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上手く説明できないかもしれないですが、質問させて頂きます。

何と言えばよいか分からなく、自分でも整理できていないため、長文になります。

私は子供の頃からずっと猫と暮らしており、そのせいか動物が好きです。
特に哺乳類が好きなのですが、動物園やインターネットで見る”牛”とスーパーやコンビニで買ってくる”牛肉”が同じものだというのが頭では分かっても、どこかフワフワとしてスッキリしません。同じなんだろうけど、牛を食べているという感覚が無くて、生き物の牛と食べ物の牛肉という別々の存在として認識してしまっています。

生まれた時からスーパーで買ってきた牛肉しか見たことが無い世代の自分にとっては、生き物を殺して皮をはいで骨や内臓を取り除いたものを食べているという感覚がほとんどありません。

昔の人(私の祖父や祖母など)は、食べ物を粗末にすると怒りましたし、食事中に私語をするのは非礼だと言っていました。きっと大昔は、自分たちでイノシシやニワトリを殺してそれを調理して食べていたはずです。そのときには殺した生き物に対する思いがあったはずですし、そういった気持ちが「いただきます」と「ごちそうさまでした」に込められいると思います。
他から命をもらって自分が生きているということを実感していた世代だと思います。

「食卓のお肉ができるまで」というインターネットのサイトがあります。検索はしない方が良いですが、こういった過程を経て、生き物が商品に変わっていきます。(閲覧超注意)

今、我々は多くの動物を大量に殺し、肉をパックに詰めて全国に配送し、売れなければ捨ててしまうというシステムを作って生活をしています。
おそらくほとんどの人は何も心を痛めていませんし、肉を捨てられるのは、それを命とは考えず、単なる食料・モノだと思っているからです。

快適で便利な生活が送れていますが、この普通だと思っていることって、少し立場(環境?)の違う人から見たら「異常」だと思われないでしょうか?
ちょっと下らないことを言うと、たとえば宇宙人がいたとして、人間がやっている行為が異常だと思われないでしょうか?

何というか、人間が地上の支配者であり、奴隷である他の生き物はどうでも良いといった感じがします。食料にならない野良犬・猫は1日に850匹、100秒に1匹は殺しもいます。そして遺伝子の研究まで進めて、生命まで自由にしようとしている人間って何なんでしょうか。

まとまりのない文章で申し訳ないのですが、異常さ、怖さを感じたので、こちらに書かさせてもらいました。同じようなことを考えた方はいらっしゃらないでしょうか?

よろしくお願い致します。

A 回答 (10件)

動物好きの質問者様は現代人の食肉加工が無機質で自然


の摂理から外れたように見えるのかも知れません。
しかし、人間は元々が自然界には存在しない都市や道具を
作り出し用いることで繁栄してきました。

自然が与えてくれるのは「恵み」だけではありません。
石や金属の武器がなければ獣に人は適いません。
人は自然と格闘し時には捻じ伏せて今日を築いたのです。

過酷な自然環境や危険な生物の脅威を人は恐れ、自然を人
の手で作り変えてでも人にとってより安全で快適なものを
手にしないと不安なのです。
天災の脅威を知る人間は都市を大きくして、川の流れを変え
、強力な兵器を持ち、海も空も支配しても不安なのです。
(今から7万5千年ほど前、スマトラ島のトバ火山の大爆発に
より人類の個体数は5,000から1万程度(1千人と言う説もある)
にまで減少。人類滅亡寸前という説がある。そのトラウマ?)

質問者様の気持ちは何となく理解できますが、幾つか誤解
されているところがあります。

>生命まで自由にしようとしている人間って何なんでしょうか。

これは人類が最近に始めたものではありません。
紀元前5千年前以上も前。新たに発見あれば更に古くなる。
農耕の穀物も、放牧や狩猟のための動物も文明発祥の時代から
、長い歳月を重ねて品種改良を行ってきました。
人為選択がなければイヌ・ネコ・馬・牛などの家畜は全て存在
していません。

wikiから引用します。

家畜とは、その生産物(乳、肉、卵、毛、皮、毛皮、労働力など)
を人が利用するために馴致・飼育している動物を指す。
類義語に益獣(えきじゅう)があり、また鳥類のみを指した場合
は家禽(かきん)と呼ぶ。
この用途の動物については、近年では「産業動物(経済動物)」
という呼称が一般化しつつある。

