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結果が全てとか言いながら、過程も真面目であることを暗に要求してくるクソ組織多すぎじゃね?

それならば「できる限り真面目にしてくれた方がより評価します。」と書いとけよ。

成功すればどちらでも問題ないというやついるけど、失敗したときもどちらでも同じ扱いにしてるならそれでいいけど、その時には「真面目にして失敗したんなら仕方ない」っていう意味不明な保険措置が働くことが多いじゃん。なにこれ?


真面目にやってようがふざけてやっていようが失敗に終わったという結果が同じなら、同じように批判されるべきだろ。

真面目にやって失敗したら仕方ないっていう変な保険措置があるなら、「結果が全て」とは言うべきではない。

真面目だったら失敗してもいいのか?

本当に真面目にやっていて、落ち度もなかった人が

「一生懸命やりました!でも失敗したんです…。すみません。」

って言ってきたことに対して

「失敗したんだからお前が悪い。消えろ」

とか言ったら、言った側が悪く言われることがあるのも分からん。

結果が全てなんだったらこれでいいよね?

A 回答 (5件)

ちゃんと結果を出せない人が大勢いるから、言い訳の技術として真面目を重視する価値観が発展したのだ

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「ふさけてやって、失敗した」は因果関係。


即ち、「ふさけてやったから、失敗した」ワケで、救いの余地は無い。

一方の「真面目にやって失敗した」は、「真面目にやってもダメ」なので、過程の正当性を証明するもの。
誰がやっても失敗する可能性を示唆するなど、救済される余地がある。

「結果が全て」と言うのは、結果を出した者が口にする言葉で、失敗者が自己救済されるために口にする言葉ではない。
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真面目にとかふざけてとか言う前に、消えろとか言う仕事仲間が論外だと思います。



あと、分かりやすく言えば

真面目にやると言うのは最善を尽くして失敗したというもので、「 真面目に」とは、回りが評価するものです。

ふざけてなどは、自分にその力がありながら、仕事より自由を優先している時点で、評価は最低ですよ。
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raipontaさんの主張はまさにその通りですよ。


そのようなことは教育現場でも職場でもよく見られます。
ご質問に書かれている「真面目にやっているから」という表現は実は恣意的なのです。
もっと簡単にいえば評価する人の好き嫌いなのです。
大きな上場企業でもいたるところで見られます。
例えば、社長がミスをしたある部長をどう評価するか。
簡単なのです。その部長を気に入っていれば「真面目にやってる彼のミスは不可抗力だろう」と庇います。
挙句の果ては「そもそも次長や課長連中が的確な情報を上げていなかったのではないのか」などといい始めます(笑)。
これが反対に、気に入らない部長の場合はもう大変です。滅茶苦茶に罵倒されます(笑)。
人間社会では、事実を評価するのではなく、恣意的な評価をすることがとても多いのです。
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真面目にやった⇒成功する可能性が高い



ふざけてやった⇒失敗する可能性が高い


さあ、どちらの印象がよろしいですか?
そもそものスタートラインが違うのに、

>真面目にやってようがふざけてやっていようが失敗に終わったという結果が同じなら、同じように批判されるべきだろ。

何故同じなんだ?




それと、具体的な事例があるならそれを提示しましょう。
ただただ愚痴っても伝わらないよ?
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