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恋愛、さらには、夫婦関係とは、パートナーのことを「信じる」ことなのでしょうか? そして、それは実践できるものなのでしょうか?

先日、浮気や不道徳的行為にかんする質問をしたところ、パートナーを「信じる(信用すること)」ことが重要であるというコメントをいただきました。

「パートナーは浮気をしていない!」

そういった<信用>を「前提」とした人間関係においては、「パートナーは浮気をしていない!」
という言葉なり、考え方は、とても重要なものでしょう。

しかしながら、そういったものの見方は、ある種の「洗脳」なり、「思いこみ」ではないでしょうか? つまり、「パートナーは浮気をしていない!」ということを、まるで盲信するかのように、信じて、まるでお経、マントラを唱えるようにして、「パートナーは浮気をしていない!」と、みずからのココロに言い聞かせるのでしょうか? そういった見方においては、パートナーとの関係は、ある種の、「カルト宗教組織的」なものがあるのではないでしょうか?

A 回答 (10件)

No.1だけど…、




>では、そういったパートナーは、どこにいるのでしょうか? 親切なコメントだと思います。しかしながら、こういったコメントは過去にたくさんいただいたのですが、肝心の、そのパートナーがどこにいるのかについては、誰ひとり、言及しませんでした

あなたは回答者に何を期待しているの?
あなたに彼(彼女)を紹介しろとでも?!
「どこにいるか」って何?

住所を教えればあなたは飛んでいくの???

この回答への補足

そうですね、どこどこに居る、ということであれば、飛んでいくと思います。なぜならば、多くの人々が、パートナーを選ぶにあたって、「ミス」をしているからです。

「悪い人」ばかりを選んでしまうわけです。そして、ここでいう「悪い人」とは、「皮」だけの人、ということです。

外見だけにとらわれ、表面的なことだけにとらわれ、いざ、交際してみたら、とんでもないDV男だった、という経験をした人々は少なくないと思います。そういった、DV男と交際するくらいならば、わたしと交際したほうが、よっぽど、ましだと思います。

補足日時:2014/09/02 00:58
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補足を読みました。



>肝心のパートナーはどこにいるのでしょうか?

私はバイト先で見つけました(笑)。
人によっては学生時代に見つけることもあれば、仕事場で見つける人もいるでしょう。
どこにもいない、と言う人もいれば、たくさんいて選び放題な人もいます。
つまり、答えなんてありません。
あなたが見つけた場所があなたの答えです。
そんな答えを私が持っているわけがありません。

見つけやすくする方法なら多少言えます。
見る目を養い、その目で信頼に足る人物(恋愛対象に限らず)から信頼される人間になる。
それが第一歩でしょう。
そこから恋愛、さらに唯一のパートナーとなると、さらに狭き関門になりますが、
信頼できる人が多くできればできるほど、あなたの周りには「信頼できる人物」の輪ができます。信頼できる人たちの周りには信頼できる人たちが集まっているものです。その輪の中に入れば、少なくともあなたにとっての「信頼できる人」の候補は増えますし、あなたもその人たちにとって「信頼できる人」の一人として受け入れられやすくなります。

>多くの人々は、「皮」ばかりに注目し、肝心の「肉」などどうでもよいというのが、現実です

あなたはどうですか?中身を見ていますか?人を信頼していますか?
「どうせこいつら、「皮」ばかりに注目し、肝心の「肉」などどうでもよいと思っているような奴だよな」と馬鹿にしてつきあっていませんか?
良くも悪くも、人間関係は自分の鏡です。
あなたにとってそのようにしか思えない相手とのつきあいでは、結局その思いは相手に伝わり同じように返ってきます。

いっそ環境を変えてみてはいかが?

参考まで。

この回答への補足

「人を見たら泥棒と思え」

マイノリティとして活きなければならないわたしにとって、非常に重要な教訓です。こういったことは、マジョリティの日本人には、理解しずらいものと思います。

補足日時:2014/09/02 01:00
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補足をありがとうございます。



そんなパートナーがどこにいるかって?
そんなのわかるわけがないじゃないですか。
正直者の村があるわけじゃないんです。

あなたの周りにもいるかもしれないしいないかもしれない。
正直でパートナーに対して真摯で嘘偽りのない人は
あなた自身で見つけなければ価値は無いでしょう。
他人から「この人は正直で」と言われても他人にとっての正直が貴方にも通用するわけじゃない。