最後の一言が全てです。家畜は「産業動物(経済動物)」なので
す。
商品なのですからオートメーションの工場で食肉加工されて市場に
並ぶのも当然でしょう。単なる食料・モノだということです。

昔の農家さんが庭先で飼っていたものを潰して食う場合と大型の酪農
を海外のように事業化した場合は、違っても当然ではないでしょうか。
児童に鮭の絵を書かせると「切り身」を書くという笑い話を聞いたのも
随分前のことです。(魚を書き分けられる児童がいるのか…)

>快適で便利な生活が送れていますが、この普通だと思っていることっ
>て、少し立場(環境?)の違う人から見たら「異常」だと思われない
>でしょうか?

そりゃあ、異種間の行動は双方が理解不能なものが大半かと。同じ人間
同士でも文化や文明が違えば相互理解は難しいもの。
南太平洋の島々に住む部族達は近代国家に組み込まれるまでの最近まで
、小さな島での部族同士で定期的に争っては捕虜した敵部族を食ってい
たのですよ。 なんて野蛮な連中だ。こっちの部族もあっちの部族もど
ちらも異常な奴らだと驚く白人にある部族のものが言いました。

「いやいや。一緒にしないでくれ。あっちだけが野蛮で異常なのだ。」
「どちらも人間を殺して食ってやっていることは同じじゃないか。」
「全然違います。我々は茹でてしか食べませんが、奴らは何と焼いて食う
のです。焼くなんて食べ物に対しての冒涜です。奴らはおかしい。」

かくも人間とは自分は普通だが他者は異常だと、思い込みやすいものです。
白人達が彼らに「人を殺すのも、食うのもいけない。」とどうやって教え
て納得させたのか興味がありますが、おそらくは力づく。

>人間が地上の支配者であり、奴隷である他の生き物はどうでも良いといっ
>た感じがします。

人間は地上の支配者のようにも管理者のようにも見えますが、断じて
他の生き物は人間の奴隷ではありません。
奴隷とは奴隷制、制度です。奴隷は自由民になることがありましたが
、イヌが人にはならず人もまたイヌになれません。
人の社会の制度と生物間における関係を同一に見ても意味はない。
人と家畜は複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する「共生」
の関係です。

狩猟の際の人と狩猟犬を見たことがありますか。まさにチームプレイです。
盲導犬と人も支配・被支配でしょうか。 今は愛玩用ですがネコも昔は作物
を食い、伝染病をばら撒くネズミの被害に役立ったはず。
野良犬、野良猫は元の飼い主の責任の問題、ワクチンなど接種してない可能
性の高い野良犬、野良猫の放置や増加は現在飼われているイヌやネコや人間
にとって感染病の脅威になる。処分はやむを得ないと思う。
少なくとも人以外の生物が地球の環境や他の生物の存亡を考えない以上は、
人間が管理するしかないのですから。

環境の変化により進化してきた生物の中で、唯一人間だけが環境を変化させ
て生存圏を拡大させている。
遺伝子の研究により自然ではない人工の進化を果たすかも知れない。
もちろん核や遺伝子などの科学の力で滅ぶ可能性だってある。火山噴火など
の自然災害で滅ぶ可能性もある。
どちらに転んでも、恐竜が繁栄した期間に人が並ぶのは気が遠くなるほど
遥か先。 まだまだだよ、人類は。
一番、ルーキーなんだからスランプもあるさ。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
皆さん、ありがとうございました。
少しですが気持ちが晴れました。

お礼日時:2014/10/27 23:01

うーん…。

止めたいんですか? 止めたいなら、直接言ってくればいいんですよ。

レベルの高い事がしたいんです、特に男は。質問者を良く知りませんが、注目を集めたい瞬間を感じたことがあるでしょう? とりわけ、自分の得意分野において…。そして、その功績をして異性との接触をはかる際の自信、並びに異性を惨めな思いにさせないだけの報酬(収入・有名度)を獲得する訳です。そんな感じで、あまねく社会が形成されるわけです。社会がね…?

