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まず、
 コードレス☆照れ☆PHONE (ゆかたんコンサートバージョン)

を聞いていただきまして・・・。

動画は、ニコニコ動画の
http://www.nicovideo.jp/watch/1388065030
で。

(個人的には動画の方が音質的にも、この楽曲の本質的部分を理解する上においてもよろしいかと・・・。ですが、1番だけなので、全曲を知るためにはyoutubeがよろしいかと)


この「ゆかたんコンサートバージョン」を聴きまして、私、強い衝撃を受けました。
「これって実は音楽史における大事件なんじゃないか?」
なんて思っちゃいました。

「コール」というのでしょうか、
これは合唱ではない。伴奏でもない。あまりに構造が簡単すぎて、そもそも音楽といえるものなのか、それすら怪しい。
しかし、この効果は絶大なんですよ。シナジー効果で圧倒的な説得力を聞き手に与え、しかも、聞き手をこの陶酔の渦の中に巻き込んでしまう。

さらに言えば、これは、演奏者と聴衆(国民というのでしょうか?)の応答で曲が構成されている。演奏者と聴衆が一体化し、この曲を奏でている。
こういう楽曲は、たぶん、これまで存在していないんですよ。

もちろん、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲のような例はあります。
聴衆は手拍子という形でその演奏に参加しますが、これはあくまでオマケ的な存在にしかすぎません。「ゆかたんコンサートバージョン」のコールのような役割ではありません。このコールはこの曲の必要不可欠な要素であるのに、手拍子はそのような役割を有していませんから。


まっ、わたしは買いかぶりが得意なので、実は大したことではないのかもしれませんが…。この可能性は極めて高い。


と、長々と前置きをしまして質問いたします。


1 「ゆかたんコンサートバージョン」のコールは、音楽の表現形式として新たな地平を提示しているのか?

2 YES、NOの理由は?

3 このコールのような役割を果たすものは、他の音楽に存在しているのか? あるとすれば、それは何か?

4 この曲のコールの役割とは?


参考までに、コールのないバージョンは
https://www.youtube.com/watch?v=NydG2jRj2Yw


よろしくお願いします(ペコリ)。

A 回答 (10件)

こんばんは。



新着質問の一覧で見かけてはいたのですが、質問者の名前に気がつかず、オーディオ関係の質問とばかり思っていました(笑)。丸一日たって回答が付いていないので、たぶん、動画を見ても何が特別なのか気が付かない人が多いのではないかと思います。私も普段はこのジャンルの音楽を聴くことはないので、聞き始めたときは、ただライヴでの聴衆の手拍子や掛け声を収録しただけで、何が特別なのかと不思議に思いました。しかし、半分ぐらい聞いたところで、意味が分かりました。
効果としては、バックコーラスやパーカッションでやってもいいような音楽的効果を聴衆の歓声に置き換えることで、ライヴの臨場感と音楽的なメリハリを同時に実現したような感じですね。御質問に一応番号が振ってあるので、その順番に私見を書きます。

1 まあ、そこまで画期的ではないかなと思います。

2 アイデアとしては面白いですが、どこまで発展できるかが疑問です。たとえば、私が思いつく応用的なアイデアとしては、観客席の右側と左側を分けて、掛け声や手拍子を拍ごとにステレオのチャンネルに振り分ける、5.1サラウンドを使って、歓声がぐるぐる回転するような効果を出して、臨場感を増やす、あるいは、もう少し音程感をはっきりさせて、バックコーラスの効果に近づける、パーカッション効果をもっと明白にする、などがありますが、ポップの場合は、音楽のスタイルが大体決まっていますから、ある程度アイデアが出きったところで、ワンパターン化、マンネリ化するおそれもあります。あと、これは録音でしかできませんよね。わずかな記憶をたどってみると、ポップのライヴで、聴衆が曲の特定の部分で声をかけたり、手拍子を変えたりというケースを聴いたことがあるような気がします。しかし、ここまでのものをやるには、聴衆と一緒にリハーサルをしなければならない(笑)。この動画がどのような方法で収録されたかわかりませんけれど、ちゃんとしたコーラスに「歓声パート」の楽譜を配って収録したのではないかと思います。

