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さて掲題は、奇兵隊その他の諸隊を率いて藩内クーデターを起こしたかの高杉晋作を称して、後年の伊藤博文が送ったとされる高名な撰文ですが、その一方で当初集まった兵は僅かに80人に過ぎず、恐らくクーデターの成否は眼中になかった事でしょう。

まあ個人的に幕末の長州でどうしても傾倒してしまうのが、吉田松陰と高杉晋作のお二人。

吉田松陰に関してはこの際さて置くとして、この頃の晋作は、第1次長州征伐及びそこに連なる政変劇で、佐幕派が藩政を牛耳り且つ多くの盟友を失いそれこそ孤立無援。
ただ彼のクーデターが無ければその後の長州も恐らく無かった、・・とすれば明治維新そのものがあったかどうか、薩摩藩一手での討幕はとても無理だったでしょう。

長州の名家のお坊ちゃまに生まれ付き、藩の公金すら飲み倒してしまうハチャメチャな男、それこそ平時であれば一介の放蕩息子という事で生涯を終えたかも知れないが、私にはとってもカッコ良く映ってしまう。

ことに決起に際して、三条実美他・長州落ちしていた所謂五卿に対し言い放った 「 これより長州男児の肝っ玉を、お目に懸け申す ! 」 という捨て台詞は、武士としてそれ以上に男として、胸がすくようなインパクトがあります。

「 実があるなら今月今夜 、一夜明ければみんな来る 」

当句も藩内クーデターの際に放ったとされる名言でして、長州の出であられる安倍総理が好んで使われるそうですが、結果の成否を考えずに今すぐ行動しろ、決して付和雷同することなかれ、恐らくそんな意味合いでしょう。

その一方で都都逸を愛し

「 三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい 」

「 わしとおまえは焼山かつら うらは切れても根は切れぬ 」

と言った風な粋な歌を残してもおりまして、僅か27年に過ぎないこの方の人生こそが、それはもう見事にドラマティック。

さて余談が長くなりましたが、高杉晋作の如くカッコよくドラマティックな生涯を送った人物が歴史上におりましたら、是非お教え願いたいものです。

A 回答 (18件中1~10件)

isoken先生、こんばんは。



私は・・・
西南戦争の薩軍二番大隊大隊長「村田新八」です!

藩主・島津久光に島流しさせられたり、
明治新政府では岩倉使節団の一員に加わったり、
西郷さんが下野したことを知ると辞職し西郷さんと運命を共にしたりと。
結構ドラマティックな生涯を送られた方じゃないかと思います。

西南戦争時に村田は、シルクハットにフロックコート姿で戦い、
平時から携えてたアコーディオンも西南戦争中も肌身離さず持ち歩いてたとか。
(↑ここ個人的にカッチョイイなと(笑))

そんな村田が最期の決戦前夜、アコーディオンを焼き払うエピソードは胸が熱くなります。

ああ・・・
久しぶりに南洲墓地にお参りに行かなくちゃ(笑)
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この回答へのお礼

chacha 師匠、こんばんは。

>西南戦争の薩軍二番大隊大隊長「村田新八」です!

全くの同感、西南戦争時の薩摩といえば村田新八と篠原国幹、私にとってはこの二人です。

西郷隆盛に心酔するあまり、当時の薩摩に於いては大久保利通の評判が恐ろしく悪かったが、彼は大久保の大器を知ると共にその理解者の一人、一方の大久保も新八の力量を認めていたようです。

その一方に於いて、西郷さんの心情を理解せず決起を促した薩人は少なくなかったが、欧米使節団の一員として近代文明という物を目の当たりにした彼は、今は国内で争っている時ではないと、恐らく薩摩の先鋭化に内心忸怩たる思いだったのでしょうが、最後は義理に殉じて下野しその生涯を閉じました。

確かに前途半ばで死なせるには惜しい人物でした、村田新八が仮に明治政府にあれば、或いは大久保利通の後釜として薩摩閥の頂点に立ったかも知れませんねぇ。

師匠の口から女性以外の話題が出て来るとは・・、しかもそれが意外や意外の人物ときてる、大変御見逸れしました。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/26 23:28

isokenさん、お気遣いありがとうございます。



さて、大河ドラマ 竜馬伝で高杉晋作を演じたのが、伊勢谷 友介
そして来年の大河でドラマで吉田松陰を演じるのも 伊勢谷 友介
伊勢谷さんというと東京芸大現役合格でバイリンガルで
役者をやらせたらあしたのジョーの力石徹役でロバート・デニーロ顔負けの
減量役作りをこなす。
そもそも、ドラマは大河以外監督が変わるからという理由で出たがらない健さんみたいな
ストイックな役者です。
私が伊勢谷友介を最初に観たのがNHKのスペシャルドラマ「白洲次郎」でした。
異母兄に山本寛斎がいるってのもすごいですね。

