昔の時代、日本人の女性はどのように自殺しますか
つまらない質問、申し訳御座いません。
昔の時代、切腹も斬首も男性に属する自殺方法ですか。
女性にとっては、なんか怖いような気がします。
優しい方法はあるかと思います。
昔の時代、日本人の女性はどのように自殺しますか。
それとも男性の切腹と斬首一緒ですか。
つまらない質問、本当に申し訳御座いません。(><)
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回答(11件中1~10件)
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女性の切腹は特殊な事で、
殆ど知られてないようですが、
三田村鳶魚氏の、鳶魚江戸文庫「武家の生活」には
何例かが記されており、
江戸時代の大名夫人の例や、
又、戦国時代は随分あったとも書かれています。
この回答へのお礼
denemonさん
ご回答ありがとうございました。
いい勉強になりました。
スイマセン、訂正があります。
切腹した皇族で「大塔宮」を上げましたが、勘違いでした。
実際には腹を切ろうと家来たちと酒宴を開き、これを最後と刀を握ったのですが、家来の村上義光が「手傷を負って自分はもう助からない。身代わりになって敵の目をそらすからその隙に逃げてくれ」と、大塔宮の鎧を借り受け、敵の前で腹を切って腸を投げつけた、というのが正解です。
大塔宮はその後、足利直義の家来により暗殺されております。
尚雑学ですが、モンゴルで武士は日本の切腹にあたる作法として、自分で皮の袋に入って寝転び、他の者たちが馬でそれをけったり踏んだりして殺すのが、武人の名誉ある死に方と聞いた事があります。
チンギスハンの若い頃の話として読んだ記憶がありますが、本当かどうかは自信がありません。
この回答へのお礼
度々ありがとうございました。
言葉は私にとってはちょっと難しいですが、辞書を引きながら、読み終わりました。
いい勉強になりました。
外国の方だったのですね。
まず日本の武士の時代として時代劇の題材になる「江戸時代」ですが、日本の歴史の中でも朱子学の影響でかなり歪な社会とご理解ください。
例えば日本は他のアジア諸国同様、基本的には男女同権・別姓が伝統で、江戸時代までは結婚しても実家の姓を名乗り財産分与も男の兄弟と同様に受ける権利がある場合もあり、女性の発言力もかなり強いものがありました。
武士の主従関係もドライで、極論すれば「エサをくれない主人には従えない」と言うもので、時代劇のように主君の発言が絶対なのは江戸期のみ、それも影では家臣の意に添わない主君は「乱心」として強制的に隠居や押し込めされてますから、武士道というのは現在の暴力団の言う「任侠」と同じ程度とご理解ください。
さて切腹ですが、そもそもは腹を十文字に掻っ捌き内蔵をつかみ出して敵に投げつけ、痛みと苦しみで敵を呪って死ぬという側面もあり、武士では無い皇族などもやりましたが、次第に様式美となり、江戸期においては武士にのみ許された名誉になってしまい、新撰組の近藤勇などは罪人として切腹を許されず、斬首されております。
こうした経緯ですから、切腹に関しては室町時代までは憤死として「相手を恨みながら自殺する」で正解ですが、江戸時代は自殺ではなく名誉の死ですから、女性で切腹する方はおりません。
「今参の局」が切腹したと伝えられるのも、正室:日野富子の陰謀で流罪となり、あの気性の激しい女性なら富子に対するあてつけでやりかねないという噂で、実際には護送の途中で殺されたとも言われます。
切腹が武士の作法と確立されてない時代、例えば鎌倉時代末期の楠木兄弟などは当時の代表的武士ですが、お互い刺し違えて死んだとあり、先に書いた皇族でも腹を切ったというのはこの時代の大塔宮をさします。
もし女性の自殺をご研究でしたら、江戸時代とそれ以外を別個に考える必要があると考えます。
この回答へのお礼
再びありがとうございました。
日本語を勉強している外国人です。
日本語を勉強している同時に、日本の歴史にも興味を持ち出しました。
これからも宜しくお願い致します☆
No.8ベストアンサー10pt
awayuki_chさんこんにちは。
中国の方ですか?そのせいかと思いますが、少し誤解があるようなので、解説します。
まず、「切腹」は「自殺」とは違います。
また、「斬首」は罪人の「刑罰」ですが、「切腹」は「刑罰」ではありません。
「切腹」は侍が自分の行動の責任を果たす為に行う行為で、一種の「名誉」でもあります。故に自殺とは意味が違います。正しい行いをした後に、切腹を行うという場合もあっただろうと思われます。
