アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

売国左派連中がいうアジア解放の解釈で、
取りざたされる旧日本軍の戦略でアジア諸国は、
植民地化されたと言い張る。
現在の日本に置いてはアジアを侵略したとの
認識が大勢を占めている。
が、国民をマインドコントロール下に置いている、
特定アジア3ヵ国以外のアジア諸国では、先人の
日本人への慈しみの心で満たされている。

そこで質問、
超親日国との呼び名の高いベトナム・ビルマ・フィリピン・
インドネシア・ラオス・カンボジアシンガポール・マレーシアなど
は、欧米列強から解放してくれた日本を愛さずには居られない
らしいが、大なり小なり名称は違えど、戦後賠償を日本から受
けている。
彼らの戦前の日本への本当の意識は?
欧米からの賠償は一切なく日本だけからの賠償をどのように
考えているのでしょうか?

また、日本は今後、アジア解放の解釈を戦略的事実から結果的事実に変えるべき?


戦略的事実とは、左派連中がいう植民地を指す。
結果的事実とは、当初のシーレーン確保の為に
行ったにせよ、結果的にアジア解放に繋がった事を指す。

A 回答 (6件)

個々の出典も記さずにズラズラとコピペできる神経を疑うわ。

おもに名越二荒之助(なごし ふたらのすけ)の著書からの孫引きと分かった。しかし、二荒之助といえばデマ拡散家として悪名高い。パラオ国旗とか、東郷ビールとか、アインシュタインの予言とか。
それでも、マレーシアのマハティール首相(任期1981-2003年)の発言は、名越の本ではないようだ。マハティール首相は超大物である。検索してみたところ、黄文雄の『罠に嵌った日本史―日本は再び米中二大覇権国家の餌食になるのか!?』に、そっくり同じものが載っているそうだ。
黄文雄は、マハティールが1992年10月14日香港で、「欧州・東アジア経済フォーラム」において発言したと書いている。このフォーラムは、有名な「世界経済フォーラム」の系統らしい。首相在任中の発言ということになる。
そこで、マレーシア首相府の公式サイトを見ると、下記URLに全文が載っていた。

http://www.pmo.gov.my/ucapan/?m=p&p=mahathir&id= …

しかし、「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」なんてくだりは見当たらない。黄文雄の捏造だろう。
毎度のことながらネトウヨサイトのクオリティには恐れ入るしかないようだ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コピペなら、あんたも目くそ鼻くそだろ!?
数々の著書を用いて、さも持論をくっちゃべって
頂いているが、結局のところ、行きつく先は
いつも『ネトウヨ』の四文字浅語で終いでんな~

>毎度のことながらネトウヨサイトのクオリティには恐れ入るしかないようだ。
≫毎度のことながらブサヨのクオリティには恐れ入るしかないようだ。

と成るのを警戒しての質問だったのだが無意味だったようだw

済まない締め切るわ!!

お礼日時:2014/08/24 21:39

国によって様々ですが、戦時中は内心では欧米からアジアを解放するために戦ってくれている日本を応援し、感謝していたようです。

しかし戦局が危うくなると連合国に寝返る国が出てきました。そうすれば独立させてやるし、日本から賠償金も取ってやる、と鼻薬を嗅がされたのです。

欧米の植民地政策は白人優位主義の人種差別意識が根底にあります。植民地に攻め込む時、現地の女性を強姦し、白人との混血児を産ませます。白人の血が混ざっていれば準白人として、生粋の現地人よりも優位に立たせます。準白人には教育を施し、本国に留学させて、指導的立場に立たせます。貧富の差ができると現地人との内紛が始まります。敵意は欧米に向かずに、国内の同胞に向かうので、独立などできないという図式です。
    • good
    • 0

No.1です。



>質問文に記載しているように名称は、どうであれ戦後賠償をアジア諸国は受け取っている。旧日本軍の思惑がどうだこうだと言ったところで、当時のアジア諸国は日本からの銭を受け取っているのだから(タイ以外)受け取ったその国の政権は、アメリカの影響が有ったにせよアジア解放という認識よりも侵略の定義を取ったのは間違いない。

