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今の日本では、創価学会や立正佼成会などかつての巨大組織を含めて、信者数が縮小しています。

この原因は何でしょうか。また、その原因について研究している論文や本があれば教えていただけないでしょうか。

A 回答 (10件)

信仰心が減ってきている、という観点でお話しします。



信仰心は信じ仰ぐと書きますが、目に見えない尊いものを信じ、善悪を決め精神の基となるものです。

現代は実利が幸福のもとと思い込まれているため、実証こそが正義の原点とされ、目に見えないものの価値がないがしろにされています。

その過程にあるのが今の日本ですが、信仰心の欠如とともに、精神性は落ち、低モラルで無気力、場合によっては病になり社会に出られなくなっている人も少なくありません。

心の価値を認めない結果です。

しかしながら精神性の低い社会は衰退します。

信仰心が復活しなければ、日本は滅びる可能性があります。

ちなみに正義を見失い、幸福発生装置とかいう呪文を唱えることは信仰ではなく、強壮剤や麻薬の類いと同じです。こうしたものは副作用が激しいことを知るべきです。
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逆説調整は、何を意味しているのか?こんな質問が増えていますね。

現実認識を狂わす意識操作まだ狙っているのはわかりますが。意味がわからない。中国得意の攻めですかね。回答本当にもとめてます?
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私は増えていると思います。


宗教団体として認められた組織の構成員は減少しているでしょうが、認められていない組織の構成員は増えているように思います。

占い、スピリチュアル、パワースポット、アセンション、真実、等といった、これまでの宗教団体のように儀式や経典に縛られず、教祖(あるいは講師)を崇拝し、教えを乞う(お布施、もしくは授業料)人は増えているように思います。
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医療が発達したお陰かな、と思います。



宗教に縋る元々の理由は
原因不明の病、謎の奇病、不治の病・・・。

現在は、原因も病名も治療法も沢山増え
とても現実的で具体的に解消する術があるのですから、不確かな宗教に新たに縋る程の必要性はないからでしょうね。

元々信仰されてる方は継続するでしょうけど、若い世代が増えるとは思えませんし、いづれは信仰者の加齢と共に宗教団体自体が一つ二つ・・・と徐々に消えて行く様に思えます。

単純に『需要』がなければ運営資金も底を突きますしね。資金を強要されるなんて不信じゃないですか。「高いお金払う程 願いが叶います!」なんて、金額次第で人を選ぶ強欲さを持ってる神様って、本当に神様と呼べるのでしょうかねぇ? 疑問ですよねぇ。
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戦後、雨後の竹の子のように登場した新興宗教の特色は「現世利益」にあることです。


お祈りをすれば、功徳がある、お題目を唱えれば、功徳がある、自己の利益がある、というもの。
宗教としては邪道です。

本当の宗教はユダヤ教のように信者に何も約束をせず、却って信者を滅ぼしかねない、恐ろしい神です。
紀元前6世紀、ユダヤの民はバビロンの捕囚でその民族の主だった人々が捕囚の憂き目にあい、神エホバを恨み、そして恐怖しました。
当然、神エホバを捨てて良かったはずですが、ユダヤ民族はそれを捨てませんでした。
しかし、神エホバを信仰しても、その後紀元1世紀、ユダヤの民はローマ帝国への反乱により、ユダヤ神殿を破壊され、ディアスボラと言って、全世界に離散しました。
それでも、恐ろしい神エホバをユダヤ人は捨てませんでした。
それこそ、本当の宗教です。

神に祈り、仏に念仏をして、功徳を期待するのは、神や仏を人間の利益のために利用しようというものであり、神や仏を道具のように考えるものであり、あってはならないことです。

その新興宗教が戦後の高度成長で、祈って自分の収入がどんどん増えた時代は、まだお題目を上げれば功徳があったと信じられましたが、高度成長が終わって、低成長とデフレの時代が訪れると、いくらお題目を上げても、功徳が得られなくなり、新興宗教は衰退の道を歩むこととなりました。
お題目を上げても、ぜんぜん収入が増えないのでは、誰も信仰しようという人はいなくなります。

