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国民国家の概念が19世紀のものって読んだのですが、東アジアについてもおなじなんでしょうか?

EU、ASEAN、多国籍企業など国境を超えるものって現在多いですよね。

反日、嫌韓など国の話ですよね。

東アジアはおくれて国の研究がはじまったとも読んだのですけど。

A 回答 (5件)

国民国家概念の出発については諸説ありますが、


ルターの宗教改革にその端を発する、という説が
有力です。

つまり、教会VS国家 という対立構造の中から
国民国家概念が出て来たのだ、というのです。

国民国家概念が完成されるまでは、国家は王侯貴族
だけのモノでした。

それが、国家は国民のモノだ、ということになり
ました。
この国民国家は、国家の総力を結集できるので
国家として非常に強力です。
だから西欧諸国がアジア、アフリカを席巻できたのです。

この国民国家樹立ですが、アジアで最初に成功したのが日本です。

日本でも、薩摩藩人、会津藩人、という意識が強かった
のですが、明治維新になって、山県有朋と西周が相談し、
天皇をもってくることにしました。

お前等は、薩摩藩人という以前に、天皇が治める日本という
国の国民なのだ、という訳です。
日本国民の誕生です。

国民国家の樹立に成功したので、日清戦争に勝つことが
出来たのです。
当時の清国は世界一のGDPを誇っていた大国です。

しかし、まともに戦ったのは李鴻章の私兵だけでした。
つまり、全日本軍と埼玉県が戦ったようなもので、
だから清国は敗退してしまったのです。

中国は、大正の頃でもまだ中国人という意識は殆ど持って
おりませんでした。
上海人、北京人という意識だけです。
この傾向は現代でもまだ残存しており、中国政府の悩みの種
でもあります。
中国が反日政策を採っているのも、これが理由の
一つです。
反日により、国民意識を醸成したい、というのです。

ちなみに、途上国がどうして途上国なのか、という理由は
この国民国家の樹立にあります。
途上国は国民である、という意識に乏しいのでまとまらず
政治が不安定になり、経済も発達しないのです。

イラクなどはその典型です。
民族や宗教意識が強く、国民意識が乏しいのでまとまらない
のです。
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こんにちは。

 #4の再入場です。 

東アジアというと『大陸である中国』、『半島である朝鮮』、『島国である日本』。 こんな三つの簡単な区分で民族を語ってしまいますが、これは少し誤解を招く区分です。

BC37年から668年の間、中国東北三省と朝鮮半島に広大な版土を持つ高句麗という強大な国家がありました。 この高句麗が『コリア』の語源であり、朝鮮民族のルーツです。 そして今でも精神的支柱となっています。 このツングース系の北方騎馬民族からなる強大な国家が6世紀に入り、急激に力が衰え、7世紀の後半、西暦668年に唐と新羅の連合軍によって滅亡させられています。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5% …

唐の力は強大で東北三省と朝鮮半島全体に支配権を広げ、このツングース系の騎馬民族を平定し、隷属関係に入れてしまいます。 これが冊封関係です。 

宗主国である中国王朝が強いと冊封国は虐げられ、逆に宗主国の土台が崩れて不安定になると冊封国は自由裁量権が増大し、繁栄する。 そんな関係だったようです。 

高句麗滅亡後、東北三省には沢山のツングース系民族が起り、境を接するモンゴル系遊牧民族と交易をして成長しています。 東北三省に居住する満州族は高句麗の末裔と考えることが出来ます。 そうなると、高句麗が語源となっている『コリア』の勢力範囲は途方もなく壮大だと言えそうです。 

朝鮮民族とは東北三省と朝鮮半島全体を支配する北方系騎馬民族だったと解釈されます。 その高句麗の滅亡から朝鮮民族の悲劇が始まっているのです。 何故なら、ここから朝鮮半島は中国歴代王朝に隷属を余儀なくされ、植民地となったからです。 

