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明智光秀は、なぜ謀反を起こしたのでしょうか?

当時の情勢で、光秀が天下を取る事も可能な状況だったのでしょうか、

それとも、何かそれなりの理由や必然性があったのでしょうか?

色々なご意見をお願いします。

A 回答 (10件)

理由も必然性もハッキリしていません。



だからこそ、こうして珍説高説が議論百出百花繚乱出来るのです。

仮に計画的に謀反をしたのでしたら、綿密な計画があって然るべきですが、実際は「事」が終わってから、書状を急いで出しています。

本来ならば、事に望む前には準備をして出しておく位は常識で、最低でも謀反と同時に檄文を出すのは当たり前です。

ですが現実には全てが後手後手で、周りにとってもいきなりの青天の霹靂の謀反でしたから、諸将は情報の真贋を含めて対応に苦慮します。

ですので、このタイムラグで秀吉の中国大返しが間に合ってしまう等の結果を招いていますし、諸将の招聘にも失敗をしています。

つまりは「いきなり」の「行き当たりばったり」であるのは確実で、だからこそ光秀の考えが判らなくなっているのです。

実際には光秀はいじめ等には合っておらず、むしろ信長の信頼を一番に受けていた節が見られ、謀反の必然性が極めて薄いのです。


正直、"全くもって”判りません。

傍から見る限りは、「乱心」が一番そぐわしいと思います。
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この回答へのお礼

解らないから、よけいに興味が出てきますよね。w

お礼日時:2014/07/26 13:09

松永が義輝を討ったのと同じ。


いらない傀儡を処分しただけ。

光秀&長宗我部&足利 VS 秀吉&三好&織田
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8596335.html
信長はこのとき既に傀儡で力なし。

光秀は将軍家にも朝廷にもコネがあったので、信長を討った後はどちらかを担げましたが、当時の秀吉は信長しか担げなかったので不利でした。秀吉の反転が遅ければ勝機は十分ありました。

信長を神輿として担いでいた秀吉としたら、信長は最後まで英雄で、自分は最後まで忠臣で、その後継者という物語が必要で、その宣伝を信じている人が多いだけ。
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No1さんの回答に最近出版された本の内容を付け加えると。



+四国の長宗我部と親戚付き合い以上の関係が在り、四国征伐を受ける直前の長宗我部側から謀反の誘いが在ったため、一族に義理堅い光秀は心を痛めていた。
+信長は徳川のした様に、安土を中心に周辺を一族で固め、その外を征服して明智や羽柴等の臣下に統治させる構想を持っており、光秀は先行きに不安を覚えていた。
+信長は上記構想のステップとして家康暗殺を図り、自分の居る本能寺を手薄な状態で家康を招待、光秀と筒井順慶に本能寺に向かう家康を急襲して殺し、そのまま徳川領を占領する様に指示した。
+そう言った状況で光秀は謀反を決意、細川を仲立ちにした徳川との秘密同盟を組んで、信長を暗殺し光秀が日本の西半分を支配、徳川は東半分を切り取って行く事とした。
+以上の様に万全の策を立てたと判断し、光秀は自信をもって謀反を起こし、予定通り家康を駿河に帰還させた。
+かって光秀の上司であった細川はその情報を秀吉に漏らし、本能寺後の光秀勢に参加しない事で、光秀を結果的に敗北に追い遣り、秀吉に厚遇される一方で、同盟の話を秘匿する事で徳川にも恩を売った。

以上の話で考えれば、困難を極めたはずの「家康の伊賀越え」と「秀吉の大返し」は予定の行動だったし、家康が帰国直後は東の織田領に軍を進めた事や、安土城が燃やされた事や、徳川が春日野の局や日光に明智名を付けるなど明智に好意的な事になどの説明もつきます。

そう言う意味では個人的には結構真実に近いのかなと感じました。
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解答ではなく、人間の行為として一人の歴史的主役の行動を見る時。


こういう効果があった、そしてこういう効益がありえた。
という観点からの分析も大いに有益であろう。
しかし人間の行為動機や目的や心理は意外に単純であり、また奥深いものであろう。
私は、その時の心の弾みも大きいと思っています。これは思慮を越えた行為へと押すものですね。
色んな動機とともにその時の光秀なる才人の心中がどうメカニカルな起伏をしていたかが大きいと存じます。
歴史学とは私は文学であるとかねがねおもっているが、この歴史選択の心中は寧ろ、小説を書くように思うと真実的実在が描かれてくると思う。
たぶん、油断して冷静をかいた出来心でしかないのだろうと。
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光秀は穏健派 信長は改革派


ここにポイントがあります

信長は室町までの旧時代的なものを次々と壊して新時代を築こうとしていました
(天皇権威の廃止 暦の統一など)

一方光秀は 朝廷寄りの人物で信長の改革はやりすぎだ と考えてる人物でした

自分たちの権威がないがしろにされる危機感を感じた朝廷が光秀に信長討伐を持ちかけたのでしょう
が 恐らく新の黒幕は秀吉ですよ
変前後の誠仁親王と秀吉の動きは明らかに不自然です
光秀ははめられたのでしょう 協力者であるはずの秀吉に裏切られ主君殺しの汚名を着せられたのですから
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私は巷間いろいろ言われてるのが深く考え過ぎと思ってます。


