プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

昨日も質問させてもらったんですが、今軽い不安障害で(いつ襲って来るかわからない気持ち悪さの不安)悩んでいます。私は昔からマイナス思考で物事を悪い方に考える癖があります。そのため少し体の具合が悪いとネットで色々と調べたりしてさらに憂鬱や不安になったり、妻と結婚する前は妻から急に連絡がなくなると嫌われたんではないかと恋愛占いに行き、結婚の挨拶に妻の両親の元へ行く時は向かう車内でずっとまだ早いとか君とは結婚させられないとか言われるんじゃないかと不安でしかたありませんでした。最近は急に仕事がとても嫌だなと思うようになり定時までの間ずっと帰りたいばかり考えています…職場では人間関係も上手くいってるし仕事内容も嫌いではありません。ただ朝から帰るまでの約8時間がとても苦痛です。こうなったのも不安障害に悩ませれてからなんです。なぜこうなったかとかを思い返して見ると自分の根にあるマイナス思考が原因ではないかと思うようになり、これからは出来る限りのプラス思考人生を送ろうと思っているんですが、プラス思考になるには毎日毎日何をするにでもプラス思考を意識して物事を考えて行けば、楽しく生きていけるのでしょうか?またプラス思考になるにはどんな脳トレーニングをしていけばいいでしょうか?

A 回答 (3件)

プラス思考の状態をむりやり作り出すことはできますが、不安障害という状況から察するに、それ(プラス思考への転換)がそもそもできないからこそ不安「障害」である、と見ることができます。


もし「不安障害」という診断を正式に受けているなら、かかりつけに相談するのが得策かもしれません。

>プラス思考になるには毎日毎日何をするにでもプラス思考を意識して物事を考えて行けば、楽しく生きていけるのでしょうか?

極端です。
プラス思考を徹底すれば、必ず幸せに感じて生きていける、というところに思い込みがあります。
もともと悩むタイプであり、細かいことが気になるタイプであれば、ある程度自分で納得したほうが幸せでしょう。
その場合、プラス思考を実践することによって、その人から、熟考する機会を奪ってしまうという現象が起こります。
(そもそも逆のタイプである場合、このような場所で質問してまで回答を得ようと思わないのではないか、と考えます。)

プラス思考、マイナス思考、どちらか一方に徹底するという、オールオアナッシンクな考え方は極端であると考えられます。

誰しも、日常生活において、TPOにあわせてプラス思考、マイナス思考を使い分けているのです。
そのシチュエーションに対する、どちらを採用するか、またどちらの方法もとらないか、は、環境、その人の人間性、趣向などさまざまな要因により決定されるでしょう。

かならずしもこっちをとればうまくいく、という安易な解決策はないんですよ。

ひょっとしたらマンネリ化してしまって、モチベーションが低下しているのかもしれませんね。
新しく興味のあることを始めてみる、運動をしてみる、など刺激を取り入れることをお勧めいたします。
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不安感が突然襲ってくるとか、焦燥感が突然襲ってくるのは、私もありました。



