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「 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」

これは御存じ世に高名な細川ガラシャが、関ヶ原前夜に非業の死を遂げた際残したとされる辞世の句でありまして、潔さを愛する我が民族的特徴を捉えた名句であろうかと・・。

まあ個人的には石に噛り付き・多少の生き恥を晒してでも、生き延びたいとは思う一方で、長い歴史上に於いては或いは稀な例外も存在するのかも知れない。

例えば備前宰相・宇喜多秀家、思うに彼の生涯などはその典型でしょうか。

豊臣秀吉の猶子にして彼の養女(前田利家の娘)豪姫を妻に娶り、秀吉の愛情を独占し続けたのみならず、若くして中納言そして五大老の一角にまで上り詰めた絢爛たる来歴とその前半生は、世にも幸せな公達との印象。

ところが20代後半に於いて迎えた関ヶ原の敗戦でその運命は一変、その命こそ許されましたが八丈島に配流となり、世間からその存在を忘れられつつ苫を編む事で生計を立てて、80余歳の長寿を全うしたと言います。

無論個々の価値観の相違、そして何より当の本人委ねられるべき事柄であるとは考えますが、その辺りの庶民であればともかく、50年の長きに渡るその後半生を得られた事が、宇喜多秀家という元公達にとって果たして幸せであったのかどうか・・。

そこで貴方が考える 「 散り時を誤った人物 」 「 死に場所を間違えた人物 」 がおりましたら、御教示ください。

A 回答 (16件中1~10件)

こんにちは。



なるほどガラシャ夫人の「花も花なれ 人も人なれ」
仰るとうり名句でしょうね。
宇喜田秀家、まことに哀れを誘います・・・・
ただ私が救われますのはね、豪姫が島への援助を続けたこと。
秀家の心情いかばかりであったろうか・・・

散り時を誤った人物、これはまた沢山いそうです。
やはり日本人が浮かぶのは大野九郎兵衛を筆頭とした、
四十七士以外の浅野の家臣の面々でしょうか?
「武士道とは死ぬことと見つけたり」、別に「葉隠れ」を出すまでもない。
私はその最たるもののように思います。
彼らの後日譚として面白い話もありますが、
まあisokenさんとはまたお話することもありましょうし・・・

場所を誤った人物としては石川数正を・・・
まことに不思議です。
三河以来譜代筆頭の身でありながら、何故?
私が山岡壮八さんの「徳川家康」を読んだのは40年以上昔でしょうか?
まあ山岡さん家康を持ち上げてますから、山岡さんではこうなります。
本田作左ェ門は御存知でしょう、
例の「一筆啓上 おせん 泣かすな 馬肥やせ」のあの鬼作左の爺様!
その爺様と数正が暗黙の了解のもと別杯を交わして出奔したとしますが、
さすがにこれは無理でしょうね。
秀吉馬鹿ではない。
のちに秀吉の御前で井伊直政、数正を面罵したと史実にあるようですが、
山岡さんの解釈なら井伊直政、まことに千両役者です。
数正と一族の晩年まことに哀れです・・・。

さて、今日なぜお邪魔したかと言いますと、
私がお休みする最後の回答がisokenさんです。
変に気を回されることが、よもまさかisokenさんに限ってとも思いましたが、
言葉にしなければ分からないこともあります。

暑い日が続きます。
健康には十分気をつけられて、鈴虫がなく頃にでもまた・・・

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:32
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この回答へのお礼

turukamejirou さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>宇喜多秀家、まことに哀れを誘います・・・・

派手好きで家政嫌い、重箱の隅をつつけばそれはもう色々と難点はありましたが、関ヶ原に於いて石田三成が唯一損得勘定抜きで語る事が出来た武将であったろうと、何しろ豊臣家と命運を共にする事を義務付けられたお方でありましたから。

豊臣恩顧の多くの大名家が日和る中、故太閤の期待通り豊臣に忠誠を尽くし、関ヶ原で奮戦した数少ない子飼いであったかも知れません。

さてその後は御存じの通りでして、八丈での50余年彼は何を思い過ごした事であろうか、そんな事を考えますに、はて長命が幸せであったのかどうか・・。

>日本人が浮かぶのは大野九郎兵衛を筆頭とした、四十七士以外の浅野の家臣の面々でしょうか?