さて、ついでで申し訳ありません
>高杉晋作の如くカッコよくドラマティックな生涯を送った人物が歴史上におりましたら、

順風満帆でないけど運命の若気のいたりで躓いて苦難の道を歩いた人です。

まだお元気なのですが
評論家の川本三郎さん

kamejrouさん世代の人で、映画『マイ・バック・ページ』に時代と川本さんの青春時代の蹉跌の
すべてが描かれています。
村上春樹の風の歌を聞けの書評で川本三郎を知っていらい、鋭いオリジナリティを
持った評論家として注目していました。糊口をしのぐために風俗ライターをやったり
する背景は先述の「マイ・バック・ページ」を見るまでは知りませんでした。
この優しい目をしたロマンチストは証拠隠滅で逮捕、懲戒解雇となります。懲役10ヶ月、執行猶予2年
ほとんど犯人に騙されただけなのに麻布・東大から朝日ジャーナルの記者として歩んだ栄光の道が
閉ざされる。
それを潜り抜けて生き抜いて文化人として数々の評論で文芸賞をとります。映画評論や東京人などの
誌面から私がもっとも多く感化された知識人の一人。立教の先生をやられたりいつまでも
カッコよくドラマティックな人生を生きておられます。
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この回答へのお礼

ex さん、こんばんは。

>さて、大河ドラマ 竜馬伝で高杉晋作を演じたのが、伊勢谷 友介
そして来年の大河でドラマで吉田松陰を演じるのも 伊勢谷 友介

伊勢谷友介さんは芸能界有数のモテ男らしですが、かつて彼が演じた高杉晋作は私のイメージにぴったりでした。
正直女優はともかく若手俳優なんて興味ゼロ以下、然して殆ど知らない私にして、顔と名前が一致し且つ好感が持てる数少ない若手俳優です。

>評論家の川本三郎さん

名前は存じておりましたが、その来歴に関しては全く知りませんでしたのでググったところ、この方受験浪人と就職浪人の両方を経験されておられるようですね。
仰る通り順風満帆のエリート人生という訳でもないらしい ( それでもエリートに違いはありませんが・・ ) 。

う~ん中々ドラマティックな人生を歩んでらっしゃる、盛大に世に揉まれた経験値が晩年に於いて結実した、そういう事でしょうか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/27 22:28

こんにちは。



もう朝から雨で気分が晴れない・・・
質問がまだ開いておりましたので先日は取り急ぎのこともあり、
少しお話しようと思いお邪魔しました。

先日は高杉晋作のことは触れませんでしたので、
少しお話したいと思います・・・
おそらくはisokenさんの仰るとうりでしょう。
この回天の事業と言うものは長州なくしてありえなかった。
ただ早晩、形は変わったにしても維新のようなものは出来たと思います。
あるいはそれが徳川主導のものであったかも知れない。

どなたかが小栗上野介のことを言っておられたが、
川崎製鋼所でしたか?
随分と先見の明もある人なのですが、
時代の勢いと言うのは恐ろしいもので、
あたらあのような逸材をむざと殺してしまう・・・
維新政府に取り込めば随分と日本の為に役に立った人なのでしょうが・・・

高杉晋作に話しを戻せば、
この人はやはり乱世の人なのでしょうね。
平治においてはあれだけの光彩を放てたかどうか・・・?
一介の遊蕩児で終わったようにも思いますね。
長州と言う藩は一体にこの若者には寛容です。
本来、諌めるはずの年寄りが、まことに血気盛ん!
来島又兵衛などその最たるものでしょう。

「実があるなら今月今夜 一夜明ければみんな来る」
私はこれ好きでしてねぇ。
解釈は仰るとりでしょう。
誠意があるなら世間の顔色をうかがわず駆けつけてほしい・・・
今の我々にも通じることでしょう。

「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」
isokenさんなどは御存知でしょうが、
当時、あの頃はまことに烏が多くて朝から煩い!
気持ちは分かりますねぇ(笑)

さて、質問の話しはこれくらいで、
adeleさん、気にされることはない・・・
私はもう最近この爺と言う言葉に怒る気力も失せた!
先日市役所から介護保険被保険者何たらとか言うのが送られてきて、
突っ返してやりましょうかと思いましたがそうもいかない・・・
国が私のことを殆ど爺と言うのなら、
悔しいが認めるしかない・・・

明石の鯛の昆布締め・・・まあ!よだれが出そうな(笑)
その内また鮨の質問でもしてみましょう。
この話しをしたいと思えば質問を立てるしかありませんし・・・

ここいらで、
またお話しましょう。
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この回答へのお礼

kamejrou さん、おはようございます。

>この回天の事業と言うものは長州なくしてありえなかった。
ただ早晩、形は変わったにしても維新のようなものは出来たと思います。
あるいはそれが徳川主導のものであったかも知れない。