「斬首」は自分の犯した罪に自分で責任を取ることができない人間に対して行われる、いわば「不名誉」な刑罰です。
江戸の時代くらいまでの日本人はとても「名誉」を重んじましたから、女性もやはり名誉に関る部分で脇差による自決(じけつ)などはありましたが、いわゆる「切腹」は「武士(侍)」の「儀式」でしたので、女性には「切腹」はありません。
入水(じゅすい。水に入って死ぬ事)や脇差(短刀)での自決が主だったと思います。
この回答へのお礼
kubeさん
ご回答ありがとうございました。
>まず、「切腹」は「自殺」とは違います。
kubeさんのおかげで、良く分かりました。
本当にいい勉強になりました♪
No.7ベストアンサー20pt
大抵は喉か胸を短刀で突いて自殺しますが、切腹した女性で有名なのは8代将軍足利義政の側室「今参の局」と言われておりますが、確実な話ではなく「彼女ならやりそうだ」という程度ではっきりはしません。
壇ノ浦で安徳天皇を抱いて入水自殺した「二位の局」のような投身自殺も多く、これは伝説ですが、織田信長の正妻「帰蝶」は夫とともに本能寺で焼身自殺したと言うのもあります。
明智光秀の娘で細川家に嫁いだ「ガラシャ(玉)」は宗教上の理由で自殺できず、家臣に命じて自分を殺させたのでこれも一種の自殺。
女性が優しくなったのは江戸時代からの話で、木曽義仲の巴御前など合戦に出てますし、岐阜県の岩村城では織田信長の叔母さんが城主として戦っております。
持統天皇も女性ながら天武天皇と同行し弘文天皇(大友皇子)と戦ったと言う伝説もあります。
一般の女性でも戦いで死んだ武士の首を化粧したり死体を目にする機会も多く、かなり殺伐としており、男同様と言う女性は多かったと思います。
江戸期に入ると裾が乱れないように縛って喉や胸を突くのが武家の女の嗜みですが、後期には男も「扇子腹」といって、扇子で腹を切るまねをしてすかさず介錯人が首を切って留めをさすと言う「優しい切腹」になりましたので、女性も刃物での自殺は少なくなったと考えます。
この回答へのお礼
98Kinさん
ご回答ありがとうございました。
歴史に詳しいですね。
感心します。
いい勉強になりました☆
一般の女性は「入水」や「首吊り」でしょうね。
武士階級の女性は成人すると懐剣と呼ばれる護身用の短刀を常に帯に差していました。死が避けられないときはこの短刀を左胸(心臓の上)に当て体を前方に倒して胸を刺したそうです。女性の力で着物の上から心臓を刺すことは出来なかったからでしょう。この時、苦しさで脚が開かないように紐で両足を縛ったといわれます。
これはそのようにして自殺した女性が多かったという意味ではなく当時の武家の娘の知るべきマナーだった訳です。多くの場合は男性が介錯したはずです。
この回答へのお礼
martinbuhoさん
ご回答ありがとうございました。
いい参考になりました。
また、当時に武士階級の女性もいますね。
知りませんでした^^
くわしいソースは失念しましたが、切腹は「自殺ではない」んだそうです。
あくまで死刑の1形態だとか。
切腹自体も武士階級のみでしたし。
で、自殺方法はというと入水、首吊り、飛降りが主流(?)だったようです。
飛降りはそれほど高い場所がないため少なかったようですが、
かの「清水の舞台」では成功率15パーセントという統計資料が残っているそうです。
残っているところがすごいですな。
この回答へのお礼
K-1さん
早速のご返事ありがとう御座いました。
>くわしいソースは失念しましたが、切腹は「自殺ではない」んだそうです。
始めて知りました。
いい勉強になりました。
>かの「清水の舞台」では成功率15パーセントという統計資料が残っているそうです。
「清水の舞台から飛び下りる 」という有名な言葉もありますね^^
自分で斬首は出来ないですし、切腹も普通では無いような気がします。
多分、首吊り、入水とかではないかと思いますが…
この回答へのお礼
Mitzさん
早速のご返事ありがとうございました。
いい勉強になりました。
中国のとほとんど同じです♪
斬首と自刎は違いますね。
その昔、安土桃山時代の話ですが、徳川家に大坂城を攻められて逃げ場を失った淀君(豊臣秀吉の奥方)は、火の手の回った場内に残り、自害したそうです。
p.s.死ぬことに優しい方法など無いと思いますよ。
この回答へのお礼
maxyamabiko192さん
早速のご回答ありがとうございました。
いい勉強になりました。
死ぬことに優しい方法は確かにおっしゃった通りにないですね^^
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