3 ありそうな気がしますが、すぐに思いつきません。クラシックなら、オペラの群衆シーンなどにありそうです。特に、現代の作曲家なら、伝統的なコーラスではなく、効果音として使った人がいそうですが、今のところ?です。民族音楽などにもあるかもしれません。例えば、ケチャなどの声の使い方はそうですけれど、この場合は背景ではなく、ケチャそのものが音楽の本体ですから、御質問で挙げておられるような相乗効果にはなっていません。



https://www.youtube.com/watch?v=t0HY0oD84OM

ブルガリアの音楽でも、少しそれに似た効果がありますが、今、Youtubeに適切な例が見つかりません。下の動画で、ほんの少しですが、合唱のなかで時々「ヒャー」という掛け声のようなものが入ります。これがもっと多くなったり、おしゃべりのようになったものがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=1WaCdYcj5cc&inde …

4 冒頭に書いてしまいました。聴衆の歓声や手拍子、掛け声を音楽的にアレンジして、単なる歓声を超えた、音楽的効果に高めることで、通常のライヴ以上の音楽的興奮と臨場感というシナジー効果を狙ったものです。初めて聞きましたが、うまいことを考えたとは思います。あと、ところどころ、日本民謡で、三味線弾きが入れる合いの手に似ているような効果が感じられます。

ねこさんの耳は確かですから、目(耳?)のつけどころはいいですね。この間教えていただいた、plapotaさん推薦の般若心経もそうですが、みなさん面白いものを見つけられます。そういえば、少し前に出た、合唱曲の選択の質問ですが、私は2曲とも知らず、Youtubeで探すのも面倒なのでそのままにしておいたら、ねこさんが回答してくださいました。正しい回答でした。

このコールに似た例がないか、少し考えておきます。
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆聴衆の歓声や手拍子、掛け声を音楽的にアレンジして、単なる歓声を超えた、音楽的効果に高めることで、通常のライヴ以上の音楽的興奮と臨場感というシナジー効果を狙ったものです。初めて聞きましたが、うまいことを考えたとは思います。
◇はい、うまいことを考えたなと思います。


☆あと、ところどころ、日本民謡で、三味線弾きが入れる合いの手に似ているような効果が感じられます。
◇だと思います。
この思いつきは、日本民謡にあるのだと思います。
そして、コールそのものが日本的なのではないですかね♪


☆もう少し音程感をはっきりさせて、バックコーラスの効果に近づける、
◇これについては反対します。
むしろ単純で自然発生的、原始的な方が聞き手は陶酔できるのではないか、という感じがします。

しかし、ロシアなどですと、自然と合唱的なものになるのかもしれませんね。たぶん、そうなるんでしょう。

日本的なんですよ、私のこの感覚は。


☆しかし、ここまでのものをやるには、聴衆と一緒にリハーサルをしなければならない(笑)。
◇コールを担当しているのは、「訓練された者たち」だそうです。
かなり稽古を積んだんじゃないですか。
じゃないと、あそこまで見事に揃うはずがありません(笑い)。

fakeをいかに本物のように聞かせるか、これが勝敗の分かれ道なのではないでしょうか。


ちなみに、全曲の動画は
http://www.dailymotion.com/video/x23x031_%E3%81% …


この動画を見ると、これ以外ありえないという説得力を有しているように思います。
アニメですけれど、総合芸術ですよ、これ(笑い)。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/15 23:52