長くストレスに晒されていると、そう言う癖がついてしまうようです。

ここから救われた切っ掛けと言うのが、

ご質問にあるとおり、「すべてのことが楽しく感じる」と言う体感からです。

涙が出るくらい素晴らしい体験でした。

「これが本来の自分ではないか?」

そう思いました。

また、これは明日までは続かないだろうと、賢く悟ったのを覚えています。

そのときの自分は、それまでの自分と全く違う別の人のように思考していました。

いまは逆で、そのときの自分が”私”になっています。

不安感や焦燥感に悩まされていた過去の自分を別人のように感じています。


人生においてこんなことが可能なんだと知らなかったわけですから、

大変興奮しました。

訓練で変えられますが、効果が体感できるまで半年から1年。

更に元に戻らないようにするためには、継続して何年も実践しないとだめです。

悪かった状態から、普通の状態に戻るまでは2年。

そこから普通の人を超えた状態にも移行していきます。

そうなると際限なく能力が向上していくようになります。


次に、考え方です。

経験から申しますと、段々と良くなると言うイメージではないですね。

これだと変わらないと思います。

また、人を観察して、それを真似ても駄目です。

体感をイメージして憧れることしか方法がありません。

つまり、一度でよいので、体と心で感じないといけません。

訓練と言うのは、この状態を何度も再現して、出来るだけ長くとどまる努力です。


人の性質、人格には弾性があるようで、

元に戻ろうとするみたいです。


例えば、

「こんな良いことがあった」

とか語りますよね。

しかしもうそのときの体感は思い出せないんですよ。

ですが、

思い出せないようにしているのは、今の人格が、今の人格にとどまろうとしている

防衛による妨害であると、気がつかないといけません。


怒りっぽい人、卑怯な人、嘘をつく人、勇気の無い人。

不安を感じる人、焦燥感に悩まされる人。

誰もがこうした人に成りうる能力を持っています。

しかし、一瞬そこに切り替わっても、弾性があるので、元の状態に戻れるわけです。


脳がいい加減なのは、

長く留まっている状態を主格として、本拠地にしてしまうことです。

本人の都合を考えず、機械的にそこをベースにします。


油断をすると、ベースが切り替わってしまい、抜け出せなくなるわけです。

私の場合は、長くストレスにされされており、

そこで何時も怒っていましたので、ここをベースとされて切り替えられてしまいました。


元に戻ると言うイメージがわきません。

そこで、さきほど述べたように、

理想的な素晴らしい感覚を体験しましたので、

「あれこそ本当の自分である」

とイメージして、そちらに乗り換えることにしたわけです。


実際に、

日常生活では、嬉しかったこと、楽しかったことなどがあるのですが、

そのあと、必ずその体感を消して、忘れさせようとする力が働きます。

ここに抵抗し、

「何故

 『そうしてコレを一瞬の出来事。長く続かない。忘れろ』

 と言うのか? お前は誰なのだ?」

等と、喜びを消そうとする自然な脳の働きを察知して、

これら為そうとする犯人が脳の中におり、

彼らの自己都合(今の人格を維持しようとする防衛本能)により、

自分が損をしていると(妄想して)、その罪をクローズアップするのです。

私は日記などにも書きました。非常に可笑しい行動に見えますが、効果があります。


ウツから脱出した人は、似たような行動をとっているようです。

ランニングを使う人もいました。

自転車を使う人もいました。

スカイダイビングを使う人もいました。

私の場合はカラオケです。


これは喜びの体感を作り、イメージとして定着させるためです。

最初の体感がないとだめですから。

ポジティブシンキングと言うのは、人格が入れ替わった後の性質であって、

ポジティブに考えると何かが変わるのではありません。

ポジティブにしか考えられない人格が定着したということです。

つまり結果論であって手段ではない。


肉体や心が喜びを感じて充実する何かの行動を取り、

「一つの体験として忘れようとする作用に対してブロックをかけて、

 こちらが本来の自分であるといい続ける」

この最後の部分をするかしないかが大きいと思います。

そうしないと、

「xxが良かったから、喜びを感じているだけであり、

 xxが無かったら、特に喜びを感じないはず」

と言う結論をして、元に戻ろうとするのです。

実際は、

・何があっても不安に感じる自分
・何があっても喜びを感じる自分
・何があっても怒りを感じる自分
・何があっても嘘をつく自分
・何があっても相手を思いやる自分
・何があっても理論的に解明しようとする自分
・・・・
などなど、何があっても、xxxする自分と言うのが沢山おりまして、

これらがブレンドされて一つの統合した人格になっているだけです。

そして、普段からよくやる行為により、

主格としてどれかがベースに選択されます。

主格に戻るときの呪文はこんな感じのようです。

「xxxがあったから、たまたまそう感じただけ」

と言う理屈付けです。

本来は、いずれの自分をもベースに出来るのですが、

原因を外に求めることで、変化をしないようにガードをかける機構があるようです。


喜びを維持しようとするのではなく、

元に戻そうとして理屈付けする自分の衝動を糾弾し、

「おまえは本来の俺じゃないから、自分の様に偉そうにいうな」

と言う具合に居候のように扱う。

これを心の中で言葉にしておくと、効果的でした。


素晴らしい人を見たり、素晴らしい発想持ったり、人を思いやったりしたとき、

・結局こういうことがあったら、あいつだって見苦しく行動するはず
・結局そういう思いやりも打算から生まれてるんでしょ
・本来の心ってそんなに綺麗じゃないんじゃない?
・真実って醜いものでしょ?

