圧倒するような重厚感が加えられて大成功であったと思っておりますが、やはり作者に菩提心がないとそういったアプローチはできないということなのかなという感じもします。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/27 20:43

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