この方に関しても諸説ありまして、「 忠臣蔵 」 に対する捉え方が多面的となった昨今では、新たな大野九郎兵衛像が演じられたりしておりますが・・。
ただ仮に私が武士であったならば、他人様から後ろ指を指されぬ華々しい死に場所をこそ選びたい、そうは思います。

>場所を誤った人物としては石川数正を・・・

この人選はさすがですねぇ。
歴史を御存じなければこの名前はそうは出て来ない、私も正直記憶の彼方でした。

それにしても酒井忠次と並ぶ徳川家の重臣筆頭にありながら、突如の出奔・逐電(といってもいいでしょう)、秀吉としても徳川家に於ける親豊臣勢力としての期待をしていたに過ぎず、人材としての石川数正を欲しかった訳ではないでしょうから、戸惑った事と思われます。

>本田作左ェ門は御存知でしょう、

この本多作左衛門は強烈な三河気質にして通称「 鬼作左 」、決して主君に阿るだけではない斯様な忠臣こそが、家康をして天下を取らしめた最大の要因であった、そう考えます。

>変に気を回されることが、よもまさかisokenさんに限ってとも思いましたが、
言葉にしなければ分からないこともあります。

少しばかり唐突な御退会、実は少々気に掛かっておりました。
私と似た感性を御持ちでして、貴兄の辛口の御意見を聞けないのは少しばかり寂しい、加えて我が質問へのお得意様、そして何よりやくざ映画を語れる数少ない御同輩、早目のお帰りを御待ち申し上げております。

お礼日時:2014/08/18 20:25

はじめまして・・・



恐れ多いなか、いささかの勇気をもって参加させていただきます。

みなさんのご回答を楽しく拝見させていただきながらふと浮かびましのが、わたくしもNo.14さんと同じく、不本意ながら・・・そしてこの勇敢な散り時を日本人として忘れてはいけないという意味で

ご存知「ひめゆり学徒隊」です。

1945年、沖縄戦にて犠牲になった、決して散るべきでなかった麗しく美しい命。

あの尊き命の犠牲のおかげで、今の平和があるのですものね・・・

女性としてのたくさんの幸せが未来に用意されていたであろう、彼女たちの命。

賑やかでリゾートのイメージがある沖縄ですが、その背景には尊き命の犠牲があったことを忘れてはいけないと思います。

なお、ひめゆりのみならず、白梅、瑞泉、その他にも幾つか、そして実際には名前もあがらない学徒隊もあるとのこと。

ますますこの場をお借りして尊き命にクローズアップすべきかと思いあつかましく参加させていただきました。

ありがとうございました。
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この回答へのお礼

sofaa さん、はじめまして、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>ご存知「ひめゆり学徒隊」です。

まあ基地問題に関する沖縄県人の言動に関して、傍から色々と仰る方がおられる、ただ私個人としては、彼の地が我が国防衛上の盾となり、本土以上の苦しみを担った歴史は事実として正視せねばならない、そう考えます。

>女性としてのたくさんの幸せが未来に用意されていたであろう、彼女たちの命。

この一文は、胸にずしりと響きます。
戦後の豊かさは、こういった方々の犠牲の上に成り立っている、それを忘れては罰が当たることでしょう。

>この場をお借りして尊き命にクローズアップすべきかと思いあつかましく参加させていただきました。

なんの、貴重な御意見を賜り、ただただ感謝するばかりです。

お礼日時:2014/08/21 22:29

--- 散り時を誤った人物---


・学者さんで・・・、(敬称略)
# 谷山豊(自殺)、岡村博(病死) (お二方共に数学者!)・・!


--- 死に場所を間違えた人物---
何れも守備隊を指揮する立場にあった方のため、"死に場所を間違えた"・・と言うのは故人に対し失礼極まりないかとも感じたのだが、(個人的には!)後年まで生きていて欲しかったと思った方々・・!
・前線に赴かれた軍人で(一応パッと思いついた方々で・・!?)・・・、(敬称略)
# 栗林忠道(硫黄島にて自刃戦死)
# 中川州男(ペリリュー島にて自刃戦死)
・日本人医師として責務を全うされた方で願わくば本土に戻ってきて欲しかったと思った方・・!(敬称略)
# 肥沼信次(ドイツ リーツェンにて病死)

・・・辺り!!
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この回答へのお礼

Ae610 さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>--- 散り時を誤った人物---
># 谷山豊(自殺)、岡村博(病死) (お二方共に数学者!)・・!

