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どっちか一つしか出来ないとしたら
旅に出るコト、と、本を読むこと
ではどっちが重要だと思いますか?

またあなたならどっちを選びますか?

A 回答 (10件)

旅に出ることで、本当の巡り会い、本物の景色に出会うことが出来ます。

また、人生を探すことが出来ます。それは本の中にはなく、自分自身の中から湧いてくるものだと思うのです。
しかし、三蔵法師のように、本(経典)を求めて旅をするというのもロマンチックではありますね。そういう意味では、書物は時空の旅人と言えそうです。
それでも私は旅を選択します。
今を生きたいからです。
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デカルトは一生旅して暮らし、同じところに1年と定着したことがありませんでした。


30年戦争に参加するためにドイツに渡り、さらに決闘までしているし、いろんな職業を渡り歩いていました。
当時は大学と言っても、神学部と法学部と医学部しかなく、哲学部は神学の「しもべ」でしかありませんでしたから、デカルトは大学の講壇に一度も立ったことはなく、しかもガリレオが宗教裁判で告発されて自分の「世界論」も弾圧されるのではないかと心配して、公刊を取りやめ、カトリックのフランスに居られなくてオランダに逃亡しました。
当時のオランダは光学機器の生産で先進国であり、顕微鏡・望遠鏡がオランダで生産されました。
そして光学機器のアナロジーとして、反射が反省という考えを生み、意識という考えを生みました。
デカルトは心という言葉を発明し、ロックは意識という言葉を発明しました。
事実、ロックも亡命してオランダに住んでいました。
人間にもともと心があるのでもなく、人間がもともと意識を持っているのではなく、それは発明であって、発見ではありませんでした。
そして近代哲学の概念装置は当時オランダの光学機器のアナロジーとして生み出されたものです。

旅に出ることは、見聞を広めて、先入観に捉われないという効用をもたらします。
1か所に定住すると、どうしても1つの見解に捉われ、常識から脱け出ることができなくなります。
旅は、上に超越するのではなく、横に超越することです。
これを「横超」といいます。
親鸞が言い出した言葉です。
親鸞も北陸に行ったり、東関東へ行ったり、京都に戻ったり、全国あちこちに行って、そこの風土と思想にふれ、思想を形成しました。
1か所に定住すると上に超越することは容易ですが、横に超越する「横超」は不可能です。
若きショーペンハウワーも豪商だった父親に連れられて全世界を旅して暮らし、見聞を広め、コスモポリタンになり、ドイツ人でありながらドイツ人を嫌いました。
ドイツ人の偏狭なナショナリズムに対する軽蔑を隠しませんでした。
哲学や学問をする前に、何よりも旅をして見聞を広めることは重要です。
一つの見解に、常識にとらわれないためにも。
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 こんにちは。



 えらべません。

 理由は:

 本を読むことは 読みながら 自分の本を書くことです。おのれの思想を著わすことです。一つひとつのくだりに反応するだけで そういうことをおこなっています。

 そして人間は 文字という道具を持っていることで 過去の思索を繰り返し吟味し検証して行くことが出来ます。それによって ある程度のだとしても まとまった――内容が整合的な――考えをきちんと自分のものにしていくことが出来ます。

 つまり 《文字をつうじての・ある程度まとまった思想》を読みみづからもそれに反応して書く〔ことと同じ効果の結果を得る〕ということは 重要です。

 この文字の効果の重要性を打ち捨ててしまうとすれば 《旅に出ます》。

 それは 風景も然ることながら 人間に出会うかどうかの問題だと思うからです。ただし現代では 必ずしもからだを移動させなくても 対話は出来るかも分かりません。
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本が与えるのは、文字に過ぎない。


それで真の世界を知る事はできない。
しかし、ただ旅をしても知識がなければ
単なる観光に終わる。
旅先で見聞を広め、疑問を抱いたら本を
読み、その見識において旅する事で、
世界をより深く知る。
それが「認識の深まり」の実態だ。
「どっちが重要?」の回答画像8
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本の中を旅するか、旅を本として読みとるか、違うようでまったく同じではないか。

旅に出たいときは読書もしたいが、旅に出たくない時には本も読みたくないというようなことになりませんか。
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本を読むこと、だと思います。



旅に出ることも大切ですが、旅とは現在進行形でしかありません。 その点で本は、過去の歴史を残すことができますので、旅では学べない過去を学ぶことができます。 もちろん旅でもある程度の過去をさかのぼって理解することができますが、それらの前提知識も書籍あってのものですし、より詳細な過去を知るには書籍に頼る他ありません。

でも結局、人生というものは 「いかに自問自答するか」 が決め手だと思いますので、旅も本も自問自答をするためのツールでしか過ぎません。 どうしても本では親近感が沸かない、または実感がなく感情移入できない、といった方は実際に旅に出た方が得られるものが大きいと思いますので、どちらが優れているかは一概に決められないとは思います。
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マジレスすると、国内旅行だけなら、旅に出る事。



海外なら、本やインターネットでしっかりその国の習慣や治安を理解して旅に出る。
その知識をつける作業を怠ると、命取りになる。

と言う事でどちらか一方なら、海外旅行なら、本。
(信用の置ける現地ガイドを、つけてよいなら話は別。)
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本を読みながら旅に出ること。

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>旅に出るコト、と、本を読むことではどっちが重要だと思いますか?



どちらか一つなら本を読むことが重要。

知識が無く旅をしても、偶然の出会いが在る程度にすぎず、本当の歴史や文化を学ぶことはできません。

歴史や文化や人の人生は、本を読み体系的知識を仕入れたうえで実地で経験して体得するものです。

本を読むことができずにただ旅をしたとしてもそれは流浪の民と同じです。
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旅に出る事です。


人と話したい、経験したいから。
違う場所へ赴き、五感を研ぎ澄ましたい(*´・ω・`)b。
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