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もし、平幕力士が横綱と取組をして、変化(戦法としての)して、勝ってしまったらどうなるでしょうか?

また、あの「変化」は同レベルもしくは下位の力士に対してやるべきものなのでしょうか?

※ 角界的、世論的にです。

A 回答 (2件)

実際のところ、感覚は角界と観客・世論では真逆だと思います。

これはつまるところ「横綱の品格」にもつながる問題なのですが。

そもそも、変化の相撲がなぜ必要なのか。相撲が世界にも稀な「完全無差別級」の格闘技・武術だからです。もちろん角界入門時の最低身長・体重(身長(春場所のみ)165cm~167cm以上、体重67kg以上)がありますが、極論入門後にそこから体重が下回っても何のペナルティもない。

そんな世界です。幕内についても100kg以上の体重差で取り組みが行われることは当たり前。100kg以上の体重差でお互いの踏み込みによる衝撃も加わり…軽い方が不利に決まっています。

それでも完全無差別にしているのは、重量級=正義としているわけではありません。すべては「軽い力士にも勝てる術」をルールが認めているから。つまり引き・はたきなどに代表される「変化相撲」です。

もし力士の下の1文字、士(武士・士分)の思想が根付いているなら、勝てる手段がルールとして認められているのだから、本来力士の格云々など考慮する必要はないはず(少なくとも戦後からの昭和期の大相撲では横綱大関という上位陣が下位相手に変化をすることに今ほど批判はなかった)。さらに素人さんが勘違いすることに、変化相撲自体取組としては大きなリスクを背負うものばかりだということ。成功しても勝てるとは限らない(現にかつて大関三重ノ海が横綱北の湖に「ねこだまし」をかまして、「負けた」)。それでも行う、リスクを負ってもなお仕掛けるのですから、むしろ変化相撲は「積極的戦法」と言えます。漫然と突き押し寄り切りする力士よりよっぽどマシです。

今のように変化を嫌い、何が何でも真正面から突き押し、に賞賛が来るようになったのは、1つには「横綱審議委員会」の影響もあると見ます。
※それも委員に加わるメディア系出身者によるもの。これは某国営放送会長から某大新聞社社主まで、どいつもこいつも。

これは今場所の幕内の取り組みでもあるのですが、今場所中日を前にしてかつての遠藤以上の旋風を予感させる新入幕の逸ノ城。193cm、199kgという堂々たる体躯。これほどの巨体である上、体格で劣る力士が最も嫌がる「待つ相撲」を新入幕ながら堂々とこなしている度胸の良さ。間違いなく遠藤ごとき似非力士より上に行くでしょう。

問題は相対する相手力士です。これまで6日間、様々な工夫は見受けられるのですが、あからさまな変化相撲は今のところ1人もしていない。それはすべて「新入幕に対する格上力士の変化相撲」への、無言の嫌悪感が現在の角界に漂っているから、でしょう。

大相撲は勝ってナンボ、その手段は反則でない限り何でもいいはずなのです。横綱が蹴手繰り蹴返しをしようが、新入幕が対横綱戦で吊り落としをしようが反り投げを決めようが(もう1つの暗黙として、横綱相手に平幕の大技は嫌われています)、構わないはずです。しかし、現在の雰囲気ではどちらもやりようがない。その上、前述の通り逸ノ城は「相手が攻め疲れるまでじっくり待つ」ことが出来る度胸と体格を持ち合わせています。素人好角家の言う「横綱相撲」です。これでは、よほど飛び抜けた能力(スピード・怪力)でも持っていない限り、逸ノ城の勝ち星は当分続くでしょう(巨体ゆえの腰高感で勝手にコケる可能性もこの数番見受けられますが)。スピードのある幕内は存在せず、怪力は今や大砂嵐ただ1人。というかそれに匹敵すると言われているのが逸ノ城本人なのですから。

