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近代みたいな明確な証拠がある場合ならともかく。

そのまた昔の歴史が実在したとなぜ言い切れるのでしょうか?
たとえば、織田信長なんてのは、小説の主人公だとしたら?
本能寺の変だって、小説のラストシーンかもしれない。

その時代、生きていた人はひとりもいません。
書物だって、小説か現実の話かわからないじゃないですか。
その割に枕草子は、「この人が作った小説だよーん」
ってなるんですね。
いったい、どうやって見分けているのでしょうか?

ともかく歴史ってほんとうに実在したんでしょうか?
すべてがフィクションだとしたら。
そんなこと考えたことありませんか?

歴史に関する考えや「これを基に見抜けるよーん」っていうものがあれば、お願いします。

A 回答 (6件)

人物の実在と、歴史的内容の事実は別のことです。



信長で言えば、実在の証拠があります。
・信長が書いた手紙や命令書などが残っていて、筆跡鑑定で同一人物のものだと分かっている。
・部下や出入りの商人などの残した手紙やメモ、売り上げ台帳に信長に対する記載があり、それらの記述と信長の書いたものの内容が一致する。
・さらには現代でも残っているものや建築物・遺構などと信長が行った業績が一致する。
・信長に敵対していた人々の手紙やメモの中に信長に対する記述があり、信長陣営側の記述と一致する。たとえば敵側には「○○日信長に和平の使者を送る」という記述があり、信長側には「○○日、和平の使者が信長と面会する」などがある。
などです。

現代の捜査でも考古学・歴史学でも同じなのですが、そもそも人間というのは「無駄なこと」はしません。もし「信長という架空の存在を作る」ということをするなら、それをする理由があり、それに則って架空の話が作られるはずだからです。
また、そのような架空の話は敵側が協力するはずはありませんし、日本の事情を外国が考慮する必要もありません。
ですので敵側の残した内容や西洋人が残した内容にそれぞれ同じ記載があれば,少なくともそこに書かれている人物は実在したことになります。

本能寺の変についても、信長陣営だけでなく敵側にも西洋人の報告書(当時の西洋人は外国の報告書を学会で発表した)にも記載がありますので、日本の年号と西洋の年号の記述の一致からまちがいなく1582年6月21日(天正10年6月2日)に本能寺の変が起きたのです。そして本能寺の変は明智光秀の謀反であった、ということも一致しています。

ここまでは事実と言えます。

問題なのは、昔から言われているように「本能寺の変」には黒幕が居たのではないか、ということです。たとえば足利義昭だったり羽柴秀吉だったり、と黒幕の名前が上がりますが、黒幕とは表に出ないから黒幕なわけで、当時から証拠を残さないように気をつけているわけですから、現代になってから検証するのはとてもたいへんです。
しかし、今年の6月24日の朝日新聞にもあるように、最近になって出てくる資料というものもあるようです。
長宗我部元親の書簡:http://www.asahi.com/articles/ASG6R53XDG6RPPZB00 …

こういうものが後年出てきて、研究が進むということもあります。
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この回答へのお礼

へぇ。そうなんだ。
すごいなぁ。
歴史にずいぶんお詳しいようで。

きちんと敵対したがわの文献も参照するから、
作り話ではないし、ウソをつく理由もないってなるわけですね。

お礼日時:2014/07/17 14:20

 逆に言えば、近代ほど事実を書き換えたり、またそのために近代以前を殊更に矮小化しようともします。


南北朝時代との言葉をお聞きになったこともおありでしょう。実質的な権力が北朝方つまり幕府側にあるにも関わらず、なぜ南朝を正統な(もしくは正当な)存在とするのかとの問題です。
 これは明治維新以後、日本が欧米列強と比肩するために新たな天皇制国家としての枠組み作りを構築するために「歴史に裏付けられた証拠集め」を行った典型的な形ともいえます。
 もし「歴史(史実のこと?)」が全てフィクションだったとしたならば、どうして史料が残っているのでしょうか。考古学的な遺物も全て虚構となってしまいますよね?。
 けれども「考古学的な遺物」を解析する時にも、その遺物が出土したと同じ地層から発掘された植物の種子や遺物に含まれる同位元素を分析するなどの自然科学の分析方法を用いることで、それがどれ位以前のものであったかを推定することになっています。従来の手法からすれば、土器片の文様パターンなどがオーソドックスな手法とされていましたが、それだけでは地域的偏差などもあり必ずしも適切とはいえない結果もしばしば見受けられもしました。
 文献史学の世界ならば、史料にも「モノとしての史料」の側面と「そこに使われている言葉」を史料として評価するとの考え方もあります。
 これは日本文学や日本語学の成果を歴史学が積極的に受容している結果ともいえます。この時代に使われていた言葉が、それ以前や以後では同じであったか或いは変化してきたことでこの様な形になっているのか、などといった分析方法です。当然、その言葉を使う階層や地域によっての偏差があることを前提に含まねばなりません。
 『枕草子』に関して言えば、そこに登場する人物も何人かいて、清少納言だけとは限りません。藤原伊周や道長もいれば、清少納言が出仕していた中宮定子もいます。
 この中宮定子は天皇の側室ですから、他の記録や文献を調べて見ればイヤと言うほどその名前を見つける事もできます。
 この様にして「幾つもの史料や材料」を組み合わせることで、たった一つのそれも針の先ほどの極小な事実を初めて確定させることになります。
 逆に近代の方が疑わしい側面は多分にありもします。不都合な真実を隠すためのすべを過去の事実から学び取っていますから、その分余計にボロ隠しのための方途は複雑巧妙になってもいます。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。