それを自分自身で探すことこそが出会いであり
そんな人との縁ができるかどうかがあなたの人間性でしょう。
あなた自身が正直で嘘偽りなく謙虚でそれでいて努力を惜しまない人であれば
そういう貴方を認めてくれる人が現れるのでは?
男女どちらも自分と同じような価値観を求めている人は多いです。
そこから信頼関係を築くのはまた一苦労ですけど相手に自分を信頼させることが出来れば
相手も信頼に足る行動をしてくれるでしょう。

待っていたってよほどの有名人でなければ人は寄ってきません。
あなた自身で地道に探さなければ貴重な人材は見つからないと思いますよ。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

気になった点は、あなたが思っているほど、わたしが他者を信用しないこと、そして、「人を見たらドロボーと思え」と思っていることです。

お礼日時:2014/09/02 00:56

相手を信じるということは、当てにできる、ということではないようです。



そうではなく、

「この人になら騙されてもいい」
「この人にもし裏切られたら、その分の損は自分が払ってもいい」
「この人に裏切られるリスクならばとってもいい」 ということらしいです。


託す、任せる、ゆだねる、といった感じでしょうか・・

何かをお願いして承諾してもらっても、
他人が100%自分の思うとおりに振舞ってくれるとは限りません。

80%ぐらいの見込みがあれば任せる・・・ というのが、現実的な理想じゃないかな、と思います。
人間関係に100%はありませんから・・・。



英語で言うと、信じるというとbelieveと思いがちですが、
ある人を信じて、その人におまかせするのは trust の方が合っていると思います。

この回答への補足

コメントありがとうございます。

では、あなたのおっしゃった“trust”を実践できる日本人は、日本社会にいるのでしょうか? 多くの人々は、そのことに関心があるのではないでしょうか?

補足日時:2014/09/01 16:32
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根拠もないしに信じるのは盲信ですが


信じるに値するだけの生活であればそんな思い込みをしなくても済むはずです。

むやみに信じろってのは危ないでしょう。
お互いに相手を心配させないようにすることが重要なのですよ。

あなただって相手が携帯を肌身離さず、隠れて会話し、理由のわからない外出が多ければ
疑うのは当然でしょう?
自分だってそういうことをしていれば相手に疑われるのも仕方ないでしょう?

理由もなく信じる、信じろというのではなく相手に信じてもらえるパートナーであることを言っているのです。

この回答への補足

>理由もなく信じる、信じろというのではなく相手に信じてもらえるパートナーであることを言っているのです。

では、そういったパートナーは、どこにいるのでしょうか? 親切なコメントだと思います。しかしながら、こういったコメントは過去にたくさんいただいたのですが、肝心の、そのパートナーがどこにいるのかについては、誰ひとり、言及しませんでした。

補足日時:2014/09/01 16:33
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他の方が言っているように、疑わしい行動があるのにそれを無視して「信じる」と思い込む行為なら、確かにあなたの言うような「盲信」的なものになるのでしょうね。



でも、「信じている」人は大前提として相手の行動パターンをある程度理解して、感覚的に「現在、疑わしい行動はない」という確信があるからこそ「信じられる」のではないでしょうか?

>「パートナーは浮気をしていない!」と、みずからのココロに言い聞かせるのでしょうか? 

と、いうよりも、信じているのは「彼」というよりも「自分」の「人を見る目」なんだと思います。

信用とは積み重ねです。
彼がどんな時にどんな風に考え、どんな行動をとってきたか、その言質が一致して「信用に足る」と経験として知っているから「信じられる」のです。
私は彼が浮気などできない、と信じていますが、これが昨日今日出会った人でそういう「積み重ね」がない相手のことはそんな風に信じることなどできません。「信用してもよい」というある程度の経験値を得られなければさすがに無理です。でも、彼との間ではこれまでの長いつきあいの中で、ある程度の行動パターンを把握していることを自覚しているし、これまでそれを裏切られたことがない、という経験がそれを裏付けてくれています。

自分の目が、ちゃんと「彼」を見ている、と思っているから、もしも彼の言動に疑わしいことがあれば「わかる」と思っています。でもそんな風に疑うような出来事も行動もなかった。だから、これからも無いだろうと思う。それが私の思う「信じている」ということです。

それだって「思い込み」「盲信」だと言ってしまえば、そうなのかもしれませんが、「カルト宗教的か」と言われるとそれは違います。強いて言うなら、どちらかといえば「自信過剰」なのかもしれませんね(笑)

>恋愛、さらには、夫婦関係とは、パートナーのことを「信じる」ことなのでしょうか?

