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僕は死が怖いです
当たり前じゃないか と思う人もいるかもしれませんが、おそらく僕の場合限度が違います
軽く鬱気味なくらい死ぬことに対して恐怖心を抱いています

個人的には輪廻転生を信じています
科学的に証明されていないから存在しないと言う人がいますが、そもそも科学が存在を証明するのではなく、存在があって化学が証明していくものなので、科学的に証明されていないから存在しない、と言った論理的ではない答えは要りません

他の理由としては、前世の記憶がある人がいる、そもそも普通に考えれば魂は存在するのでその上で転生をしない筈がない
などです
他にも色々ありますが、皆さんの意見も聞きたいのでこの辺にしときます

出来る限り無宗教で論理的な意見をお願いします
出来れば死後の世界又は輪廻転生があると思っている方々、よろしくお願いします

A 回答 (15件中1~10件)

個人的には、死後の世界があった方が面白い!と思っています。

また、昔いろいろな事を思い考えた時に きれいさっぱり消滅してしまうのも 一つの救いだな とも思いました。


あるんじゃねーかなぁ? と考えてみた事を


ただの有機体の集まりなのに、なんで心や精神があるんだろう? 
どっから発生してるの?
いや、そもそも命はどこから発生するんだろう?
という謎があります。

私にとってはむちゃくちゃ謎です。
フランケンシュタインじゃないけど、パーツを集めて縫い合わせても、生きないよ(今の科学の限界越えだよね?)
発生源をなんかしらのエネルギーを持つ魂なるものと言うのかなぁと思いました。
いきなり発生するのは変だから、どっかに魂の発生場所があってキープされてて、それが入って命になるのかなぁ?
じゃ死んだ時はどうなるんだろ?
出てくの? 魂が消滅して死ぬって感じじゃないから、先に体が死ぬと思う。
抜けちゃったんかな、なら出ていって…大元に還るか、キープ場所に行くか(元来た場所と同じかは不明)だと思う。
魂の消滅が先じゃないなら、死後はある か、な?


幽霊なるものがある。
存在の証明はされてないが、少なくとも言葉は存在してる。
見える人がいるようだ。
ではそれはなんだろう?という事になる。
どっかに記録が残ってて、残像じみたものが見えるのかも知れない。
じゃその記録ってなんだよ? となると、それは気みたいなものだろうか?と思った。

脳がおかしいんだ、錯覚だ、と言われても…見た事あるとねー。
むーむむむ、となるよねー。

幽霊はともかくとして(存在が証明されると死後の世界についての考え方が 多岐に渡って出て来そうだけど)、気はあるよねー。

ここも証明が必要な所なんだろうけど…ああ、あるんだな、と体感して認識してると説明が難しい~!!!
だってあるじゃん! としか言いようが(困)
だってエネルギーなんだもん!!
体の内部から外にもちょびっと出てるエネルギーなんだもん。
体熱があって、体の外にも熱を発散させてるみたいなことなんだもの~
電気信号的というか…行き来もしてるし…どういえばいいんだ???
少なくとも私にとってはそうなので、体にエネルギーがある事(体熱がある事)を知らない・判らない方々にどう説明したらいいのか判らない様に判らない(大汗)
気配を感じるのも近いのかな?
下向いて作業してても、誰が来たのかは気配で認識してたりするから

あるという事を前提に(仕方ないので)して

前にあったものが残ってって、それを受信したら幽霊のように見えるのかも知れない。
強く思ったことなどが…念っていうのかな…エネルギーとして残ってたり、誰かや何かにくっついてたり(生霊?)してもそれっぽいと思う。

でも この気もどうして発生してるのかが判らない

発生源はどこだ~!!!
有機体の活動だけで発生するのか?
どうやら精神や想い(心)も関係するみたいだぞ

…そうなると、発生&コントロール元は   魂?
また出たぞ、魂
そうなると上記に同じ

あるかなぁ?
証明にはならないけど、思ってる事を
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この回答へのお礼