あなたは「日本は今後、アジア解放の解釈を戦略的事実から結果的事実に変えるべき?」と質問なさっているではないですか。だからそう答えたまでです。何がご不満ですか。

「どのように考えているか」って、単にもらい得と思っているだけです。日本は賠償は行いましたが、求められてではありません。自主的に行ったのです。古今東西、求められないのに戦時賠償したお人好しの国はありません。日本だけです。世界の珍事です。もらった方は有りがたいからもらっただけです。侵略がどうのと、余計なことは考えていません。金をくれるのに、要らないという国はありません。ただそれだけのことです。あなたはどうも自意識過剰に過ぎますね。世界は日本のことなどどうでもいいのです。金をくれればそれでいいのです。そうではない国がたった一つ隣にありますが、例外です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こういった質問を国内でのサイトで定義すること自体
間違いなのかも知れないが、
質問は、
そこで質問、
超親日国との呼び名の高いベトナム・ビルマ・フィリピン・
インドネシア・ラオス・カンボジアシンガポール・マレーシアなど
は、欧米列強から解放してくれた日本を愛さずには居られない
らしいが、大なり小なり名称は違えど、戦後賠償を日本から受
けている。
彼らの戦前の日本への本当の意識は?
欧米からの賠償は一切なく日本だけからの賠償をどのように
考えているのでしょうか?

また、日本は今後、アジア解放の解釈を戦略的事実から結果的事実に変えるべき?

と、言う事です、ご理解ください。
自虐史観ではない。事実有った事を踏まえての質問です。

日本が正義だったとの一辺倒だと『ネトウヨ』呼ばわりされれ終わりかな~と思わざる負えない。

日本が自ら進んで戦後賠償を行ったことへの不満があるなら、返せよ!という意見をなぜ言わない?

お礼日時:2014/08/24 19:51

アジアの政治指導者の言葉



マハティール・ビン・モハマド(マレーシア第4代首相)
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配
と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。

アブドル・ハリス・ナシオン(インドネシア・元国防軍参謀総長)
独立できた要素の第一は日本軍が植民地政治体制を粉砕したからです。
第二は日本軍の猛烈な軍事訓練です。日本軍は大変立派なことを
してくれました。日本は歴史に残ることをしてくれました。
誰も変えることのできない真実です。

ククリット・プラモード(タイ元首相)
日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは
難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話が出来るのは誰のおかげ
であるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった
ためである。

バー・モウ(ビルマ元首相)
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日
に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政
府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」

パンデイット夫人(インド・元国連総会議長)
「日本を貶めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで
太平洋戦争がもたらした アジアの民族主義への影響をことさら無視し続け、
あるいは過小評価してきました。」

ラジャー・ダト・ノトチック(マレーシア上院議員)
(「日本軍のマレー人虐殺を調べに来た」という日本人教師のことにふれて)
「日本軍はマレー人を一人も殺していません」私は答えてやりました。
どうしてこのように今の日本人は父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようと
しないで悪いことばかりしていたように先入観を持つようになったのでしょう。

以上、参考URLより引用 多いので全文は引用できません。

アジア10 ヶ国の親日度調査では韓国・中国を除く全ての国は、85%以上
が日本を「大好き」ないし「好き」と回答。
中国でも過半数以上が「大好き」「好き」という結果。韓国には過半数以上
から嫌われているという結果に。
アウンコンサルティング株式会社 調べ(2012年11月)

ASEAN諸国の日本に対する意識調査
最も信頼できる国…日本33%アメリカ16%英国6%

重要なパートナー …現在:日本65%中国48%アメリカ47%
将来:日本60%中国43%アメリカ40%(外務省 2014年3月31日)

日本は昭和26年のサンフランシスコ条約において、米、英、仏、
オーストラリアなど45カ国との間で平和条約を締結した。
ここでは連合国の請求権について次のように規定されている。

連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中
に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及び
その国民の他の請求権・・・を放棄する。

この代償として、わが国は海外で保有していた在外資産をす
べて放棄した。たとえば、満洲、朝鮮の鉄道、工場から、はて
は中国大陸やアメリカで、日本の企業や個人の保有していた建
物、設備、預金など、すべてがそれぞれの国に没収された。
その総額は終戦直後の日銀の大まかな試算では、1,111億ドル
とされている。1ドル10円換算で、1兆1千億円。現在価値では、
その数十倍にあたろう。