さて幕末一連の政変劇、政治的・軍事的には確かに薩摩が主導したが、尊皇攘夷そしてその先で行き着いた討幕の象徴はむしろ長州の方でしょう。

つまり長州の存在がなかりせば、仰る通り緩やかな変革に終わった可能性もある、最後の将軍慶喜公は御存じの通り、フランスの手を借りて幕軍の軍政と武器の近代化に着手し、最終的には中央集権を目指しておったようですから・・。

司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、何しろ当時の長州は藩を挙げて発狂状態にあった、藩主敬親公の存在はおろか藩そのものの存続すら頭に無かったのかも知れません。

>時代の勢いと言うのは恐ろしいもので、
あたらあのような逸材をむざと殺してしまう・・・
維新政府に取り込めば随分と日本の為に役に立った人なのでしょうが・・・

恐らくあの当時の徳川幕府に於いて、出色の人材でしょう。
私個人は勝海舟よりも余程上の人物と捉えておりますが、ただ惜しむらくは清濁併せ呑む度量が無かった故にあの結末、非常に残念です。

>長州と言う藩は一体にこの若者には寛容です。
本来、諌めるはずの年寄りが、まことに血気盛ん!
来島又兵衛などその最たるものでしょう。

まさしく仰る通りでして、脱藩他公金の使い込み等々・仮に晋作が薩摩・土佐に生まれておれば、首と腹が幾つあっても足りなかった事でしょう。
吉田松陰にしてもそう、藩の上層部は公的罪人の松陰を隠しに隠し且つ庇い抜いた、幕府に恐れおののいていた桜田門外の変以前にしてそうです、この点は長州の美点の一つであったろうと・・。

それにしても来島又兵衛、私はこのおじさんが大好き。
確か養子であったはず、依って終生奥様に頭が上がらなったとの事ですが、 「 これが最後 」 と拝み倒して出陣した挙句の見事な討死、まああの時代の一典型かと・・。

>「実があるなら今月今夜 一夜明ければみんな来る」

有象無象の小人が余計に英雄を引き立てる、恐らくそういう事なのでしょうが、彼らの帰趨が世の大勢を決してしまうというのもまた偽らざる世の摂理でしょうか。

>明石の鯛の昆布締め・・・まあ!よだれが出そうな(笑)

まあ美味い!、因みに青森のヒラメ・これも絶品でした。
浅草に足を延ばした際には、是非共お立ち寄りを・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/27 10:13

日本史には全く疎く、恥ずかしながら、歴史上の人物もさっぱりわかりません。

(-_-;)

これも詳しくは知らず、ドラマティックなと言えるのか、憚りあるかもしれませんが、
 なら、回答するなですが、スミマセン^^;

高貴なお生まれにして、爽やかな新風のように感じてました、「高円宮 憲仁親王」
2002年に、47歳の若さで急逝された時は、本当にショックでした。(>_<)

サッカーなどスポーツの振興に尽力され、多趣味で、芸術全般に造詣が深い方でしたね。

随分昔、何かで読んだ記憶があるのですが、、
日本サッカー協会の名誉総裁として、南米を訪問された時、パーティーに招かれた席上で、
ギターを片手に軽く弾き語りされ、それが本格的で、皆、大絶賛、
同行した川口チェアマン?の言葉で、日本人として、本当に誇らしかった・・
というような内容でした。

 しかし、それで思い出すのは、日本の元首相、。話脱線しますが、、
 いつぞやのサミット後、招かれたコンサートで、1人浮いていたらしい・・(-_-;)

憲仁親王は、各界のアーティストとの対談本も出てるようですね。
錚々たる顔ぶれにビックリします。。
そう言えば、kamejrou爺、じゃない^^;兄上様ご趣味の「根付」のコレクションの本も、。

皇太子のよき相談役で、兄のような存在だったようですから、もしご存命だったら、
どんなにか、、皇太子も心強かったことでしょうし、
皇室にも、新風が吹き込んでいたかも、と思うところです。。
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この回答へのお礼

adele さん、お久し振りです。

>高貴なお生まれにして、爽やかな新風のように感じてました、「高円宮 憲仁親王」
2002年に、47歳の若さで急逝された時は、本当にショックでした。(>_<)

殿下が御逝去されてもう12年にもなります、それなのに何故かまだ御存命であられるとの錯覚に陥ってしまう時がある。
他愛も無い家内との会話でそう指摘され、 「 ああ、そうだった 」 と・・。

年齢が近かったせいかも知れない、それ以上に御指摘の通りアクティブ且つ低かったその目線は、皇室の本流から外れた分、比較的自由な身の処し方そして発想とを御持ちであったのかなぁと・・。

余談ながら久子妃が為された、ブエノスアイレスに於ける東京オリンピック誘致に際するプレゼン、それはもう素晴らしいものでした。
時の都知事・クリステル嬢他の誰よりも私などは彼女に注目して見ておりましたが、その内容といい・殆どネイティブ・クラスとも思える英語でのスピーチの能力といい、他を圧して秀逸であったでしょう。