止めると言うなら、止められる方の彼らはそれこそ食いぶちを失い、得意分野における華々しい活躍の機会を奪われます。それでも構わないと仰るなら、その者は、なるだけ多くの人に幸福感を感じてほしいと思ってない方だと云うことになってきます。

食品の製造、或いは加工工場で働いた経験は? どっさりゴミが出ます。ゴキブリやウジがお茶会を開いてます。そこでもたついていると、パートさんのひんしゅくを買います。しかし明るい話もあって、結構持っていくんですよコレが。捨てる前にね。つまり、廃棄されてる量の統計上の数値は実は、現場の従業員さん達により、抑えられてる現実もあります。悲観的にならなくいいんですよ。
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あなたの考えていることは、その通りだと思います。


昔は、自分たちが食べる家畜を敷地内で飼っていましたので、動植物と人間が近い距離にあったのですね。
現代は、食材となる動植物と食卓の距離が遠くなったのです。
ですから、都会で文化的な生活をしている人は第一次産業として動植物を採る現場を見ていないのです。
しかし、あなたのように現場にも目を向けている人は視野が広いので安心です。
家畜を殺戮する現場を見る機会はあまりないと思いますが、それらの命をいただいて人間は生きているという事実はどんな時代になっても変わることはありませんね。
視野の狭い人間は唯我独尊になる可能性が高いです。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:59

英語の Beef と Cattle (或いは Cow や Ox など)、Pork と Pig の違いが何から生じたものなのか御存知でしょうか?



日本語に意訳すれば Beef は牛肉、Cow は牛、Pork は豚肉、Pig は豚と訳しますよね。

でも元々は Beef も Cattle も牛、Pork も Pig も豚という意味の言葉なのです。

Beef は仏語の Boeuf を英語表記にしたもので、Pork は同じく French の Porc を英語表記にしたものであり、Boeuf は牛、Porc は豚を意味します。

では何故 Beef は牛肉、Pork は豚肉と解されるようになったかと言うと……

英国は昔、German 人 (現在の独系言語を持つ人々) が住んでいた頃に Norman 人 (仏蘭西の Normandy 地方に土地を与えられて仏語を話す貴族達) に支配されるようになり、支配層の貴族達は仏語、被支配層の一般人は独語系の言葉を話していたことから両者の言葉が融合して現在の英語が形作られました。

その際、貴族が「この肉は何の肉だ?」と聞いた時、召使いは「牛 (或いは豚) の肉です」と答えるものの、貴族の言葉に合わせて「Boeuf (或いは Porc) の肉でございます」と言います。

Boeuf がモゥモゥ、Porc がブゥブゥと鳴く動物であることを知っていた時代にはそれで通じるのですが、世代を経てしまうと子供達は Beef (或いは Pork) が動物であったことを想像できなくなり「Cattle は牛、Pig は豚だけど Beef や Pork は牛や豚じゃないもんっ!」ということになってしまい、食卓に上る肉と実際の動物との関連性に鯛知る理解が乖離してしまうわけです。

日本語でも「鮭 (サケ)」と「シャケ」のように「魚」と「魚肉加工品 (シャケの場合は鮭を干した魚肉)」という言葉の違いが生じていますよね。……幸い「鮭」と「シャケ」は発音が似ていますので同じ魚を Image できる人が多いですが、北海道の焼き鳥 (実は豚肉の串焼き) のように全く違う言葉に変化してしまうと元が何なのか判らない人が多くなるでしょうね。


>快適で便利な生活が送れていますが、この普通だと思っていることって、少し立場(環境?)の違う人から見たら「異常」だと思われないでしょうか?