すべての回答へのお礼、ありがとうございます。

ねこさんとのやりとりはいつも楽しいです。

>唖者や言葉を失った人たちにとっても有用なツールになりますので、国や文科省が予算をつければ、いいものができると思うのですがね~。

初音ミクの開発の背景には、そういう目的もあったようですね。いつかNHKで見ました。

>時代劇(映画)に登場する虚無僧と禅僧の混同が原因なんじゃないですかね。

そうではないと思います。箏でも能でも同じですから。特に能は、世阿弥が禅に影響を受けたと思われていると思います。実際は、世阿弥はそれほど禅に造詣が深かったわけではなく、知り合いに少し尋ねたりしていたようです。海外では、禅がブームになった時期もありましたし、禅の音楽と名を打てば売れると思ったのではないでしょうか。

~~~~~~~~~

余談ですが、哲学の方にはこれからあまり行かなくなると思います。理由は今晩plapotaさんのページに書きます。
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この回答へのお礼

気楽に哲学カテに参加してくださいませ。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/22 13:34

こんにちは。

しばらくお返事がないので心配しましたが、お仕事ですか。御苦労様です。

『鳥獣戯画』、お気に入っていただけたようでよかったです。これとショコタンが回答というのも変なのですが、クラシックの方でほかに似た例を見つけるのには時間がかかるので、とりあえずこれで終わります。

禅については、若いころ少し興味は持ちました。しかし、外国のCDショップなどで、尺八や能などの日本の音楽のCDによく「禅」と書いてあって、かなわないと思いました。あれはやめてほしい(笑)。

>西洋の音階に慣れ親しみ、その環境で育った現代日本人は、これに何の違和感を抱かない。そして、この語法を使って、日本人である自分を自然に表現する。大切なのは、語られる内容であってその語法ではない。

おっしゃる通りです。現代の作曲家はそれでいいと思います。ただし、日本の伝統音楽の中にも、日本独特のものがあることをお忘れなく。雅楽が外来の音楽であるとしても、また、能や歌舞伎の源流が中国の芸能であるとしても、「間」「音色」「息」といった要素は大陸の音楽にはなかった日本独特の美学です、そこに日本的なものがあります。例えば、雅楽で竜笛と篳篥が違う旋法を同時に演奏するような形で音のぶつかりが生じ、そのひずみから生じる音色を求めるような美学は、なかなか類のないものです。能管など、一本ごとに調律が違い、旋律が全然別のものになってしまいます。あんな例はほかにないでしょう。

この御質問に8回も回答したと言って、plapotaさんから呆れられました。そんなに変な回答でしたか?
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この回答へのお礼

☆禅については、若いころ少し興味は持ちました。しかし、外国のCDショップなどで、尺八や能などの日本の音楽のCDによく「禅」と書いてあって、かなわないと思いました。あれはやめてほしい(笑)。
◇時代劇(映画)に登場する虚無僧と禅僧の混同が原因なんじゃないですかね。



☆この御質問に8回も回答したと言って、plapotaさんから呆れられました。そんなに変な回答でしたか?
◇いえいえ、大変楽しかったです。そして、非常に勉強になりました。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/21 15:20

中川翔子にフランス人がコール?



2014年で15周年を迎え、フランス・パリで毎年行われている欧州最大の日本博覧会
会場に集まったフランスのアニメファンは大熱狂!



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

古神道はもう重要ではない?

http://www.izumo-murasakino.jp/shinto-013.html
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この回答へのお礼

アニソンは、シューベルトの親しみやすくて、思わず口ずさんでしまうような歌曲と同じですよ。
「赤とんぼ」や「ふるさと」と言った童謡と同じで、その発展形態♪

シューベルトですよ、シューベルトを先祖の一方に持っている(笑い)。

ドイツリートの正統な後継者は、日本の童謡であり、現代のアニソンです♪

お礼日時:2014/10/21 15:06

No.4の回答への補足を見落としました(あるいは、私が回答を書いている最中に追加されたのかもしれない)。



この二つの例には少し疑問を感じます。字幕がないと歌詞が聞き取れない(笑)。「パラジクロロベンゼン」という言葉が聞き取れないと、面白くないと思いました。日本語かどうかさえ分からないところもあります。肉声でやってしまったらインパクトはなくなるのでしょうが、発音、もう少し改良できないのでしょうかね。
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この回答へのお礼

☆発音、もう少し改良できないのでしょうかね。
◇ボーカロイド、人工音声の限界ですよね。
歌の場合はまだ何とか聞けますが、会話やトークになったら、とてもじゃないけれど聞けない。
聞くとイライラしてしまう。

ですが、後10年もすれば、不自然に感じなくなるのかもしれませんね。

唖者や言葉を失った人たちにとっても有用なツールになりますので、国や文科省が予算をつければ、いいものができると思うのですがね~。

お礼日時:2014/10/21 14:04

これを入れるのを忘れました。

面白い読み物を御紹介していただいたので、音楽好きのねこさんに、下のページを御紹介しておきます。大したものではありませんが。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8784711.html
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この回答へのお礼

わたしは、ジャンルにこだわらず、音楽を聞きます。

一般的に最も低俗とされるアニソンも、最も高尚な音楽とされるクラシック、難解とされる現代音楽も同列に扱います。


初音ミクがシューベルトの「魔王」を歌おうが、全く違和感を覚えませんし、シューベルトの冒涜だとも思わない。

https://www.youtube.com/watch?v=HFsDc1GxxJU


のコメント欄に「削除しろ!!」「消せ!!」なんて心無いことが多数書かれていますが、
わたしはこの演奏(?)を聞き、「やっぱこの曲は、あらゆる演奏形態、作品解釈を許す超名曲なんだ」と思っちゃいますね~。
ボーカロイドですから不自然なところは多々ありますけれども、
シューベルトは天国でこの演奏を耳にし、きっと微笑んでいるに違いない。
「オレってやっぱ天才♪」と思っているに違いない。


で、また面白い曲をご紹介します。

チルノのパーフェクト算数教室
https://www.youtube.com/watch?v=nt5RuhhIUFs

名曲だとは言いませんが、結構、面白い曲ですよ。
「バーカバカ バーカバカ バーカバカ」
というコーラス(?)が何ともユニークで、非常に効果的♪
コーラスというよりは、ギシシア悲劇の《コロス》に近いのかもしれませんが、これは(^^♪
と、また、買いかぶる(^^♪



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/21 13:52

質問者と回答者が逆転してしまいましたね(笑)。



『鳥獣戯画』、いかがでしたか? 現代の作曲家は、今回の「コール」のようなものかどうかはともかく、声をさまざまな方法で使っています。

お話し、よくわかりました。難しいことをだれにでもわかるように解説してくれる人は貴重です(逆の人もいるようですけれど)。私も、昨日と今日、音楽とドイツ語の質問で苦労しました。ドイツの音楽理論家なども、大衆のための音楽理論という分野がありまして、音楽大学の音楽理論科の教授が、ラジオでポップやロックの解説をして人気になったりしています。

コペンハーゲン解釈は間違い!?― 猫でもわかる「ウィグナーの友人」、実に面白く拝見しました。並行世界は以前から気になっています。少し前、NHKで、リサ・ランドールの話を聞きました。正直言うと、あまりあってほしくないなとも思います。ほかの世界でもう一人の自分がとっくに死んでいるかもしれないと考えると嫌ですからね。しかし、最先端の科学がカルト教団を生みますか・・・ SF映画も嫌いではありませんが、どのくらい可能性があるのかなと思いながら見ます。ホーキングは、タイムマシンはできない、と言っていた様な記憶がありますが、ワープとかどうなんでしょうかね。私は、中学までは理数系も強かったのですが、高校以後、音楽オンリーになり、今では、小、中学校の理科、数学の知識もなくなってしまいました。

