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武田知弘氏著書「大日本帝国の真実」の中で、日本がアメリカに戦争をして敗れた理由として

「日本がアメリカに敗れたのは物量の差であり、仮にミッドウェー海戦に勝ってもアメリカの勝利は揺るがなかった。そして最も重要な事は、この事は最初からわかっていた事である。戦争が長引けば、アメリカが物量作戦で圧倒してくるのは、最初からわかっていた。だから日本の首脳部は、アメリカが物量作戦を展開する前に、ダメージを与え講和に持ち込まねばならなかった。にも関わらず、外交の怠慢で最適な時期に講和を結ぶ事が出来なかった。日本が優勢だった時期が1年以上続いていたのに、政府は講和の努力をしてこなかった事が、日本を焼け野原になってしまった最大の要因なのである。」

こう言った説明なのですが、日本が最適な時期に講和を結ぶ為の努力をしなかったのは、何故なのでしょうか?

「外交の怠慢」と言えばそれまでですが、最初の1年間の内に講和を結び、石油の輸出や中国大陸の日本軍の容認等を認めさせる努力を当時の政治家が外交努力でアメリカに容認させる様に、何かしらの手を打たなかったのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

>講和を持ちかけてもアメリカが相手にしなかったのでしょうか?


東条英機による弾圧の一番厳しかった時代ですので、政府はおろか政府外でもそういった動きはほとんどできなかった時代です。

さらにいうと、相手に何ら講和の意図が無く講和の手蔓も余地も無い時期にどうやって講和を成立させるのでしょうか?
なんの見込みもなくそのような動きをしても米軍・政府にリークされて相手の戦意高揚に利用されるのがオチだと思われますが。
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この回答へのお礼

東条英機による弾圧が一番厳しかったんですか、その時代は。

結局はアメリカの軍隊や政府に読まれるのが落ちなのかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/17 20:14

63歳主婦です。



日本は、「戦争をした」のではなく「戦争をしなければならないように

持って行かれた」のです。

アメリカなどは、「日本を潰す」ことが目的なのですから

いくら日本から講和をもちこんだにしても

受け入れなかったでしょう。

もっと、沢山の方の書物を読まれた方がいいですよ。

でも、あの戦争で欧州の植民地化にされてたアジア諸国が植民地から独立国家になれたのですから

日本の戦争のお陰、、、と、中国、韓国以外の国には、日本は感謝されてますね。

「日本が戦争をしてくれたおかげで、私達の国は独立国家になれた」と。

この回答への補足

この武田知弘氏自身も、日本はアメリカに戦争する様に追い込まれた事や、アジア諸国を解放したのは日本のお陰、って言っています。

ただ戦争を日本が有利な状況である最初の一年間の間に終わらせて、講和すべきだったっと言う事は何度も言っているのですが、講和を持ちかけてもアメリカが相手にしなかったのでしょうか?

補足日時:2014/12/16 16:18
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:18

戦争も外交の一手段であるともいえますね。



日本は「兵隊一流、指揮官三流」っていう話がありますよね。

今のフランスがエリートが引っ張っているのとは逆くらいかもしれません。

フラットはいいですけど、現在もエルジーは日本の首相を反作用型リーダーシップとも。

外交戦略は集団ではなく一貫したものがないと、いいものがでてこないのかもしれません。戦国大名規模だとうまくはたらくのかもしれないですけど、大きいのかもしれないですね。

いずれにしても優位な講和をするのは大変かと思います。アメリカはいずれ逆転できると思っていたでしょうし。
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この回答へのお礼

やはり優位な講和は難しかったのですか・・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:20

最適な時期に講和してますよ。


つまり日本が焼け野原になった後で・・・
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この回答へのお礼

やはり日本が焼け野原になる事は初めからほぼ決まっていたのですか・・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:19

当時の米国はモンロー主義と言われる対外干渉主義が定着し、イギリスの要請を受けてもドイツに参戦することができなかったのです。

ドイツと手を組んだ日本に戦争を仕掛けられたら、集団的自衛権でドイツに参戦できるのです。
日本は米国の作戦にまんまと引っかかったのです。石油をはじめとする経済封鎖に我慢出来なかったのです。
米国は勝てる戦争なので講和などするはずがありません。それを先制パンチで出来ると思ったのが間違いなのです。日本外交の怠慢ではなく読み違いの愚か者なのです。
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この回答へのお礼

読み違いの愚か者は今も昔も、そんなに変わってないのかもしれませんね。

アメリカが圧倒的有利なのに戦争をせざるを得なかった状況を作った時点で、ある意味怠慢なのかも・・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:32

