プロが教えるわが家の防犯対策術!

本能寺の変の時、織田信長の嫡男信忠が居たのは妙覚寺ですか?
それとも二条城(二条御所)ですか?
資料によって分かれていてどちらが正しいのかと思います

A 回答 (5件)

信忠が宿所にしていたのは妙覚寺です


妙覚寺は京での宿所として信長も元亀三年(1572年)から利用しています

信忠が光秀により信長を襲撃されたことを聞き、合流しようとしたが
村井貞勝から光秀軍が大軍であることを聞いて
貞勝から単なる宿所である妙覚寺より多少なりとも防御用設備がある(二重堀、石垣)二条御所に移るよう進言を受けて移動しました
しかし防御に重要な武器である鉄砲は勿論、他の武具も殆んどありませんでした
信忠はそれにも関わらず奮戦しました

二条御所は信長が足利義昭を奉じ上洛した永禄十一年(1568年)の翌年に義昭が三好三人衆に襲われたため
ある程度防御設備を整えた【御所】として信長が義昭のため、造営したものです

あくまで【御所】ですので当然ながら通常の平城よりは防御力は劣ります
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/08/23 16:02

本能寺の変の時、織田信忠の宿泊所は、妙覚寺、ですね。



最も信用できる『信長公記』に、そう書かれています。

信忠は、本能寺の父への襲撃を聞いて、妙覚寺から出戦しようとしましたが、「本能寺炎上」の報を受けて、防御仕様の二条御所に移動、防戦しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/23 16:02

反対でしたね。


妙覚寺に泊まっていた信忠は朝本能寺の変を知り
戦う準備をしたところ、村井定勝が来て、二条城の方が
籠もりやすいと言い、移りました。
城の御所にいた親王達は退去し、逃げようとの意見には
信忠は逃げ切れないだろう。
雑兵の手にかかるよりここで切腹しよう、といって戦い
切腹したとあります。

こちらが正しいようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/23 16:02

宿所は妙覚寺で、それから二条城に立てこもりました。


なぜ二条城に行ったのかは謎。冷静に判断すれば、京からの脱出だと思うのですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうごさいます

お礼日時:2014/08/23 16:02

信忠は二条城にいましたが、御所で合戦するのは


恐れ多いと考え、妙覚寺に移り光秀勢と防戦したと
聞きましたが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/08/23 16:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!