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地域福祉について勉強しています

寄合の互助的機能が、地域福祉に活かせるのではと思い、寄合について調べたいのですが、なかなか資料が見つかりません

おすすめの文献などありましたら教えていただきたいです
またご意見ありましたらいただきたいです

ただ閉鎖的で内向きな寄合ではなく、外に向いているといった…うまく言えませんが、寄合の新しい解釈を求めています

A 回答 (4件)

>寄合の互助的機能が、地域福祉に活かせるのではと思い・・・


着眼点には間違いはありませんが、歴史的に寄合とイメージされておられるのは、付随的に福祉的な互助機能が生じていただけです。
文書化された史料や解説書をお読みになられただけではなかなか目的は達成できない可能性があります。

自治組織が組織化されたのは室町時代以降です。
現在の農村風景というのは室町時代に生まれた惣と呼ばれるものです。
これが惣村となり村落となり、ここで生まれた自治組織が流通経済の発達に伴って生まれた都市の住人の間で流用されました。
これを制度として統治機構に組み込んだのが江戸幕府です。
この江戸幕府の制度が明治以降も引き継がれ、第二次世界大戦前までは隣組という形で残っていました。
現在も町内会やマンション住人の組合の形などで残ってはいます。

室町時代には惣村の責任者などを入れ札という選挙で決めていました。
これは江戸時代まで引き継がれて、明治政府の西欧型選挙へと移行しました。
日本人は欧米に先駆けて選挙というものには慣れ親しんでいました。
ザットこんな感じですので、福祉だけを取り出すのは非常に難しいかと思います。

歴史的な自治組織では全てが連帯責任でした。
農耕や漁労が共同作業を必要としたことに由来します。
特に江戸時代以降の課税すなわち年貢は個人に課せられるのではなく、村単位で賦課されていました。
村として滞れば村民全員が処罰を受けました。
老人子供病人などの社会的弱者を放置しておくと共同作業に支障をきたしてしまいます。
医学が未発達ですから、流行性の病気は直ちに村落の全員に影響を及ぼします。
これを未然に防ぐには薬草などで治療が可能なうちによってたかって治していました。
重症化したら村落から排除(遺棄)する以外に村落が生き残れません。
村落からの排除は直ちに労働力の減少につながります。
困窮して労働に従事できなくなれば、村落全体の負担になります。
貧困だからといって、TVの時代劇のようにいじめたりはしていませんでした。
逆に定住して村落に益をもたらすことが無い外部の人間を排除する習慣が出来上がってしまいました。
今でも田舎は排他的だとか、プライバシーが無いんどというのも、このような歴史的な積み重ねの結果生まれた文化です。
とまぁ~このような観点から見ますと極めて功利的な動機に基づいて行われていたと言わざるを得ません。

江戸や大阪などの大都市では、幕府は間接統治の形で統治していました。
町年寄、町名主、町役人などと呼ばれる町民の自治組織の長を管理することで都市を統治していました。
この町民の自治組織への参加する権利は土地や家屋の所有者かその所有者から管理を委託された人にだけ認められていました。
現代風に言いますと裏長屋の熊さんや八つあんには市民権がありませんでした。
当然納税の義務もなければお祭りなどの町の運営費も一切免除されていました。
何か問題が生じれば管理者である大家さんが町役人に依頼したり奉行所に訴えたりしていました。
問題の大小にかかわらず常に長屋全員が共同責任を持たされました。
何事も共同責任ですから、病人や老人、子供を放置しておくわけにはいきませんでした。
結果として相互扶助と相互監視となりました。
現代のマンション暮らしのような訳にはいきません。
これが今でも下町は人情が厚いといわれる所以です。

江戸幕府はあらゆることがいい加減といいますかルーズでしたが、戸籍だけは厳重に管理されていました。
戸籍がなければ、住むことも働くこともできませんでした。
この戸籍の管理をお寺がやっていました。
熊さんや八つあんがお寺へ届け出るにも証明してもらうのにも長屋の管理者である大家さんに手続きをとってもらう必要がありました。
引っ越した場合には、元いたと所のお寺から新しい所のお寺への申し送りの書類が必要でした。
勘当というのは、この戸籍から抹消されてしまうことです。
勘当されれば、住むことも正業に就くこともできなくなりました。
TVの時代劇でヤクザ者が旅をして歩くのはこの為です。

寄合というのはそもそも地域の統治運営に必要な相談をする場でした。
行政の対策委員会のようなものでした。
このような社会制度に立脚して出来上がっていた文化ですから、現在の地域福祉に寄合を参考にしようとされても、直接は難しいかと思います。

社会福祉という考え方はキリスト教に立脚した考え方です。
仏教というのはあくまでも個人の個人による救済です。
個人の責任が大原則となっていますので、現代風の奉仕という考え方は発達しませんでした。
共同社会に迷惑をかけない、お互いににかけるような事態が生じないようにする、という考え方ですから、お考えのイメージとはだいぶ異なるかと思います。