まあ武田氏の著書ですので話半分に考えないといけないですが^^



そもそも開戦の理由の半分は、息の根がとまる前に石油が禁輸された以上今戦わざるを得ない、つまり出口はよく見えないが座して死を待つよりは今立つべきという追い詰められた理由です。

もう一つは、破竹の勢いのドイツに乗り遅れるな、というなんとも他力本願な理由です。
ドイツがヨーロッパで暴れまくり、アメリカが大西洋と太平洋から挟み撃ちにあう、あるいはヨーロッパ戦線にアメリカがていっぱいになるといった日本にとって都合のよい状況が現れれば、講和のチャンスはあるかもしれません。

ですが現実にはドイツは勝手に?wソ連に戦争仕掛けて泥沼になる一方だし、アメリカは真珠湾でやたら戦意高揚しちゃうしで講和のチャンスなんてなかったのでしょう。

>最初の1年間の内に講和を結び、石油の輸出や中国大陸の日本軍の容認等を認めさせる努力を当時の政治家が外交努力でアメリカに容認させる様に、何かしらの手を打たなかったのでしょうか?

寝言を言ってはいけません。アメリカ政府はそもそも日本の中国市場を奪いたくて戦争したかったのです。
太平洋の小島など一時的にいくらとられたって痛くもかゆくもないんです。戦い続ければ勝てるんです。
なんで日本相手に譲歩しないとけないんですか?外交は国力を背景とした実力の世界です。戦争などアメリカにとってその一手段にすぎません。実力で劣る日本側の主張が簡単に通るわけないでしょう。
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この回答へのお礼

やはり日本の敗戦は最初っから決まっていたのですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:28

敗戦翌年生まれのシニア男性です。


物量の差は、日米戦争(太平洋戦争)敗因の一つです。

攻撃を仕掛ける場合、「先制」や「相手を油断させること」
が有利です。このため奇襲や、陽動作戦、謀略などが取られます。
例としては真珠湾攻撃、ノルマンデー上陸作戦(カレー上陸の
そぶりをしていた)、独ソ戦です。
独ソ戦はヒットラーがスターリンを謀略し300万人のドイツ軍に
よる先制攻撃に成功した例で、もしかしたらその年モスクワが陥落
していたかも知れないような攻撃でした。

戦わずして勝つ、これが外交戦です。
日米戦を考えるとき、欧州戦線をも考える必要があります。
1939年、ヒットラーはポーランドに軍事侵入し半分を
占領します。もう半分はソ連が占領しました。
これはヒットラーが仏を攻撃するため後ろである東方の安全
保障のためです。
1940年、仏に電撃攻撃し(機甲部隊で攻撃し)英仏連合軍を
大陸から駆逐しました。そして英本土に激しい爆撃を行いました。
そこでチャーチルはルーズベルト米国の参戦を要請しました。
しかしその為には「世論を参戦に同意」させることが必要です。

一方、中国(蒋介石)からも日中戦争への米国参戦の要請が
行われていました。
そこでルーズベルトは一石二鳥と、ドイツと同盟している日本を
追い詰め始めます。
当時日本は鉄、特に石油を米国から輸入していました。
そこでルーズベルトは鉄禁輸、石油禁油、そして中国からの撤兵
要求を突きつけました。
当然撤兵は拒否、そして石油を求め南進となります。
こうなるといつでも、英国、オランダ、そして米国と開戦になります。
これが真珠湾だったわけです。
そして南進はソ連も大歓迎です。
ヒットラーも喜びました。米国を二正面作戦(軍二分割)にひきずり
こめるからです。
このように日米戦は多くの国から望まれた戦争だったのです。
(日本は対米強硬派が戦争を進めたもの。かなり直前まで回避が
 画策された。)
このようにして外交戦が戦争に発展したのでした。
日本は「詰められた」のです。

さて参戦に成功したルーズベルトは、欧州を主戦場と決め陸軍を派兵
します。もっとも太平洋は海ですので海軍は必要ですが陸軍は即は不要。
(ここらへんが陸軍大国ドイツ・ヒットラーも読めないところ。)
そして戦争勝利に邁進しました。
だから「一年程度で講話」などあり得ません。外交の怠慢ではなく
既に外交戦に敗れた結果しかありません。

外交の怠慢をしいて挙げれば、「戦争終結に向けソ連に仲介を託した」
ことではないでしょうか。
ソ連とは独ソ戦の直前にスターリンが急遽「日ソ平和条約」の締結に
応じた結果です(日本は南進のため希望していた)。
このため日本は英米と交渉するためソ蓮をあてにした。
ところがスターリンは極東への野心を持っていたのでなかなか返事を
よこさなかた。
このことが結果として終戦を遅らせ、沖縄、広島長崎、満州の悲劇を
もたらしたことにも起因したのではないかと想像されるものです。

