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則天武后の犯罪

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  • 質問者:yokayo
  • 投稿日時:2004/06/09 08:37
  • 困り度:暇なときに回答をください

則天武后がまだ後宮にはいっているとき、ライバルの女性が先に皇帝の子供を生んでしまい、その女性をけ落とすためにその子を殺して罪を女性になすりつけたと言うことが今では知られています。
しかし何故そのことが史実として残っているのでしょうか?
皇帝とはいえこれは犯罪で、もし公にばれれば投獄はされないにしろ皇帝の座は降ろされるのでは?と思うのですが。

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No.2ベストアンサー10pt

  • 回答者:hanakago
  • 回答日時:2004/06/09 09:21

中国では歴史は例えば明の時代のことは清の時代に書くというのが慣例になっているそうで史実は必ずも事実とは限らないです。ただ、出鱈目に書いているのではなくそういう事実があったから記録として残っているのだと思います。

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この回答へのお礼

証拠はないけど事実が残ったと言うことですね。
了解いたしました、ありがとうございました。

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No.1ベストアンサー20pt

誰が史実を書いたかという事です。
つまり則天武后が在位中は当然の事ながら噂はあっても都合の悪いことは書きません。
則天武后の晩年は、辞めさせられた中宗が隙をみて再度皇帝になります。
こうなると中宗としては、恨みのある則天武后の悪行を書いて、自分が理不尽に帝位を奪われたとアピールしたくなります。
そうなると噂は真実として歴史書に載せられる訳です。
史実に載せられた事は次の時代の権力者に都合のよいように書かれますから、それだけを見て真実と思うのは危険で、他の民間資料と突き合わさないと真実は見えません。
因みにこの中宗も奥さんの韋后に殺され、息子の殤帝が継ぎ、やがて韋后も殺されとかなり混乱した時代ですね。

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この回答へのお礼

なるほど。
則天武皇自身の証言などがあったわけではなかったのですね。
日記など残っていたのかとも思いましたが。
生き残った者が歴史を書くと言うことですね。
ありがとうございました。

  
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