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池田信夫さんのブログに
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51922659 …

丸山は民主主義というクラートス(支配)を支えるエートス(倫理)が日本にあるのかという問題を追究している。西洋では個人を救済するキリスト教のエートスを基礎にして、近代国家のクラートスが築かれた。ローマ教会は俗権と妥協して御用宗教となったが、プロテスタントはパウロ的な普遍主義を掲げて国家=教会と戦った。

とありますけど。「パウロ的な普遍主義」とはどうゆう意味なんですか。宗教のことは全くわからないので解説お願いします。

A 回答 (3件)

人間の営みは、仕事をしたら現実的な対価が貰える、


逆もまた然りで、支払えば相応のサービスを受けられることを前提としています。

しかしながら、これを宗教組織がしてしまうと、全くおかしなことになってしまいます。

実はこの取引きにおいて、宗教が支払うものは
現実の利益ではなく、"死後の幸福"なのです。
もちろん、死後にどうなるかは誰にもわかりませんが、
それでも組織化された宗教は、
限界まで取り立てて、
あなたは死後に幸福になります、という宣言だけをする存在でもあります。


信仰から宗教へ変化した時点で
それは原理的に不誠実な収奪の構造であって、
現実の富は宗教組織に集まり、
何も支払わない宗教組織のみが富を集約していく。

(後の文章に出てくるニーチェの土台、
ニヒリズムはそもそもこの構図への批判が出発点なのです。)


このクラトス(支配)の構図を1000年繰り返し、キリスト教と一体化した帝政ローマに連なる国家郡は
繁栄する事に成功しました。

ですがそれは人間の生き血をすすって肥大化していたに過ぎず、
最終的に宗教による支配、
つまりは宗教が抱える本質的な不誠実さは
国家という存在を土台から腐敗させてしまったのです。


人々の心が宗教組織から、つまりは同時に国家から
離れつつあった時代に登場したのが、
普遍主義(番人祭司)というプロテスタントの教理です。


パウロ(キリスト死後に成立したキリスト教の事実上の創設者)の時代まで遡って、
キリスト教の元々の有り様を見てみれば、
組織化(宗教内の階級)という要素は
あくまで後付けの、クラトスの構図に過ぎず、
原点、つまりエートスにもどれば神と対話する権利は組織にではなく、
あくまで普遍的に、万人にこそ存在するという思考の転換を行ったのです。


最終的にエートスとクラトスの矛盾解消のプロセスで、
人類は宗教そのものをクラトス(力)と分離することを選択するわけですが、
万人は平等、という概念は他の政治思想のエートス(理念)として、引き継がれていく事となります。

私の個人的な見解としては、
現代日本の国家の土台(エートス)としても、万人は平等という考えは
矛盾なく共存できると思うのですけどねぇ。
ただ、西欧嫌いな人には受け入れがたいのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/21 09:21

パウロにとってはイエスが受難し、復活したという「出来事」だけが決定的に重要な意味をもっていたということです。



処女のマリアが妊娠したなどというのは些細な事実で、どうでもよく、神の子だから復活したという事実さえあればOKということです。
なので、実際マリアがどこの誰にレイプされたかは問題にならないという話です。

しかし立法的には、こんな無茶な話はありません。
なのでローマは立法的にあえて”そういう決まり”だからと、システムだけ利用し、プロテスタントは、蘇りの事実だけ利用したという例えです。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/20 12:12

この回答への補足

読んで見たけどわかりませんでした。さらなる解説をお願いできますでしょうか。

補足日時:2014/12/20 05:06
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。長いですね。

お礼日時:2014/12/20 04:02

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