豚肉の串焼きを焼き鳥と言う地方があったり、薩摩揚げを天麩羅と言う地方があっても、その地方の人達を「悪い人」「非難すべき人」としての「異常」と決めつけるわけには行かないでしょう(笑)。

確かに異なる環境の人にとっては日常とは異なる表現ですので異常という感覚を持つでしょうが、だからと言って「悪いこと」「非難すべきこと」ではありません。

逆に十人十色、地方の独自性といったものを許容できない狭量な心の方を「非難されるべき、恥ずかしい考え方」と判ずるべきでしょう(^_^;)。


>そして遺伝子の研究まで進めて、生命まで自由にしようとしている人間って何なんでしょうか。

時折、理性 (或いは現実、或いは科学) と感情 (或いは空想、或いは宗教) とがこんがらがって出口の見えない妄想に怯え (或いは「>異常さ、怖さを感じ) てしまうのが人間です(^_^;)。


>そういった気持ちが「いただきます」と「ごちそうさまでした」に込められいると思います。

これも言葉の問題ですが、以前 (横浜市だったと記憶しますが) 「ウチは給食費をちゃんと支払っているのに何故子供に『いただきます』『ごちそうさまでした』などと乞食みたいな言葉を言わせるの!」と学校に噛み付いた Monster Parents が居たという記事を読んだことがあります。

質問者様のように言葉の語源を知っていれば、それが「食物を恵んで貰う乞食の言葉」ではなく「生きとし生けるもの全てのものからその生命を戴くことに対する感謝の気持ち」であることが理解できている筈なのですが、日本語の理解力のないくだんの Monster Parents にとっては (英国における貴族の子供達が Beef と Cattle との関連性を理解できなくなってしまったのと同様に)「食物の大切さが生命の大切さから生じていること」が理解できなくなっているわけですね。

その辺の理解がなされていないことは「悪い事」「非難すべき事」だと思いますが、それを「食物連鎖の頂点に立つ人間」という事実に結びつけて「人間不信」に陥るのは「誤った思考回路」を形成して出口を見失った「妄想」に囚われてしまったものに過ぎません(^_^;)。


>同じようなことを考えた方はいらっしゃらないでしょうか?

私はそのような考えを持ったことはありません。

堂々巡りになる前に「誤った妄想に陥る」ことに気付いてその考察法を撤廃します。

もしもその思考法を採り続けたいのであれば人間を止める、人でなしになるしかありませんので(汗)。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:54

それが人間だと思います



子どもに
牛や鶏がさばかれる所を生で見せた事あります?
今の子は目を背けるか かわいそう という感想を述べる子が多数でしょう
そして親も あの牛が殺されておいしいステーキになるのよ なんて教える事もしません


人間は食物連鎖の頂点だとも言われます
人間を食べる動物は今のところ居ません

そしてその異常さを当たり前と思って生きているのもまた人間なのです
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:54

”何というか、人間が地上の支配者であり、奴隷である他の生き物は


どうでも良いといった感じがします。”
    ↑
こういう考え方は、キリスト教に由来するものだと
思っています。

キリスト教では、神は己に似せて人間を創った
特別な存在だ、とされています。
人間以外の動物は、総て人間の為に存在する
と考えます。

欧米文明が世界を席巻するとともに、こういう
考え方も世界に広まります。
それに近代の合理主義や分業が加わり、現代の
ような状況になっているのでしょう。


”異常さ、怖さを感じたので、こちらに書かさせてもらいました。”
    ↑
質問者さんがこう感じるのは、人間は特別な存在など
ではない。
自然の一部に過ぎない、という日本というか東洋というか
仏教というか、そういう思想が存在しているからだと思います。

農耕民族である日本人は、動物に対するそういう感情が
特に強いのかもしれません。

そして、現在の生命科学は、人間の特別性を否定する
傾向にあります。
人間だけが特別ではない、どんな生命体も特別である。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:54

異常だと思えば、できないですよ。


普通だと思っているから、できるのですよ。

便利な生活とは、ある意味、「異常」であることを「普通」にする
ことなのです。

スーパーで売られる牛肉を例に挙げておられますが、
自分で牛を殺して、肉を切り分けるなんてことは、
到底できません。

それよりも、もっと典型なのは、「魚」ですよ。
丸ごと売られている魚と、切り身で売られている魚と
どちらが多いですか?
昔ながらの魚を丸ごと一匹並べ売っている魚屋の方が
少数派になって、いまでは、切り身の方が当たり前に
なりつつあります。
自分で魚をさばくよりも、最初から、内臓と頭を切り落とし、
焼くだけ、煮るだけになっている方が便利だからです。

遺伝子で生命を左右することを異常だとおっしゃっていますが、
医療は、そもそも、自然の摂理に逆行しているのです。
病気になったら、薬を飲んで治すこと自体が、
自然に逆行しているのですよ。