<同感です>
今の僕の気持ちを表すのにこれ以上の言葉は要りません
ありがとうございました

お礼日時:2014/10/12 18:13

科学の解釈は僕と合います。

生命の不思議には証拠などなく、事実から解釈している科学にわかっていることは、それほど多くはないのではないでしょうか。
僕は、前世の記憶があります。この世は、食べ物を得るための方法を考えたり(仕事)、修行をして、よりよく生きていく場です。地球に旅をしにきている、と考えるといいと思います。住んでいる家も、自分が亡くなってしまえば、他の人のものになる。だから固執する必要もない。命も同じです。この世の旅が終われば、もといた世界、あの世に帰ります。生まれて死ぬのだから、もといた世界があるわけです。そしてあの世で過ごして、また生まれたい理由と意志が固まったら、また修行の旅に出る、というわけです。それだけ魅力的なんでしょう、地球は。死が怖いのは、「失うことへの恐怖」です。でも、気持ち的には怖くても、実際は、ただ亡くなるだけです。事実のみを考えれば、その時まで、思いきり生きればいいんです。亡くなる時も、病気になって入院して、考えたり思い出したり、心の準備ができるのが普通です。事故などで、急に亡くなる時は、死を悟った一瞬で、この世でのことを思い出すそうです。
人は、出会ったすべての人を夢に見るそうです。人に会えるのも、生きている喜びですよね…。
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私は輪廻転生は次のような形で起こるのでは無いかと考えたことがあります。



まず考えるのは、パラレルワールドです。この世には数え切れない天文学的数字のパラレルワールドが存在していて、死後はその別の世界にリンクするのではないか、と。私たちは一種のデータのようなものであり、クラウドコンピューティングのように他の場所でそれは担保されている。
死後はそのクラウドからまた別のサーバーを通って別の世界に生まれる、と。

こんな感じです。今風だと思います。
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>「論理的ではない答えは要りません」






>「僕は死が怖いです
当たり前じゃないか と思う人もいるかもしれませんが、おそらく僕の場合限度が違います
軽く鬱気味なくらい死ぬことに対して恐怖心を抱いています


>「個人的には輪廻転生を信じています」

・・・矛盾ですね。
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この回答へのお礼

死が怖いのは輪廻転生を信じているが絶対的な根拠はないから
だから根拠を示して欲しい
また、死後を科学で証明は出来ないのは当たり前だが論として根拠を示す事が出来ると思う
その論をお願いしたい
以上、矛盾していないという証明でしたー

お礼日時:2014/10/11 20:51

>存在がないことを証明できてませんよね



仮に存在がないことを証明できたとしても、それは現世においてという括弧付きになります
なので証明できるとかできないとかそういう次元の話じゃないんですよ、死後の世界という
現世と別の世界が存在するという説は
説そのものが否定しようがない構造になってるので真・偽の二元論で考えれば偽であるとは
言えないために真であると言えてるだけで
それは説の正しさの証明にはなりません、つまりあなたの信仰には根拠はないんです
死後の世界が存在するなら、死への恐怖が和らぐから信じるというだけでしょ
そういった意味では、感情論で肯定できるなら、感情論で否定だってできます
なのでこの議論では私は信じないから死後の世界は存在しないと言えるのですよ
少なくともあなたの信心による同程度の確かさを持ってね
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もし現世のほかに前世や来世があるとしましょう。


その前世や来世には時間・空間があるのでしょうか?
もし、前世や来世に時間・空間があるとすると、二つの時間・空間があることになりますが、時間・空間の概念からして二つの時間・空間があることは矛盾です。
なぜならば時間は無限であり、空間も無限だとすれば、無限が二つあることは矛盾だからです。
したがって、時間・空間は一つでなければなりません。
時間・空間が一つだということは前世や来世が存在しないということです。

仏教では輪廻転生して人間が畜生に生まれ変わったりすると言われます。
人間ならば修行して天道に生まれ変われますが、畜生がどのような修行をすれば、人間に生まれ変われるのか、その道筋が分かりません。
あなたは犬や猫、サル等がどのような修行ができると思いますか?
現世で悪い行ないをすると地獄に堕ちると言われますが、地獄に堕ちたものは、そのまま輪廻して人間に生まれ変わるためには善行を積まねばなりません。
何もしないで、輪廻するわけではありません。
業観輪廻といって、現世で悪い行ないをすると輪廻するのです。
私は人間が畜生に堕ちた場合、その畜生がどのようにして善行を積むのか、それが想像できません。
天人五衰と言って天国に生まれ変わった人間でも、善いことをしないと五衰、つまり天国に居られなくなって堕ちます。
いいかえると輪廻転生の中核にあるのは行為です。
何もしないのに輪廻転生するものではありません。

人間はたいてい死にますが、1つだけ例外があり、それが私です。
私たちは他人の死を見て、自分もあのように死ぬのだろうな、と他人の死と自分の死を同一視しますが、私の死と他人の死とは決定的に異なります。
私の死は意識の死ですが、他人の死は生物としての死です。
他人の死は、ここまでが生で、これから先は死だという明確な境界線がありますが、私の場合、そんな明確な境界線はありません。