~~~~~~~~~~~~~~

どこかで、禅も老荘だとお書きになっているのを見かけました。私もそう解釈していましたが、声を大にして言わなければならないほど、そう思っていない人が多いのでしょうか。
親鸞に関しては、ねこさんや私が考えていることと逆の主張をしている論文を見つけましたが、日本語の文章も少しおかしくて、先に結論ありきのように感じました。とりあえず、御紹介するほどのものではないと思います。
異文化の影響を受けていない純粋に日本的なものを主張するより、異文化との出会いの中で新しいものが生まれていく過程の中で出てくるもののどれが日本的性質かを見極める方が、ずっと有益だと思っております。

つい話が脱線しますので、ここまでとします。「コール」についてまだお話があれば続けますが、どうしますか?
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この回答へのお礼

こんにちは。


『鳥獣戯画』は、演劇的効果を持ち込んでいて、結構、楽しいですよね。
ところで、11分過ぎに奇声が上がりますけれども、あれは「猿の(鳴き)声」を表わしているんですかね。ちょっと分かりづらい(^^ゞ

確か、鳥獣戯画図には、カエルとウサギさんが相撲を取っているシーンもあったはずなので、舞台でお相撲も取ってもらわないと。これを周囲が囃すなんてしたら、さらに楽しくなるんじゃないですか。海外では、特に、受けるに違いない♪♪


禅については、厳しいんですよ、わたし。
禅こそが仏教本来の姿である、なんてことを目にしたり、耳したりすると、辛辣な批判を浴びせ続けています。



☆異文化の影響を受けていない純粋に日本的なものを主張するより、異文化との出会いの中で新しいものが生まれていく過程の中で出てくるもののどれが日本的性質かを見極める方が、ずっと有益だと思っております。
◇だと思います。
音楽なんて特にそうでしょう。
西洋の音階に慣れ親しみ、その環境で育った現代日本人は、これに何の違和感を抱かない。そして、この語法を使って、日本人である自分を自然に表現する。大切なのは、語られる内容であってその語法ではない。
それでいいんですよ。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/21 13:05