これでもかと言うほど名誉総裁の称号をお持ちであった殿下、久子様がその殆どを引き継がれたやに聞き及びますが、今後もそのマインドを継承して頂きたいと思うところです。

>日本サッカー協会の名誉総裁として、南米を訪問された時、パーティーに招かれた席上で、
ギターを片手に軽く弾き語りされ、それが本格的で、皆、大絶賛、
同行した川口チェアマン?の言葉で、日本人として、本当に誇らしかった・・
というような内容でした。
 
少なくない諸外国に於いては、いまだ尊貴な血脈に対する憧憬と敬意は自然に為されておるようで、お人柄が秀逸であれば尚の事そうでしょう。
つまり現在の我が国の在り方は余程の例外かと・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/27 09:25

お礼ありがとうございます。


というか明らかにテーマから逸脱した回答ですみませんでした。

言われてみるとナシゴレンとエゴン・シーレは色調が似ています。
ナシゴレンhttp://www.misbit.com/recipe/printable/600_420/1 …
エゴンシーレ
http://livedoor.blogimg.jp/ma_kiss/imgs/e/4/e4b9 …
ガロ 
http://jartistworld.com/wp-content/uploads/2013/ …
ガロア
http://kyushu.seikyou.ne.jp/ku-coop/location/gal …
これが鹿児島大学のガロア焼きだそうです。どうも食堂の名前にしちゃったみたいです。
飯がまずくなりそうな名前>ガロア

>「 散り時を誤った人物 」 というお題にて、さるお方か
ら 「 ガロア 」 という回答を賜った事が有ります。

あ、それ多分私です。早死にシリーズで名前を出しただけですみません。軽率でした。
私は、逆にダンディズムとか歴史上の英雄というものに疎くて毎回的を外してすみません。
僕らは(といってもさしたる歳の差はないのですが)まだ、前世代の衒学的な修飾がすきだった時代のなごりで、本棚に読まないミッシェル・フーコーとはジャック・デリダの役本を飾っていた世代なんですね。本を置いておくとご利益があると言われて。
実際、部屋にガールフレンドが来た時、それを見て「まぁ、難しいご本を読まれるのね」
「まぁ流行だからね」
「やっぱり、建築だから『構造主義のなんたら』とか読まれるのね」

彼女に、構造主義と構造力学の違いを説明する前に「話題をずらすのに使った」のが
「ガロアって決闘で死んだんだよ。彼が生きていたらもっと科学は進んだはずさ。」
というセリフ。
ああ、なんで高杉晋作にしなかったなぁ>自分。
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この回答へのお礼

ex さん、おはようございます。

再度の回答を頂き恐縮すると共に、先のお礼では大変失礼しました。
賜った御回答がテーマから外れていた訳では決してありません、それ以前に本来はテーマから外れていようがどうしようが一向に構わない私でして、ググるなり何なりしてそれなりの体裁を整えたお礼を差し上げるのが常ですが、数学・芸術関連の分野は駄目というか私のぼんくら頭では正直無理、単語の点と点とを繋ぎ合わせて物知り顔をする事すら出来ないようです。

haiji さん辺りからも、よく芸術関連のアカデミックな御回答を賜りますが、正直困ったなぁと。
彼女も先刻御承知でしょうが、いつも煙に巻いてその場を誤魔化すばかり。
・・という事で、御容赦頂きたいと存じます。

>本棚に読まないミッシェル・フーコーとはジャック・デリダの役本を飾っていた世代なんですね。本を置いておくとご利益があると言われて。

我が書棚にも触った事すらない 「 ・・全集 」の類が幾つかありましたが 、嗅覚が鋭い母親の目を欺くエロ本の隠し場所となっておりました。

>彼女に、構造主義と構造力学の違いを説明する前に「話題をずらすのに使った」のが「ガロアって決闘で死んだんだよ。彼が生きていたらもっと科学は進んだはずさ。」というセリフ。
ああ、なんで高杉晋作にしなかったなぁ>自分。

そりゃ高杉晋作よりはガロアの方がよほどカッコいい小道具でしょう、出来るものなら私もそっちにしたかった。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/27 08:37

高杉晋作のように、時代が行き詰ったとき、風穴を開けるために生まれてきたような、風雲男児が存在したのは、日本にとって幸いなことでした。

手榴弾の安全ピンを抜いたところで生涯が始まり、爆発までの二十七年間、何かに追われる様に使命に命を賭けたように感じます。

凡人には、行動規範がまったくなぞである、という共通点から見ると、アレクサンダー大王。

生まれ育ちのよさを最大限活用して、世直しをしようと試みた点では、シーザー・オーガスタス。

神がかりの演説能力で、アテナイ市民を空前の繁栄に導いたペリクレス。”アテナイでは政治に関心を持たない者は市民として意味を持たないものとされる”、なんて、いいなぁ。。。税金を徴収するのに良いお題目でもあります。