下剋上の時代です。
目の前にチャンスがぶら下がってきたんです。
信長と信忠が無防備に目の前にいたんです。
そりゃあやるしかないでしょう。

当時の光秀の支配エリアは近江坂本と丹波、さらに山城を代官として支配し近江長浜ももぬけの殻ですのですぐ落とせます。
まさに日本の中央にがっつり座っています。

美濃は信忠の根拠地ですので信忠をうちとれば迅速な対応はできません。
三河の家康も堺に滞在中で迅速な対応はできません。
播磨の秀吉は毛利と結び挟撃可能、北陸の柴田も上杉と結び挟撃可能、本願寺の残党を味方につけるのも可能かもしれません。光秀としては十分な勝算があったと思われます。

信長が宿所に本能寺を選んだ理由は、当時の本能寺は信長の宿泊施設用に堀・土居・石垣が作られて警備が固かったと言われています。2007年に掘りが発見されています。
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謀反の理由ですか・・・わたしの見聞範囲から判断しまして、私の感じた


ことです。
第一
常に打擲やいじめにあってたから、その恨み。
第二
信長の残虐さは、身内や自身にも将来また降り注ぐ可能性が高く、今度は自分にもくるかも・・・と
第三
信長は恐ろしいから。
第四
主人信長とは波長が合わないというか、合わせられなかった。
第五
秀吉とちがって、要領がよくない。主人信長の常に考えていることが分からなく頭がパニックになる傾向がある。
第六
信長の目標は是非もなく”天下”しかない。その野望、やり方に同苦できないから。
信長は天下を急ぎ、邪魔する輩は即排除、また鈍くさい身内にでも、有無をいわさず打擲してでもはっぱをかける。
従って、失敗したなら今度又どんな仕打ちがあるか、怖かったからである。
第七
信長は頭のキレは素晴らしい、光秀は頭脳派で周りに優しく思いやりがある。
    ふだんは気が小さく繊細、しかしいざとなれば大胆な行動をとる男らしい人間かな
戦国時代はどんな武将も残酷である。それでないと家臣家族は守れない。あたりまえである。
 しかし信仰深い光秀は、比叡山や石山本願寺の焼き討ち(武士まがいの坊主、また女子供まで殺戮)には
耐えられなかった。・・・いや理解できなかったのである。

●信長はなぜ本能寺に泊ったのか?
 本能寺は日蓮宗である。とくに信長は本願寺一向一揆の民百姓を含めて数万人を殺戮した。
 死ねば極楽往生できる世界にいけるという念仏を唱える浄土真宗である。
 当然念仏のお寺に泊れるはずがない。すぐ暗殺されてしまいます。
◎信長は無神論者ではない、日蓮宗寄りであろうと思う。
  本能寺住職とは仲が良かったはず。そうでないと泊らない。
■日蓮は他宗を仏法上破折しまくった。・・・念仏宗(浄土宗)、真言宗、禅宗、律宗、阿含宗などすべて経典において
 全て間違っていることを、仏法経文上から破折した。
 本来人間には成仏(仏界・・・仏の境涯・・・釈尊と同じ生命境涯のこと)という生命は誰しも潜在している。
 信長に殺された念仏宗の信者もこの仏の生命は潜在している。
 仏法上この生命を断つものは無間地獄に堕すとあり。・・・やはり信長も紅蓮の炎に焼かれてしまった。・・・因果応報である。
◆本能寺の坊さんが、信長に本当の仏法を教えるのは、信長が怖いからやめたのかな・・・わからん・・



総評
Q明智光秀は、なぜ謀反を起こしたのでしょうか? →謀反という言葉は大げさ・・・苦し紛れでしたこと。
 頭のいい我儘坊ちゃん育ちの信長がうっとしいから
 信長家から退社できれば問題ないが、それじゃ殺されますので、どこにも行けなく、じゃ・・抹殺しかなかったのでしょう。
 光秀もいじめには、つらかったのかな・・・



Q当時の情勢で、光秀が天下を取る事も可能な状況だったのでしょうか・・・不可能な状況(身内以外誰もついてこない、会社も同じで多大な実績がない)


以上 子供のような個人的意見でした。


私は信長が好きな方だな。天下をとるまでいてほしかったな。たまに想像もしますね。
爽快、痛快だね、もうたまりませんね。・・・私にはないものをすべてもっている。

信長殿様にお願いでござる!
頭の悪い鈍い人には、めんどくさがらず もうチトやさしく教えくだされまいか・・・

「国を取られるか、命を取られるかの此の瀬戸際に、何をいうとるんじゃ~アホ!」

アッチャッ!



 ・・・・一般歴史的な回答ではなくて、すみませんでした。・・・



  
 





     
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人間のしたことですから、物理法則のように「○○が原因で△△した」なんていう説明はできないでしょうけど。



まあ、根本的には「光秀が天下を取る事も可能な状況」だったからでしょう。
実際、山崎の戦いで光秀が勝利していれば、そうなった可能性は多分にあるでしょう。

少なくとも、「絶対に成功する見込みはないけど、とりあえず謀反しとこう」ではないと思います。
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いろいろあるだろうけど、根本は



「イケる!」

と判断できたからだと。
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 最近、本能寺の変の少し前に光秀と四国の大名との間でやりとりしていた書簡が発見され、四国攻めを命じられた光秀が彼らとの関係を重視しやむなく反旗を翻したという説が注目されていました。



http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/23/honoji_n …
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