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ケルト人=アングロサクソンなのですか?
知人がそう言っていたのですが、私はケルト人とアングロサクソン人は別民族だと思っていたので、意外でした。

今までわりと大ざっぱに、「アイルランドにはケルト人が多く住んでいて、そこにアングロサクソンであるイギリス人が侵略してきて、ケルト人はアングロサクソンに支配された」などと認識していたのですが、この機会に正確な知識を得たいと思い質問いたしました。

ご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

ケルトとアングロ・サクソンは別の民族です



アングロ・サクソンは
アングル族(ユトランド半島南部)、サクソン族(=ザクセン族、ドイツ北部)、ジュート族(=ユート族、ユトランド半島)のゲルマン諸族の連合で
定住型の有畜農耕民で人口の増大などにより一部の族長に率いられブリテン島に移住した人々です
(当然ですが、ザクセン、ユートの名でわかるように残留した者も少なくなかったと思われます)


一方、ブリテン島のケルト人は大きく二分され
アイルランドからのゲール族、スコット族など島のケルト
ウェールズ族、ブリトン族などの大陸のケルトの二種に大別されます
遊牧型の半定住牧畜社会でした

ただローマの短期的支配により半ローマ化したケルト諸族もブリテン島南西もいました


アングロ・サクソンはケルトをスコットランド、ウェールズ、コンウォール半島に駆逐しました

その後、デーン族のヴァイキングのブリテン島中部への移住、本家のデンマーク王のクヌート王の支配を経て

ノルマン人に征服されます
ノルマン人とはヴァイキングのような北方人ではなく
何代も前にノルマンジー半島にフランス国王から 封土を受領した北方人を祖先に持ったが
その後、フランスやフランドルの民族と混交し、
民族的、文化的にフランス化した人々で自己のアイデンティティーを示すために何代も前の北方人の血を示した人々です


ノルマン人は当時の欧州で下馬せず常時馬上で戦う重装の突撃騎兵である騎士という兵種を導入した最新の軍事戦術と築城術を有していました


イングランドに移住したノルマン人(アングロ・ノルマン)が野蛮人としてケルト人を蔑視する見方を導入しました

やがてウェールズもコンウォール半島も征服され、コンウォールのブリトン族はフランスのブルターニュ半島(アルモリカ)に移住
スコットランドもゲール族は北西のハイランドに駆逐されました

アイルランドもストロングボウ率いるアングロ・ノルマンに軍事力で圧倒されます

しかしここで予想されなかった事態が発生します

アイルランドに移住したアングロ・ノルマン領主達が何代も経る内に
言語、文化、風俗がゲール化し頑なにカトリックを信奉し

やがて新たに本土からやって来て圧政を行なおうとした新教徒の英国人にアイルランドのゲール人以上に激しく抵抗するようになるのです
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別民族です。

渡ってきた年代が違います。
ビーカー人(=ケルト人)は4600年前~(ただしケルト人は3000年前~かも)
ゲルマン人は1600年前~(5世紀~)

ちなみにストーンヘンジを造り始めたのはケルト人ではなく、更にその前の先住民族(イベリア人系?)です。(ただし同化したケルト人子孫も造り続けていたらしい)
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いえ、ケルト人とアングロ=サクソン人は別の民族です。



もともとイギリス(というか、ブリテン島)には、南にブリトン人、北にピクト人が住んでいました。彼らは、大まかに言えばケルト系です(ブリトン人の住んでいる島なのでラテン語でブリタニア、英語になってブリテンです)。
その後、「ゲルマン民族の大移動」といわれる移民や移動の時代、大体6世紀くらいから、ブリテン島にゲルマン人が侵入します。アングル人、サクソン人、そしてジュート人です。彼らが交じり合ってアングロ=サクソン人と呼ばれるようになりました。ブリトン人は今のウェールズやフランス(ブリトン人が渡った土地なのでブルターニュです)へと逃げて行きました。
この、先住民ブリトン人がサクソン人に抵抗した、伝説の英雄がアーサー王です。
その後、ブリテン島の南にはアングロ=サクソン人が住んだのでアングル人の土地(イングランド)と呼ばれます。
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