ナイチンゲールもマザーテレサも奉仕活動というのは、奉仕する者の善意や犠牲的精神や献身に頼っていたのでは絶対に成功しない、必ず経済的な裏付けが必要である、と言っています。
某芸能人が金にまかせて、アフリカの子供たちに可哀想、可哀想と言って金品をばら撒いて歩いたことがありました。
国連難高等弁務官であった緒方貞子氏がこの芸能人を呼びつけて「あなたは子供を乞食に育てるつもりか」と厳しく叱責しました。

地域福祉というのは、同情や理想論では絶対に太刀打ちできない問題です。
組織を作ったから上手く行くと考えるのは錯覚と思い上がりです。
NPO法人などボランティア団体が沢山あります。
勉強されるであれば、これらの団体の方々の経験談のほうが遥かに時宜に適って有益かと思います。

もし実際に行動されるのであれば、どこにお住いかは分かりませんが、地域によっては、この寄合への参加権を持っていたお宅の子孫にあたる年寄りの中には今でも口出しする権利があると錯覚している人がいますので注意して下さい。
そんな年寄りを支持する年寄りもウロウロしています。
名家だの旧家だの本家だの分家だのという言葉が残っているようでしたら要注意です。
選挙の度に活躍する年寄りがいたら充分注意して下さい

なお村落や都市における自治組織については、

川崎房五郎・江戸ばなし 江戸八百八町 江戸の市制と市民 桃源社
家主さんの大誤算 地主:家主の役割からみた江戸東京の暮らし 鈴木理生 三省堂選書 
百姓の江戸時代 田中圭一 ちくま新書
百姓の力 江戸時代からみえる日本 渡辺尚志 柏書房

などが手頃かと思います。

今後は社会福祉が重要な社会的テーマとなっていきます。頑張って下さい。
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 初めまして。

貴女様の言う「寄合」はあの歴史上室町時代に発生した
惣村の会議である寄合で良いのでしょうか?どこまで研究できるのか、
わかりませんが地域福祉との関わりが面白いと思います。

 ご存じとは思いますが基本を押さえますと寺社や大名など税や年貢を徴収する支配者に対して村内の介入を拒否する自治的な
村が形成され、その「惣村」の意思決定機関が全員参加の「寄合」でした。
村人が守るべき「掟」を初め一揆の相談等すべて寄合メンバー全員一致で決めました。
貴女様の仰る外向きとは、支配者や村を襲う悪党と戦うイメージでしょうか。彼等は
盗人の家族一同を生き埋めにするなど過酷な一面、村の力が弱まらないよう共同体で
病弱な働き手の家など年貢を肩代わりするなど保護したようです。
 ですから「寄合」を調べたければ惣村のことから調べればどうでしょう。
土一揆などに着目すれば何か良い史料がないでしょうか?

詳しくなくてすみません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます
その寄合についてです

外向きについてですが、私自身具体的なイメージはなく、
まず基本的な成り立ちから学びたいと思っています

歴史の書籍でも詳しく書かれたものがありましたら教えていただきたいです

補足日時:2014/09/04 08:00
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 「寄合」というのは、寄り合った仲間で構成する組織のことです。

「互助」とはお互いが相手を助けるということです。

 一方が他方を、専ら助けるだけという関係は「寄り合い」ではありません。ついでに言うと、権力によって強制された組織も「寄り合い」とは言いがたいと思います。「自主的に」という感じです。

 また、一方だけが相手を助ける義務を負担するのは「互助」ではありません。

 つまり(相互扶助を仕事にしている寄合もあるかもしれませんが)、「寄合」であるかぎりは、外に向かって開かれていません。

 そんなものを外に向かって開いたら、利益だけを享受して義務を履行する気のない人間が入って来ます。

 事実、互助組織の自治会だって加入しないで、自治会が整備したゴミステーションだけは利用する気満々の人がいます。このサイトで時々「加入しないと使えないのか」的な質問がされていますし、自分の家まで行く道に街灯を設置しろと要求してきた入会拒否者もいます(こちらは実体験)。

 そんな人を入れたら、寄合が成り立ちませんから、外に向かって開放することはありません、本来の「寄合」は。

 無条件に外に向かって開いたら、「互助」にならないのです。

 もっとも、何字で書いても、季語を入れないでも、「俳句だ!」と言い張る人もいますので、日本に「外に向けて開いていながら"寄合"という名称を用いている組織や、一方ダケが他方を助ける義務を負う"互助組織"も、絶対にない」とは言えませんが、名称だけだと思います。


 ということで、お考えの内容をもっと具体的に書いて、「こういう組織はありませんか」と質問されることをお勧めします。

 少なくても「寄り合い」という言葉は使わないほうがいいと思います。その名前に縛られると、「こんなのはどうですか」という提案ができません。

 しかし、自治会の負担でさえ拒否し、入会を拒否する=「寄り合う」「互いに助け合う」ことを拒否する人が相当数いる時代なので、うっすらと推測できる質問者さんの互助組織もありえないのではないかと思います。残念ですが。
  
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     閉鎖的なものでムリ



     逆に 商工会議所 青年部とか 若い人を動かしたほうがいいかもしれません。

     
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この回答へのお礼

お早い回答をありがとうございました

そうですね、寄合自体が内向きなものですものね
まず寄合についてを基本的なところから学びたいと思いますが、詳しく書かれた文献などご存知でしょうか?

お礼日時:2014/09/04 07:25

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