さらに中華民国、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど、アジア
各国に対し、一国ごとに日本は賠償を支払い、相手国は請求権を
放棄するという形で、正式な協定をもって解決してきた。
現在、この処理が終わっていないのは、北朝鮮だけである。

たとえば、昭和31年に結ばれたフィリピンとの賠償協定では、
賠償・借款あわせて2880億円を20年分割で支払うこととなった。
この年の政府予算9900億円の3割近い規模である。
すべての国との賠償が完了したのが、昭和52年。支払い開始か
ら23年後であった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jo …より
引用

このようなアジア諸国の評価は大変にあり難いものです。
しかし、まるで最初から日本軍が意図したかのように南進政策を
誇るのは愚の骨頂です。
私は保守ですが国粋主義でも民族主義でもないので、日中戦争
から太平洋戦争に到る日本の戦いはとても聖戦とは言い難い。

確かにアジアは日本以外の国は列強の植民地であり、
戦後は各国が独立した経緯はあったとしても、それを戦前の日本
軍の功績だとドヤ顔してはいけない。 
勿論、日本軍がアジア諸国を蹂躙したと自虐的になるのもおかしい。

泥沼の日中戦争を打開したいドイツの電撃戦によりオランダ・フラン
スが降伏し、イギリスも危機に瀕していたため、各国の植民地で
ある東南アジアを自己の勢力を組み込み危機的状況のために泥縄
式に決められて武力南進をしたに過ぎない。

最初の狙いはフランス領インドシナで、中国国民政府(蒋介石政権)
を支援する英米のの「援蒋仏印ルート」遮断が目的。
日本軍はフランスとの合意に基づき1940年9月この地に進駐。
1940年(昭和15年)7月19日の荻窪会談で、盟主である英国が不在
の東南アジア植民地に向かう南進論の方針が確認され、戦争相手
は英国のみに極限するが、対米戦も準備する必要があるとされた。
大東亜共栄圏という用語は、この後の8月1日になって初めて出てき
た言葉です。
付け焼刃というのはまさにこの事でしょう。

翌年7月、南部仏印への進駐を実行すると、アメリカ合衆国は在米
日本資産を凍結、石油の全面禁輸に踏み切るが日本政府にとって
予想外のもので日米関係は悪化、最終的に対米戦争に突入する
原因となったと言いますが、日本の見込みの甘さはアホ過ぎ。
アメリカは対ドイツ参戦のために三国同盟を結ぶ日本による武力行使
を望んでいたのに罠にやすやすと乗ってしまった。
日本は石油の6割以上をアメリカから輸入していたため、アメリカなし
ではそもそも日中戦争の遂行は不可能な状況だったのに。

私は日本の戦争責任という言葉は少なくとも日本人にとっては論点
の誤魔化しだと思います。
もちろん極東軍事裁判は戦勝国の一方的なものでしたが、政治家と軍
部首脳だけを断罪したもので、本来あるべきはずの敗戦の責はどこに
あるのか、誰にあるのかという肝心の部分が抜け落ち、戦犯だけに
戦争責任の全てを押し付けて、後の者は圧制の被害者面をして現在に
到るのです。

戦争とは国家による外交問題、内政問題の武力解決であり、政治の一
手段であり、世界中で交戦権を持たぬ国家など他に存在していません。
また戦争が何も最も悲惨で最も死傷者の多いものではありません。
世界中で過去から現在まで、最も人間の命を奪っているのは飢餓であり
貧困なのです。 飢餓や貧困は容易く政権も治安も人権も崩壊します。
略奪や暴動、疫病の蔓延は日常茶飯事となり弱い者から死んでいくこ
になります。

>また、日本は今後、アジア解放の解釈を戦略的事実から結果的事実に
>変えるべき?