角界、特に実際取組を行う力士的には、変化を嫌うのはほとんどいないはずです(少なくとも露骨に嫌悪感を示した力士は昇格出来ても今のところ大関止まり。現役なら稀勢の里、かつては武蔵川部屋の大関3人衆(武双山・雅山・出島)は平幕相手の変化で負けた時はブーたれてましたね。所詮あの程度の関取でしたが)。しかし、それを嫌う偉そうな好角家(これは前述の大新聞社主の葉巻ジジイやらの事ですが)などが変に力士の品格について介入してきたこと、それを真に受けた日本相撲協会&協会員である親方衆、そしてメディアに騙される典型の大相撲ファン。これだけ揃って圧力をかけられれば、力士といえどもバカではないのだから引き技変化技を遠慮したくもなります。
※個人的には大相撲の会場で力士名を叫んでの大音量のエールとか、不満な時のブーイングなど、最近の大相撲はガラの悪い下衆な観客が多すぎるとは思っています。あいつらは所詮大相撲を競技としてしか見られない下品極まる存在だと。この愚劣な行為で潰された上位力士がこの数年多すぎる。現在の日馬富士の絶不調も、把瑠都・琴欧洲の志半ばでの引退も。すべては力士の枠にはまらない者に対する理不尽な批判が招いた悲劇。把瑠都の立合いのはたき込み、見事だったですけどね。あれに対する観客の反応は「帰れコール」でした。悲しい限りでした。今把瑠都はどこに…。

とはいえ、これはあくまでも精神的な話。実は根本的に変化を角界全体が嫌う理由が1つあるのですが。それを〆として書いておきたいと思います。

「変化を教えられる部屋持ち親方が現在角界に1人もいない。」
(部屋付きの親方には確かに現役時変化・技術で沸かせた人もいますが、部屋の力士の育成方針はあくまで部屋持ち親方の思想。だからこそこれまでも部屋の内部分裂は頻繁に起こっているのですが、最近それが少ないところを見ると部屋持ち親方の権力はより強固になっているのでしょう。現役時代突き押ししか出来なかった力士しか親方になっていないのだから、変化相撲の継承など出来るわけがない。変化相撲がキライな自称好角家の連中も、どうせ@20年も経てば大相撲に変化相撲は存在しなくなる、かもしれません。それまで黙って見ていればいい)

長文失礼しました。変化は卑怯ではありません、立派な「技術」です。その技術が途絶える危機、だと見ます。

この回答への補足

ありがとうございます。
大変参考になりました。

私は「格上が格下に仕掛ける変化」と「格下が格上に仕掛ける変化」の違いを知りたいのではなく、

「格下が格上に仕掛ける変化」
しかも平幕力士が横綱に対して行うもの

に対していかに良くないものであるかを言いたいのではなく、
また、変化が卑怯だという主張もありません。


例えば、回答者様も仰るように技能だけではなく、
品格も重要視?する角界では、

「格下が格上に仕掛ける変化」
しかも平幕力士が横綱に対して行うもの

というのは、大企業の会長職に対して平社員が初対面で冗談でツッコミを入れるようなものに相当するか?
というような疑問です。

あと、素人の私が個人的に言えば、「変化」はどんな理由あれ、観ている私としてガッカリするものではあります。
(立ち合いがなかなか合わないなどの場合、心理戦で行ったり、納得させられるものはありますが。)
「卑怯」とは思ってません。
昔、カウンターパンチのように、張り手一閃で一発で勝負決める力士もいましたね。
あれも同じ感想ですが「そういうものに頼って欲しくないという期待外れ」という表現がしっくりします。

観る者はあまり関係ない場であればいいのですが、詳しいものからど素人まで観るのが相撲なので、素人の感じ方(印象)はどうでもいいものでは無いように思えます。

補足日時:2014/09/20 07:29
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どうにもならない。


むしろ、綱力士が下位にやると、横綱審議委員がしゃしゃり出てくる。

変化も立派な作戦ではあるが、観客からのブーイングがすごい。
特に横綱なんかやったら、座布団飛んでくるんじゃないかな?

この回答への補足

どうなるでしょうね。

補足日時:2014/09/20 00:39
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