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場面緘黙症の症状があります。

しかし精神科を受診したところ、ろくに状況も聞かずに門前払いされてしまい、診断がありません。
(病院で小さな声で話せたというだけの理由です。状況によって話せないということは一切配慮されず、そのことについて質問もされていませんので、場面緘黙症ではないという証明にはならないと思っています)
新しい病院にチャレンジしても同じ目に遭うかと思うと、とてもそんな勇気がなく、行動に移せずにいます。

それで今は説明するときには、「診断はないのだけれども」と前置きしたり、名前抜きで単に状況を伝えたりしています。
しかしこれは、たいへん面倒です。歯にものがはさまったような回りくどい言い方ですし、単に状況を説明するだけでは「固有のおかしさ」といいますか、「そんなことって本当にあるの?」と不信感を持たれます。
「場面緘黙症です」と堂々と言えれば、「なるほどそういう症状が世の中にはあって、この人(私)だけではないんだな」と、いわば権威づけというようなものができて便利なのにと思えてなりません。

こういうとき、相手も素人なのに「診断があるのかないのか」なんて割とどうでもいいんじゃないか?という気もしますが、診断がないものを言いきってしまうのは何だか良くないような気もします。
証明が必要になるような重要なことについては正確を期さなければならないのでしょうが、「ちょっとこういう状況だから配慮してもらえると嬉しい」と伝えるとき、「場面緘黙症です」と言い切ってしまっては、やはりいけないでしょうか?


客観的に見てどうかもさることながら、説明される側としてどう感じるかという点も含めて教えていただけると嬉しいです。

A 回答 (6件)

残念ですが 自己診断は 病気として認められません



また 一般人に「場面緘黙症です」と伝えても

「何ですか?それ?」となるでしょうね~

DRが理解してないんですから 一般人は訳がわからないでしょう。

ですから 他の病院を受診されたほうが良いと思いますよ。
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こんばんは。



あなたは「人見知り」とか「言葉がなかなかでない」というレベルで、場面緘黙症にはあてはまらない症状なのではないでしょうか。

10年くらい関わりのある場面緘黙症の人は、家族とは話せるようですが家以外では話せません。
毎日のように顔を合わせますが、声を聞いたことはありません。
ネットで調べれば、小学校中学校高校の12年間同じ学校だったけど一度も声を聞いたことがないとか、そういう話はよくでてきます。
普通の人が場面緘黙症と聞いて思い浮かべるのはこういうレベルです。

だから「自分は場面緘黙症です」なんていわれたら「え?いましゃべっているじゃないか」と思います。
説明される側としてどう感じるかについてお答えします。
次のようなことをいろいろと考えるでしょう。

この人は場面緘黙症という言葉をよく知らないでかなり浅い知識で自分はそうだと思っているのかな。
自分がしゃべるのが苦手という問題について解決しようとしないで「場面緘黙症」という言葉に逃げているのかな。
本当の場面緘黙症の人がどう感じるかなんて考えないんだろうな。

なんて感じですね。
「場面緘黙症」という言葉にこだわるのではなく、しゃべるのが苦手ということをどのように解決しけばいいのかという問題の解決に向けて努力する方向に進むことをおすすめします。
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問題ありませんよ。

私は元場面緘黙症ですが、私の時代はそういう病名なんてありませんでしたから、厳密に言えば,私も「自称」になります。

何の為に精神科に行ったのですか?精神科医のかなりの人が場面緘黙症を知らないでしょ?

単なる人見知りと勘違いされたりしますから、堂々と言えばいいと思いますよ。
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場面緘黙症の人と対峙する時は、その事ついて配慮しないのが、鉄則です。

配慮は、場面緘黙症を強化する方向性を持つでしょう。だから、本末転倒なのですよ。
あなたには、診断を受けて場面緘黙症を強化したいという動機がある。それは医師に見抜かれる。診断は治療が目的ですから、診断自体が症状を深刻にするなら、診断を避けるのがプロでしょうね。
場面緘黙症は、治ります。
私は、子供の発達に関する研究に就くものです。場面緘黙症の子供には、沢山出会いました。適切な方法で指導者が挑めば、彼等は一瞬で話し出します。その一瞬は、プロの仕事でなくとも暮らしの中にも突然やって来ます。出会いのものですから、その一瞬がなかなかやって来ない場合もあります。
あなたは、話せるようになりたいという動機を強化するべきです。その為の診断なら、医師は喜んでやりますよ。
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>「場面緘黙症です」と言い切ってしまっては、やはりいけないでしょうか?



医者には「場面緘黙症ではない」と診断されたのに「場面緘黙症です」と言い切るのは、嘘をついて人をだますということです。人をだますことがいけないことかどうかは自分で考えましょう。

金を騙し取るなどの目的が付くと犯罪になりますが、単にだますだけなら犯罪にはなりません。だましたければだませばいいんじゃないですか。

そうではないというのであれば事実と自分の考えを区別して言うようにするか。「医者には場面緘黙症ではないといわれたが、自分ではそうだと思っている」とか。

そうでなければ「新しい病院にチャレンジしても同じ目に遭うかと思うと、とてもそんな勇気がなく、行動に移せずにいます」等と言い訳をせずに別の病院でみてもらうか。


>説明される側としてどう感じるかという点も含めて教えていただけると嬉しいです。

まず私が思うのはそれは医師の診断なのか自分で思い込んでいるだけなのかどっちなのかという点です。「場面緘黙症です」という人がいた場合、私なら「医者にそういわれたの?」と質問します。診断されてもいないのにそういいきる人だと「何だこの人は。この人の口から出る言葉は信用できないな」と思います。


・嘘をついて人をだます
・「医者には場面緘黙症ではないといわれた」と正直にいう
・場面緘黙症だと診断されるまでいろいろな病院にみてもらう
基本的にはこの3択しかありませんので、自分で考えて選択しましょう。
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そういう病名で持って自分のすべてを合理化することが、あるいはまずいかなと自分でもどこかで感じているのでは。

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