それで、人類史上、最大のスーパー・スターである、イエス・キリストが最後を飾ります。彼も享年は三十三歳であったというのが通説です。彼は、”空を飛ぶ鳥のように、野に咲く花のように、生きなさい”とおっしゃるのでした。
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この回答へのお礼

Ciaopolpo さん、こんにちは。

>高杉晋作のように、時代が行き詰ったとき、風穴を開けるために生まれてきたような、風雲男児が存在したのは、日本にとって幸いなことでした。手榴弾の安全ピンを抜いたところで生涯が始まり、爆発までの二十七年間、何かに追われる様に使命に命を賭けたように感じます。

私としても全く同じ印象を持ちます。
例えて言うならば、刀の切っ先のような人生、誰しもが人生に於ける命題を持って生まれて来たとするならば、差し詰め高杉晋作の場合長州に於ける佐幕政権をひっくり返した藩内クーデター即ち功山寺挙兵、この一点である気がします。

藩の公金を使い込んで遊蕩に耽った事も、他方第二次長州征伐での縦横無尽な活躍も全ては余事、そして付けたしに過ぎず、天より課せられた使命が成就する共に彼の命脈も尽きてしまった、そんな感じすらしないではない・・。

それよりも何よりも、新生維新政府に彼の居場所があったかどうかすら怪しいものです。

>アレクサンダー大王

民族・文化その他の融合が、通常はごく常識的なタイムラインで進行する世界史に於いて、或る人物の登場で一挙に時空を飛び越えてしまう稀なケースもある。

世に高名なアレクサンダー大王に関しては、千年に一度登場するスチーム・ローラーにして巨大ミキサー、そんな印象でありますが、世に遣わされたもう一人が遥か後世に於いて登場するチンギス・ハン、私個人は勝手にそう解釈しております。

前者はバルカン半島~小アジア~北アフリカ~メソポタミアそしてインド大陸西部へと至り、辺り一帯を派手にかき混ぜた挙句ヘレニズム文化というものを産み出した。

一方の後者及びその子孫達はモンゴル高原より起こり、中央アジア~中国大陸及び朝鮮半島~東南アジアと一部インドをかすめてカスピ海西岸へと到達後土着化した結果、これもまた血と文化の融合を加速化させたようです。

果たして英雄なのか、或いは被征服地に於いて呼ばれた通りの破壊者・悪魔なのか、両者共に判然とはしませんが・・。

>シーザー・オーガスタス

その名を知りませんでしたので、ウィキで調べましたがありきたりの事しか書かれておらず、判定不能です。

>神がかりの演説能力で、アテナイ市民を空前の繁栄に導いたペリクレス

ギリシャ古代史に最も興味を魅かれたのは、或いは小学生の頃であったかも知れません。
シュリーマンが発掘したトロイへと思いを馳せ、その一方でテルモピレーの戦いの後刻まれた石碑 ( 「 旅人よ、行きて伝えよ、スパルタの人々に。我等かのことばに従いてここに伏すと 」 ) に胸を熱くさえました。

そして花開いた古代アテネの都市国家文明、無論現在の民主主義とは程遠いものではありますが、少なくともその遠祖との称号は与えられて然るべきでしょう。

さてペリクレスこそはその象徴的人物、彼が主導した経済政策は後のケインズに繋がるものがあります。

尚現アメリカ合衆国オバマ大統領と少々印象が被ってしまうのは、私だけでしょうか?

>人類史上、最大のスーパー・スターである、イエス・キリストが最後を飾ります。

何しろ私如きが神の子を語るのは恐れ多い、・・という事で。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/27 08:04

No10です。



題名を間違えてしまいました。

正しくは  東京アンダーナイト”夜の昭和史" ニューラテンクォーター・ストーリー  です。


訂正させて頂きます。
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この回答へのお礼

sq さん、わざわざの御訂正恐縮です。

今日はまるで真冬のような一日でした、風邪など引かぬようお気を付け下さい。

では・・。

お礼日時:2014/11/26 22:54

こんにちは。

おじゃまします。lin(_ _)imo

いつぞやの「散り時を誤った・・・」では大変なご無礼をしでかし、本当に申し訳ありませんでした。改めてお詫びいたします。

さて・・・「歴史上の人物」とは、回答の主旨がご質問の趣と大きく異なり、またまた恐縮至極・・・

今月10日に亡くなられた、日本を代表する俳優さん・・・
多くのかたが、その訃報に驚き、悲しみが日本中を巻き込みました。昨日、夜九時からのドキュメンタリー番組も拝見しましたが、その生き方は、やはり「かっこいぃ!」の一語に尽きます。(笑)

まぁ、言葉足らずの当方が語るよりも遥かにお詳しく、しっかりとした文章で表現される会員様は多数いらっしゃいますので(別の回答者様が出されたご質問への多くのご回答、それらに対する丁寧なお礼も含めて)、当方は別の人物を挙げさせていただきます。

