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徳川家による江戸幕府に関してなのですが、1603年から1687年の長い間,
徳川家は権力を握っていたように見えますが、、どの程度効果的にその時代を統制、管理していたと思いますか???効果的、効率的にしているのかよくわかってません、、、いい面、悪い面がでてきません、、曖昧状態です、、、出来れば、例などを挙げて意見がほしいです、、、

A 回答 (4件)

一言でいえば、「そう不満のない時代だった」ということなんだと思います。



江戸時代を通じて、いわゆる「反乱」というやつがほとんど起きていません。私の記憶が確かなら、江戸時代にあった反乱は大塩平八郎の乱だけです。由井正雪の乱てのもありますが、一応「反乱未遂罪」ですし、時代的にも江戸初期です。
しかも大塩平八郎は幕府の役人ですから、いってみれば内部犯行。「江戸幕府打倒」ではないわけです。江戸幕府打倒の兵があがったのは戊辰戦争のときで、これで江戸時代は終わりを告げました。

では江戸徳川幕府というのは怖れられていたか。それは怖れられていたのは間違いありません。
しかし、旗本八万騎ってのはどうかなと思います。実際に幕府軍がデモンストレーションをしたことなんてなかったわけですからね。江戸時代を通じて、現実的には日本は非武装の状態だったといって過言ではないと思います。諸藩はうっかり軍事訓練でもやろうものなら「謀反のおそれあり」なんていわれますし、徳川幕府もこれといった脅威もないので軍事力は皆無といっていいです。警察だけで治安が保たれていたといっていいでしょうね。
では諸藩が幕府の何を恐れていたのかというと、「お取り潰し」です。江戸時代は約200年ありましたが、その江戸時代を通じてお取り潰しをされた藩というのが実に約200あるのです。そう、ほぼ毎年1藩どこかが取り潰されていたのです。
だから徳川幕府成立のときから幕末まで生き残れた外様大名はほとんどなく、仙台伊達藩、加賀前田藩、芸州毛利藩、肥前鍋島藩、薩摩島津藩、あとどこかあったかなあ、まあとにかくほとんどないですよ。将軍家の子息を養子にして世継ぎにすることで名前だけ保ったけど、血脈的には徳川家に取り込まれたなんてのも多いです。
とにかく各藩にとっては「いかにして幕府に目を付けられないか」が生き残りの最重要課題ですから、謀反のおそれありという名目を与える軍事訓練や研究なんてもってのほか。前田藩のお殿様なんか、わざと鼻毛を伸ばしたままでバカ殿を演じていたというほどに苦労しています。

また各藩はある種の独立国家でした。予算も独立採算ですし、治安維持も各藩の仕事。徳川幕府は直轄地だけを支配していました。時代劇でよくある「お代官様」というのはこの幕府直轄地の責任者です。
効率ってのは難しい質問ですね。18世紀前後当時は、世界のどこの国家、帝国でも効率に基づいて支配されていた訳ではないからです。そういう近代的なシステムは主に産業革命以降の話しです。人類は産業革命によって「面倒な仕事は機械にやらせると効率がいい」ということに気づいたんじゃないかな。オランダの風車も人力ではないけど、風が吹かなければ動かせないからそういう意味では効率が悪いでしょ。
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統治が安定するためには、第一に力の原理があり、


第二に納得の原理があります。

1,力の原理
まず、軍事力があります。
俗に、旗本八万旗と言われるほどの軍事力を保持して
いました。

次は経済力です。
全国2400万石に対して、徳川家は400万石。
長州や薩摩を併せても半分以下です。


2,納得の原理
最も大切なのは、統治の方法がそれなりに皆が
納得するものであった、ということです。

改易なども、実証研究が進むにつれ、統治の能力の
有無で判断しており、決して恣意的では
ないことが判ってきました。

また、庶民も結構豊かな生活をしていました。
下級武士の方が貧乏なぐらいで、政情が
安定していたのです。


尚、参勤交代ですが、これは参勤交代で将軍に
挨拶をする、ということが重要であって、
お金を使わせる、という目的はありませんでした。
幕府は、贅沢な参勤交代は慎め、というお触れ
まで出しています。
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1887年までですね。


 
例えば、名古屋周辺の河がけっこう氾濫が多く、この地の領主たちでは、治水工事の費用が出ない。
幕府が薩摩藩を指名して、ここの治水工事を行わせる。宝暦治水。
費用のかかる工事を、幕府の見解では裕福な藩?に命じることが出来たのは、幕府の統制力が大きかった。
まだ土地の財政的格差の解消にもなってます。
実際は、薩摩藩を過大評価して、財政的に弱くする狙いだったみたいですが。

幕末の開国騒動の時、ペリーの開国せよの圧力に対し意見を求めたところ、多くの藩が幕府に全権委任。中央集権がみごとなまでに機能していました。委任されても、幕府本体に外国と対等に交渉するだけの人材がなく、それから崩壊への道をたどりますが。
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一つは、参勤交代でしょうね。


金を使わせて、力を付けるのを防いでいましたね。
また、宿場などは、潤ったでしょうね。
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