プロが教えるわが家の防犯対策術!

先日、第二次大戦の番組を見ました。
以前、ロシア戦争からの一連の大戦、
此等の大儀として、
東アジア、及び東南アジアでの
欧米の振る舞い、
此を挙げているのを、思い出しました。

そこで質問を
4つさせて頂きたく思いました。

1、
第一次大戦前後の、欧米列強の振る舞いは
言語に余るものがあったのでしようか?

2、
隣人が其の尊厳を踏みにじられている事を目の当たりにした時、
暴力以外に手がないとした場合は、
手出ししない方が良いのでしょうか?

3、
此の上記期間
もし、日本があらがわず
されるがままにしていた場合は、
現在の此の地域は、どんな形態になっていると予想しますか?

4、
私自身の個人的見解では、
戦争と暴力は絶対反対!

本来は、
暴力しか残されない、
そんな状況まで
ステージを進行させた時点で、
もう既に、終えているのでしょう。

加えて、
他者を見捨て、又はかえりみず、
あえて自我の防衛、養護、
此に走れば、
自我の存在する意味、大儀、
此を減らす。
又は消滅させる。
それでも尚、自我を防衛すべきか?
と、考えます。

この際、
「他者を見捨てる」
「他者をかえりみない」
此の内の、「他者」には、
私の見解では
攻撃してくる相手、
阻害してくる相手、
此等をも、含みます。

しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない、
こんな状況下、段階に置いては

自己保存について、
他者の救済において、
矛盾しますよね?
どう考えればいいのでしょうか?

皆様の
ご見解をお聞かせください。

A 回答 (7件)

こんばんは。




☆1、
第一次大戦前後の、欧米列強の振る舞いは
言語に余るものがあったのでしようか?
◇一方的な支配⇔隷属と搾取ですから、言語に余るものがあるでしょうね。
しかも、非支配地域で分断統治をし、異なる民族や部族、宗教間の対立を助長させ、今日に続く様々な争い・紛争の禍根を残した。


☆3、
此の上記期間
もし、日本があらがわず
されるがままにしていた場合は、
現在の此の地域は、どんな形態になっていると予想しますか?
◇植民地のままであったのかもしれないですし、現在のアフリカのようにカオス的な状況に陥っていたのかもしれないですね。
戦前の日本の行為を賛美するつもりは全くありませんが、
結果論的には、
戦前の日本の行為が東南アジア諸国の独立を早め、これらの地域の平和と繁栄をもたらしたのではないですかね。
しかし、だからと言って、このことを以って戦前の日本(の行為)を肯定や賛美したりすべきではないでしょうね。

まぁ、それでも、欧米の統治より日本の統治の方がマシだったのは事実だと思いますけれども。



~~~~~~
本来は、
暴力しか残されない、
そんな状況まで
ステージを進行させた時点で、
もう既に、終えているのでしょう。
~~~~~~
これは、まぁ、そうなんですけれども、
これは相手があることですし、不可抗力の部分もあると思うのですよ。
たとえば、通り魔殺人・・・。
いくらこちらが気をつけていても、予測できない通り魔殺人は防ぎようがないですしね。
また、蘆溝橋事件のように、ハプニングで戦争に発展することもありますし。



~~~~~
自己保存について、
他者の救済において、
矛盾しますよね?
どう考えればいいのでしょうか?
~~~~~~
「互いに知恵を出し合い、両立する解決法を模索するべきである」と、
言葉の上では格好いいことを言えますが、
これができないのが現実。
ですが、
お互いに辛抱強く話し合い、よりよい解決策を見つけるように努力するしかないんじゃないですかね。
難しいですよね。
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この回答へのお礼