私は自虐史観も皇国史観もともに好きではありません。
何故なら、どちらも客観的根拠に乏しいことに変わりがないからです。
マルクス主義的な唯物史観は似非科学的だけにもっと性質が悪い。
歴史など実際に起きた事実だけを伝えて、各々の判断に任せたほうが
良いのではと思います。

現在の教師の言葉などに影響を受ける生徒などいるのでしょうか。
少なくとも自虐史観を全面的に吹き込まれた私達の世代でさえ、だから
どうだってんだ、昔の話だろと歯牙にもかけませんでしたから。
さらに最悪の革新京都府だったため同和教育なるものを頻繁に行った
ために逆に知らなかったものに差別を植え付けたように思います。
それは教師に対しる反抗心が根にあったせいで、同和教育の押し付け
に対しての反発心の発露です。

年間に何時間の同和教育が実施すれば生徒はここまで理解するという
目論見は完全に逆効果だったのですが、当時の教育者はそこに気づい
ていないかも知れませんが。

さて戦前の日本の完全否定か、悲壮な戦いを美化した肯定かの極端な
考えのものしか余り語られないようです。
それ故に、左翼は自虐史観に捉われて普通の国になることを拒み、保守
より右のものは旧帝国の必然性と功績の面にしか目を向けない。

未曽有の悲劇を生み出した戦争責任(主に敗戦に対する責任)に対して
主権者である国民の追及や糾弾がなかった為に、政治家と軍人個人だけ
に戦争責任を押し付けてきましたが、国力の差を考えず米国との戦争
を煽り、世論を先導した責任を追及しなかったがために朝日新聞などの
デマゴークを許し今日のマスメディアの独善的体質がそのまま残ったのだ
と私は思います。 

参考URL:http://www1.ocn.ne.jp/~terakoya/ajia.html
    • good
    • 0

台湾や東南アジアでも日本軍の評判は悪かった。

台湾を平定する際、日本は毒ガスまで使っている。
しかし、ネットではネトウヨのたぐいが跳梁跋扈して、あまたの珍説を拡散している。例えば、彼らは「朝鮮は植民地ではなかった」というのだが、一般に大学などでは朝鮮を日本の植民地として歴史の講義を行う。ネトウヨでも大学くらいは出ていると思うのだが。「朝鮮 植民地 site:ac.jp」でGoogle検索してみられたい。まあネトウヨ並みの珍説を唱えてマスコミ受けしているような先生も、いないことはないだろうけど。
この基本知識があれば、次に「植民地化するとき、列強はどんな手口を使ったか」という知識が役立つ。よくあるパターンが、相手国の内紛に付け込むという狡猾な手口だ。例えば「閔妃暗殺」(1895年)もその要素があった。ただし、閔妃の政敵だった大院君は実権を失って久しく、当時は日本勢力に担がれた状態だったから、暗殺の主導者も日本勢力だろうと考えられるのである。
次に、「植民地化の過程では、往々にして現地派遣者が先走る」こともよく知られたパターンだ。例えばスペインのコンキスタドールとエンコミエンダ制、あるいはイギリスのセシル・ローズ。ここで現地派遣者とは、もともとは本国政府から正式に派遣された者ではなかったり、侵略についても本国政府の正式な指示によるものではなかったりした。それでも、結果的に植民地化が進展すれば、現地の先走りも既成事実として本国から追認されるのだった。ただし、あまり度が過ぎると追認されないこともあったが。
三浦梧楼の場合は特命全権公使として派遣されたのだから、閔妃暗殺も日本政府の密命の下に行われたと見る向きもあるが、まあよくあるパターンとしては現地派遣者の先走りだろう。このように、ネトウヨ歴史学は問題外として退けた上で、基本的な歴史知識を働かせるならば、この暗殺も特別に奇怪な事件ではないかもしれない。

さて、大日本帝国が唱えた「大東亜共栄圏」は禍々(まがまが)しいプロパガンダだったが、戦後のアジア各国独立の契機にもなった。とは言え、「日本が独立させてやったのだ」などと恩に着せると、ネトウヨに転落する。
なぜなら、「戦後の世界はアメリカ中心に回っている」という現実認識を欠いて、戦前戦中並みの妄想に耽っているからだ。例えばインドネシア独立を概観しよう。
1945年に日本が降伏して第二次世界大戦が終わると、インドネシアは独立を宣言した。しかし、宗主国のオランダが戻ってきて、インドネシアと戦争になった(独立戦争)。泥沼化するとも思われたが、アメリカがオランダに「戦争を続けるなら援助を止めるぞ」と言い渡した。
第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパ諸国は、戦後、アメリカから莫大な援助を受けていたのである。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアと戦うのをやめた。

