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聖書の「ぶどう園の労働者のたとえ」について、あなたが考える実存論的解釈を教えて下さい。
回答よろしくお願いします

A 回答 (6件)

 こんにちは。




 仕事をした時間――そして一般にそれに比例した成果を挙げるというその成果――に応じて 報酬を与える・得るというのは 経験的な原則であると考えます。

 その原則的なことがらについて この聖書のくだりは 否定しているのではなくまた直接には論じてもいないと考えます。


 問題は 金銭的な報酬以上のものをも見る必要があるということ。これではないのでしょうか?

 では ただちにどんな別の報酬が得られると言うのか? と問われると 心許ないのですが それでも語っていることとしては 仕事の時間や成果に必ずしも比例するという報酬ではない報酬 これを言おうとしているのではないでしょうか?

 しかもその何であるか分かりにくいナゾの報酬は 誰れにとっても 平等であると言っているのでしょう?

 空想的ですが このほうが
 ★ 実存論的
 ☆ な意味合いを見て取れるようには思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
解説がとても分かり易かったです。

お礼日時:2014/08/06 16:53

報酬は、労働の対価ではない。


特に、拝金主義による過剰な利潤の追求の結果
として、無駄な贅沢や、命を縮める肥満などは、
社会的損失でしかない。
報酬は、その人が生きるため=健全に働いて社会
に貢献するために必要な物を得るためのものだ。
能力に関わらず、妻帯すればその分報酬は増し、
子供ができればその分も加算される。
社会全体が最大の機能を果たすための資源の再
配分であって、能力や権力と直接の関係があって
はならないものだ。
これは悪平等を意味するものではない。
その人が能力を発揮するために必要ならば、他人
よりも多く報酬を得る。
それが皆んなのためになるからだ。
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回答番号2のplapotaです。

#1,#3さんの御意見で、もう充分すぎるほどなのですが、ちよつと職場の実態のことを考へてみました。

労働時間が短くて業績の少ない人、時間も長くて成果を挙げる人、この両者の給料が一緒、こんなことは、ざらにあります。大切なのは、仕事における目標を、しつかり見すゑることでせうか。
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こんにちは。


「恵まれない人を顧みずに出し抜いた形で先行した人と、それにより苦難の道を強いられた人の収支が最終的に合致するのはフェアなことだ」ということだと思います。
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別の自作自演のページを拝見しますと、マタイ福音書20章のことですね。

私自身は、聖書の記述をなるべく書いてあるとほりに読む、といふ立場です。しかし、この質問文にある「実存論的解釈」にも近いかもしれません。矛盾するやうですが。細かいことには、こだはらない、結局それが私です。

求められる回答は、ユダヤ人に関する預言的意味ではなく、現代的、現実的意味といふことですね。

*** *** *** *** ***

要点を整理します。

葡萄園があり、その経営者がゐます。そして、労働力が不足してゐました。
職業安定所が存在しないので、経営者は、労働者をスカウトします。ニートや無職者がつぎつぎと見つかります。
雇用契約は日給制の一律定額です。労働時間は、契約時から作業終了時までです。

当然、朝方契約した者の労働時間は長く、夕方契約した者の労働時間は短くなりますが、給料は、同額です。

*** *** *** *** ***

既得権益に浮かれてゐてはいけない。過去のことよりも、現在そして将来を考へなければならない。

知識や経験、そして周囲の人間関係などによつて、だんだんと、よりよく生きる方法が見つかるかもしれません。その今を大切にすることでせうか。
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<後のものが先になり、先のものが後になるであろう>



〇こんなのは実社会ではごく普通なことですね。例えば、企業では何年もかけても出世できない人と、入社後わずかな年月を経て出世する人がいますね。出世も入社の年次に依存していないのですね。
能力もありますが上の者の好き嫌いも反映します。つまり、平等ではないのですね。実社会でもそのようですが神の世界も平等な社会ではないということですね。
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