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■朝鮮日報 「映画『鳴梁』は歴史歪曲だ」[09/10]

※以下翻訳
李舜臣(イ・スンシン)将軍の丁酉年(1597年、鳴梁海戦当時)日記は2種類がある。
一つは簡単な事実だけを記録したもので、もう一つはもう少し詳しい。

詳しい日記に記録された慶尚右水師・裴楔(ペ・ソル)の関連内容はこうだ。

8月17日に軍営(康津)に到着すると、誰もいなかった。慶尚水師の裴楔は私が乗る船を送らなかった/
18日、会寧浦に行った。裴楔は船酔いを口実に出てこなかった/
19日に将帥らに教書に粛拝させたが、裴楔はしなかった/
25日、唐布の漁夫が避難民の牛を盗みながら外敵が来たと嘘をつき、驚かせた。
(嘘ということを知って)軍士らは安心したが、裴楔はすでに逃げた/
27日、裴楔が来たが、おびえていた。私はそっと「水師はどこかに行ってしまったのではなかったのか」と話した/
30日、裴楔は敵が押し寄せるのを心配して逃げようとした。このため彼の部下の将帥らを呼んで率いた。
裴楔がを通じて「病気がひどく健康管理をしたい」と求めた。陸地で健康管理をするよう公文書を送った。
裴楔は右水営を離れて陸地に上がった/
9月2日、裴楔が逃げた。

この記録に改めて目を通したのは、この秋夕(チュソク、中秋)に“ホット”な先祖イシューを投げかけたのが裴楔将軍だったからだ。

彼の子孫が「映画『鳴梁』が裴楔の名誉を傷つけた」とし、上映中止要請とともに製作スタッフを告訴すると主張した。
李舜臣将軍との葛藤は上の記録ほどだが、映画では裴楔が暗殺の動きに亀甲船を燃やす“悪党”として描写されたという理由だ。

正直、映画を見ながらこうした事態を予想した。
実際、裴楔だけでなく大将の船を置いて後退した他の艦船指揮官の子孫も批判するかもしれないと考えた。

各家門が自分の先祖に対する評価を問題視するのはありふれた光景だからだ。
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映画の脚本にいちいち子孫がケチをつけるのは韓国人だけでは?
そもそも史実と違うし・・・

ちなみに、この日記の出来事は鳴梁海戦ではなく漆川梁海戦の話です。

■鳴梁海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%A2%81% …
■漆川梁海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%86%E5%B7%9D% …

A 回答 (1件)

そもそも亀甲船は後世の人が想像で作ったものだし、鳴梁海戦にさんかした朝鮮の船は漁船だし、この戦いで沈没した船は1隻も確認されていな

いという・・・
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この回答へのお礼

なにもかもが嘘っぱちですからね・・・

回答ど~も

お礼日時:2014/09/11 02:47

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