これは順番が違うと思います。
「信じること」というよりも、そもそも「信じられる」相手以外との「恋愛」「夫婦関係」はありえない、というのが私の感覚です。(恋愛初期は別ですが。)

「信じている」前提があっての「恋愛」「夫婦関係」だから、その後も信じられる。その「前提」があってのものだという理解が「お互いに」ある関係でなければ、信じることは難しくなるでしょうね。

そんなに皆さん自分に「信じてる」と自分に言い聞かせなくてはいけないような相手と恋愛しているのでしょうか?

>それは実践できるものなのでしょうか?

実践できる相手をまず選びましょう、と思います。

この回答への補足

コメントありがとうございます。

>実践できる相手をまず選びましょう、と思います。

良いコメントだと思います。しかしながら、肝心のパートナーはどこにいるのでしょうか? わたし自身、他者の気持ちを理解することはできますし、共感することもできます。しかしながら、多くの人々は、「皮」ばかりに注目し、肝心の「肉」などどうでもよいというのが、現実です。

補足日時:2014/09/01 16:35
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私は別に、疑いたい時は疑っても良いと思いますけどね。



恋人だから家族だから信じるって無理なもんでしょう。

「信じてあげないの?」ってねえ。
疑わしい時は疑いますよ。


何にもあやしいところがないなら別に、疑うも信じるもないですよ。様子見、放置。
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恋愛関係と夫婦関係はちょっと違います。



恋愛では、信じても良いでしょう。
しかし、結婚するとなると、信じてばかりではだめです。

結婚前に両目を開けてよーく観察しましょう。
結婚してからでは遅いことはたくさんりますから。

結婚したら、
「浮気してない」
ではなく、
「浮気したいなら、勝手にどうぞ」
のスタンスでいた方が良いです。

相手が望むなら一緒にいましょ、でも自分のことを否だったら全然平気で別れましょ。
こんな人でも望む人がいるのなら、どうぞ連れてってくださいな。

無理に信じる必要があるでしょうか。

それは、相手を疑っているのではなく、相手に対して「無理しないでほしい」ということです。
自分に対して無理な態度をとらないでほしい、本当に一緒にいたいのであればいいけど、そうでないのなら私は何も強要しません・・・ということです。

ですから、疑う必要もありません。

相手はこちらに嘘をつく必要がないのですから。
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疑う要素があるなら疑いますけど、疑う要素がないのであればあとは「信じるしかない」のです。

それってもう仕方のない事。洗脳でもなんでもなくて、自分で信じる事を選ぶんです。
人間関係全般に言える事だけど、人の心なんて100%理解するのは絶対に無理ですから。

逆に、あなたはパートナーにいつもいつも疑いの目で見られてたらどんな気分?
自分は何も悪くないのに、愛する人が猜疑心いっぱいで自分のことを見ていたら、悲しくなりませんか?
そして、疑われないように、いつも潔白を証明し続ける事にエネルギーを注ぐの?
たぶんそれって疲れちゃいますよ。そのうち、愛情も薄れていくと思う。
なので心の持ち方としては「信じるぞ信じるぞ…」って力む感じではなくて、いちいち疑わない事、です。微妙に違う気がするんですが、伝わるでしょうか。

そして、信頼や信用は一朝一夕では築けません。
付き合い始めから全力で信頼する必要はありません。1か月のカップルだったら、1か月分の地盤しかなくて当然。5年付き合えば、5年分。人間の行動パターンってのはある程度は決まっているものなので、時間の経過とともに、相手がどれくらい信頼できるかは自ずと分かってくるでしょう。

それでも完璧な演技と工作の上に浮気や不倫が出来る相手だったら…それはもう、ものすごい低い確率の大事故に遭うようなもので、実際はそんなによくあることだとは思えませんけどね。たいてい浮気しそうな人は分かりますもん。モテモテで浮気願望が強い美人と付き合いたい、っていうご希望を最初からお持ちなら話は別ですけど。
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人と人との関係は、それが親密であればあるほど、『善意』と『信頼』が前提です。


それ無しでは人間関係は成り立ちません。


>まるで盲信するかのように、信じて、まるでお経、マントラを唱えるようにして、「パートナーは浮気をしていない!」と、みずからのココロに言い聞かせるのでしょうか?

盲信まで行ったら、それはもう病的ですよ。つまり、彼(彼女)のいう事しか聞かないっていうレベルでしょ?そんな単純なもんじゃないと思うけど。結局は、その辺りは程度の問題だよね。
第三者の客観的な意見、信憑性のある証拠があれば、たいていの人は気が付くものです。
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