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今日の教育が、資本主義社会における労働(働くこと)とどのように関わってきたかについての参考文献をさがしています。
教育っていうものはもともと労働とこんな風に関わっているよってことが書いてある本や論文をご存知の方、是非教えて頂けると助かります。

A 回答 (1件)

これは、いくつかのジレンマが内在しているテーマです。



一番わかりやすのは、児童労働のために義務教育も受けさせない、資本家が使いやすい労働者を確保するには、教育は邪魔になる、というものです。

これは、戦時下の大日本帝国でも「兵士と工員の養成教育」としての「義務教育」としてみられましたし、それ以前にも貧しいがために農民の子女が義務教育すらも満了できずに家の耕作に借り出された厳しい時代もありました。ドイツで、映画『シンドラーのリスト』の一シーンとして、ユダヤ系の子どもたちの細い手をドイツ人将校に見せて、「この細い腕が、大砲の砲身の内側には必要なのだ」と言っていますが、同じようなことは日本の女性も軍需工場でやっていたという点で、類似点が多い第二次世界大戦時の枢軸国側の状況ともいえましょう。

また、現在でも地球上の各地でイスラムの名を名乗る過激派や部族の権力抗争のために、都合の良い兵隊を準備するために人身売買されてきた子どもを兵士にして、「兵士として必要なこと」だけを教えて前線に送り込んでいます。

しかし、それらがその後の平和を生んだときに何か国力を生み出す国民を育成しているか、というと、その「洗脳でしかない教育」は国家と国民のためになされたものとはいえないでしょう。

これをすでに指摘していたのが、管仲が記した『管子』の一節をもとにして生まれた「教育は国家百年の大計」という言葉です。

教育は国家百年の大計 管子 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%95%99%E8%82 …

『一年の計は穀(こく)を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し』

1年は穀物を育てるのに必要な期間、10年は木を育てるのに必要な期間、一生かかる(100年かかる)のは人間・人材を育てるのに必要な期間、ということを示唆していることから、「教育は国家百年の大計」という言葉に凝縮されて、教育の重要性を説く言葉として広まっています。

さて、そこで、江戸時代の日本のように町民ですら読み書きそろばんができていた日本人が、明治以降にそれを学ぶのもままならないくらいの読み書きそろばんの力に落ち、およそ80年で占領下におかれた歴史を重ねてみると、そこには「先祖が身を以て知らしめてくれた教育による国家・国民の育成への影響」というものを、終身の計(100年の計)として実感できるでしょう。

私たちは、100年経過して、単一の教育システムを継続して国民が受け、子、孫、ひ孫、玄孫、と生存している全国民が同一の教育で育った時代を得ないと、その効果を推し量ることは困難なのですが、それだけの長期間の多数の国民を社会実験にさらす、ということも「大計」では言い表せない重責となります。

戦後70年を迎えるにあたり、学問ではない常識・モラルでしかない「修身」のように「道徳」が全国で画一化され教科化されて評価対象になったり、戦火で変色した「教育勅語」をテレビで公開してまで、「教育勅語」原理主義的なカリキュラムが組まれるとなれば、それは、明治維新から太平洋戦争での敗戦までと同じ「国家による国民のためではなく国家に都合の良い教育」を与えた時代を、再度社会実験することになる、無謀で期待薄の「大計」なのです。そして、これは、同時期の財閥の勃興と同様に、資本家へ有利に働くような、労働力の供給が主眼となった教育となるでしょう。

そういう観点で、経団連などがどういう教育を政府を通じて求めているか、戦後GHQ教育の主眼はどこにあったか、大日本帝国時代の財閥とその下での労働者や小作人の義務教育の充足度はいかほどであったか、江戸の太平の世で鎖国された中でも読み書きそろばんで成立していた日本の商取引ではなにが足りなかったのか、という、

日本の中だけでも4時期の「大計」を分析し、教育というインプットに対する国力や国民の活力というアウトプットを比較する必要があり、これだけでも大仕事でしょう。さらに、欧米列強との比較まで入れると、それだけで博士論文どころか著書ができるくらいの研究成果になります。

ご興味があった部分をキーワードにして、とりあえずその書籍を流し読みされてから、物足りない部分を補足していくほうが、ご自身にあった本と情報にたどり着けると思います。
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