これこそ、インドネシア独立の決め手となったのであり、それを知らない日本人が多いらしいのは不思議である。戦後の世界はアメリカが中心だったのだから、「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。
そして、戦後の世界は第二に共産勢力中心に回っていた。インドネシア独立に関してもそれが見られるのであり、インドネシアの共産主義勢力が独立闘争を支えた。
だいたい、共産主義のように非道(ひど)いものが、なぜ第二世界(いわゆる東側諸国)だけでなく第三世界(発展途上国)でも勢力を張ったか。彼らは、独立闘争などになると侮れない強みを発揮するからである。共産党は「民主集中制」、「政治将校」などの仕組みを備えていた。
インドネシア独立を果たしたスカルノも、共産党の影響力を認め、気配りせざるを得なかった。のちにスカルノは失脚し、代わってスハルトが政権を取ると、インドネシアは反共国家に転じた。

そもそも、日本がインドネシアを侵略する前から、スカルノらはオランダの植民地支配に抵抗し闘争していたのである。その後、日本が引き起こした太平洋戦争が、「インドネシア独立の妨げにはなっても、助けには全くなっていない」と言えば、へりくだり過ぎでもあろう。しかし、「日本のおかげでインドネシアは独立できた」というのはキチガイである。事実はその中間、「一つの契機ではあっただろう」と思われる。
日本が降伏したからこそ、インドネシアは独立できた。大東亜共栄圏も共産主義も、いわば暴風雨であり、独立の地固めには役立った。「雨降って地固まる」である。
1960年、国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択された。「外国による人民の征服、支配及び搾取は、基本的人権を否認」するものであり、「国際連合憲章に違反」していると、高らかに宣言された。長年にわたって暴威をふるった植民地主義は、ついに公式に否定されたのである。

私の好きなインドネシア―インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」
http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/b …
〔引用開始〕
インドネシアの高等学校で使われている歴史教科書の一部を翻訳し、内容を紹介いたします。〔中略〕
2006年6月、メダンのGramedia(大手書店チェーン)で購入したもの。記述の対象となる時期は、1942年の日本軍による占領時代開始から現在まで。高校3年生向け。〔中略〕
日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。〔中略〕
よく見てみれば、日本の方針は反生産的(つまり、目的と結果でお互いに矛盾している)であるように見える。つまり、食料増産のための努力は、次のような原因のため失敗した;〔中略〕
多くの地域で飢饉が発生した。〔中略〕
つまり、日本によって占領された他の地域と同様に、インドネシアはその国民が極めて苦しめられた国であったと言えよう。日本民族による残虐行為は西欧民族が犯した残虐行為を超えていた。〔中略〕
インドネシアでの日本による搾取は天然資源に対してだけではなく、人的資源に対しても行われた。〔中略〕
労務者の動員はしばしば非人間的なものだった。労働環境は劣悪だった。重労働であり、食料は十分に与えられず、衛生状態も不適切だった。そして厳重な監視下の元、休息時間は短く、ミスは重く罰せられた。多くの労務者たちが、ビルマ、マラヤ、サラワク、ベトナム、ソロモン諸島などの海外へ送られていった。その多くが、送られた先で死亡した。
〔中略〕
また別の側面もあった。〔中略〕
肯定的な影響としては次のようなものである;〔中略〕
d. 多くの青年達が軍事知識・技能を習得した。それはやがて独立を守るための土台となった。
〔引用終り〕

追悼の政治――戦没者慰霊をめぐる第二次世界大戦後の日比関係史(中野聡、国際関係史、一橋大教授)
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/mono/200 …
〔引用開始〕
駐フィリピン大使を務めた湯川盛夫(在任一九五七年六月~一九六一年一月)は、赴任当時の印象について「あらかじめ覚悟してはいたものの、対日感情の悪いことには驚いた。新聞などにも、日本の悪口の出ない日は、めずらしいくらいだった」と述べている。
〔引用終り〕