全ての意見を尊重する視点から
「まともな最初の回答」
と、言うことで
ベストアンサーにさせて頂きます。

有り難うございます。

お礼日時:2014/09/07 23:49

1、言語に余ります。

ただ、現代のモラルは通じない世界ですので、今から見れば言語に余る状況でしょうが、当時は当たり前だったと考えられます。日本の江戸初期、水戸黄門ですら武士の面子を重視して平然と切り捨て御免をしていますので、時代の空気次第で人間のモラルは変わりますね。
日本の朝鮮支配はかなり親身であったようですが。
2、国家としては、自分に直接の害がなければ抗議だけで良いでしょうね。ただ、隣人が植民地化などされた場合に自国に害が及ぼされる可能性が高ければ、隣人の支援をしたり、直接的に対抗する必要があるでしょうね。
3、満州は中国とロシアが取り合いをして紛争が絶えない地域になっていたでしょうね。東南アジアは、独立せずに今のグアム、サイパンなどのようにどこかの自治領となっていただしょうね。
4、個人的な意見と公的な意見は矛盾していて問題ないと思います。特攻隊として散った人たちも、公的には家族や国を守るという大義名分を胸に抱き、私的には、死にたくない、行きたくないと感情をむき出しにしていました。
国家としては国民の生命財産の保障ができなければ存在意味がありませんので、公的には自国の安全が脅かされる限りは(定義が難しいですが)力で対抗しなければなりません。まさに先の大戦における日本の立場に近いですね。
私的には、戦争反対であれば、政府に対してデモという形で抗議をしたり、社民党のような政党の議員となって議論に加わっていくという形で参加するのが、現在の民主主義のありかたです。
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この回答へのお礼

有り難うございます。
お礼が遅れ申し訳ありません。

お礼日時:2014/09/04 21:34

1、有色人種は家畜以下ってのは当時の認識ですね。



2、手出ししなかったら、確実に次に襲われ蹂躙されるでしょうね。

3、白人列強の国家とその植民地という構図のままだと思います。当然日本という国はありません。

4、自国を守るために有りとらゆる手段を使う。それが結果的に、外交のバックボーンとなり、戦争抑止へとつながると思います。

我々に明確な損害を与えたら、その損害位以上の損害を与える。又は可能な限りの損害を与える。と、損害を与える実力を保持しつつ、他国に警告を発するのが良いのではと思います。
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この回答へのお礼

有り難うございます、
お礼が遅れ申し訳ありません。

お礼日時:2014/08/31 11:43

Nouble さん、こんばんは。



1、イギリスの植民地インドを考えてください。特にガンジーのことを考えてください。

2、それは個人レベルの考えで国家間の考え方とは異なります。この帝国主義時代は弱肉強食だとビスマルクも言っていました。

3、明治維新はありませんから、日本も中国やベトナムのように欧米列強の植民地になっていたでしょう。


4、私も同意見ですが、前述したように国家間の考え方は異なります。特に帝国主義的な時代では政治的交渉で解決できなければ、戦争という暴力手段でしか解決の使用がありません。国家が滅ぼされれば、その中を構成している個人はすぐにも路頭に迷うことになります。
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この回答へのお礼

お礼が遅れ申し訳あれません。
帝国主義、あり得ないですね

其れと同時に語ることすらためらわれる
ガンジー氏の崇高さ、
伝え聞く範囲で、
紳士としての指針に
常に魂に刻み、押さえていきますね。

有り難うございます。

お礼日時:2014/08/31 11:27

おはようございます。




>「1、
第一次大戦前後の、欧米列強の振る舞いは
言語に余るものがあったのでしようか?

日本は、戦勝国だったんですね。


>「2、
隣人が其の尊厳を踏みにじられている事を目の当たりにした時、
暴力以外に手がないとした場合は、
手出ししない方が良いのでしょうか?

法によって解決するのが、基本です。


>「3、
此の上記期間
もし、日本があらがわず
されるがままにしていた場合は、
現在の此の地域は、どんな形態になっていると予想しますか?

「日本があらがう」とは?


>「4、
私自身の個人的見解では、
戦争と暴力は絶対反対!