御両名の事は存じ上げませんでしたが、双方共に高名な学者さんであられたとか・・。
早速調べましたところ、こと谷山さんに関しては、御本人の心の内側はともかく、客観的には自殺する理由が見当たらない気がします。

># 栗林忠道(硫黄島にて自刃戦死)
># 中川州男(ペリリュー島にて自刃戦死)

そもそも当時の軍部は行き過ぎた精神主義が蔓延り、戦争に最も不可欠と思われる合理主義の欠如が甚だしい、そういう意味に於いて、御両名共に敗戦後の我が国に最も必要な人材であったのかも知れません。

お礼日時:2014/08/21 22:11

こんばんは。

おじゃまします。lin(_ _)imo

ご質問の主旨とは明らかに違う回答内容ですので、お読みいただきましたら、誠にお手数をかけて恐縮ですが、運営側に、回答ではない旨「削除願い」をお出し下されば幸いです。(削除依頼は、くれぐれも質問者様ご本人より行われることを切に希望します。)

> 「 散り時を誤った人物 」 「 死に場所を間違えた人物 」

歴史上の人物を挙げることは、敢えてしません。「不本意にして命を落とした人々全て」と、しておきます。

たとえば2度の原爆投下、そして迎えた終戦・・・
もうじき、あの日を迎えます・・・

敵地でお国のために戦って命を落とした兵士たち、片道の燃料だけを積んで敵艦隊に向かっていった特攻兵・・・
もちろん、日本国内で戦争に巻き込まれた数多くの人々・・・

話はそれますが、今回の台風も含めて、これまでの数多くの災害で命を落とされたかたがたも、その範疇に入るのでしょうか・・・

3年前の震災で命を落とされたかたがた、いまだ、あの原発事故のおかげで故郷へ帰ることができずに亡くなられたかたがたの無念さは想像に難くありません。

数々の交通事故に伴う被害者(死亡)も・・・

他にも沢山の場面で不本意にして命を落とされたかたがたはいらっしゃいますが、キリがありませんので、この辺で・・・

酔った勢いでの書き込みにつき、質問者様をはじめ、この駄文をご覧になった皆様にご不快感をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げる次第であります。大変申しわけありませんでした。どうか、質問者様ご本人に一読していただいた後に、運営に「回答ではない」旨、通報していただければ幸いに存じます。

おじゃましました。lin(_ _)imo
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この回答へのお礼

linimo さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>たとえば2度の原爆投下、そして迎えた終戦・・・
>もうじき、あの日を迎えます・・・

つい先日、今年も何度目かの 8.15 を迎えました。
悲惨な戦争を身を以って体験された先人達が次々と鬼籍に入られ、且つ風化しつつある敗戦の記憶に比例して、年々特別の日である事の意義が薄れて行く気がします。

個人的には先の戦争に対して申し上げたい事が山ほどありますが、linimo さんが仰りたい事は、戦争に限らず何等かの理由に依り、寿命を全うできなかった方々全てに関して・・、そういう事であろうかと理解する次第。

この世の中には自ら(或いは他人)の命を粗末に扱う方がいる一方で、必死で生きる事を切望しながらもあの世へと旅立つ方々もおられる、まあ殆どの方々はそれは無念であられたろうと・・。

尚御回答頂いた内容は、私が提示した質問の趣旨から外れている訳ではない、依って削除など思いも寄りません。

お礼日時:2014/08/21 21:56

こんにちは。




そうですね、時空を無視して、あちこちへ飛びながら、少しお話ししてみようかと。



アルベルト・フジモリ

あのペルー日本大使館人質事件の際の、陣頭指揮。胸のポケットに手榴弾を付けて(ポーズとは思いますが)のあの姿が思い浮かびます。とにもかくにもペルー兵4名の犠牲を出しながらの奪還。
ところがその後かなり経って、ペルーを追われ日本で事実上の亡命生活。ビジネスホテルチエーンのオーナーである女性(支援者それとも恋人?)の元を離れ、無謀にも帰国、収監。今でも獄舎に、それとも仮釈放された?。
まだ獄中だとは思いますが、詳しくは知りません。
止むにやまれぬ権力への渇望があったのでしょうが・・・・何故帰国したのか。
日本に居続けたなら(彼は日本国籍も保有しているので)今頃ひょっとして、総理補佐官アルベルト・フジモリまたはフジモリ参議院議員が誕生していたかも?
真夏の夜の夢でした。