学びの場.com(事務機器・学校教材の専門商社大手の「内田洋行」の教育総合研究所)
海外の教科書は、日本をどのように教えているか?(堀内一秀)
http://www.manabinoba.com/index.cfm/6,6424,13,html
〔引用開始〕
そこで今回はアジアの国を中心に、海外の教科書が日本、特に戦争時代の日本をどのように教えているか調べてみた。
〔中略〕
マレーシア
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」。
(中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)
フィリピン
「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」。
(小学校4年生用『歴史』1977)
台湾
「二十余万人に達する台湾籍の軍人・軍婦が前線に送られ、さらに少なからざる少女が異郷で淪落し慰安婦にさせられた。これらの計り知れない辛酸血涙は、みな日本の植民地統治が残した歴史の傷跡である」。
(中学生用『高級中学歴史下』2000)
シンガポール
「日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。スパイによって日本軍に通報された者はケンペイタイの建物に連れて行かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。最も一般的な拷問のひとつは「水責め」で、とらわれた人は寝かせられ、大量の水が鼻や口に流し込まれた」。
(中学校初級用『現代シンガポール社会経済史』1985)
〔引用終り〕
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ウダウダと長い割には、あなたも、あなたが提議する『ネトウヨ論』と全く変わらんですよ!アメリカの思惑でアジアの解放に繋がった?
おいおい初段階の認識が可笑しいぜ!大東亜戦争末期から既に東西冷戦は始まっている事を認識して居ない!アメリカの影響下で民主主義への道が早く開けた!という解釈なら私も賛同しようが、そこにはアメリカの対ソ連計画の一環で行われたと解釈しよう!日本が全て悪かったとの認識下で嘘800をごね通すのは勝手だが、欧米列強化にあったアジア諸国を解放に導いたのは紛れもなく日本関係している。
更に質問は、そこでは無い戦後直後のアジアにおける日本への感情と現状の日本国内の2分するアジア解放の解釈を結果的事実を踏まえ1本化すべきでは?との質問なのですが!嘘は要らんのですは!!

お礼日時:2014/08/24 15:59

アジア解放は結果的事実ではなく、戦略的事実です。



 二・二六事件直後の昭和11年、支那事変の直前、平沼内閣の時に陸軍参謀本部作戦課長の要職に就任した石原完爾のもとで帝国国防方針が作成されました。その骨子となった彼自身の「国防国策大綱」には冒頭次のように書かれています。

『皇国の国策は先ず東亜の保護指導者たる地位を確立するに有り、之が為東亜に加わるべき白人の圧迫を排除する実力を要す。 …。 先ず蘇国(ソ連)の屈服に全力を傾注す。 而して戦争持久の準備に就いて欠くる所多き今日英米、少なくとも米国との親善関係を保持するに非れば対蘇戦争の実行は至難なり。』

陸軍参謀本部は日本の軍事戦略を決定する部署です。東条英機のライバルで、希代の軍事天才だった石原完爾中将はアメリカとの戦争には反対していましたが、東亜の植民地から白人国家の支配を排除することは国防方針の中に書き込んでいます。石原の反対にもかかわらず、東条は対米戦争に踏み切り、日本は負けましたが、アジアの植民地は解放されました。これは結果的事実でなく、石原の(参謀本部の)明確な戦略でした。東京裁判で石原は日本の正当性を主張しましたが、東条らのように処罰されることはありませんでした。石原の正当性をアメリカも内心認めていたのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

結果的事実と戦略的事実の言葉をあえて使ったのは、質問文に記載しているように名称は、どうであれ戦後賠償をアジア諸国は受け取っている。旧日本軍の思惑がどうだこうだと言ったところで、当時のアジア諸国は日本からの銭を受け取っているのだから(タイ以外)受け取ったその国の政権は、アメリカの影響が有ったにせよ
アジア解放という認識よりも侵略の定義を取ったのは間違いない。
『アジア解放』が世界(3バカ以外のアジア)に受け入れられていなかった事実を踏まえ、回答を頂きたかったのですが!その上で、結果的にアジア解放の解釈を日本国内での当たり前の事実として主流派の認識とするべきでは?との質問なのですが・・・

お礼日時:2014/08/24 15:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!