「ニキ・ラウダ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AD% …
どうも、こういったお題ですと、ご逝去された御仁がふさわしいのか、とも考え込んでしまうのですが、存命中ですけれども、悪しからずご容赦願います。

まぁ、詳しい解説はウィキペディァでもご覧いただくとして、「生き様がかっこいい」と感じる数少ない人物です。

F1デビューに際し、銀行等を説き伏せ資金を調達した逸話、1976年のニュルブルクリンクでの大事故からの奇跡の復活、引退後の事業家としての成功・・・
昨年公開された映画「ラッシュ/プライドと友情」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83% …
もう、DVD等が発売・レンタルされています。よろしかったら、ご覧になってください。(ご覧になってらっしゃる場合は悪しからずご容赦ください。)

ただ・・・アンチ派も多数いると思われます・・・
1976年、豪雨のなか、日本で初めて開催されたF1GPで、たった一周で走行を止めリタイア、結果、ジェームズ・ハントがタイトルを獲得・・・
あの時は、さすがに非難轟々でした。(苦笑+汗;)
しかし、あの大事故で生死をさまよい、それこそ“地獄から蘇った”彼だからこそできた“英断”なのでしょう。

「走るコンピューター」と称された彼の走りは「つまらない」と酷評を受けたりもしましたが、すべては「勝つ」ために周到に用意され計算し尽くされたものであることは言わずもがな、後進のドライバー諸氏にも多大な影響を及ぼしました。

彼の生き様を眺めると、人間の「可能性にチャレンジし続ける」ことの意義を改めて考えさせられます。社会の底辺にすくう蛆虫のごとき当方とはエライ違いだ・・・やれやれ・・・
(きょうの宴は“かっこいい生き様”のハナシで盛り上がればいいですが・・・)

駄文、ご無礼しました。lin(_ _)imo
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この回答へのお礼

linimo さん、お久し振りです。

>いつぞやの「散り時を誤った・・・」では大変なご無礼をしでかし、本当に申し訳ありませんでした。改めてお詫びいたします。

なんの、人の死に特別もそうでないも無い訳で、今思えば無粋な質問でしたが、御回答を頂きただただ恐縮するばかりでした。

>昨日、夜九時からのドキュメンタリー番組も拝見しましたが、その生き方は、やはり「かっこいぃ!」の一語に尽きます。(笑

先ほどやっと当番組を見る事が出来ましたが、目に一杯の涙を湛えそれでも尚淡々と語る欣也さんの姿・・、グッと来ました。

>「ニキ・ラウダ」

お名前は当然存じておりましたが、その方面に疎い為詳しくは知りませんでした。
それにしても凄い事故だったようです、それでも尚彼をコック・ピットへと引き戻したものは一体何だったのだろう、そう感じてしまいます。

>(きょうの宴は“かっこいい生き様”のハナシで盛り上がればいいですが・・・)

相変わらず楽しい男子会のようで、何よりです?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/26 22:51

isokenさん こんにちは



本題に入る前に

いつぞや、エア・アジアによるSKY買収?観測についてのコメントを頂きました。
最初に名乗りを上げた企業がそれを実行した前例は無い、と断言されていましたが、その通りになりました。いゃあ慧眼ですね。11月中旬で交渉決裂となりました。

私は資本参加或いは買収すると思っていました。羽田に発着枠を保有しているSKYを手中にする利点はお金に代え難い。そうしないとエアアジアジャパンは東京から遠い成田か地方空港の中部・福岡をベースにせざるを得ません。今後の集客に関わってきます。旧エアアジアジャパンも本拠を成田に置いた為、搭乗率が低かったのも引いて行った原因でした。

ただ実質の経営権は三木谷さん達に移る訳で、SKYのあのワンマン社長とすれば面白くない。また原則主義者の国交省も外資に発着枠を渡すのを阻止する方に動いたと思います。ただ過去何か月かは水面下で交渉していた訳ですね。

イソケン語録には、色とか恋とかが直ぐに出て来ますが、あれはあくまで煙幕であって、本質は非常にお堅い実務家なんですね。そう思いました。色恋談義は、大相撲で云う「ねこだまし」という技なのでしょう。

さてさて

>高杉晋作の如くカッコよくドラマティックな生涯を送った人物が歴史上におりましたら、是非お教え願いたいものです。

何年か前、ふと、どういう切っ掛けかは定かではありませんが、一冊の本を読みたくなりました。山本信太朗さんと言う人が著した「昭和が愛したニューラテンクォーター」。

昭和が遠くに去って行くというのも動機の一つでしょう。でもいまだによく解らない。書店を巡りましたが絶版になっているらしく手掛かりが掴めない。遂にご縁のない図書館にTELしました。題名すら出てこないので、お店の名を「ミカド」と言ってしまったり。