スカルノ

外遊先の東京で、19歳だという美貌のクラブホステス(根本さんという名字でしたね)に出会ったのですが、それ以来運気が落ちて行ったような気がします。最後は軟禁状態のままあの様な死を遂げるとは。建国の英雄にふさわしくない最後でした。権力を維持し続けるのが如何に難しい事なのか。


陳水扁  

あれだけの人気と、リベラルな方向性を持ち続けた台湾総統だったのですが。
現在収監中で量刑は無期。在任中の収賄と、スイスの銀行が絡んだマネーロンダリングが取り沙汰されています。真相はどうなのでしょうね。権力を維持するには巨額なお金を必要とする。これは世の常でしょうが、明るいパーソナリティの人だっただけに、残念です。


ゴルバチョフ

何年か前に、ルイヴィトンのCMに出たのは驚きであり失望もしました。何もあれほどの人がコマーシャルボーイならぬコマーシャルおじいに堕ちなくても・・・。
でもちょっとまてよ、億単位のお金が懐に入ったろうから。彼も老後の備えがたいへんだろうから(笑)
ルイヴィトンのコート・ハット・バッグで決めベンツの後部座席に座る彼はやはり大物でした。
旧ソ連書記長がコマーシャルおじい、世の中変りましたね。


ノ・ムヒョン

商業高校を出て、苦労して弁護士となり、遂には大統領に。応援したくなる人だったけれど。
陳さんの場合と同じく収賄の疑いでの公判等を苦にしての飛び降り自殺。真相はやはり藪の中です。
明るい人柄で新時代を予感させる人だったのですが。


カダフィ大佐

普通の終わり方は出来ないかも、という予感はありましけれど・・・



日本に話を移します。

亀井静香

何故かあの人憎めない。そんな個性の持ち主です。東大時代に、キャバレーのウエイター等をやって生活費を稼ぎ苦労したんですってね。その写真も見ましたが、あの顔でお酒運んで来られても(笑)店内が暗いからまあいいか。
この頃影が薄いですね。心配です。

小沢一郎

あと一歩で総理になる機会はあったのだけれど。
嫌われてもいますが、憎めない個性だと思います。復権はあるのでしょうか。


誰にとっても人生の舵取りはとにかく難しい。


オオイソケンタさんの人生は順調に進展しているようにお見受けします。因みに当方は人生最初から誤算続き、いまだに性懲りもなく間違い続けています。
まあ、それも人生、これも人生ですよ・・・・・・・

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:33
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この回答へのお礼

sqqrcxvx さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

沢山挙げて頂いた誰も彼も、正直興味深い人物ばかりですが、その中の幾人かを抜粋し、且つつい長文となる悪癖を考えごく手短に・・。

>アルベルト・フジモリ

和を尊び・争いを好まないと揶揄される戦後日本人も、生まれた場所さえ違えばこうなっちゃうという見本例、つまり人間とは親から受け継いだ血よりも、取り巻く環境に左右される動物である事を証明した代表的な人物でしょうか。

何しろこの種の強権主義者は現在の日本には殆ど見られない、仮にいたとしてもそれを受け入れる土壌がありませんから。

>スカルノ

入行して3~4年目だったでしょうかねぇ、深田祐介氏著「 神鷲(ガルーダ)商人 」を読んだのは・・。
それからはもうインドネシア & スカルノさんに関する著書を、夢中になって読み漁りましたが、そうこうするうちにスマトラ島対岸のシンガポールへ赴任と相成り、その後何度彼の地を訪れたか分からないほどです。

・・とまあ余計な事はさて置き、スカルノを襲った悲劇は、彼の権力基盤が国民的人気という、発展途上国に於いては余りに脆弱な物であった点に尽きるものと・・。

その為当時インドネシアの2大勢力であった国軍と共産党、相反する両者のバランサーとして政権運営を行っていたが、恐らくはアメリカに対する牽制から共産党への傾斜を強めたその瞬間、国軍に足をすくわれてああいった形での 9.30 クーデターになったものと思われます。

>カダフィ大佐

熱き志に燃えた若き青年将校も、権力にある時間が長いとこうなってしまうとのまさに典型例でして、その最期も誠に彼らしいの一言でした。

但しかつて世界一の腐敗と形容された、イドリス政権を打倒した意義は確かに小さくはない、北アフリカ一と言われた生活水準の高さの幾許かは、カダフィ大佐が石油利権の一部を王族・大メジャー・インディペンデントから取戻し、国民に還元した結果であるのでしょうから。