本来は、
暴力しか残されない、
そんな状況まで
ステージを進行させた時点で、
もう既に、終えているのでしょう。

加えて、
他者を見捨て、又はかえりみず、
あえて自我の防衛、養護、
此に走れば、
自我の存在する意味、大儀、
此を減らす。
又は消滅させる。
それでも尚、自我を防衛すべきか?
と、考えます。

この際、
「他者を見捨てる」
「他者をかえりみない」
此の内の、「他者」には、
私の見解では
攻撃してくる相手、
阻害してくる相手、
此等をも、含みます。

しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない、
こんな状況下、段階に置いては

自己保存について、
他者の救済において、
矛盾しますよね?
どう考えればいいのでしょうか?」

「戦争と暴力は絶対反対!」とされながら、
>「しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない」

矛盾でしょうね。


皆様の
ご見解をお聞かせください。
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この回答へのお礼

おはようございます。
お礼が遅れ申し訳ありません。

>「1
日本は、戦勝国だったんですね。

ですね。


>「2
法によって解決するのが、基本です。

法は万能でないと思いますよ


>「3
「日本があらがう」とは?

武力的、経済的な、侵略に
抵抗する事です。

>4
>「しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない」

矛盾でしょうね。


おはようございます。


>「1、
第一次大戦前後の、欧米列強の振る舞いは
言語に余るものがあったのでしようか?

日本は、戦勝国だったんですね。


>「2、
隣人が其の尊厳を踏みにじられている事を目の当たりにした時、
暴力以外に手がないとした場合は、
手出ししない方が良いのでしょうか?

法によって解決するのが、基本です。


>「3、
此の上記期間
もし、日本があらがわず
されるがままにしていた場合は、
現在の此の地域は、どんな形態になっていると予想しますか?

「日本があらがう」とは?


>「4、
私自身の個人的見解では、
戦争と暴力は絶対反対!

本来は、
暴力しか残されない、
そんな状況まで
ステージを進行させた時点で、
もう既に、終えているのでしょう。

加えて、
他者を見捨て、又はかえりみず、
あえて自我の防衛、養護、
此に走れば、
自我の存在する意味、大儀、
此を減らす。
又は消滅させる。
それでも尚、自我を防衛すべきか?
と、考えます。

この際、
「他者を見捨てる」
「他者をかえりみない」
此の内の、「他者」には、
私の見解では
攻撃してくる相手、
阻害してくる相手、
此等をも、含みます。

しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない、
こんな状況下、段階に置いては

自己保存について、
他者の救済において、
矛盾しますよね?
どう考えればいいのでしょうか?」

「戦争と暴力は絶対反対!」とされながら、
>「しかし上記此等の内容では、
力での制圧のみしか
成し得ない、残されていない」

矛盾でしょうね。

自らの存在理由に例え問題が生じても
其れは
⇨自らの責務
⇨他者の救済
此には何ら関わらない。

此の点について、
言及落ちがあった事を
反省します。

個としての存在意義が薄れ、
叉は消失して尚、
個としての責任、
他者の価値保存、
此に対しての行動に
よどみは要らないのでしょう?

そして其の行動として
武力しか残されていない時、
他者の価値保存
と、いう中に
脅かしてくる相手
彼も含まれるとして
どう考えるのか、

やはり矛盾なのでしょうか、

ただ、余談になりますが、
釈迦氏?は、
矛盾はあって当たり前
矛盾を受け入れて尚、
潰されるな。
と、説いているように思います。

お礼日時:2014/08/31 11:08

1 何を持って「言語に余るもの」とするかですね。


 植民地支配は継続していますが奴隷制度などは一応無くなっているし社会資本などもある程度整備されています。
 欧州大戦になればアジアどころではないし。

2,4 意味のない質問ですね。
 状況によって対処の仕方は千差万別でしょう。

3 今と同じ。 せいぜい南洋諸島が日本の信託統治領から独立したくらい。
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この回答へのお礼

早速のご回答を有り難うございます。

1、に付いては、
真偽は不明ですが、
現地の方が、
「日本人は我々を見下さなかった」
と、発言しているのを
たまにみます。

此は裏を返せば
甲、こう言うように仕向けられた。
乙、日本が来る前は、二等、三等市民待遇を
  強いられていた。
丙、その他の可能性。
此等の内の
何れかを指すものと
思います。

もし、此の内の
乙だった場合を想定すると
日本は現地の方の待遇改善
此を果たした事になる
と、思います。

また、
日本人が歴代支配者中初めて教育を行った。
と、言うのは、
そう珍しくない話だと思います。

確かに
読み書きできないと意思伝達に支障が出て、
仕事をさせ辛いから
仕方なく教育を施した。
そう言う可能性は捨て切れません。

しかし、日本軍進行がなされず、
その後も、欧米支配が続いた場合、
教育が引き続きなされなかった
そんな状況がベトナム戦争後位まで継続される。
此の可能性は
創造するに堅くないものと思います。

教育無くして、
自主独立政権は、
果たして容易に
起こり得るものなのでしょうか?