と言う、まるでそれが当然のように説得しようとする人格がいます。

しかし、これらの説得自体に論拠が無いのです。

むしろ不思議なのは、必死にそれらを否定しようとする衝動でしょう。

「どっちでもいいじゃないか?」

と言うのが本当のところですよね。

これほど頑張っている何かが自分の中におり、

変化するのを諦めさせようとしているのです。

自分を変えるには、この衝動を認知して、その強さに驚くことです。

例えば、

「少しでも効果があるなら、少しは頑張ろう」

と言う発想は許容されるんです。

無駄に終わることが分かっているからでしょう。

また、

「劇的な変化がおきる、劇的な方法はないか?」

こういう発想も許容されます。

無駄に終わるからです。

とにかく、今の自分が変化しない結末になりそうな場合は、

例え前向きであっても許容されます。

しかし、本当に変わってしまえる方法を見つけた場合は、

体験したり、やり方がわかっても、記憶から抹消されます。

次には面倒だと言う感覚が生まれて、実践させないように制御されます。


この機構が強いため、時間がかかると言うことです。

どこをベースにして自分を作り変えても、本人の自由ですが、

少なくともこれらのガードを制御して、

自分に都合よく自分を変えられる訓練は大事です。

そうしないと、成り行き任せの自分になってしまいます。


第一に、体感イメージを作るシーンを選びます。

・運動や音楽など、体感できるシーンを導入して、喜びと感謝の体感イメージを作る
・宇宙や自然を考えたり、文章を読んで感動したりする体感イメージを作る

第二に、その直後に記憶を消そうとする衝動の強さを確認します

・「一過性のものであり、自分ではなく、外の何かが凄いからだ」と言う主張を確認する
・自分を哀れもうとする衝動を確認する

第三に、その衝動に対して糾弾します

・今の喜びと感謝に包まれている自分も自分だろう?
・どうして元の「ちっぽけな自分」に戻る必要があるのか?
・いったいお前は何なのだ?
・どうして自分こそ主格だと不当に頑張るのか?

これをする頻度はかなり密にしないとだめです。

一日一回出来るくらいのお手軽なものにするのがよいです。

日常にランニングを取り入れている人もいます。

第一のシーンとして億劫にならない、可能なものがいいですね。

とにかく喜びと感謝を感じる瞬間があればOKです。

ここで第二、第三を行う習慣ができれば、変化します。

大体の人は、第二の抵抗に負けてしまいます。

そして、例え変化に成功しても、

これらをやらせまいとする抵抗が働きます。

・もう何時でも生まれ変われると分かったんだからいいんじゃないか?
・よほど困ったとき、また覚悟を決めてやればいいんじゃないか? 今は休もうよ
・あれは錯覚だったんじゃないか? もう一度やったら違う結果になるぞ
・もうお前は大丈夫だ、生まれ変わったんだから

と言う抵抗が生まれます。

こうして並べてみると、それぞれの論旨は矛盾しています。

二度とやらせまいという目的だけが一致していますね。

しかし、この説得がされるようなっているときは、本当に変化した後です。

まずは目指したいところですね。

以上、ご参考に成れば。
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不安というのは当面の課題に対して何もできない場合に生じます。

もう一つは当面の課題がはっきりしない場合にも現れます。前者については出来ることだけに集中するということですが、後者は課題が見えないだけに対応のしようがないので、出口を見つけようにも見つからないということから、不安の度合いは軽くても、かえって対応が難しい。
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