こんばんは。



>こういうのもあるんですよ。
 呪いのススメをこいつが歌うとこうなる【桃箱】

どうやってこういうものを見つけるんですか? コールとしてはゆかたんの方がいいですね。しかし、詞がすごい。音楽と歌詞のギャップには、さすがについていけません。般若心経の二つのヴァージョンも、ちょっと退きました。
クラシックも同じ問題を抱えているのですが、今、音楽は、もうアイデアだけではどうしようもなくなってきています。般若心経をグレゴリオ聖歌にのせるような「思いつき」というのは、しょっちゅう出てくるのですが、すぐ消えます。出た時は人目を引くので、一時的に人気になったりはするのですが、続きません。本当に新しいものを創造するのが恐ろしく困難な時代になっています。こういう例を聞いた時に感じる戸惑いは、クラシックの若い作曲家の「現代音楽」作品を聞くときの戸惑いと少し通ずるところがあります。皆、アイデアを追いかけている。音楽そのものが根底から新しくないとダメなんですが、そこのところに手間暇をかける人がいなくなりました。美術などもそうなっているようですね。

>何故か、初音ミクは宗教音楽にフィットするんですよね~♪
ヴォーカロイドの人工音声がオルガン的な響きを持っているからなんでしょうかね。

実は、ほかの音楽関係のカテゴリーで変な質問にかかわって、面倒くさい思いをしてきました。独唱者がオーケストラの前に立つのはなぜかわからない、というのですが、普通の答えが通じませんでした。声を、ソロとしてではなく、オーケストラの一パートとして使えないのかという、予測もしない話になって、楽器と人声が融合しないと書いたのですが、電子音楽でできるのに、そういう「トライ」はしなかったのかと、変な再質問が返ってきまして・・・ 今このヴォーカロイドを聞かせていただいて、その質問者はきっとこういうものを聞いているのだろうなと思いました。でも、電子音というのは、いくら技術が発達しても、生の楽器ほど音色の違いが作れませんね。楽器の倍音構成は複雑ですから、今のところプログラミングは無理なのでしょう。結局、生の楽器の音を録音して、それを素材にプログラミングする方が手っ取り早いようです。

シュレディンガーの猫のサイトは知っていました。途中までしか読まなかったのですが、このようにわかりやすく説明していただくと、なんとなくわかるような気がします。つまり、相違する二つの可能性のうちの一つが、ある瞬間に突然現れるので、必然性を求めることはできないというようなことですか? そして、こういうことは、五感を使って暮らしているわれわれの現実世界ではあまり問題にならないので、ラプラスの魔がいまだに有効である、というのが御質問の趣旨だったのでしょうか。では、こういう場合はどうでしょう。

数人の人が一緒に食事をしていました。一人の人が、パンにバターを塗っている最中に、パンを誤って床に落としました。幸い、バターが付いた面が上を向いて落ちました。しばらくして同じメンバーが集まったとき、こんなことがあったね、と話して笑いました。しかし、パンを落とした人は言いました、「あっ、あれはね、間違ってパンの反対側にバターを塗ったんだ。」

偶然を必然に転換する方法です(笑)。ねこさんならどんな解釈もできるでしょうから、突っ込まなくてもいいですよ。

曲の紹介とシュレ猫の説明ありがとうございました。

この回答への補足

☆どうやってこういうものを見つけるんですか?
◇パソコンで《アニソン》を24時間垂れ流しているネットラジオをよく聞いています。
それで、
「呪いのススメ」

「ゆかたんコンサートバージョン」
を偶然見つけたといいますか、聞きました。

「呪いのススメ」は1年くらい前に、
「ゆかたんコンサートバージョン」は1週間前です。

どちらもインパクトが非常に強いので、
「何だ、何だ、この曲は?」となってしまいました。

この他に、
「パラジクロロベンゼン」なんて曲を聞いて、衝撃を受けたりする(ポリポリ)。


【鏡音レン】パラジクロロベンゼン【破壊系洗脳ソング】


特に、「パラジクロロベンゼン」は、ナンセンス・ソングの可能性が極めて高いのを承知の上で、
この曲で歌われている「パラジクロロベンゼン」とは何か?と思索を始めたりする(笑い)。
再生数が400万を超えているので、
「なぜ、この曲はこれほどまでに人の心を鷲掴みにし、何かを考えさせるのか」
なんて下らないことを考えたりし、
哲学カテに質問したりする。