人間が地上の支配者、他の生物はどうでも良い……
と、思っているのではなくて、自分たちの都合の良い生活を
求めて、それを実行しているのですよ。

最初から支配者であろうとすることと、
支配者と同じようなことをしているのでは、
意味が全然違いますよ。

動物園は、動物を人間に見せるための施設ですが、
同時に、動物の研究施設でもあるのです。
研究資金を人間に見せる入園料で稼いでいるのです。
何のために研究するのかと言えば、
動物を観察することが、人間とは何かという研究に繋がるからです。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:55

家畜は経済動物と言われてます。


人間が食用にするために全てのシステムが整っています。

最も動物で必要な性行為も認められませんし、クローン技術を使った体外受精した卵子を子宮にいれますので自分の子供も妊娠出来ませんし寿命の半分以下でと殺されます。
動物虐待を言うなら家畜が最も虐待されていると思います。

ただ、種の保存を考えると人間生活がある限り、絶滅する事はありません。

ペットも状況が変わらず、ブリーダーは人間の好む種を近親交配を繰り返し増やす訳ですし、去勢され性行為も許されてません。

動物園の動物も幸せだと思いますか?
私はそうは思いません。

こう考えてはいかがでしょうか?

人類が弱肉強食のトップにいる限り人間に関わる全ての動物は「不運であり不幸」であると考えると、家畜がどうとかペットがどうとか区別して考える必要は無くなります。

我が家にもペットがいますが、死んだ時には「人間のいない自由な所に生まれ変れよ」と願って見送ります。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:56

>この普通だと思っていることって、少し立場(環境?)の違う人から見たら「異常」だと思われないでしょうか?



そう思いたい人にはそう思わせてあげれば良いと思います。但し、そのように思う人は思慮深い人ではありません。なぜならすべての動物は、他の動植物の生命を断つことによって己の生命を保っているからです。「異常」だと感じられるのも、これまで多くの動植物の生命を断って食べ物としてきたからです。そうしなければ「異常」と感じることすらなく、土となっていたでしょう。そもそも動植物の生命を断つといっても、それらを絶滅させるわけではありません。ほんの一部の生命を断っているだけのことです。

>人間が地上の支配者であり、奴隷である他の生き物はどうでも良いといった感じがします。

人間が地上を支配しているというか、食物連鎖の一区切りにいることは間違いありませんが、「他の生き物はどうでも良い」ということは決してありません。ある動植物が絶滅すれば、そこでこれまでの食物連鎖が途切れ、全く別の食物連鎖が起こります。当然、新たな連鎖の中に人間の含まれない可能性もあることでしょう。つまり、人為的にある特定の動植物を滅ぼすと、人間自身が滅んでしまうことも十分にあり得ます。大自然の摂理は、炭素、窒素、リン、カリウムなどの元素を循環させているだけのことです。

うまく回っている食物連鎖の中では、一つの動植物も滅ぶことなく、何かの生命に役立っているのです。何かが滅んでもその食物連鎖が回っているとすれば、それは滅んだ動植物の代役を引き受けられる動植物がいるときだけです。

これら食物連鎖が回らなくなってしまえば、それこそ月世界のような死の世界になることでしょう。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:54

個人的感想、感傷だから、別に自由では、、、。



あなたの場合、食肉だけでその考え、、、では、、、電気、原子力、、年金、もっと怖いのは、日本の倒産です、

今1/5が、65歳以上、人口比率で、、、。10ー20年以内に1/4が、ジジ、ババ。その先は、1/3まで65歳以上だそうです。

どう考えても消費税は、30パーセント以上じゃないと、日本は倒産します、そちらの方が先に来るのでは。

まだ、富士山や、関東大震災、、、予想できる恐怖はどれも同じか、、それ以上にありますけど、、、どこに注目しましょうか。

考えればきりがないです。マクドナルドは嫌いですけど、贅沢に、モスバーガーに行きますか、とか、地元のスーパーで、ピザの切り身を買って生活しています、トホホホ。
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この回答へのお礼

ここまで多くの方のご意見を頂けると思っていませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/27 22:54

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