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こんにちは。
大河ドラマの軍師官兵衛を見ていて、なぜ最後になって天下統一をしようとする気になったのかわかりません。
これまで、「戦のない世の中を」という義の為に、天下泰平を求めていたと思います。
秀吉に付いたのも秀吉で天下統一ができると踏んだからでしょう。
関が原でも三成側につかないのであれば、家康側についておけば早めに戦が終わり、特に問題なかったと思います。
(息子が家康側でしたし)
最後に自分の力を試したくなったのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

こんにちは。



天下泰平を求めるにはそれ相応なトップが必要でした。
官兵衛がそれが務まる人として認めたのは最初は信長、次に秀吉でしたが、
秀吉に関してはご存知の通り、子供が出来て以降、人が変わってそれが叶わず。。。

徳川家康にしても、石田三成にしても
官兵衛からしてみるとどちらも、理想的な人物ではなかったのかもしれません。
だったら、自分が動いて自分がトップになった方が、なにかと都合がよく
優秀な黒田家の家臣もたくさんいたことですから後々の事を考えると
手っ取り早かったのかも…と思いました。

時期的には、家康と三成が激突するタイミングとほぼ同じだったので
終わるタイミングはさほど変わりがないように思います。

ドラマでは、力試しを楽しんでる様も見受けられますね^^


……まぁ…結果的には長政がいたことによってトップにはなれませんでしたけどね…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いろいろな人物をトップとして軍師という立場でつけるかどうかも見ていたのでしょうね。
長政と連携を取っていれば何か変わったかもしれませんね。

お礼日時:2014/12/16 13:32

「戦のない世の中を」という義の為に



これは現代人受けするためのデコレーション以外のナニモノでもない。

最後に天下統一をしようとする訳

元ネタ、黒田家譜が上手く書けていたから。
http://mainichi.jp/feature/news/20131005ddp01404 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
現代人向けにアレンジしたのですね。
「黒田家譜」面白いですね。
たしかに、黒田が戦国時代をその時その時でうまく切り抜けようとしたのが分かりますね。

お礼日時:2014/12/16 14:50

史実の官兵衛のおっさんそのものが、食えない人なんですよ。

大河ドラマの主人公になったとき「あんな腹黒いおっさんを大河の主人公にして大丈夫なの?」と思っていたら、やっぱりお茶の間向けの大胆なキャラクター変更が行われていました。
まあ、二枚目俳優の岡田君のイメージを崩すわけにはいかないという遠慮もあったでしょうし、大河ドラマの登場人物が歴史ファンがひっくり返るような大胆なキャラクター変更をすることは「天地人」あたりから珍しいことではなくなったので今さらといえば今さらジローです。

秀吉に疎まれて失脚し、「如水」と名乗る場面がありますよね。あれは今回のドラマでは「天下人の秀吉に対して大胆に諌めるのでそれが疎まれた」なんていう「忠臣官兵衛に狂気に囚われた秀吉」というような描き方がされていますが、一般的には「官兵衛が天下を狙うのではないかと秀吉が警戒し、粛清の機会を伺っていたところを官兵衛が機先を制して隠居した」というふうに解釈されています。

ドラマでは隠居したあたりから腹黒キャラになったようですが、実際はもっとずっとずーっと前から腹黒なんですよ。
本能寺の変を知った秀吉が信長の悲報を知って人目をはばからずに動揺するさまを見て、官兵衛が「これは天下取りのチャンスですぞ」といった、という話は有名ですね。このエピソードにはこんな解釈があるんです。
秀吉は本能寺の変を知ったときに「これは俺も天下を取れるチャンスだ」と内心小躍りした。だけど主君の悲報を聞いて喜んだらマズいので、わざと人前で動揺する芝居をうった、と。しかし官兵衛はそれを見抜いていて「なにやってんスか、天下取りのチャンスですよ、マジで。俺、ちゃんとわかってるッス」というニュアンスで「天下取り」と言い出したので、秀吉はこのときから「こいつは俺の本心を見抜いているからいつか粛清しないと俺に噛みついてくる」と警戒した、という説もあります。

脚本家が最後の最後に歴史ファンに「ちゃんと官兵衛が腹黒ってことは知ってるッスよ」ってアピールしたのでしょうね。そのおかげで歴史を知らない人はなんだか突拍子もない印象を持ってしまう羽目となりました。
とかく大河の脚本家は歴史ファンのオヤジ連中からいいがかりや文句をつけられますからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大河ドラマの主人公として立てるなら、解釈を少し変える必要があったのかもしれませんね。
後は本来の官兵衛の側面を見せる必要があり、入れるとすれば晩年だったというところでしょうか。
徹頭徹尾腹黒官兵衛も見て見たかった気がします。
そのうち、大河ドラマの脇役で観れるかもしれませんね。

お礼日時:2014/12/16 14:46

そういう意味ではドラマの作りはよくないですね。


最後に天下取りを目指して行動する筋書きなら、ずっと機会を見ながらそれを隠し天下泰平を唱えてる姿を目指すべきですし、そうでないなら最後になってどこに大義をもったのかを描くべきですし。

まあ黒田如水が天下取りを目指したかどうかも結局わからないことですよね。秀吉や家康から警戒されていたということがわかるだけで、本人の腹のうちは結局わかりません。

普通に考えれば官兵衛が家督相続したときの黒田家など姫路城代といえど小大名の外様家老にすぎず、織田信長と違い天下取りなど夢想できるような立場では到底ありません。(信長にしてもかなり過大な夢ですが)
素直に立身出世所領拡大をしていった結果、思わぬチャンスが転がり込んできたと考えるのが妥当かと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
最後の九州での動きが結果的にどうしたかったのかが分かりにくいですね。
チャンスをうまくとらえられるかも戦国を生き残るうえでは必要ですね。

お礼日時:2014/12/16 13:36

ドラマのお話は知りません。


しかし司馬遼太郎氏などの本からすると、黒田官兵衛公そのものが天下取りを狙っていた。
しかも、信長、秀吉、家康と同じくらいの器であったが、タイミングその他、運の巡り合わせが悪く天下取りに名を上げる事が出来なかった。
現実は「戦のない世の中を」などときれい事ではなく、機会さえあれば「天下を取る」ために虎視眈々と狙っていたと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
戦国時代はタイミングや運がいろいろとドラマを引き起こしていますよね。
今回のドラマが「戦のない世の中」というものを追求したという方針でやったからでしょうね。
他の見方からすると、戦国の将としての考えがあったのでしょうね。

お礼日時:2014/12/16 13:34

黒田長政が自分の命と引き換えに家康を殺していたらどうなったかわかりませんし、光秀が秀吉が戻ってくる早さを想定できなかったように、如水もあそこまで早く決着がつくとは想定外だったのかもしれません。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
長政に家康と握手した時にもう一方の手はどうしていたのか、と問うたそうですね。
やはり、関が原の動きは如水でも読めなかったのでしょうか。

お礼日時:2014/12/16 13:30

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