>小沢一郎

彼には少なくとも2度ばかり、総理になるチャンスがありました。
一度目は海部政権が政治改革問題でずっこけた直後、次いで前々回の総選挙の直前・民主党代表の席にあった際の事です。

前者は当時の自民党のドン・金丸の信さんから総理になるよう強引にかき口説かれましたが、彼はこの時首を縦に振らなかった、恐らく若くして総理になる事で妬心の袋叩きに遭い、政治生命の危機に陥る愚を避けたのでしょう。

後者は鳩ちゃんの例でも分かる通り、当時の民主党は例え猿が代表でも圧勝出来得る環境下にありましたが、陸山会騒動でジ・エンド。

小沢氏としては、恐らく総理などいつでもなれると思っていた事でしょう、ところが本気で総理の椅子を狙ったラスト・チャンスに大きな落とし穴が隠されていた訳で、運命とは皮肉なものです。

思えば竹下内閣に於いて、敢えて格落ちの内閣官房副長官を受任し、単身ワシントンに乗り込んで、暗礁に乗り上げていた日米貿易摩擦を一刀両断の下解決に導いた度胸と腕力は素晴らしかった、かつての小沢ファンの一人として敢えて申し上げる、もう潮時でしょう。

最後になりますが、オオイソケンタの人生も、実はさほど順調なものでも・たいしたものでもありませんでした。
何しろ生まれてこの方努力ほど嫌いなものは無く、いつも楽したい・怠けたい、そんな事ばかり考えて馬齢を重ねて参りましたが、ただ運だけは人一倍良かったのかも知れない。

一方40代を越えた辺りから「 運で生き抜いてこそ人生の醍醐味 」、そんな横着な事を真剣に考え始めまして、何やら憑き物が落ちた気がしまして、私は私らしく死ぬまで棚ボタと一発狙いに徹するつもりです。

>まあ、それも人生、これも人生ですよ・・・・・・・

仰る通りでして、反省はともかく後悔は何も生み出しません、「 いいじゃないの幸せならば 」、そう申し上げておきましょう。

お礼日時:2014/08/21 19:55

長老のあとだと、出づらいですが・・・




スポーツマンは一流選手なら引退試合がある。
もちろん入来祐作みたいな用具係をしながらも世話になった野球に恩返ししたいという姿勢も泣かせる。

一般に年齢制限がない職能の一つが、落語家と建築家。
建築家もあるところで一線を退いて評論家になるべきと思うのに、たまたまアルバー・アアルト、ルイスカーン、コルビジェのような死ぬまで名作を作り続けた建築家がいると、俺もそうだろうとヘンな頑張りを見せて老境で大変な駄作や問題作を残す人がいる。

ここでやめておけば、世界の〇〇として名を残したはずなのに。
その典型が丹下健三先生。
もっとも晩年は丹下事務所がほとんどの作業をこなしていたようだが、
毀誉褒貶著しい東京都庁舎1991年を作らなければ20世紀の巨匠としてより名を残したはず。

代々木の屋内競技場、東京カテドラルだけですばらしい傑作なのだから。
意味のないゴシックまがいの金悔い虫(東京都庁舎)は必要ない。

その点その後継者を持って任ずる黒川紀章は、構想力では丹下の二回りも小者の建築家だが選挙などにでている間に病に倒れ急死する。
理屈だけで構想力のない建築家としては無駄のない散り際といったら遺族に失礼だろうか。

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:32
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この回答へのお礼

exhivisionist さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>その典型が丹下健三先生。

私は建築関係の造詣がゼロの人間ですから、ずらりと並んだどの BIG NAME も存じませんが、さすがにこの方は知っておりました。
まあ評論出来るほどの知識は当然ないのですが、素人目から見ましても、御指摘の通りあの東京都庁舎が品のいい建築物であるとはとても思えないですね~。

>理屈だけで構想力のない建築家としては無駄のない散り際といったら遺族に失礼だろうか。

結構ビッグ・マウスな人物であったとの印象でして、驚いたのは彼が吹いた資産額。
巷間何百億円とも推測されておりましたが、結局判明した遺産は10億円程度に過ぎず、はて節税対策の効果が絶大であったのか否か、まあ今となってはどうでもいい事ですが。