そうやっていろんな側面で照合しながら、
歴史って確定させていくものなんですね。
勉強になります。

近代のほうがたしかにいろいろ真実をねじ曲げやすいってのは
あるかもしれませんね。

お礼日時:2014/07/17 14:12

全てがフィクションという可能性はありますね。



NASAの研究者が「今後もCPUがムーアの法則で進歩すると仮定すると、30年間後にはプレステ7が存在していて、同時に約1万人の人生をバーチャルで計算出来る」と発表しました。
そのうえで、そもそもこの現実自体が未来のプレステの中でプレイされているマトリックスのような仮想現実である可能性は否定できないとも。

信長どころか、「あなた」もフィクションだということです。
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この回答へのお礼

あぁ、そっちの話ですか。
この世界そのものがマトリックスであり、
ぼくらやぼくらが見てる世界はバーチャルであると。

それを言ってしまったら、「過去は存在しない。いわゆる昔のモノだって、今存在するから、昔のモノという表現ができるのであって、
今がすべてだ」みたいになって、
歴史という概念が丸ごと否定されてしまいます。

ごめんなさい。
今はその議論は置いといて、この俗世でのいわゆる歴史や過去というものが
バーチャルではなく、まぎれもなく存在するという前提にしているんです。

もっとも、あなたのおっしゃることは正しいと思います。
まだ実感がないし、悟りにはほど遠いけど。
ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/17 14:18

そりゃそうでしょうね


織田信長だってルイス・フロイスの作り話 彼の「日本史」と言う日記に出てくる「日本」と言う国の支配者
という設定です
信長を見た人は現代には居ません
架空の話だって事もありえます


しかしですよ?
信長の話は日本全国に残っています
南は薩摩鹿児島から北は東北青森まで
普通あの時代 作り話だとしたらそこまで広まるでしょうか?
今のようにネットも無い時代です

小説の作り話なら せいぜい近畿地方で語り継がれて終わりでしょう

と言う事はやはり実在したのです
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この回答へのお礼

日本史っていう日記があるの、はじめて知りました。
外国人の方が書いているんですね。

話が広まる範囲での判断ですか。

おもしろい基準だと思います。

お礼日時:2014/07/17 14:23

まあ、ここ100年の歴史ですら、司法が事実認定を誤っていたり、日本の前にパラオを植民地としていた列強を正当化するため再占領したアメリカによる反日教育があったり、と



史実は1つでも、「歴史書」としての描き方はいかようにもできる、というのは未だに迂闊には一観点を信用してはならないという良い教訓になっていると思います。


日本の名誉、64年ぶり回復 パプアの英宣教師殺害事件
http://www.47news.jp/CN/200611/CN200611150100013 …

パラオ国民は日本の統治に感謝し、列強は搾取し続けた:年金・医療・失業・労災困ったときの助かるブログ
http://s.webry.info/sp/srkanemaru.at.webry.info/ …

「ヨーロッパの植民地だった国を全部塗りつぶすと世界地図はこうなる」海外の反応 » 10000km.com
http://10000km.com/2013/03/18/colony/
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この回答へのお礼

あらま。近代ですら疑わしいんですね。

それに歴史書の書き方次第で、国に有利なように国民を誘導できますからね。

韓国では日韓併合は相当なページですが、日本ではわずか2ページだったり。
(どっちも問題ある)

あたりまえの歴史も疑ったほうがいいですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/17 05:26

質問の趣旨とは違うのですが、こんなものが実在するんだ、ということで。



『資料でたどる日本の歴史 - 古典籍総合データベース - 早稲田大学』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ga_jhistor …
『源氏物語 - 語り継がれる王朝の歴史 - 古典籍総合データベース - 早稲田大学』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ga_genji/l …
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