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「千と千尋の神隠し」からの質問です。
湯屋「油屋」で働く者達は、湯婆婆を始め、ハク、リン、カエル男、ナメクジ女など、ほとんどが人間の姿をしています。
ハクは白龍、リンは白狐という公式設定が公開されているようですし、カエル男、ナメクジ女も「人間ではないけど人間に化けている」ということだと思います。
私の記憶上、人間の姿でなかったのは釜爺と青蛙くらいだった気がします。
あの世界の者達は、千尋を一目見ただけでギョッとするほど人間を毛嫌いしているはずです。
それなのに、何故わざわざ人間に化けて接客をするのだと思いますか?
裏方である釜爺が人間に化けていない事から、「接客をするには人間の姿である方が都合がいいから」だとは思います。
それだと青蛙に疑問が残りますが、コイツはただ単に映画を鑑賞中の私達に向けて「みんな人の姿をしているけど本当は人じゃない」という事を意識&分かりやすくさせる為に1匹だけ蛙の姿のままにして紛れ込ませたのかなぁとも考えられます。
そして、その他人間の姿に化ける従業員ですが、例えば接客する相手も人間の姿をしているならまだ理解できます。
しかし、八百万の神々は誰一人として人間の姿をしていません。一体何故、嫌いな人間の姿に化けるのでしょう?
どんなに取り乱しても姿の変わらない湯婆婆(鳥型にはなりますが)、溺愛する息子(坊)が人間の姿、寂れた田舎で編み物などをして暮らしている銭婆の様子からして、この魔女姉妹はこの姿が本来の姿なのかなぁと思えます。
とすると、油屋の経営者が人間の姿なのだから、そういう(人間に化けて接客する)経営方針というだけの事なのでしょうか?
ご意見をお聞かせください。

A 回答 (3件)

単に「人形(ひとがた)にさせておかないと動きを描きにくいし、観ている側も違和感を覚える」ということなのでは?という身もふたもない話

にしないなら「人間という種」を毛嫌いはしていますが、そもそも「紙は自らの姿に似せて人間を作った」とされますから「人間が神様に似ているだけ」なのでは?(笑)
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この回答へのお礼

そうですね、登場人物の多くが人間の姿でないと作品としても面白味が出ないかもしれません。
そう考えるとあまり意味は無いのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2014/11/25 16:27

 神様にも自然の神や人などが神になったケースも多いです。

日本の神話、ギリシア神話などでも人の姿をしている神も多く、動物に成ったりする事も多いです。

 もともと神様の居る世界ですから人間が迷い込むのは少ないのです。人間は汚れている存在なので、神社で参拝するときに汚れをはらってからですよね。それと同じです。

 冒頭に出てくる紙が人にというのも実際にあの神様は居ます。公開当時のメイキング番組で紹介されました。奈良だったかな?和歌山だったかな?
 姿形はないのですが、あえて人の形を入れたという事でした。

 神々は人々の中に生きています。人間嫌いではないでしょう。だから助けたりするのですから。

 人々の中で生きてきた神、自然の中での神。人が神になった神など入り交じった世界なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2014/11/25 16:28

 特に意味はないのでは?



 宮崎駿は、大まかな設定は決めますが、描きながらストーリーを考えるタイプだと言ってましたので、結果的に、ああいう世界観になったのではないかと。
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この回答へのお礼

そうですね、登場人物の多くが人間の姿でないと作品としても面白味が出ないかもしれません。
そう考えるとあまり意味は無いのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2014/11/25 16:26

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