お礼日時:2014/08/18 20:48

松永久秀ですかね…


信長と対立→和睦して家臣に→離反して自害

東大寺大仏殿を焼き剣豪足利義輝を誅刹した稀代の謀将ですが
散り際を間違いました…

彼は国宝級の宝「平蜘蛛茶釜」に火薬を詰めて息子の久通とともに爆死して汚名を残しました

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:31
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この回答へのお礼

azuki さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>松永久秀ですかね…

世に高名な松永弾正久秀ですが、私はいい時期にこの世を去った、そう考えます。
殊に「平蜘蛛茶釜」と助命を引き換えにという信長の申し出をきっぱり拒否し、釜と共に爆死した或る種の潔さには悪党なりの爽快感がある。

それよりも何よりも、以後天下統一へと向かうその道すがら、彼の居場所は恐らく無かったでしょうから。

お礼日時:2014/08/17 19:26

★ヒロ〇ト様




松笠元帥に生かされて、散ることができませんでした。


身代わりに、ひできさんがなり…

昭和が63年も続いてしまった。


【桜の国の象徴】らしくない散り方です。



★イチローに注目しています。


どのように散るのか…


せめて国民栄誉賞は、辞退したままで散ってほしいです。

賞など要らないくらい、現役生活を楽しんだのだから。


もし、彼が辞退して…
彼を表彰する分のお金を、被災地にまわしてほしいと語ったら…

英雄として、永く後世に語り継がれることでしょう。

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:31
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この回答へのお礼

hyakkinman さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>★ヒロ〇ト様

昭和天皇に関しては、各々の立ち位置・信条に依り、それはもう色々とあるでしょう。
私個人は hyakkinman さんとは少々異なりまして、数奇な運命に翻弄された波乱万丈のその御生涯を、御気の毒に感じておりました。
まあ本件に関しては深く掘り下げる事もないでしょう、・・という事で御勘弁を。

>★イチローに注目しています。

驚異的な運動能力・動体視力を誇ったイチローほどの大選手も、やはり寄る年波には勝てないものなのか、衰えが目立つ昨今ではあります。

引退へのカウント・ダウンもそう遠い事ではないのでしょうが、功成り名を遂げ・一スポーツ選手の枠を超えた実績と名声は、いつまでも色褪せる事はなく、当然国民栄誉賞の有資格者ですが、全ては御本人の意志次第だと考えます。

お礼日時:2014/08/17 19:11

フランス印象派画家のモネ。


最盛期は睡蓮の連作などで高く評価され名声を得て、当時の画家としては珍しく経済的にも成功を収めましたが、晩年は白内障を患い、視力が低下しながら描いた絵は、粗暴で色彩も品性が無くなり、私的には残念に思います。。モネのジベルニーの邸宅を訪れた時は、壁一面に飾られた、広重や北斎の浮世絵を見て、初めて日本人としての誇りを覚えましたので。。私の憧れのフランスの画家が、実は日本に憧れ日本にインスパイアされていたなんて。。と。文豪でも筆を折る引き際があるのと同様、才能が枯渇してからもいつまでもい続けるのはせっかくの過去の功績にも影を落としかねないと思います。とは言え、目の悪い人の落書き同然の作品も、『晩年は抽象派に変貌』なんて評されるのも、巨匠の役得ですね。。

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:30
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haiji さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>フランス印象派画家のモネ。

それにしても haiji さんは、絵画にも造詣が深いですね~、感心します。
私なんぞ、その辺りの子供とピカソの作品のどちらがどちらと問われても、恐らく答えられないレベル。

>才能が枯渇してからもいつまでもい続けるのはせっかくの過去の功績にも影を落としかねないと思います。

仰る通りだと思います、その種の方は少なからずおられるようですが・・。

お礼日時:2014/08/17 09:31

数学者ガロア。

なにも決闘で若い身空を空しゅうしなくても良かったのになと思う。

この回答への補足

誠に勝手ながら少しばかり所用が出来まして、お礼は今週末となる事、御許し頂きたいと存じます。

補足日時:2014/08/11 22:30
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Fewhellton さん、回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、誠に申し訳ありません。

>数学者ガロア

その名を存じませんでしたので、早速ググってみました。
生前には認められなかったその才能という点で、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに通じるものがあるのでしょうか。

それにしても20歳での早世とは、人生を生き急いだ才子との印象です。

お礼日時:2014/08/17 09:23

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