私は決して戦争容認派ではありません。
しかしその一方で、
其の反対の旗印と
恐らくは同程度、
自らや、自らの隣人犠牲のみを、かえりみて、
正道を失する。
此にも反対します。

繰り返します、
私は決して
日本軍進行を容認したり、
正当化するもの
そんなものではありません。

しかし、
事実を正しく認識する。
此を軽んじて良い…
此もとても、とても、容認できないのです。

果たして、
日本人に感謝の意を述べられる方々は、
須くそう仕向けられたのでしょうか?
それとも史実なのでしょうが?

正しい認識をしたく思います。


1、2、3、に付いてですが
どうやら、正しく伝える力が足りなかったのでしょうか?
正反対の状態についてのご見解と認識しました、

特に3、は
日本が
東アジア地域、及び東南アジア地域において、
武力的に何もあらがわなかった時、
此を想定したもののつもりでした。

言い換えれば、
日本が一切の軍事侵攻に出なかった
此の場合の想定です。

軍事侵攻無くして、そもそもどんな状況下なら、
当時の世界情勢において
信託統治領樹立が
なせるのでしょうか?

理解に行き違いがあるように感じますが、
如何でしょうか?

お礼日時:2014/08/24 23:22

世界とは、1人1人の動きの集積である。


それは、世界の本質は、個々人の生きる喜びにあるという事だ。
その点で、国家や企業利益のために、人を殺さねばならない
状況を招いたとすれば、その抗争の結果の如何によらず、
人類の敗北だ。
もちろん、組織化が未熟で、国家が生存単位であった中世は、
強い国家が生き残る事が、強者の選択として進化の一環で
あった。

それは、封建社会のような武力による農地の確保、産業革命
以前の資源の確保といった一次産業が生産の核であった時代
の話であって、今や農業国や資源国は一等国の要件ではない。
それはかつて1つの国の内で、士農工商のように実体生産を
しない商業を卑しんで軽視した結果、封建体制が劣化し、
商業をベースとした市民革命が起きた事の、スケールアップ
したくり返しである。
第一次大戦では、まだ戦争は軍事力同士の争いであり、一般
市民への攻撃は国際法違反であったのが、第二次大戦では
総力戦となり、勝利とは敵の生産力を奪う=一般市民を殺戮
する事になった結果、もはや戦争は、勝敗の如何に関わらず
勝者なきものとなったのだ。

兵器は高額となり、性能は人間の能力に関わりないものと
なって、戦争とは兵器による戦いではなく、最新の兵器を購入
するための経済力の争いとなっている。
ところが、兵器は再生産につながらないので、軍拡競争に
参加すれば経済競争に負け、結果的に軍事的にも負ける
ジレンマが生じている。
さっさとこんなバカな構図を脱し、江戸時代の商人のように、
武士に表向きペコペコしながら、裏で操って、江戸幕府が
使えないとなったら、さっさと維新派に乗り換えて時代を
動かしたように、札びらで横っ面ひっぱたいて世界を動かせ
ば良い。
なぜ武士は、商人を押さえられなかったか?
それは、武士がコントロールできたのは農地と農地にヘバリ
ついた農民だけであり、商人の力の根源であるお金は、
たとえ一瞬お金を巻き上げても、それは一時しのぎに過ぎず、
その価値の本質は、武力ではコントロールできない貨幣の
流通自体にあったからだ。

既に、産業も経済も情報もグローバル化している。
あとは国家の枠組みの利権に固執している政治家や軍需
産業、石油メジャーや機関投資家の石頭のアタマ越しに、
世界連邦的な、実権のグローバル化をリードした国や企業
が現れれば、真の勝者となる。
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この回答へのお礼

有り難うございます。

だだ、質問に対してどういう見解なのか
其の関連性について
私の理解力が追いついていない
そう感じました。

お礼日時:2014/08/24 23:29

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