古代ギリシャの.エピクロス(BC341~270)は言っています、

「死は我々にとって諸々の悪いものの内でもっとも恐ろしいものとされているが実は死は私とは関係がない。なぜかといえば、我々が存在する限り死は現に存在せず、死が現に存在するときは、もはや我々は存在しないからである」と。

つまり意識に関して言う限り、私が生きている限りは生きているのだし、私が死んだらそれを振り返って私が死んだのを確かめようにも肝心の私がもういないということです。
私には生死の境界線なんて存在しません。
もし、生の先に死という壁が存在し、その壁の向こうに行って、壁があるのを振り返って確かめられれば、死という境界線があると言えるかもしれませんが、私が死んだら、壁の向こうなんて存在しないのですから、死という壁も境界線も存在しません。
もしそれを確かめられるとしたら、毎晩あなたが眠るときに何時何分に眠るか、それが分かるかやってみるといいです。
それに私は自分が誕生した場面をみずから見たことはないし、気が付いたら私が存在していたわけだし、それに私が死ぬ場合でも、死の前に意識がボケてしまって、うつらうつらしながら死んでゆくのです。

たしかに人類の歴史がこれまで何千年あったかもしれませんが、その間私という存在は現われたことはないし、地上でわずか100年足らず生きて死んだら、この先何千年の人類の歴史が続くとしても、私という存在はもう2度と地上に現われることはありませんから、私という存在は謎で不可解だということができます。
私が死んでも、人々は私が存在したことなんか忘れて、みんなで楽しく談笑し、スポーツや恋愛に専念するでしょう。
そう思うと、何となくやりきれない気分になります。

だけど、本当に私は死ぬのでしょうか?
私は他人が死んでも自分だけは例外で死なない感じがします。
なぜって、意識には原理的に言って終わりというものがないからです。
終わったと思ったら、その先がある、というのが意識ですから、意識には限界がありません。
だとしたら、私は死なないのではないでしょうか?

最後に道元の「正法眼蔵」から言葉を紹介して終わります、

「薪が燃えて灰になるに非ず、薪は薪にして一つの位なり、灰は灰にして一つの位なり、薪が燃えて移り行き灰になるとには非ず」。

つまり、生は生で完結しており、死は死で完結しており、生が死に移行するのではないということ。
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もし現世のほかに前世や来世があるとしましょう。


その前世や来世には時間・空間があるのでしょうか?
もし、前世や来世に時間・空間があるとすると、二つの時間・空間があることになりますが、時間・空間の概念からして二つの時間・空間があることは矛盾です。
なぜならば時間は無限であり、空間も無限だとすれば、無限が二つあることは矛盾だからです。
したがって、時間・空間は一つでなければなりません。
時間・空間が一つだということは前世や来世が存在しないということです。

仏教では輪廻転生して人間が畜生に生まれ変わったりすると言われます。
人間ならば修行して天道に生まれ変われますが、畜生がどのような修行をすれば、人間に生まれ変われるのか、その道筋が分かりません。
あなたは犬や猫、サル等がどのような修行ができると思いますか?
現世で悪い行ないをすると地獄に堕ちると言われますが、地獄に堕ちたものは、そのまま輪廻して人間に生まれ変わるためには善行を積まねばなりません。
何もしないで、輪廻するわけではありません。
業感輪廻といって、現世で悪い行ないをすると輪廻するのです。
私は人間が畜生に堕ちた場合、その畜生がどのようにして善行を積むのか、それが想像できません。
天人五衰と言って天国に生まれ変わった人間でも、善いことをしないと五衰、つまり天国に居られなくなって堕ちます。
いいかえると輪廻転生の中核にあるのは行為です。
何もしないのに輪廻転生するものではありません。

