少し気になりましたので、質問させていただきます。
広島と長崎の平和祈念式典の首相挨拶が使いまわしだと、地味に話題になっているようです。我が家で購読する新聞では、昨年度と同じ文言のところにマーキングしてあり、非常に読みやすくて、助かったのですが、少し困ったことがあります。
この文面の何が問題なのかが、よく分からないのです。というか、問題とされているのが何故なのかが、よく分からないのです。
同じとされている部分は、被爆者への哀悼や奮起への感謝、核廃絶への決意の部分で、正直、そんなにオリジナリティあふれる文章では困るし、こまかい部分を弄り回しても、やはり同じような意味の文面にしかならないところだと思われます。同じでも構わない、むしろ文章の趣旨を変えてはいけない部分だと、私は読み取れました。
前年度の活動成果の報告は簡潔にまとまっているし、全体を通して哀悼と平和への祈念という主旨は伝わるし、ベストではないにしても、ベター、及第点には達している内容だとは思うのですよ。
確かに作成サイドに文才があれば、色んなパターンを用意できるでしょうが、政治家やその周囲にそこまで求めるのもお門違いだと思いますし、文章から受けるイメージが前年度と違えば、それはそれで問題になると思われます。
まして文学性ある挨拶で、変な誤解を与える言い回しがあるほうが、私としては問題だと思うのですが。
この事に苦言を呈する人たちは、何が「不満」で挨拶を批判しているのでしょうか。
日ごろの政権運営に批判があるなら、素直にそういえばいいし、内容と行動が矛盾していると感じるなら、そう直言するほうが、よっほど良いと思うのです。
みなさんはどう思われますか?
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
ANO9です、お礼ありがとうございました。
お礼の中で、ご質問がございましたので、回答させて頂きますね。
>質問の主旨から外れますが、なぜ「誠意が無い」とか「馬鹿にされた」ではなく、「冒涜」という言葉が使われるのでしょうか?教えていただけると、幸いです。
重ねて冒涜の意味を記します。崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。 価値観が異なる人からすると冒涜の基準が異なるため、ある行為や発言を冒涜と感じるかどうかは各個人によるものである。
そもそも、日本人は亡くなられた人を仏様と呼びますよね?
原爆で亡くなられた方々も、皆様一様に仏様であります。
式典や原爆記念碑は、その仏様を対象に作られたものですから、仏様を崇高し神聖化する価値観を持った人にとっては、単に形式的な式典やスピーチは仏様に対して失礼であり、その度合いによって冒涜していると感じるのです。
また、我々には共感や投影という心理が働きます。非戦闘員である多くの一般市民が、ある人は一瞬のうちに焼失し、ある人は生きながら業火に焼かれ、苦しんで苦しんで苦しみながら無念の死を迎えなければならなかった人達を、自分の知らない昔の事と促えるか、促えないかで感じ方も違います。
それと、あなた様は哀悼の意を表した事がおありですかね?
哀悼とは、哀→悲しむ、悼→痛むという意味なのです。
悲しくて心が痛んでいるかどうかは、情報としての活字だけでは分からない事かも知れませんが、使われた言葉から判断するしかないとしたら、安倍氏のスピーチからは心の痛みが感じられないと思う人もいるでしょう。
日本人の代表たる総理大臣が、痛みをそれ程感じてくれてないと思う人が、その感じる度合いで冒涜という言葉を使っているのかも知れませんねぇ。
実は、私も安倍氏が冒涜したとは考えていませんが、全国民に真摯に~という意味は、姿勢の問題を問うているのです。
内閣総理大臣の口から出る言葉には、好むと好まざるに係わらず重さと責任がついて回ります。だから、誤解を与えない為の言葉は必要かと思いますけど、こと哀悼に関しては日本の総理大臣として人間安倍晋三の心の言葉が必要だったのではないか?と私は思いますねぇ。
最後に、価値観は人それぞれですから、大切なものが違って当たり前の話しですねぇ。
回答ありがとうございます。
冒涜とは、慰霊の立場からでしたか。それなら納得できます。私が反発を覚えたのは「自分たち(生者)」に対して冒涜という言葉を使うということですから。お亡くなりになった方々に対してであれば、そこは違和感もなく受け入れられます。
勘違いしていたようで、申し訳ありませんでした。
哀悼というのは、たぶん無いと思います。戦中の手記などを読み、胸が痛く、苦しくなることはありますし、その悔しさのあまり、涙することもありました。無くなった方が生きていらと願うこともありましたが、それらは個々の感情として定義づけできることであり、「哀悼」という感情でしか定義できないものではありませんから。
自分の感情に起因する状態ではなく、完全客観で「悲しさ」や「(死者に対する)痛み」を表現する方法を私はたぶん、一生理解できないと思います。
他人の心を忖度するすることが、主観による以上、私には「哀悼の意を表せ」といわれて、その場で哀悼できるわけがないと答えざる得ません。これは私がアスペルガーゆえの回答だとは思いますが。
最後に、価値観はそれぞれですが、私たちはなぜ、相手の価値観を理解するのにこんなに苦しむのでしょうか?