でも親切に対応してもらい借りる事が出来ました。一口で言えば、この本の登場人物全員が今回のテーマとなり得る面々です。

若き日の山本信太朗さんが、九州一のキャバレー王と言われた実父から「上京してどうせなら日本一のクラブを作ってみろ」と厳命?され、あのホテル・ニュージャパン(苦笑)の地階にニューラテンクォーターを開くところからストーリーは始まります。

夜な夜な現れるお客たちに何の説明も要りません。三船敏郎・石原裕次郎・勝新太郎・・・、政財界の大物たち・・・・、任侠の世界の親分衆・・・互いに挨拶があったとか無かったとかで一触即発となり、山本さんが間に入って苦労する話とか。

ステージに上がる面々も、ナット・キング・コール、サミー・ディビス、トム・ジョーンズ・・・・

でも結局私は自分の中でも謎だった、あの力道山の事件について詳細を知りたくて、これを探し回ったのかな?と今となっては思ったりします。何しろオーナー自らあの夜の事実を語ってくれるのですから。刺した方の組員の人は、その直前に力道山から複数回?殴られてますね。まあ憶測でものを言うのはこの辺にしておきます。

それと・・・

高松宮からしばしば予約が入り、その晩はオーナーの山本さんが直接出迎え、柱の陰の席にご案内し、宮はショータイムを楽しまれたとあります。これは一番の驚きでした。あの謹厳な海軍士官としてのイメージが濃い殿下の人間的な一面を垣間見たからです。

横道に逸れるの承知で失礼しますが・・・

昭和天皇と三笠宮殿下は共に物静かな学者です。一方で、秩父宮と高松宮はまた違ったタイプの方々です。あの非常時において、両殿下の内のいずれかが天皇だったら?と思ってみた事も過去ありました。

開戦回避に向けて、強い指導力を発揮されたのではないかと。まあどの道変わらないあゝいう結果にはなったでしょうが・・・。米内・山本といったアメリカと戦ったらどうなるかを知っている現実派は居たわけですし。それにつけても陸軍の秀才達は、私に言わせるとどうしようもない連中ですね。

遡れば、2・26事件における決起将校への処遇も、また違ったものになっていたかも知れません。

おっと、キャバレーの話題から、随分畏れ多い方々へと、話しが飛んでしまいました(苦笑)

ではこの辺で。
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この回答へのお礼

sq さん、こんばんは。

>いつぞや、エア・アジアによるSKY買収?観測についてのコメントを頂きました。
>私は資本参加或いは買収すると思っていました。

盛大に買い被って頂きまして、誠にありがたい限りですが、何しろスカイマーク支援・再生に於ける選択肢が現状非常に限られている為、消去法で行きますと、sq さんのお考えは当然の推測だったと思います。

先ずは通常真っ先に考えられる、民間金融機関に依る救済・経営再建、この点は無借金経営の弊害、つまりメイン・バンクと呼べる存在が無い事他、その財務状況が悪過ぎて敢えて火中の栗を拾う銀行があるとはとても思えない事。

次いで考えられる公的資金の注入ですが、現状では大義名分が無い為、政治家・国交省共に難色を示すだろう点。

残された選択肢としては、同業他社のコントロール下に入る事なのでしょうが、ANA は国内便の発着枠にさほど魅力を感じないという点に於いて、一方の JAL はいまだ国交省の管理下にあり、多額の投資やM&Aには同省の許可が必要という点で消えてしまう。

・・となれば、残るは外資に依る支援しかない訳でして、その最有力候補がエア・アジアという事だったのでしょうが、何しろスカイマークの西久保社長は独立経営の維持にかなり拘っておられるとの印象。

つまり支援先は探しているが、経営にはタッチされたくないという誠に虫のいい話でして、仮にエア・アジアとの交渉の噂が事実であったとしても、経営の参入に関して相当に高いハードルを設定した事は容易に予想が出来まして、ここで恐らく三木谷会長の思惑と衝突してしまった、そういう事であろうかと推測します。
まあ全く根拠が無い、当てずっぽうですが・・。

ただどうなんでしょう、株価の急落に依り増資という選択肢も取れない現状、何れにしても八方塞がり、そう感じずにはおれませんねぇ。

さて本題、私にはお堅い話よりも、こちらの方が・・。

>山本信太朗さんと言う人が著した「昭和が愛したニューラテンクォーター」。

実に我が興味をそそるテーマです。

>お店の名を「ミカド」と言ってしまったり。

これも懐かしい、随分と以前に 「 ミカド 」 に関する本を読んだ事が有ります。
名古屋 ( 岐阜? ) 御出身の実業家で山田さんと言われましたでしょうか、この方の生涯を記し且つ追跡した内容でしたが、全ては記憶の彼方・・。

