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自殺者の多くは楽になりたいと思っているはずです。
「楽になりたい」という言葉は将来的に楽になる状況が訪れることを期待する言葉です。
自殺者の将来とは何か。
それはあの世か輪廻を指すのではないでしょうか。
つまり、魂という概念なしに自殺はあり得ないと考えられるのですがどうでしょう。

A 回答 (28件中1~10件)

こんばんは。

稚拙ながら回答させて戴きます。

>魂という概念なしに自殺はあり得ない
私はその通りだと思います。

そもそも自殺って何でしょう? 自殺ってなぜするのでしょう? 
私は考えます。
自殺とは現在生きている際に伴う生理的負担、心理的負担などの痛みに対する逃避行動です。

「今ある痛みよりもゼロである死の方が楽かも知れない」と想像してしまうのですよね。
そしてゼロになった時、自分の意識もそこで停止してゼロになる、というのは想像しにくいのであるのだと思います。むしろ自意識は継続を望むでしょう。

この「体は死んでも自意識を継続させたい」という希望があるケースの場合には、死後の魂の存在を人間は想像するのだと私は思います。

この回答への補足

自殺の観念は平時によって作られ極限状態によって選択される(つぶやき)

補足日時:2014/10/26 10:09
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自殺が手段である以上、なにかしらの結果を望まないわけにはいきませんよね。

お礼日時:2014/10/26 10:08

>無宗教の人が何を言っても検証の対象にはなりません



この理屈はおかしいですよ
そもそもの質問文に書いてあることを思い出してください
あの世や輪廻という概念は自殺者が期待する楽になる状況に相当するものだ
つまり魂という概念なしに自殺はありえない

言い換えれば自殺者はあの世へ行くことを期待してるから
魂の概念なくして自殺はありえない

というものです、ここでこの言説が正しいならば
(1)自殺者は魂およびあの世の概念を知っていて
(2)かつそれらに期待してる
と言えるはずです

shift-2007さんが言う検証の方法は魂およびあの世の概念を知らない人は自殺するか
ということに焦点を当ててますね
もしも自殺するなら(1)に反しますのでshift-2007さんの主張は崩れ
もしも自殺しないならshift-2007さんの主張を補強するというわけでしょう

ですが、検証の方法はそれだけではありません(2)を確かめる方法もあるのです
つまり魂およびあの世の概念を知っていながら、期待しない人は自殺するかというものです
これは端的に言えば無宗教者で、無宗教者が自殺するならshift-2007さんの主張は崩れ
自殺しないならshift-2007さんの主張を補強することになります

ですので無宗教の人が何を言っても検証の対象にはならないとは言えないどころか
無宗教の人の言う内容次第であなたの主張は崩れるのですよ
そのためあの世を知ってるからダメという論法だけでは反例を覆せませんよ

この回答への補足

自動想起されなかった人にとって死の価値は無である。
マイナスの価値にすら及ばないこの無の為に自分を殺す選択をするだろうか。
無に価値があると思う事がすでに死後の世界の想定である。
(つぶやき)

補足日時:2014/10/26 00:26
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

思い付きで書いた部分が大きいので質問部分の内容には言葉が足りない所があるありそれに関しては申し訳ないことです。

>つまり魂およびあの世の概念を知っていながら、期待しない人は自殺するかというものです

私の個人的な感覚で言えばまさにその通りです。

>無宗教の人の言う内容次第であなたの主張は崩れるのですよ

問題はここです。
無宗教者のその言葉をうのみにはできません。
信じていませんだけでは何の証拠にもなりません。
無意識に想定していることもあるだろうし無自覚なだけかもしません
(現に楽になりたいと言っているのですから)
それは恐らく確かめようがないでしょう。

既存の日本人でこの観念を持たない人はおそらくいないです。
なので、まったくその知識を持たない人を想定してその人がどのようなプロセスで自殺という発想を持つのかを説明してほしいのです。
本来の質問の意図は魂やあの世に類する知識のない人間に自殺という発想ができるかというものです。

なお、自殺とは「自己の苦痛からの脱却のための自殺」に限らせていただいています。
なので、お侍さんの切腹、自殺教唆、保険金目当てなどは除外となります。

お礼日時:2014/10/25 15:48

こんにちは。




>「魂という概念なしに自殺はあり得ないと考えられるのですがどうでしょう。 」

「中国の、極貧農業地帯で、「農薬を一気飲みして」
が、あるとか。

この回答への補足

いきなり消すことはねえだろう飲茶さん(愚痴)

補足日時:2014/10/24 09:53
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

中国の極貧農業地帯には魂に類する観念がないのですか?