回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
>100年以上はすごいですね。
逆にもったいないとすら思えてしまいます。仰りようだと新聞そものもが要らないとも取れますが。大正の初めか、それ以前からだと思います
父は生きていれば120歳です
今は新聞とっていません
ネットで済ませます
ちなみに、私は広島市生まれです
原爆投下半年前に一家で広島を離れました
姉の女学校の同級生はたまたま、勤労奉仕で爆心地のそばにいたのでほとんど亡くなったそうです
私はまだ広島に行ったことがありません
左右両翼を読み比べますのでむしろ中間がわかります
回答ありがとうございます。
軽い気持ちで回答してしまったことをお詫びいたします。100年が途切れるにはそうおうの理由があったのですね。申し訳ありませんでした。
中間の視点、私ももてればと思います。
回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
>同じとされている部分は、被爆者への哀悼や奮起への感謝、核廃絶への決意の部分で、正直、そんなにオリジナリティあふれる文章では困るし、こまかい部分を弄り回しても、やはり同じような意味の文面にしかならないところだと思われます。
同じでも構わない、むしろ文章の趣旨を変えてはいけない部分だと、私は読み取れました。↓
哀悼の言葉が何故?オリジナリティーな言葉、文章だと困るのでしょうかねぇ?
>首相が文面を前年と同じにしなければ、そこに誠意を感じられたのでしょうか?
>なぜ「冒涜」という強い言葉で非難されているのか分かりません。
↓
確か、本音と建前の使い分けについて質問された方ですよね?当たり障りのない及第点のスピーチならば、それが安倍氏の本音か建前かなどは分からない以上、形式的に通用するものに、何故そこまで強い言葉で批難されなければならないか?というお考えですよね?
冒涜とは、崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。 価値観が異なる人からすると冒涜の基準が異なるため、ある行為や発言を冒涜と感じるかどうかは各個人によるものである。とwikiにありますが、式典でスピーチする日本国内閣総理大臣に、何を求めているかによって感じ方は違うのですよ。
質問者様は30代らしいですけど、原爆死没者慰霊碑は1952年7月22日、慰霊碑碑文が決定され、1952年8月6日、原爆死没者慰霊碑の除幕式後1969年、碑文論争を経て1971年8月6日に歴代総理大臣で初めて佐藤栄作氏が平和式典に参加したのです。
そして、慰霊碑に刻まれた死没者は毎年書き加えられています。
質問者様は、英国王のスピーチという映画をご覧になった事はおありですか?
言葉とは、聞く対象に伝える手段である道具のようなものですね。
例えそれが本心ではないにせよ、例え自分を支持してくれない国民であっても、総理大臣は全国民と犠牲者に対して、真摯に向き合うべき立場の人間です。
慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。
その碑文が許せる許せぬ論争をした人間にとって、スピーチの使い回しという言葉の軽さを批難することは、若い世代には不思議としか感じられない事かも知れませんねぇ。
回答ありがとうございます。
私は「冒涜」という言葉を、自分たちを対象として使う行為に強い忌避感を感じました。もしかしたら、これが今回挨拶に不快な思いをした人の気持ちと通ずるのではないか(対場は違えど、です)と勘繰っています。
「過ち」論争のことでしょうか?過ちとは、戦争を起こしたことそのものか、負け戦をしたことなのか。繰り返さないとは、戦争をしないことなのか・次は勝つよということなのかという論争があったとこは知っています。
良くそんなこと思いついたなと、当時は感心したものです。普通に考えれば{二度と戦争はしません」と読めるはずですから。
使いまわすことにより、新しい「解釈」を生ませない慎重策とも、私は考えていました。対場により、捉え方がが違わない文章、無用の論争を起こさないための配慮、というのは好意的に見すぎでしょうか?