人間はたいてい死にますが、1つだけ例外があり、それが私です。
私たちは他人の死を見て、自分もあのように死ぬのだろうな、と他人の死と自分の死を同一視しますが、私の死と他人の死とは決定的に異なります。
私の死は意識の死ですが、他人の死は生物としての死です。
他人の死は、ここまでが生で、これから先は死だという明確な境界線がありますが、私の場合、そんな明確な境界線はありません。
古代ギリシャの.エピクロス(BC341~270)は言っています、
「死は我々にとって諸々の悪いものの内でもっとも恐ろしいものとされているが実は死は私とは関係がない。なぜかといえば、我々が存在する限り死は現に存在せず、死が現に存在するときは、もはや我々は存在しないからである」と。
つまり意識に関して言う限り、私が生きている限りは生きているのだし、私が死んだらそれを振り返って私が死んだのを確かめようにも肝心の私がもういないということです。
私には生死の境界線なんて存在しません。
もしね生の先に死という壁が存在し、その壁の向こうに行って、壁があるのを振り返って確かめられれば、死という境界線があると言えるかもしれませんが、私が死んだら、壁の向こうなんて存在しないのですから、死という壁も境界線も存在しません。
もしそれを確かめられるとしたら、毎晩あなたが眠るときに何時何分に眠るか、それが分かるかやってみるといいです。
それに私は自分が誕生した場面をみずから見たことはないし、気が付いたら私が存在していたわけだし、それに私が死ぬ場合でも、死の前に意識がボケてしまって、うつらうつらしながら死んでゆくのです。
たしかに人類の歴史がこれまで何千年あったかもしれませんが、その間私という存在は現われたことはないし、地上でわずか100年足らず生きて死んだら、この先何千年の人類の歴史が続くとしても、私という存在はもう2度と地上に現われることはありませんから、私という存在は謎で不可解だということができます。
私が死んでも、人々は私が存在したことなんか忘れて、みんなで楽しく談笑し、スポーツや恋愛に専念するでしょう。
そう思うと、何となくやりきれない気分になります。

だけど、本当に私は死ぬのでしょうか?
私は他人が死んでも自分だけは例外で死なない感じがします。
なぜって、意識には原理的に言って終わりというものがないからです。
終わったと思ったら、その先がある、というのが意識ですから、意識には限界がありません。
だとしたら、私は死なないのではないでしょうか?
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>存在があって化学が証明していくものなので、科学的に証明されていないから存在しない、


>と言った論理的ではない答えは要りません

科学的に証明できないなら、あなたが言う存在を見つけられなかったってことです
そもそもとして、死後の世界と言ってるように現実の世界とは別の世界があると仮定してるのですから
ある意味では存在がみつからないことは死後の世界が存在するという説を補強することになりますが
同時に、仮定より、現実の世界にはそういった死後の世界に関するものは存在しないということも
言えてしまいます

つまり科学的に証明するまでもなく、死後の世界が存在するという仮定は
現実の世界には死後の世界は存在しないという仮定を同時に生んでしまいます
なので、現実の世界に生きてる人が死後の世界は存在しないと言っても間違いではありません
仮定より導ける主張なので死後の世界そのものがどこにも存在しないという批判ではないからです

そして現実の世界に生きる人間にはその存在が証明不可能であることも同時に言えます
というのも、現実の世界には仮定より死後の世界が存在しないので、死後の世界に関する
存在は存在しないために死後の世界の痕跡を知りようがないのです
なのでこの仮定には仮定より何の根拠もつけられないのです

存在を見つけられないことも見つけることも、死後の世界が存在することを裏付けることになる
根本的に否定のしようがない構造を持っています
論理学的に言えば、偽ではないので真と言えてしまいます

論理的な人なら死後の世界を受け入れられるのでしょうが、私は感情的な人間なので
死後の世界は死ぬということが理解できない、もしくは死ぬことが怖いために
人間が生み出した空想・妄想であると思ってしまいます
つまり我々の心の隙間を埋めるようにデザインされた都合の良い考えです
常識的に考えて、そんな絵に描いた餅を信じられるわけないじゃないですか
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この回答へのお礼

>>科学的に証明できないなら、あなたが言う存在を見つけられなかったってことです
その理屈なら、輪廻転生はない、とも証明されてないわけですから、存在がないことを証明できてませんよね

お礼日時:2014/10/09 18:26

魂が尽きて、


輪廻転生をしたとしても、
前世の記憶はないと思います。
しかし、
記憶は無くても、
輪廻転生をしたなら、
特技などが受け継がれると思います。

自分的には、
輪廻転生に近いですが、
死後、
別の生物(人、又は小動物など)となり、
新たな生命体になると思います。
これは、以前の何かしらを受け継いでいる訳ではなく、
他の新しい考えや、
感情を持つものだとおもいます。
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輪廻転生をしたければ子孫をつくることです。

それによって貴方の遺伝子は生き返るのです。子孫が見る世界が貴方の死後の世界です。その世界を良くしてやるために、貴方は今を努力しなければならないのです。
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