日本の外交。いまでもウイークポインではないでしょうか。
戦略、読み、継続性、交渉力等をアップする必要性を感じます。
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この回答へのお礼

「戦争終結に向けソ連に仲介を託した」

この事が、外交の怠慢と言われるべき部分なんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:25

外交の怠慢の一例。



対米開戦で宣戦布告のチョンボの原因。

外交官が、その前夜にパーティーで飲みすぎて、翌朝翻訳する事を忘れて真珠湾後に宣戦布告を告げる。
しかもその外交官は、何の責任も問われず出世までしている。

出世理由。適正な年齢・勤務暦になったから。



外交官は怠慢です。自浄作用を働かせるようなシステムすらありません。その為に失敗をしても何も責任を問われない官僚主義が蔓延しました。

あの戦争の敗因は外交的ミスです。明治時代は、小林寿太郎が外交官にバルカン半島の情勢に常に注意せよと命令を出し、外交官もそれに従い早期にロシアの東方南下政策を察知する事ができました。日露戦争の勝利は小林外務大臣とそれを支えた外交官の働きが無ければ難しかったでしょう。

大東亜戦争は、外交的失敗です。そもそも、対米開戦など必要なかった。石油だけが戦争目的です。戦争などしないでフィリピンは武田の徳川領素通りのごとく通り抜ければよい。当時のアメリカの情勢では、実際にアメリカ本土が攻撃されない限りルーズベルトから戦争をする度胸など無かったでしょう。そして、オランダだけ戦争すればよい。そもそもそれ以前に、国際連盟の脱退もしなければ石油の経済制裁も回避できたかもしれない。外交ミスです。そんな状態ですので「最適な時期に講和」など出来るはずが無い。当時の政治家も当然問題でしたが、外交官も問題が大きいです。


>外交努力でアメリカに容認させる様に、何かしらの手を打たなかったのでしょうか?

外交官の仕事は、情報収集と報告です。当時の政治家は適切な情勢を把握していませんでした。これは、政治家も問題ですが、外交官の職務怠慢の結果、適切な情報を報告する事が出来なかったのも大きな原因です。真珠湾の失態を見ても、その怠慢っぷりは想像を超えるものだったと推測できます。
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この回答へのお礼

石油のみ獲得できる様に、アメリカ以外の国々と戦うべきだったのかもしれませんね。

そもそもこの戦争は、外交の怠慢ではなく、外交の失敗と言った方が良いかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:23

>石油の輸出や中国大陸の日本軍の容認等を認めさせる努力を当時の政治家が外交努力でアメリカに容認させる様に、何かしらの手を打たなかったのでしょうか?



それ、どうやってやります?
アメリカからすれば、その講和に乗るメリットがありません。だって、戦争がずっとそのまま続けば「いつかは必ず勝てる」わけです。長引けば長引くほど勝てるようになるわけですから、講和条約に乗る理由がありません。
これが例えばベトナム戦争やイラク戦争のように国民から厭戦気分が蔓延して、国民から「いつまで戦争を続けるのか」なんて声が出てきたなら講和のテーブルにもつかざるをえないでしょうが、国民の大統領と戦争への支持は揺るぎなかったのです。

こう考えればいいですよ。質問者さんが1対1のギャンブル勝負をやったとします。目的は、相手からすべての金を巻き上げることです。彼の持ち金は質問者さんよりとても少なく、勝負が長引けば長引くほどこちらが有利です。
最初の3ゲーム、彼は大勝ちして質問者さんはだいぶ金を巻き上げられました。しかし、全体からすればちっとも焦る段階ではなく、内心「ここからゆっくり反撃してケツの毛まで抜いてやる」と思っていたとします。すると彼は突然荷物をまとめ始め、「今日はもう帰る」と言い出したのです。貴殿はこの「勝ち逃げ」を許しますか?
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この回答へのお礼

そう言われると、その「勝ち逃げ」は許せませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 16:20

#1です。


訂正します。
勝つしか道がなく、また、戦争の終わらせ方を考えていなかった、ですね。

国力の圧倒的差は、誰もがわかっていたので、勝てるとは思っていな
かったですね。

だから、外交の怠慢というより、終わらせ方を考えなかった怠慢・・・
始めたくて始めた戦争ではないから、仕方がない?ですね。
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