特に微妙な政治問題を抱えたタイミングですから、官邸サイドが慎重になるのも当然でしょうし。無論結果こういう事態になったのは、失策であり、私も考えを改める部分があるのは確かですが。
全方位(全国民)への真摯な対応って現実的に出来ますか(これが建前を本音で捉えることなのかもしれませんが)。
質問の主旨から外れますが、なぜ「誠意が無い」とか「馬鹿にされた」ではなく、「冒涜」という言葉が使われるのでしょうか?教えていただけると、幸いです。
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
No,6です。
お礼どうもありがとう。
予め断っておくが、今回の使いまわしに対する批判は、相手が安倍首相じゃなくても同じ事を言っただろう事を、まずは念頭に入れておいてもらいたい。
「単に安倍首相を批判したいだけだろ?」と言う人には、今回の相手が民主党の菅直人だったとしても、果たして今と同じように擁護出来たのか?と、逆にこっちが聞きたいくらいだよ。
まぁ、君に問いたい訳ではないがね。
自分は以前、君の「本音と建前」に回答した者だ。
君の事情は知っているから、だからこうして再び回答したいと思います。
>私は、原爆を落とした正義も理解できると思います。彼らの立場にたてば、自分の息子が・恋人が・隣人が・戦友が無事帰ってこれるなら、悪魔と取引してでも構わないと、思うことはそこまで不自然でしょうか?アメリカの正義の裏には、そういうものもあるのではないですか?
別に何も不自然じゃないよ。それはその通りだろうからね。
そもそも、戦争なんてものは、互いの正義と正義の行き着いた結果だ。
日本に正義があった以上、アメリカにだって同じ正義があったに違いない。
だが、そこからが問題なんだよ。
例えば、君のその「正論」を、当の安倍首相に向かって叫べば、彼は一体何と答えるだろうね?
仮にも、そのアメリカの正義によって原爆を投下された、広島長崎の平和祈念式典の場だぞ?
自分がどっちの立場だったか次第で、見方や角度なんて180℃変わるのは当然の事。
でも、自分が相手とは違う立場であったとしても、相手の気持ちを考えて、それを汲んでやるのが「配慮」と言うものなんじゃないの?
>仰ることを要約すると「文面の同一か否かは副次的問題で、問題の本質は首相の挨拶には被爆者に寄り添う気持ちが感じられないことが問題なのだ」ということでよいでしょうか?
だとすると、回答者様は首相が文面を前年と同じにしなければ、そこに誠意を感じられたのでしょうか?
何の先入観も無しに、本当に根底から「一言一句、同じ文章であっても問題ない」と思っている人には、何を言っても理解されないかも知れないが、「似たような文章」と「前回と全く同じ文章」とでは、「少しでも考えようとしたか」それとも「まるっきり考えていないか」ってくらい、受け取る側の印象がまるで違う。
「流して良い事」と「流してはいけない事」の区別くらい、分別ある賢い大人であれば、普通は誰でも分かる事だと思うよ。
こういうのは、俗に世間一般では「手抜き」と呼ばれているものだと思うんだが、安倍首相にその気があっても無くても、「平和を願うスピーチ」で「手抜き」したとか思わせてしまうのって、「冒涜」と取られてもおかしくないんじゃないのかね。
回答冒頭に戻るが、「安倍首相批判」と同じく、「安倍首相擁護」も、原理は同じ事なんだよ。
使い回しをした相手が、安倍首相じゃなければ、きっとめちゃくちゃ批判している所だろ。
こういう部分は、恐らく君には、分からないかも知れないが。。。
ま、逆に言えばさ、もし本当に、これが「全く問題ない」事なのであれば、来年も、そのまた来年も、ただ年数を変えるだけで、使い回しは何も問題ないって事なんだよね?
来年は、70年目と言う節目を迎える年ではあるけどさ、それ抜きで考えても、別にこれから先も構わないって事なんだろ?
