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【英語の原文】
There is no real excellence in all this world
which can be separated from right living.

【翻訳版の和訳】
正しい生き方なくして真の成功はありえない。

7つの習慣という本の最初の一文なのですが、
この原文を直訳してみました。

【私が考えた直訳】
全世界において
正しい生き方から切り離される真の優秀はない。

つまり、この原文は、

正しい生き方はすべて真の優秀である。
正しい生き方には真の優秀でないものはない。

という意味であって、

正しい生き方がなければ、真の優秀はない。

という条件を表す意味はありませんよね?

この条件を表す「なくして」の部分は
日本人にとって分かり易くするために翻訳者が考え出した
意訳と考えて正しいでしょうか?

あと、正しい解釈に忠実で理解しやすい意訳ができれば、
併せてお願いします。

A 回答 (6件)

ロジカルな問題ですので、かんがえやすくするために幾つかの単語を置き換えて以下のようにします。


There is no cat which can be separated from a dog.
real excellence : cat
right living : dog
という置き換えです。
これは「犬から切り離されうる猫は存在しない」という意味で、論理的には「あらゆる猫は犬とともに存在する」また「犬が存在しなければ猫もまた存在しない」と同義です。
つまり、論理的には3つの異なる役が可能ということで、原文もこれと同じで
「正しい生き方から切り離されうる真の成功は存在しない」「あらゆる真の成功は正しい生き方とともに存在する」「正しい生き方がなければ真の成功もまた存在しない」
という3つの訳し方が可能です。もっとも直訳的なのは1番目の訳ですが、3番目も論理的に全く同じことを言っているだけですので、意訳とはおもいません。
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この回答へのお礼

なるほど!
完全に意訳という訳ではないのですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/22 19:29

>There is no real excellence in all this world which can be separated from right living.



(訳)
「正しく生きること」から切り離される可能性のある「真に卓越していること」はこの世界には存在しない。
つまり、
どんな「真に卓越していること」も「正しく生きること」から切り離される可能性は絶対にない。
という意味です。
これは、
どんな「真に卓越していること」も「正しく生きること」から切り離されない。
と解釈していい。
となると、これは一階述語論理が適用されることになる。
1.xは「真に卓越していること」である。
2.xは「正しく生きること」から切り離される。
3.(1)であり、且つ(2)であるようなxは存在しない。
これを記号化すると次のようになる。
1.Px:xは「真に卓越していること」である。
2.Qx:xは「正しく生きること」から切り離される。
3.¬∃x(Px∧Qx)
以下のように変形される。
4.∀x¬(Px∧Qx)
5.∀x(¬Px∨¬Qx)
6.∀x(Px→¬Qx) 又は.∀x(Qx→¬Px)(*計算上、2つの解釈が可能であるということは仕方ないことではあるが、現実の解釈上では曖昧性を残す結果になる。つまり、いいかげんな解釈、都合のいい解釈ができるということである。)

(6)の解釈(意味)
(6-1)∀x(Px→¬Qx)の場合:すべての「真に卓越していること」は、「正しく生きること」から切り離されることはない。

(6-2)∀x(Qx→¬Px)の場合:すべての「正しく生きること」から切り離されるものは、「真に卓越していること」ではない。

さて、
問題になっている、「正しい生き方なくして真の成功はありえない。」を
私の訳に変換すると
「正しく生きること」から切り離されるならば、「真に卓越していること」である可能性はない。
となります。が、
「正しく生きること」から切り離されるならば、「真に卓越していること」ではない。
と解釈されるものとします。(これがあとで問題になります!)
記号化すれば
∀x(Qx→¬Px)
となります。
これは(6-2)と同じ結果になりました。が、
「正しい生き方なくして真の成功はありえない。」=「正しく生きること」から切り離されるならば、「真に卓越していること」である可能性はない。
という文は「論理命題」ではなく、「様相論理」なのです。
だから、
一階述語論理として記号化して計算することは「インチキ」
ということになります。

以上より、【翻訳版の和訳】である「正しい生き方なくして真の成功はありえない。」はあなたの言うように問題のある意訳と言えるでしょう。

>あと、正しい解釈に忠実で理解しやすい意訳ができれば、
併せてお願いします。

「正しく生きること」と「真に卓越していること」は表裏一体である。
「真に卓越していること」と「正しく生きること」は一心同体である。

以上、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

難しかったのですが、ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 12:30

回答者4です



一度回答したあと、もしかしたらまちがえたかもとおもいました。

現実世界で成功すると(もしくは卓越した結果を残す)ということは、実直な(もしくは、まっとうな)生活の積み重ねの結果としてしかありえない。というニュアンスかもしれません。

論理学の初歩に逆は真ならずというものがあります。AならばBがなりなたつとき、BならばAが成り立つとは限らないという意味です。

それとの関連でいえば、現実世界で、優秀な人、成功していているひと、結果を残しているひとは、正しい生活の積み重ねの結果として結果をのこす。ということがここでいわれていることだとすれば、その逆、正しい生き方は、すべて真の優秀である、ということが真実であるとはかぎらないわけで、もとの英語はそういう意味ではありません。あくまで、成功したひと卓越したひとについて、その人の生き方がどういうものであるかをのべています。

ただしここでいう真の成功とはどんなものかわからないので、この言説は詭弁だといえるかもしれません。

普通は成功は成功であって、真の成功だとかわざわざいわないので。

というわけで正しく意味をとりたくとも原文があいまいです。ことわざでも金言でもなんでもない、ふつうのありふれた自己啓発本とかにかいてありそうなかんじのことです。

どこであれ、現実世界においては生活をただすということがひとよりも抜きんでることとつながっている。が一番わかりやすい、穏当な訳かもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 12:29

ニュアンス的には、成功しているからといって、正しい生き方をしていなければ真にすぐれているとはいえない。

といったニュアンスを含んでいます。

生き方とわけて優秀さ、成功を評価することはできない。という意味です。

汚い方法で成功したなら、成功は優秀さの裏付けとはならない。といったところでしょうか。

なお翻訳には、「厳密に正しい直訳」というのものはありません。正確な翻訳と、そうでない翻訳があるのみ。英語と日本語のように乖離した言語では、逐語訳はおうおうにして、なにをいっているかわからなくなり、原文の意味をつたえません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 12:26

タイプミスがありました。

下記に訂正致します。

そうとも一概には言えません。
原文の〔no~can〕の持つ意味合いを、日本語に置き換える常套手法の一つ
であるとも捉えることが出来ますね。

この回答への補足

〔no~can〕の持つ意味合いって、日本語だとどうなるんでしょうか?

よろしくお願いします。

補足日時:2014/06/22 19:35
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 12:24

>この条件を表す「なくして」の部分は


日本人にとって分かり易くするために翻訳者が考え出した
意訳と考えて正しいでしょうか?

そうとも一概には言えません。
原文のnoの持つ意味合いを、日本語に置き換える常套手法の一つ
であるとも捉えることが出来ますね。

>あと、正しい解釈に忠実で理解しやすい意訳ができれば、
併せてお願いします。

《真っ当な生活から乖離した偽らざる美徳など、世界中どこを探しても見当たらない》
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/22 19:32

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