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オーストラリアは白人キリスト教国家ですが、イギリス人が入植したのは18世紀後半です。
すぐ北にあるインドネシアはイスラム国家ですし、インド洋を広く航海していたイスラム商人がオーストラリアの存在に気付いてないはずはなかったと思うのですが、なぜイスラム化しなかったのでしょうか?
インド洋を囲む地域はイスラム教徒が多い国がほとんどで、ほとんど居ないオーストラリアは際立っています。
イスラム国家とは言えないインドやタイなどもイスラム教徒を多く抱えているのに、オーストラリアに限ってはインド洋に面する西側地域にさえもイスラム教徒が定着しなかった・できなかったのはなぜでしょうか?それとも過去は定着していたが、白豪主義の運動の結果、追い出されたとか?

A 回答 (4件)

http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/12/1002.h …

気象環境として
オーストラリアからは常に北向きの風です。
また西オーストラリア海流のように、海流も北上します。
インド洋の西方、つまりアフリカ東海岸とは航海の環境が違います

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …

ジャワ島におけるイスラーム国家成立の歴史は、15世紀末に建国されたドゥマク王国にはじまる。

16世紀前半には、マラッカ海峡に面するスマトラ東岸のほとんどの港市がイスラームに改宗していた
16世紀になると、大航海時代のヨーロッパ勢力が香辛料貿易の利益を求めてこの地域にあらわれるようになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2% …

1600年ころの人口
インドネシア 850万
オーストラリア 20万
参考 日本 2200万人

到達しても布教対象者がいない
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>すぐ北にあるインドネシアはイスラム国家


それは間違いでしょう、過去の遺跡を調べるとインドネシアは巨大な仏教国
だった時代もあった、その時代は巨大な「帝国」があった、だがインドネシア
は結局のところ「多島海」で島の内部まで完全に支配された部分は少ない。

>イスラム国家とは言えないインドやタイなどもイスラム教徒を多く抱えているのに
それは「過剰な」評価で、インドのムスリムは英領インドが独立したとき、
パキスタンと後にバングラデシュになった時に「自分の住み家にこだわった」のか
「そこ迄行く必要を感じなかった」に過ぎない、他のお答にもありますが、
東アジアのムスリムは平和主義でマレーシアの様に多宗教の国家ものんきなものだ
以前マレーシアに行かせて貰った時マラッカ海峡を通るタンカーの数にびっくり
仰天しましたが、街に入ると、ムスリム寺院(?)、仏教寺院、儒教寺院(??)
が三軒仲良く並んでいるので再度ビックリ仰天しました。

それでオーストラリアに戻りますが、オーストラリア大陸の西海岸は「砂漠」で
だれも居なかったが、一応政府の後押しで街が出来た、と解釈すべきで、何も無い
だからアボリジニさえ居たらビックリ状態。

そもそもキリスト教、ユダヤ教、がムスリムと対立し始めたのは「十字軍」からで
パレスチナは混合国家で「のんきな商業地帯」だった、だがユダヤ教は選民意識
が異常に強くナザレのイエズスさえ「良きサマリア人」を排除するのはおかしい
と言っていたのに、ローマ帝国の我慢の程度を超えて内紛ばかりするので帝国の
激怒を買い、追い払われてしまった。だが「故国に帰りたい」事だけは一致する
で第二次大戦後の混乱期、自画自賛の映画にもなった「帰国運動」が起こった、
米国も怒ったが、客船を撃沈することも出来ないし、首脳部にユダヤ系が山ほど
居る、こいつらは暴れたり表面だった動きはしないが、しつこい、だが米国から
出て行く積もりもない。それを良い事に「ユダヤ過激派」はイスラエルを
造っちゃって「異教徒」をかなり手ひどく追い出した、全員追出した訳では無い、
だがいまだに恨み骨髄の「パレスチナ人」(色々なのが居る)は「聖戦」だと
言って帰りたがる。ユダヤ系の米国人は莫大なお金をイスラエルに注ぎ込むから
「核兵器」まで作ってしまった。だからムスリムはいつでもイスラエルの嫌がる
事なら何でもする。だがアジア系のムスリム、境目はパキスタン付近、バングラ
デシュは国内安定化に必死だ「嫌だなー、俺は知らん」といつも思うが、見捨
てる事も出来ない。
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根拠がまったくない思いつきの回答なので流して頂いてもいいですが、おそらく「日本にキリスト教もイスラム教も根付かなかった」のと同じような理由じゃないかなと思います。


なぜ日本人の間にキリスト教もイスラム教も広まらなかった(洗礼を受けている日本人が周囲にどれだけいるかと考えれば、キリスト教が日本で広まっているとはいえないでしょう。広まってるのはお祭りとしてのクリスマスくらい)のかといえば、一神教の考え方が日本人の宗教観となじまないからだと思います。日本人は「あるひとつの神様を信じたら、他の神様の存在を認めちゃダメだ」という考えがどうにもなじめません。

それと同じで、アボリジニの宗教観もイスラム教の価値観と相容れなかったんじゃないでしょうかね。インドネシアと近いといっても、距離的には海峡をひとつ挟んだだけの日本人と韓国人の間でも価値観はえらく違いますからね。
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イスラム教徒がここまで好戦的になったのは、20世紀に入ってからです。

それも中東に限られ、東南アジアのイスラム教徒はここまで好戦的ではありません。

東南アジアは土着の先住民族が多く、独自の言語と文化を持っています。国は違ってもアラビア語やペルシャ語が共通言語になっている中東とは大きく違います。武力で制圧するより共存する道を選んだので、わざわざオーストラリアに進出しなかったのではないでしょうか。

この回答への補足

武力での制圧ではありません。布教の話です。インドネシアにもイスラム教徒は侵略しておらず、布教しただけです。
それにしても、インドネシア人はオーストラリア大陸について太古の昔から知らなかったはずはないと思うのですが、入植せず完全に放置していたのは不思議ですね。

補足日時:2014/12/08 20:11
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