【初音ミク】バカの飲み薬
を聞けば、
「宗教こそが《馬鹿の飲み薬》なんじゃありませんか?」
となります。

https://www.youtube.com/watch?v=ZykjH5z3Ueg


こういう曲は、結構、私に哲学的インスピレーションを与えてくれる(笑い)。
歌詞がナンセンスであればあるほど、啓示(?)を与えてくれる。

補足日時:2014/10/17 17:36
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この回答へのお礼

☆つまり、相違する二つの可能性のうちの一つが、ある瞬間に突然現れるので、必然性を求めることはできないというようなことですか?
◇私たちが予測できるのは、
「シュレ猫が箱を開けたときに、1/2の確率で生きているか、死んでいるか」
くらいのものだというわけです。
あとは、「箱を開けたら、シュレ猫は死んでいるか、生きているかのいずれかの姿を見られる」くらいのものだと。

シュレ猫が死んでいてくれれば、その死後硬直の具合から、コインを、いつ投げ、死んだかのおおよその見当くらいはつくかもしれませんけれど(ポリポリ)。

シュレ猫は、口が固いので、生きていたら、コインをいつ振ったかについては、ネムネコにも決して教えてくれない(笑い)。


比喩的な表現になりますが、
量子力学的猫のシュレ猫(粒子的存在)は、箱の中に入ると、その姿がボヤけて、猫の姿でなくなっているじゃないですか。
心霊写真の幽霊のようにボヤッとした象の姿(量子の波動性というやつです)で、シュレ猫は箱の中全体に存在しているんだと思います。
箱の中に入れなくても、シュレ猫から視線を離すと、その瞬間、シュレ猫は象のぼやけた幽霊状態になってしまう。
そして、シュレ猫に視線の先を向けると、その瞬間、そのぼやけた幽霊状態が普通の猫の姿になってしまう。
見る、観測することによって、シュレ猫は猫(物質的・粒子的存在)になる・・・・・・。

ただ、そのボヤけ具合は量子力学を使って、確率の形で計算することはできますけれど。
というよりも、そのボヤけ具合が確率そのものであって、シュレ猫は箱の中に入った瞬間、あるいは、シュレ猫から目を離した瞬間、確率的な存在になってしまう。

そして、なぜ、幽霊状態のシュレ猫が普通の猫の姿に戻るか、波束が収束するのかについては、分からない。
これについて、量子力学は答えることができない・・・・・・。


ですが、
人間が観測するということ、観測者に重きを置き、この考え方をさらに徹底させると、
「人間・観測者(の意志)が波束を収束させるのだ、波動関数を収縮させるのだ」
ということを言う人がいたりして・・・。

SFのパラレルワールドのように、
「世界はシュレ猫の生きている世界と死んでいる世界の二つに分岐するのだ」
なんてことをいう人もいます。


物理学も、このあたりの話になると、SFやファンタジーの世界になっちゃう(ポリポリ)。


ですが、
読み物として、
http://d.hatena.ne.jp/daen0_0/20080808/p2
をご紹介します。


猫を殺すと化け猫になってたたるので、猫は実験に使えません。
動物愛護団体も何かとうるさいので、代わりに理論物理学者(ウィグナー)の友人にこの実験に協力してもらわないと(笑い)。
そして、
シュレ猫問題は、
「ウィグナーの友人」という新たな問題へと発展してゆきます。



☆そして、こういうことは、五感を使って暮らしているわれわれの現実世界ではあまり問題にならないので、ラプラスの魔がいまだに有効である、というのが御質問の趣旨だったのでしょうか。
◇シュレ猫問答の起きない電子などのミクロ的な現象ではなく、
我々が日常的に生きているマクロ現象の世界の現象ならば、100%ではないけれど、99.9%くらいの精度内で未来を予測できるか、どうか?
人間の心まで含めて・・・、
ですかね。

ddt^3さんが地滑りのシミュレーションの話をしていましたけれども、その発生の仕組み、メカニズムがある程度解明されているものならば、かなりの精度で予想はできるんですよ。
人間の心のメカニズムは分からないので、人間の心の問題については、いまのところ、手がつけられませんけれど・・・。

そして、未だに「ラプラスの魔」は生きていて、理系人の多くは、程度の差は違えど、この「ラプラスの魔」に取り憑かれています。
で、誰もがこの限定付きの「プチ・ラプラスの魔」になりたいんですよ(笑い)。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/17 17:03

こんなのはどうですか?