「配慮」ってのは、実際とても大切な事だと思うよ。
お互いにそれがあれば、きっと戦争なんて起きないんだろうけどな~。
回答ありがとうございます。
気付かず申し訳ありません。以前の回答、とても参考になりました。改めて御礼申し上げます。
仰る立場の違いは十分に理解しているつもりです。戦争が正義と正義のぶつかり合い。正義の裏にあるのは別の正義ということも。そういう話は大好きですので。
今回の質問もたぶん曖昧さが自分の中にあったのだと思います。回答をいくつも読むうちに思うようになっのは「まあ、手抜きなんだろうな」ではあります。もう少し、文面の調整くらいは出来たのではという、疑問でもあります。
ただ、私はあの文章で問題なかったともおもっています。あの挨拶が例えば「kisaragi056さんへ」となれば、私も不満を口にするでしょう。でも、私の中で、あのメッセージを向けられた対象は「被爆者ならびに式典に参加する人」だとお認識しています。つまり個人よりも大きな単位を対称にしている。そこで必要とされるのは、より多くの人に「誤解」を与えないメッセージ性だと考えるからです。
そう考えると、今回の挨拶は「失敗」だったわけですが。来年からは、もう少しうまくやって欲しいとは思います。
もう一つ、これが私の引っかかりの最大の部分ですが被爆者は「冒涜」されるほど、神聖な立場なのかということです。この言葉を見たとき、感覚的にぞわぞわしました。被爆経験は、たしかに語り継がれるべき大切なものです。現実にその場で起きたことを、見ていない人間が頭ごなしに批判するのは、おかしいことは分かっています。ただ、疑義をはさんだり、彼らの主張に反対することも許されない雰囲気を「冒涜」という言葉はもっていると思います。何しろ相手は神聖で尊厳高き方となってしまう。
これは、経験を「人」としてみるか「情報」としてみるかの違いなのかもしれませんが。そこが私の「配慮がたりない」部分なのでしょう。
回答ありがとうございました。違う視点、とても参考になります。
No.7
- 回答日時:
安倍首相を批判したいと思う人が
とってつけたような理由で批判しているだけだと思います。
STAP論文問題以来、コピペを絶対悪と考えている
トンチンカンな人が増えたせいもあるかもしれません。
回答ありがとうございます。
仰るように、そういう空気が色濃くなってきたのかもしれませんね。同じでも、意図が伝われば問題ないとは思うのですが。
回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
確かに、去年と今年とでは、雨が降ったか降らなかったかくらいの違いで、「平和祈念式典そのもの」には、大きな変化はなかったと思う。
でもさ、去年と今年とじゃ、被爆者として亡くなった人達の数が、全然違っているんだよ?
それってどういう事なのか分かってる?
「遺族や関係者として祈念式典に臨む人たちの心境」が、去年と今年とではまるで違ってる人達が大勢いるって事だ。
それは、今までだってそうだし、来年だって、再来年だって、ずっと同じ事が言えるのだと思う。
問題になっている部分は、首相がそういう関係者の気持ちを、本当に理解出来ていたのか?配慮出来ていたのか?と言う事だろ。
本当に被爆者としての気持ちを汲み、そこに平和を見い出そうとするならば、いくら冒頭とは言え、「68年」を「69年」に置き換えただけの挨拶に終始する事が、どれだけ被爆者を冒涜する事に繋がるのか、少し考えれば分かる事じゃないのかな。
>この文面の何が問題なのかが、よく分からないのです。
問題なのは、文面そのものじゃないよ。
平和祈念式典での挨拶は、文例集にあるような時候の挨拶や祝電の電報とは違う。
文面が「正しい」か「間違い」か、「及第」か「落第」かなんて、テストじゃないんだ。
血が通っていなければ、相手に気持ちは通じない。
気持ちを通じ合わせようともしないのに、ただ平和を語っても虚しいだけだ。
正しいだけの平和論なんて、原爆落としたアメリカの正義と、何も変わらないじゃないか。
回答ありがとうございます。
まず、質問の論旨からずれますが
>正しいだけの平和論なんて、原爆落としたアメリカの正義と、何も変わらないじゃないか。
とのこと。私は、原爆を落とした正義も理解できると思います。彼らの立場にたてば、自分の息子が・恋人が・隣人が・戦友が無事帰ってこれるなら、悪魔と取引してでも構わないと、思うことはそこまで不自然でしょうか?アメリカの正義の裏には、そういうものもあるのではないですか?
仰ることを要約すると「文面の同一か否かは副次的問題で、問題の本質は首相の挨拶には被爆者に寄り添う気持ちが感じられないことが問題なのだ」ということでよいでしょうか?
だとすると、回答者様は首相が文面を前年と同じにしなければ、そこに誠意を感じられたのでしょうか?