お礼日時:2014/10/23 20:31

No. 24について、お礼をどうもありがとうございます。



最後の部分以外、とのことなのですが、「最後の部分」がどこからどこまでのことか、詳しく教えていただけますか?

それから、
「死という事象だけから自殺という観念が生まれるプロセスを説明してほしい」
の意味が、少しわからなかったのですが、それは、

~~~~~~~~~~
のちに自殺する者が「死という現象を理解」し、また、「自分を死に導く方法(=死ぬ方法)を理解」したときから、実際に自殺に至るまでのプロセス
~~~~~~~~~~
ということでしょうか?
それとも、違う意味でしょうか?


回答させて頂く度に、次第に興味深いテーマだと思うようになってきて、私ももう少しじっくり考えたいので、お手数おかけしますが、よろしくお願い致します。


ただ、かなり難しいテーマな気がして、このことについてだけでも論文がかけてしまうんじゃないか?なんて思うので、質問者さんも私も、納得いく答えが出るかはわかりませんが、気になりますよねぇ…。

この回答への補足

人間の感情的、感覚的な部分を馬鹿みたいに理性的に理詰めで考えるのも時には面白いですよね。

補足日時:2014/10/22 15:35
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

最後の部分は下記の部分です。

*****
魂やあの世の概念については、「知っていることもある」というくらいで、たとえ自殺のきっかけになったとしても、無くてはならない条件ではないでしょう。
(しかし少なくとも日本の殆どの人間は、その概念を知っているので、あたかも関係するように思えるのでしょう)
*****


>~~~~~~~~~~
>のちに自殺する者が「死という現象を理解」し、また、「自分を死に導く方法(=死ぬ方法)を理解」したとき>から、実際に自殺に至るまでのプロセス
>~~~~~~~~~~

私とは考え方のベクトルが逆(自殺という行為を知らない人が自殺という観念を持つにいたるまでのプロセス)ですがまぁそれでもいいです。
一応付け加えますが、実際に自殺という行為に及ぶかどうかは問題にしません。
あくまで自殺という観念を持つまでとします。

お礼日時:2014/10/22 15:32

度々失礼いたします。




興味深い例を思いついたのですが、
凶悪な事件などで、監禁されひどい暴力などにあって、それがあまりに辛く、「いっそ殺して欲しい」、「死にたい」と思う、という話はよく耳にしますよね。
最近のニュースでも、いじめられた子がそう語っていたと言いますし。

想像すれば、確かにそういう気分になるだろう、と思います。


これは動物も赤ちゃんも、同じなのではないでしょうか?
あまりの痛み、辛さから逃れたいが為に、「死にたい!!!」あるいは「この状況から逃れたい!!!」と思うのは…。

しかし、ほとんどの動物、赤ちゃんは「死ぬ」ということを理解していないか、死ぬために必要な方法が分からないか…、という場合が多いように思います。


たとえば犬が虐待を受けていて、「つらい」「逃げたい」と思ったとしても、犬は舌を噛んで死ぬという方法を知らないし、首を吊るというやり方もよくわからない。

プールで溺れたとき、苦しかったなあ…なんて犬が思ったとしても、それが死に繋がるというのを理解できる犬はどれほどいることか…
それでも水に飛び込めば死ぬ、ということを理解した犬が水に飛び込むことになるのかもしれません。

たとえ優秀なワンちゃんで、死ぬということを理解していても、方法を知らなかったり、知っていてもその場で出来ることがなければ、自殺なんてできません。
(ほとんどは方法を知らない?)