間宮芳生 合唱のためのコンポジション 第5番 『鳥獣戯画』
(11分40秒あたりから)

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この回答へのお礼

曲紹介ありがとうございます。


こういうのもあるんですよ。
 呪いのススメをこいつが歌うとこうなる【桃箱】
https://www.youtube.com/watch?v=gKfvWJmeL40

これのオリジナル曲は
https://www.youtube.com/watch?v=6_j6zFGjddg


間の手やお囃子が加わるだけで、
曲が生き生きとしたものになるようです。


般若心経ですと
https://www.youtube.com/watch?v=8hK1PRFbg0Y
とか、
般若心経をグレゴリオ聖歌にのせる実験的(?)な試みなんかも行なわれているようです。

【初音ミク】般若心経グレゴリオ聖歌
https://www.youtube.com/watch?v=ELRh7u7uvVw


グレゴリオ聖歌Ver.は、なかなかのものだと思いますよ。
何故か、初音ミクは宗教音楽にフィットするんですよね~♪
ヴォーカロイドの人工音声がオルガン的な響きを持っているからなんでしょうかね。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/16 17:15

>☆もう少し音程感をはっきりさせて、バックコーラスの効果に近づける、


>◇これについては反対します。

そうだろうと思いました。まあ、そうですよね。あくまでも音楽のアレンジの可能性として言っただけです。

>しかし、ロシアなどですと、自然と合唱的なものになるのかもしれませんね。たぶん、そうなるんでしょう。

国は忘れましたが、ウクライナだったか、何千人でコーラスをやりますよ。テレビでも何度か放送されました。

~~~~~~~~~~~

なあんだ。ぶらげろさんのほかの質問でも、このアイドルを出しているんじゃないですか。ひっかけ問題ですか(笑)。日本では、美空ひばりのような歌手から今まで、アイドルはシャーマン的、イタコ的というとらえ方はありますね。昔、五木寛之がよくそんなことを言っていました。欧米的な考え方では、自我のある一人の個人としての歌手が自分の意志で歌うわけですけれど、日本では、自分の意志ではなく、憑依現象だと。棟方志功が、自分の仕事には何の責任も負っていない、と発言して不思議がられましたが、自分の意思でやってるのとは違うということでしょうか。憑代という感じもありますし、このところ話題になっている「じねん」かもしれません。この曲のコールは、アマテラスを呼び出すための、アメノウズメと群衆の笑い声の相乗効果みたいなものですかね。
偶然と必然の御質問、パスしました。調べていたら、三体問題とか、相対性理論とか、カオス理論とか、コペンハーゲン解釈なんていうものが出てきたんですけれど、理系でない私が読んでもわからないので。ただ、ドイツ語版のWikiによりますと、この中でラプラスの魔の反論として有効なものは、コペンハーゲン解釈というものだそうです。どういうことなのですか?
老荘についての私とねこさんの見解の類似点は、plapotaさんによって、たすてんねこ理論と名付けられたようです。ネコさんの方がはるかにお詳しいので、名前の順番は逆の方がいいと思います。plapotaさんの「トロイの木馬」のページに、私が気に入っている荘子の言葉を貼り付けました。

http://ameblo.jp/danza-espanola/entry-1172925480 …
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この回答へのお礼

コペンハーゲン解釈の説明に、シュレ猫ちゃんに登場してもらいます。


シュレディンガーの猫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5% …


Wikipediaには放射線がどうたら書いていますけれど、
外から中の様子を観測できない箱の中にシュレ猫を入れると、
 1 シュレ猫は必ず一度、箱の中でコインを投げる。ただし、シュレ猫は気ままだからコインをいつ投げるかは分からない。
 2 コインの裏が出たら、シュレ猫は必ず死んでくれる。

この時、箱を開けないで、シュレ猫の生死は予測できるか?

シュレ猫がいつコインを投げたかを含めて、これを事前に予測できませんよね。

しかし、
我々は
「箱を開ける前の、ある時点で、シュレ猫は生きているか、死んでいるかのどちらだろう」と考えますけれど、
コペンハーゲン解釈では、
「そうではないのだ。シュレ猫は、箱の中にいるとき、生死が重なり合った状態にいる。そして、箱を開いた瞬間、生死の重なり合った状態のいずれか一方だけが、突如、現われるのだ」
みたいなことを言います。
で、
箱を開いたとき、生死の重なり合った状態のいずれか一方だけが突如現れることを、《波束の収束》などと言います。

こんな感じのお話です。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/16 16:45

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