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 昭和のアニメには、貧乏だけども健気に頑張るor成り上がる系の主人公が多かったと思いますが、今のアニメには全然そういう主人公がいません(ギャグを除く)。
 今や日本は国民総中流が崩れ、格差社会になりました。貧困率も年々上がっており、子供の6人に1人が貧困という状態です。貧困は結構身近なものなのに、なぜ今のアニメには出てこないのでしょうか?

A 回答 (10件)

まず、そもそもの問題として、「記号としての貧乏」というのが、現在は描きづらい、というのがあると思います。


高度成長期とかであれば、「こういう格好をしているから貧乏(金持ち)」「こういうものがないから貧乏(こういうものがあるから金持ち)」というような一見してわかる記号がありました。
例えば、洋服であれば、金持ちは新しくて綺麗な服を着ている。貧乏な人は汚れていて、ほつれなどを何度も直した服を着ている。はたまた、金持ちはテレビとか、そういう家電などを沢山持っている。貧乏な家にはそれがない。なんていう風に。

ところが、現代はそうはなりません。
例えば、服などで言えば、ユニクロとか、しまむらとか、そういう安価でそれなりに見える服を売る店が沢山あります。確かに、高級品と比べれば品質は劣るでしょう。しかし、パッと見て、「金持ち」「貧乏」などは判断できません。
家電などもそうです。テレビなどにしても、超高品質のテレビはないかもしれません。しかし、2万円、3万円程度でごくごく普通に使えるテレビは手に入ります。携帯電話なども同じでしょう。
これも、じっくりと描けば違いが出るかもしれませんが、一目で「こうだ!」と言う判断が出来ません。

進学であるとか、そういうところで当然、貧困などは出てくるわけですが、漫画やアニメなどは、絵で見せる作品です。その絵で見せるためには、「記号としての貧乏の象徴」が必要になります。しかし、その記号としての貧乏の象徴がないため、描きづらいのでないかと思います。
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今の若い作者は貧乏な時代を知らないので、描きたくてもイメージわかないのでは?


欲しい物は当たり前に手に入り、明日の食い扶持に困る事もなく、過半数が大卒資格を持つ時代だし。

格差の固定化と社会の硬直化もひどくて、「頑張れば成り上がれる」と言う時代でもないですしね。
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「質問に対する答え」じゃないが、正しくは「ネグレクト」じゃないのか!?

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貧困はともかく、貧民街というのは東京ではオリンピックを契機として立ち退きをかけて激減しました。

その後、昭和40年代には福祉施策もあってほぼ消滅します。

関西では大阪万博が契機になっています。

ですから、見るからに貧しい地域というのが消滅してしまい。家庭個別には貧しかったとしても見た目から貧しい地域というのが無くなったからだと思いますね。被差別でさえ一見ではわからなくなりましたから

昭和40年代に船上生活者(アニマルワンの主人公のようなダルマ船)もほぼ消滅しています
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読者あるいは視聴者の生活レベルが昔のような「貧乏」ではなくなったためではないでしょうか?


貧困率が上がっても絵に描いたような「貧乏」な生活をしている人はいないせいかもしれません。

今時、つぎはぎだらけのボロ服を着ている人なんていませんよね。
小さな弟妹を背負って学校に来る小学生もいませんよね。
そんな子供がいたら即「虐待だ!」「ネグレストだ!」と通報されますよね。
昔の貧乏な家にありがちな子沢山家庭もそんなに無いし。

時代劇やファンタジーとかではないのに「普通」ではない主人公の生活水準は感情移入しづらいのではないでしょうか?
ギャグやコメディ以外ではアニメでも嘘くささが鼻についてとてもじゃないが純粋に楽しめないし、理解できないと思います。


一応主人公あるいはヒロインが(元)貧乏という設定の漫画は今でもありますが、シンデレラストーリーのようなものですし。
アニメではなくてドラマになったものですが。。。
でもいくら貧乏という設定でも昔のような「貧乏」というのはほとんど無いですね。
貧乏なら貧乏なりにバイトをして努力をして、表向きでは普通っぽい生活をしているという感じですね。
↑古いけど「花より男子」とかですね。ドラマが有名ですけど、もっと昔はアニメもやっていたんですよ。

アニメを見る性別・年代が異なるせいかもしれませんね。
今は幼い子供か中学生以上の男子が見るものという雰囲気ですよね。。。

たまに今でも「貧乏」設定が出る漫画が原作のドラマは女性向けですよね。
近いものでは「ぴんとこな」でヒロインが貧乏設定です。
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頑張って勉強して難関大に入ってまずまずの就職をすれば、脱出できちゃう程度の貧困だからでしょう。

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何事にも飽きがあり、流行り廃りがある、ことが原因の一つではないでしょうか。



明日のジョーやガラスの仮面のようなパターンが出きってしまい、
今は別の主人公像が流行っている、というだけかもしれません。
今、貧乏頑張る系主人公の物語を描いても「あれって○○みたいだよね」となるでしょうし。

今よく見るのはコミュ障主人公(アニメを見る層が共感しやすい)とか、血統や才能が優れている主人公(見映えする)とかですかね…きっと別パターンが流行りだしたらそれも廃れていくんじゃないでしょうか。

(質問を見て「そうかもなー」と思ったので考えてみました。)
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社会の流れの中で 昭和な根性論が推奨されなくなってきたこともあると思います


「頑張る」ことが美しいとされる時代ではなくなってきたのではないでしょうか

一昔前は 貧困というのは ある意味美しさを伴っていました
それは 環境にめげない強い心を養うものとしてドラマチックなものがあったような気がします。
それは 頑張れば上にあげれるという可能性を伴っていましたが 現在の貧困はある意味 ほんとの意味での貧困のような気がします。頑張るとかそんな単純な問題で克服できるものではなくなっているような 深刻なものがあるような気がします。

たとえば最近 youtubeを使った仕事が流行ったり やりたいことをやって仕事にすることや 好きなことを仕事にするという傾向があるように 頑張るという根性論は すたれてきてると思います。
高倉健さんがなくなられたときに あ~昭和は終わったなって感じました。
「昭和」という光を伴った影は色あせ 新しい光のありかたがクローズアップされてきたように感じています
簡単に言うと 時代の流れなのかなって思います。
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パッと思いつくのは「いじめにつながるから」じゃないかと思います。


主人公の年齢が高かったとしても、同じことを同級生がしていたら「お前、もしかしてビンボーなの?」みたいに言われて次の日からからかわれるようになるかもしれません。

また、今は「スクールカースト」や「ママカースト」などという言葉が生まれているように、底辺だと決めつけられかねない要素をとりいれることは、好ましくないだろうとも思います。
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最近話題の「某時計」アニメなんかも、主人公はふつーの小学生ですからね。



で、考えられるのは、「原作者の周りにそういう題材にするものが存在しない」ということが主要因ではないか、ということです。
それにプラス、「日本が舞台であることが少なくなっている/架空の日本が舞台である」ことも要因だと思っています。

そして、貧困、と一口に言っても、昭和40年代のそれとは、かなり違って見える部分も大きいです。本当に青鼻垂らして学校に来ている子がいたのは過去の話です。それだけ、日本経済の最低ラインもかさ上げが行われているということのあかしだと思います。

回答:
皆中流時代の名残と、貧困が顕在化していない状況が、それらを題材に取り上げなくさせていると判断する。「貧乏くさい」ものに寄り付かなくなる風潮も影響しているとみる。
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