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大日本帝国憲法では、各国務大臣は天皇を輔弼し云々とありますが、これが僕には何だかよく分かりません。要するに、国策の最終決定権は天皇と内閣のどちらにあったのですか?


例えば戦前、天皇陛下は戦争回避の意思を抱いていて、御前会議なんかでも外交努力を優先するよう指示していましたよね?

杉山参謀総長が叱責されたりしていたのに、結局、帝国国策遂行要領は戦争へ邁進する形で決定されてしまいましたよね?

結局、天皇は国策を決定する最終決定権は有していなかったのですか?

A 回答 (4件)

mkfdhさん、こんばんは。




各国務大臣は天皇を輔弼するというのは天皇に対して国務大臣が助言を与えるということですが、何故なら、日本は立憲君主国であり、天皇独断で運用するのではなく、政策は内閣が天皇の了解を得て決断を下すようになっていました。
因みに自分勝手なことをする君主を専制君主といいます。
もっとも昭和天皇は張作霖爆殺事件で田中儀一総理大臣を辞任させたり、2.26事件で自分で鎮圧すると言ったりしていましたが、その後は終戦まで自分の意見を述べることをしなくなります。


実は国策を決定する段階での責任者を大日本帝国憲法では形式上天皇ということにしていましたが、とても曖昧でした。実は昭和初期まで元老がこの役割を担ってきました。その理由は大日本帝国憲法を創案するときに伊藤博文が憲法学者のグナイストから首相に国策決定権を与えてしまうと、君主の権力が低下するので、首相に国策決定権を与えてはいけないと助言したからだといわれています。
だから、昭和初期に軍部は統帥権を盾に内閣をないがしろにして暴走を始めたのです。
詳細は下記のURLを参照ください。

大日本帝国憲法

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。建前上であっても統帥権が天皇にある限り、内閣の決定を天皇が覆しても何も問題はないと僕は思い込んでました。

お礼日時:2014/09/22 18:57

>結局、天皇は国策を決定する最終決定権は有していなかったのですか?



ここらへんについてシンプルに回答します。
大日本帝国憲法時代の日本では、国にとって重要な決定事項は天皇が出席する御前会議で奏上、つまり議題にかけられて、内閣が「かくかくしかじかこうなりましたので、裁可をお願いします」というと、天皇が「うむ。よきにはからえ」となって裁可されることで「国として正式決定」となります。
形式上は天皇の裁可によって決まるので、例えば天皇の戦争責任を問う場合の根拠として「御前会議で天皇が許可したからこそ開戦できた」というのがありますよね。

しかし、このシステムには日本人らしい外国人には理解不能の仕組みがあります。

それは、「実は天皇に否決・拒否権がない」ということです。
他ならぬ対米戦争開戦の御前会議のとき、昭和天皇は「俺は英米と戦争にするなと散々いってきたのに結局開戦するとか言い出している。俺はその開戦決定の御前会議で発言をする」と言い出して侍従長や内閣を大騒ぎさせました。
何しろ、形式上とはいえ天皇の裁可がないと開戦はできませんから、天皇が「却下だ」といえばそうなってしまいます。
しかし侍従長らは「御前会議で天皇が発言した前例はない」といって必死に昭和天皇を説得します。そう、暗黙の了解として御前会議にかけられたらもうそれは決められたことだから覆してはいけないのです。

別にこのことについては日本の社会でそうおかしな話ではありません。「役員会議にかけられた議題は否決される前例はない」なんて会社はごまんとあります。また稟議書が回ってきたら上司は必ずハンコを押すのが暗黙の了解となっている会社もあります。そのため、稟議書の前に「お伺い書」なるものを作成して上司に根回しをするのがお約束なんて会社もあります。

「臣下が奏上した議題を裁可する権利を持って」いるものの、「それを裁可する以外の権利は有さない」という場合、それは決定権を有するといえるかどうかは難しいですよね。一般的にはそういうのを「傀儡」と呼ぶかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。天皇に拒否・否決権がないのは慣例としての了解事だったわけですね?

お礼日時:2014/09/22 19:05

ぜひ大日本帝国憲法の一読を勧めます。

言葉遣いが古めかしいのですが、内容は現行の憲法と比べても、国民の自由や権利を束縛するものではありません。

明治天皇は五箇条の御誓文で「広く会議を興し万機公論に決すべし」とのお言葉をお示しになりました。帝国憲法はその精神を実現するために制定されたのです。これを上辺だけの飾りごとのように読み取ると、その後の歴史を読み誤ることになります。

天皇は政治に意見をされることは厳しく謹んでおられました。例外的に意見をされたのは、戦争回避や、ポツダム宣言の受諾のように終戦の決意をする場面だけです。しかし大原則が英国のように「君臨すれども統治せず」でしたので、政治が戦争の意思を決定した場合は、それに従う態度を取られたのです。ご自身が戦地に赴かれることは、さすがにありませんでしたが、皇族は志願して最前線へと向かわれました。国民だけを危険な目に遭わせるということはなさいませんでした。政治の決定に従って、ご家族を戦地へと送られたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になり、また勉強にもなりました。

お礼日時:2014/09/22 18:52

>>結局、天皇は国策を決定する最終決定権は有していなかったのですか?



幸福の科学の大川隆法総裁による、「明治天皇・昭和天皇の霊言」の収録ビデオを見ると、明治天皇の意見では、質問者さんの思うように「昭和天皇は最終決定権を有していた」と発言されています。

ですので、断固として「米英との開戦には反対である!」と天皇が発言されれば、日米開戦は無かったでしょうね。
ただ、その選択を天皇がされていたら、アフリカ・アジアの欧米の殖民地はそのまま維持され、中国も朝鮮半島も植民地になり、日本も事実上の植民地になっていたことでしょうし、当然ながら、有色人種に対する差別も続いていたことでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。

お礼日時:2014/09/22 18:50

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