動物は、死という現象を知っていたとしても、溺れた時や虐待によって首を閉められた時など、「苦しい!」とは思うかもしれませんが、それが死に繋がる、という考えまでは至らないのかもしれませんね。
これは、赤ちゃんも然り、ということだと思います。
(赤ちゃんの場合は、現象自体の理解がない場合が多い)



これらの例も、自殺とは違う(自傷行為だ)、極端な例だ、とおっしゃるかもしれませんが、人がストレスによってビルから飛び降りたり、線路へ飛び降りたりするのも、単にストレスが長期的で目に見えないものであるだけで、先の例と何ら変わりのないことだと思います。



ちなみに、死は、「他者の死」によって学ぶことが出来ると思います。
それが身近な存在であれば、なおさら強く、死を理解するでしょう。

幼い子も、テレビやなんかで死ぬことを少しずつ知る場合もありますし、身内の親しい人の死に直面すれば、存在がなくなるんだ、ということを理解すると思います。

比較的能力の高い哺乳類動物たちも、テレビは無いにしても、同じようにして他者から死を学ぶことでしょう。

そこには、魂やあの世、なんて関係ないと思います。
そういう考えを知っていたら、「ああ、あの人の魂はきっと生き続ける…」なんて思うかもしれませんが、知らなくても知っていても、生きている私達が見れば、

もう動かない、喋りもしないし泣きもしない、考えてもいない(思考を働かせてもいない)

という点で、同じなんですね。


そういうわけで、やはり自殺ということには、魂やあの世、死後の世界などの考えを知っているかどうか、ということよりも、
まずは「死に対する理解」、そして「死ぬ方法の理解」が必要なのだと思います。


しかしながら、人間の場合は、ある程度成長すればそのどちらも得ることができるので、その延長線上で、「死後の世界」や「魂がどうなるか」を強く意識する人が多いことも事実なのかもしれませんね。


つまり…
「魂やあの世の概念を持つならば、自殺する」
「死を理解し、その方法を知っているならば、自殺する」
のはどちらもおかしく、

「自殺するならば、死を理解し、その方法を知っている」

ということになると思います。


魂やあの世の概念については、「知っていることもある」というくらいで、たとえ自殺のきっかけになったとしても、無くてはならない条件ではないでしょう。

(しかし少なくとも日本の殆どの人間は、その概念を知っているので、あたかも関係するように思えるのでしょう)


お役に立てれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

最後の部分以外はほぼ同意します。
死という事象だけから自殺という観念が生まれるプロセスを説明してほしいのです。
分かるはずだでは説明になってないと思うのです。

お礼日時:2014/10/22 14:06

死にたいという気持ちは持ったことがある人も多いかもしれません



しかし実際に死ぬという事になるとそれだけではすみません

楽になりたいというのは 将来とかに楽になりたいのではなく

今現在の激しい苦しみや後悔を無くしてしまいたい 無に帰したいのだと思います。

自殺は死にたいという気持ちプラス衝動的なまっ殺意がないと成立しません

よく親を殺して自分は死にきれなかったという人がいるでしょう

死んで楽になんかならなないんです ただもう限界の苦を消し去りたい

そういう衝動がないと一線は踏み越えられません。

魂は生きろと言い続けるでしょう。38億年の生命の魂です。強く生きようとするでしょう

動物は自殺しません。自殺する自由があるのは人間だけです。一線を越えられるのは人間だけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

いま、電車に飛び込もうとする自殺者の心理はその通りでしょう。
しかし、自殺に関する観念は平時において構築されるものです。
決して思い付きではないはずです。
だからこそ私たちは死に方ではなく生き方を選ぶべきだと思います。
・・・と、偉そうなことを書いてみました。

お礼日時:2014/10/21 21:13

>つまりそれは死後の世界を意味していますね



意味してませんよ、現実世界の話です
客観的事実として、死んだら存在がなくなるんですよ
その事実は魂の概念がなくても確認できることで
無宗教の人間からすれば辛い現実から逃げる根拠になるんです
つまり無宗教の人間が言う死後の世界とは、自分が死んだあとの現実世界のことで
死ねば現実世界であるところの死後の世界へ行かずに済むと論理的に考えられる

宗教を信じる人なら死後の世界とは魂が存在する場所、天国極楽地獄なんかのことで
無宗教の人間が言う死後の世界とは異なるんです
shift-2007さんはそれを混同してるから魂という概念なしに自殺はあり得ないと
結論してるんじゃないですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