その長い隷属関係が1910年以降は日本との隷属関係に移った。 そう考えると朝鮮民族の悲哀が理解で出来るのです。 

朝鮮民族は7世紀後半から中国歴代王朝の支配下に入り、20世紀に入ってから日本の支配下に移された。 そして、日本の第二次大戦敗戦により、独立が許された。  

この朝鮮民族の壮大なロマンの中に日本が顔を出すのは僅かです。 『朝鮮民族の悲劇1300年』のうち最後の35年に過ぎません。 そこを我々日本人は良く理解しておく必要があります。 彼らの悲劇の責任95%以上は中国が負うべきものなのです。 しかし軍事大国である中国には物が言えないので、その責任を1300分の35しかない日本になすり付けている。 そう解釈出来ませんか?
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こんにちは。

 ご質問の趣旨は『民族自決』のことを仰っていると解釈します。

東アジアではまだ各民族がバラバラになって生活しています。 中国には50を越える少数民族があり、人口が少ないので『民族』に認定されていない『マイナー少数民族』もたくさんいます。 

東アジアにおける最大の民族問題は朝鮮族の扱いです。 豆満江以南に住む二つの朝鮮人国家の統一。 これが当面の課題ですが、さらに豆満江以北にも沢山の朝鮮族が住んでいます。 

その昔、強大な朝鮮族の国家がありました。その名を高句麗(こうくり)と言い、『Korea』の語源ともなっています。 朝鮮半島北部から満州一帯に強大な勢力を誇る北方騎馬民族でした。 遺跡に残された壁画によると日本の古墳のそれと酷似しているものもあり、力は日本列島にも及んでいた可能性もある由。 その高句麗の都は中国吉林省通化です。 

この強大な騎馬民族国家がどうして滅んでしまったのか今も謎に包まれていますが、或る時を境に急激に衰え、隋と戦いを繰り返し,唐に滅ぼされています。 そしてここから朝鮮半島と朝鮮民族の悲劇が始まるのです。 

満州(東北三省)に住む朝鮮族をも含んだ巨大な民族国家とならない限り、朝鮮の悲劇は終らないのです。  日本に45年間支配されたのが悲劇の始まりでもなければ、南北朝鮮の統一をもって終る話ではないのです。 そこを日本人は弁えておくべきです。 そこを混同して向うのペースに乗せられているだけの話。 同情して聞いているとこちらが巻き込まれてしまいますよ。 

彼らの悲劇の全責任を日本が負う必要なんかちっともない。 朝鮮族による民族国家は我々日本人が想像も出来ないほどに壮大なスケールのロマンスなのです。 我々日本人が負うべき責任は壮大な重箱のほんの隅っこの一角ほどもないほどに小さいものなのです。 それほどに朝鮮族は偉大な民族であり、我々日本人の与り知らぬお話なのですよ。 
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ローマ帝国の支配構造の事ですかね。

下界人をもちいた支配構造ですね。スパルタカスのドラマは、いい勉強になりました。
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『国民国家の概念』を、どのように理解するかで、国家觀が異なってきます。


単に国民と国家との関係という意味では無く、国家の主権が国民の総意に基づくと解するのが、フランス革命やアメリカの独立戦争の成果です。
そこから、19世紀に誕生した国家觀と言えるでしょう。
ロシア革命は、労働者と農民の主権国家という観念から導かれました。
明治維新は、天皇主権国家を誕生させました。
現憲法では、主権が国民にあることを明記しています。
中国では国家という観念の成立が遅く、辛亥革命の指導者達は、中国に安定した国名が存在しないことを嘆きました。歴代皇帝がそれぞれ勝手な王朝名を以て国名とし、分裂したり拡大したり、民族的自主性や自立の観念も乏しく、民衆が権力者の所有物の如く扱われてきたことを改革し、中華民国という国名を名乗り、政党政治を目指しました。
東南アジア諸国はヨーロッパ諸国の植民地とされたため、一層遅れました。
そういう意味では『東アジアはおくれて国の研究がはじまった』と云えるでしょう。
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