>あのホテル・ニュージャパン(苦笑)の地階にニューラテンクォーターを開くところからストーリーは始まります。

昭和史に残るであろうホテル・ニュージャパンの火災、そしてその周囲を取り巻いた野次馬の中に、当時大学生であった私がおりました。

その日は六本木で踊った後仲間達と飲み屋へと流れ、そこで一報を聞きまして、御存じの通りニュー・ジャパンは六本木からは目と鼻の先にありましたから、駆け付けた訳です。

まあ当時のあの辺りは、闇の勢力が跋扈する魑魅魍魎の世界、ニュー・ジャパンにもやくざ・右翼関係の事務所が犇めいていたといいますから、まあ色々とあったのでしょう。
赤坂界隈には、浜本政吉さんという住吉の超大物もおられ、ほぼ毎日通ってらしたとの事です。

さて私も構わず記憶で喋っちゃいますが、力道山を刺したのは住吉会系のやくざ、その一方で力道山は東声会の町井久之会長と昵懇でしたから、同会が報復に走った。

その東声会町井会長は同じニューラテンクォーターで、当時の稲川会大幹部井上喜人さんといざこざを起こしておりまして、その顛末は映画 「 修羅の群れ 」 での1シーンとなってます。

でも kamejrou さんが言われていた通り、 sq さんもそっち方面がお好きなんですね。
お仲間が増えまして嬉しい限りでして、長くなっちゃいましたが、この辺りで・・。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/26 01:00

当方も人物史に興味があって、手持ちの史料やら興味を持った人の人物史に関する「調べ」をしたりするのが有意義な<時間潰し>にもなるため、(ご迷惑でなければ!?)不躾乍ら参加をさせていただく・・!



吉田松陰、高杉晋作のような"夭逝した(・・!?)志士"で・・・
---ドラマティックな生涯を送った人物---
の紹介・・、と(勝手に!)受け取らせていただく・・!

当方が如き盆暗頭では、史実をあれこれ語ること自体甚だ心許無いけれど、幕末を生きてこられた先人達ほど、・・(当時の時代の趨勢もあると思うので、「生き様」・「生き方」について"良い/悪い"と言うなどの事は扨置いて)「自分たちの向かう方向性というか未来!?」について、考え抜いた上で決断をした人達はいないのでは!?
・・・と思ったりする!
自分にとっても(再履修の意味で「日本史」の学びを継続しているが・・!)この頃の時代の「調べ」が、為になって面白いと感じている・・!

どちらかというと、当方の場合"義"に殉じていった方々に対して或る意味"格好良さ"を感じたりはする・・!
--------------------------------------------------
<久坂玄瑞>
<沖田総司><藤堂平助><原田左之助>などの新撰組隊士(組長!?)
<時山直八>
<小栗上野介>
(↑の人達はそういった意味では、ちと違う面もあるかなぁ!?)
-----------------------------------------------
・・・等の志士には興味があったりする・・!
何れの方々も、若くして落命した人達だったらしい・・!

こんなところ・・!
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この回答へのお礼

Ae610 さん、こんにちは。

久し振りで御回答賜りましたが、当方の下品な質問の数々に恐らく呆れ果てておられたのであろうと・・。
たまには真面目な質問も致しますので、お暇があればお立ち寄り下さい。

>幕末を生きてこられた先人達ほど、・・(当時の時代の趨勢もあると思うので、「生き様」・「生き方」について"良い/悪い"と言うなどの事は扨置いて)「自分たちの向かう方向性というか未来!?」について、考え抜いた上で決断をした人達はいないのでは!?
・・・と思ったりする!

若いが故に走りながら考えたりもする、そんな側面があるのかも知れません。
その一方で、遂には分からぬまま若い命を散らした、そんな先人達もおられる事でしょう。

例えば幕末に於いては、多くの若者達が尊皇攘夷という或る種のイデオロギーに酔い痴れ、途方も無い無茶を繰り返して討幕の原動力となりましたが、いざ明治維新となれば脱亜入欧へと簡単に変質し、一方では鹿鳴館なるものがもてはやされたりしまして、その間僅かに20年程度に過ぎません。

さても歴史上の人物・業績に対する評価とは、時代の局面に依り天と地ほどにも変わってくるもの、そう考えるところです。

><久坂玄瑞>

高杉晋作と並び称された、吉田松陰門下・一方の雄ですが、精神の純度では玄瑞・その行動力では晋作に軍配を挙げてしまう私です。

><沖田総司><藤堂平助><原田左之助>などの新撰組隊士(組長!?)

多くの親藩・譜代大名が日和る中、時と所を変えれば或いは徳川幕府最後の忠臣、そう言えるのかも知れませんねぇ。

><時山直八>

ああ、随分と懐かしいお名前。
司馬遼太郎さんの著書 「 峠 」 に登場して参りますね。

><小栗上野介>

正直申し上げて、同じ幕臣の勝海舟よりもこの方の方に好意を持ちます。
事の良し悪しよりも、最後まで幕府に殉じた不器用な生き方に魅かれてしまうのでしょうが。

多数挙げて頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2014/11/25 19:57

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