客観的に見たときの無でしたか。

まず、繰り返しになると思いますが「無宗教」という時点でアウトです。
無宗教とは宗教を信じないという意味ですから、宗教という存在を知っているという事です。
当然、あの世に類する知識もあるという事になります。
なので無宗教の人が何を言っても検証の対象にはなりません。

>死ねば現実世界であるところの死後の世界へ行かずに済むと論理的に考えられる

死後の世界という概念がなければこのような発想は生まれないでしょう。

お礼日時:2014/10/21 14:26

眠たいので少しだけ…


イルカの自殺は、ストレスからの自殺とみられているようですよ。

映画撮影のため、そのイルカにとっては過酷な訓練や指示を受けたのだと思います。

人間も、その他の動物も、同じ動物ですから、重なる部分が全く無いということもないかと思います。


あなたの質問は、どんな回答を求めているのかわかりませんが…
どうしても知りたければ、あの世の概念を持たない民族を探すとか、動物の自殺について研究するなどしたほうがよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

恐らく動物のそれは自殺行為であって自殺ではないでしょう。
自傷行為といったほうがいいような気がします。

お礼日時:2014/10/21 08:30

再び失礼します。



お礼をもらったあと、せっせと新しい回答文を書いていたのですが、間違えて全部消してしまいました…;;

また同じ文を書き直す体力と気力がないので、ちょっと省略して書き直します。わかりづらいところがあったら、ご指摘ください。


質問者さんは、
自殺をするには魂、あるいはそれに関連するような考え方(輪廻転生や死後の世界など)を持つことが必要なのでは?
ということをお尋ねになっているのかな、質問文を読み直し、よく考えて、感じました。

つまり、
魂、輪廻転生、死後の世界などの概念を持たなければ、自殺という行動に至らないのでは?
ということですよね?


そうだと仮定して、動物を例に考えてみました。
考えた、というより検索して調べたのですが、動物の自殺、あるみたいです。

事故的なことは別としても、そのような報告は世界中から寄せられていて、中には集団自殺なんてこともあるそうです。

助けられても何度も水に飛び込み自殺した犬、呼吸することをやめてしまったイルカなど、このような例は私達人間がするような自殺と等しい行為な気がします。


次に、赤ちゃんは?と考えたのですが、ここはちょっとややこしいです。

人間の赤ちゃんが自殺する、というのはなかなか聞きませんよね。
同様に、人間以外の動物の赤ちゃんも、自殺することはないように思えてしまいます。

成長したときと赤ちゃんのときとの違いは、確かに魂云々というのはあるかもしれませんが、何より考えられるのは「死という現象を知っているか」というのと、「死ぬ方法(手段)を知っているか」ではないかと思います。


実際に目にしたことがありますが、保育園に通うくらいの子供が大好きなおじいちゃんを亡くした時、「おじいちゃんは?どこ?」と必死に探していたのです。
死を理解していないのだなあと思いました。


人間をはじめ、動物が自殺をして、しかしながら赤ちゃんはしない、というのが正しければ、概念を持つかどうかが関係するかどうかは、ますますわからなくなりますね。

動物って、何考えてるかわかりませんし…


ただ、人間の鬱ってありますが、あれは脳の病気だそうですね。
身体(脳)のシステムが狂ってしまって、生きるのとは違う動きをしてしまう、というのはありそうですよね~。

ん~わかりません。

回答になっていなくて申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自殺というくくりは案外広いようです。
今、問題にしている自殺は例えば失業、病気、失恋、借金などが原因のそれです。
そういう意味では昔の切腹は自殺ではないわけです。
同じように動物のそれははたして人間のそれと同等かはひどく疑問です。

>「死という現象を知っているか」というのと、「死ぬ方法(手段)を知っているか」ではないかと思います。

はい、つまり自殺するためには知識が必要だという事を意味していると思います。
私はその必要な知識の中にあの世なのどの概念(知識)が不可欠だと考えました。

お礼日時:2014/10/21 00:40

>自殺しても続きがある



未来や続きをなくしたいから自殺するんだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

残念ながら自殺者の思い通りにはならないでしょうね。

お礼日時:2014/10/21 00:25

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