とても示唆に富んだ回答だと、思います。おそらく、今回の件に不満を述べる方の多くは、同じように思っておられるのではと推測しますが、私には、その考えが腑に落ちません。
これも、質問の本旨からは外れると思いますが正直、結構真剣に考えても、なぜ「冒涜」という強い言葉で非難されているのか分かりません。どのような過程を経て、そうなるのかも教えていただけると幸いです。
回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
去年の挨拶は、平和を祈る気持ち、原爆被害者に対する哀悼の気持ちなど最大限の気持ちを込めて書かれたのだとおもいますが、69回目を迎える記念式典の継続性の中で、1年で原爆被害に関して新たな情勢が出てきた訳でもないので、同じような文言でも別に問題だとは思えず、単なる言いがかりにしか聞こえません。
それと、長期政権になって同じ総理大臣が再び挨拶をすることが余程気にくわないのでしょうね。
回答ありがとうございます。
やはり言いがかりでしょうか。初見の印象として「カップめんの値段国会」を思い出したので、その言葉なっとくできます。
回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
あなたの言う通りです。
何十年もの間、毎年行われる平和と核廃絶を訴える演説が、そのたびに内容がころころ変わったらその方がおかしいです。こんな単純な話しを手を変え品を変ええできるわけがありません。誰が原稿を書いてもほとんど同じになるでしょう。これは従軍慰安婦で行き詰まった朝日新聞の、新手のアベ批判です。それも名前も顔も分からない「街の人」に言わせる。。朝日の常套手段、「街の声」です。従軍慰安婦と同じで、誰かの意見をさも朝日の意見のように誘導する。演説がおかしいというなら、朝日の意見としてきちんと社説かコラムで批判するべきです。懲りない新聞です。購読するのをやめましょう。こんな新聞を読んでいると、頭がおかしくなりますよ。
回答ありがとうございます。
>こんな単純な話しを手を変え品を変ええできるわけがありません。誰が原稿を書いてもほとんど同じになるでしょう。
には同感です。そりゃてにおはくらいは違ってもと思いますが、それでも問題が起こったりしますもんね。紋切り型の言い回しは陳腐かもしれませんが、今回はもう少し大目に見てあげようよとは思います。
ちなみに私が情報ソースとしているのは某中部圏の巨大地方紙です。まあ同じ穴の狢と言われれば、その通りですが、ソースの中では、原水協だか何だかの役員が、実名で反論していました。
そのへんは、もう少し見てあげないと、批判する側としても礼儀がないのかなぁとも思います。出来れば、相手の言い分も理解したうえで、反論が必要ならするという、スタンスを心がけていますので。
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
日本のみならず、世界的に紹介されるスピーチです。
同じ部分があってはだめでしょう。
「そこまで求めるのもお門違い」だとは思いません。
質問者さんは若くて、公的な場でのスピーチをした経験がないのかもしれませんが、
大人の世界ではまずだめでしょう。
私はおじさんです。いろんな場でスピーチをしてきましたが、
毎回必ず完全オリジナルです。
誰かに「それ、このあいだも使ったフレーズですね」と言われたらみっともないです。
まして首相ですからね。
もっともこれは首相の問題というよりはブレーンが馬鹿なのですけどね。
回答ありがとうございます。
当方すでに三十の坂を越えておりますので、若くは無いです。確かに大勢の前で話すのは、学生時代の生徒会スピーチや、会社の朝礼一分スピーチくらいで、経験が少ないのは事実ですが。
当方、オリジナルよりも過去事例に則り、誤解のない言い回しをするほうが好みです。特にお決まりの前置きでは。大人として失格でしょうか?
>もっともこれは首相の問題というよりはブレーンが馬鹿なのですけどね。
の部分には同意します。スタッフが知恵を絞れば、もう少し何とかなんとかなったかもなぁとは、考え直しつつあります。
しかし、読まれる場所の性格上、また内容からも、誤解を受けない表現が優先されるべきで、言い回しや構成など、一度問題なく使えた文面を、主軸に置いた起案も気持ちとして分かる気がします。ほんの少しの言い回しのニュアンスでも、盛大な誤解が発生しますから。そのリスクを避けたいと思う部分を非難は出来ないのではないでしょうか。
非難している人たちは、回答者様の仰るように「みっともない」と非難しておられるのかも、知りたくなりました。
回答ありがとうございました。
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