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こんにちは。
大河ドラマの「独眼竜正宗」を見た時には眼帯をしていたと思うのですが、伊達正宗の肖像画には眼帯が描かれていなかったり、仙台城の銅像も眼帯をしていません。
眼帯はドラマ上の演出だったのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

最新の政宗の遺体監査で、疱瘡にかかったというわれる方の右目には目が残っていたそうです。


伝聞の目を抉ったや、食べたというのは嘘です。

肖像の件は、政宗の言いつけで、両目は開いた肖像画しか書かせなかったそうでう。

眼帯に刀の鍔を使いだした政宗は1942年ごろの戦国映画からです。

1950年代以降の柳生十兵衛などで、鍔眼帯が流行りました。
以降
・カッコ良さ重視⇒鍔眼帯
・史実重視⇒眼帯なし
となりました。

その辺で、ご理解頂けると物語と史実の差が分かると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
遺体を調べたんですか。右目があったとは驚きです。
刀の鍔は見た目は強そうにみえて、映画やドラマでは映えますね。
史実や像、ドラマなどの演出と、それぞれあるとわかりました。

お礼日時:2014/11/10 13:46

幼少の時に疱瘡にかかり、右目が失明だそうですね。


丹下左膳も右目だそうです。左手が欠損ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
疱瘡という障害を克服して歴史に名を残すのは素晴らしいですね。

お礼日時:2014/11/04 11:30

眼帯は後世の創作です


「独眼竜」というイメージに当てはめるためにテレビに作られたイメージです
実際には眼帯はしていませんでしたよ


幼少期に疱瘡(天然痘)に掛り隻眼となったのは事実ですが
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
独眼竜といえば眼帯姿を思い出しますね。
史実とは異なっていてもイメージとしてはよいかと思います。

お礼日時:2014/11/04 11:29

小さい時の病気で右目を失明したのですが、


偶像は両目のある状態で作成するよう遺言だかを残したんだったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
遺言でしたか。
両目にこだわりがあったのでしょうね。

お礼日時:2014/11/04 11:28

Yahoo知恵袋で過去同じ質問がりました。

ご参考に。

参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考にしてみます。

お礼日時:2014/11/04 11:27

常に刀のつばを眼帯にしている印象的な姿は、後世の劇やドラマの演出ですね。


信用ある資料の中では、「布などで隠していたこともある」という程度らしいです。
また、肖像画や銅像については、正宗本人が「片目が悪いと判るような表現をするな」
とお達しをしていたとか。
そのため、当時のものやゆかりの深い土地では、きちんと両目を描写するのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり演出でしたか。
両目があるように作っているのはそういった理由なのですね。

お礼日時:2014/11/04 11:27

俺は読んでませんが



秋田の「佐竹家文書」には「潰れた右目がはみ出てみっともない」「白き布にて右目を隠し」の表記。
「伊達家文書」には「艶やかな紅白の眼帯(布?)」の表記があるそうです。

ドラマのようなカッコよさげな物ではないだろうけど、
少なくとも時々は隠せるものはつけていたんじゃないですかね?

ちなみに像は「母にもらった体に不足があるのは忍びない」と小さくとも右目があるように作ってくれと本人が頼んだという話もあるそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
当時は布で隠していたのですか。
確かに、ドラマ的な見栄えでは眼帯の方がよさそうですが。
像についてはそういった意向があったのですね。

お礼日時:2014/11/04 11:26

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