まあ、宗教を信じて、自分になにか利益があることを期待する現代人もおかしいとは思いますが、本来の宗教というものは、そういうものではないのです。

新興宗教が登場する以前は浄土教のように「来世往生」「極楽往生」といって、来世の幸福を願ったものでしたが、現代では誰も「来世」なんて信じなくなりました。
もともと日本人は中村元が言うように現実的な民族で、インド人のように天国だとか、来世だとか、そのような形而上学は苦手な民族で、昔から現世利益です。

自己に利益がなければ、宗教なんて信じない。
その点では、日本人は中国人とよく似ています。
中国も浄土教を信じて来世なんて言っていたのは唐の時代までで、それ以降は儒教の時代になり、儒教は孔子が「怪力乱神を語らず」と言ったように、現世の幸福しか考えません。
また、儒教は死を論じません、孔子いわく「今だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
つまり死よりも生の方が謎、そっちを考える方が大切。
日本人も、中国人も来世の幸福、そんな空手形よりも、まず現世の幸福です。

今の日本人は宗教よりも、健康第一で、病気をせずに長生きすることが最大の願いです。
だからテレビの健康番組を熱心に見ています。
どうやったら長生きできるか、そればっかり。
もはや新興宗教の時代ではない。
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科学などに代表される《合理教》という新たな宗教が生まれ、多くの人々はこの《合理教》を信じるようになっただけです。


この新たな《合理教》を信じる人の目には既存の宗教などは無知迷妄の産物で信じるに足るものに映らないから、信じない。
そして、既存の宗教や新たな宗教は、こうした《合理教》信者を納得させるために、科学をその宗教の体系に取り組もうと懸命に努力しています。
昨今の宗教者は、「量子力学によれば○○であり、これは△△の◇◇の教えと合致している。このことを量子力学以前にハッキリと述べていたのだ」というような話すらしています。
科学や文明が発達した社会においては、宗教の世界ですら、もはや物理学などの自然科学を無視することはできないんです。
これを無視しては、人々の信を集められない。科学的手法を取り入れないといけない。
そして、
こうした科学技術万能時代においては、
「□□の科学」というような似非科学的な宗教がもてはやされるのであった。

しかし、人々は、現代科学で解明できないような、これでは解決できないような事態に遭遇したとき、宗教に走ったりするのも事実。
たとえば、医師から「現代の医学には治療法はありません。手の施しようがありません」と告知されたとき、人は、奇跡や魂の救済を求め、既存の宗教にすがったりする。
《合理教》信者は、《合理教》で解決できないような事態に直面したとき、結構脆く、簡単に《合理教》から無知蒙昧の産物である既存宗教へと回帰するのであった。
世の中、不合理に思えるものに満ちていますから…。

そして、私のように疑い深い人間は、現代科学の代表とされる物理にさえ胡散臭い眼差しを向け、
「自然科学も宗教と本質的に何も変わっていない」
と嘯くのであった。
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昔は宗教に救いを求めるしかなかった人々が多かったが、日本の社会が進歩し、高等学校教育の無償化、老人医療費負担の軽減や生活保護の拡充など、現実世界で救われる人が増えたので、結果、宗教に依存する人が減少してきたのでしょう。

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アホさ加減が分かって来たからじゃないのかなーネットも発達して直ぐインチキか真面から自身えが信仰してる宗教直ぐ検索出来ますしーーーで。



と言うか日本は神道ーの国八百万の国ーー他の世界宗教全て格下ーユダヤキリストイスラム等ーーそれで草加立正何てーーーこの3大宗教の未だ格下ー何で日本人がワザワザー意味不明ー日本人生まれながらにして神道ですのに如何して格下宗教をワザワザ信仰するんですか―意味不明です。

日本全国全て鎮守の神―鎮守の森で守護されてます、何で他宗教に入信する必要が在りますか―仏教は特別として、日本は仏教の神.ヒンズー教の神も八百万神内に取り入れてますから七福神神とか毘沙門天*戦い神*等に。
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チベット密教の近道(実践系)が十分だとは思わないけ


れど、顕教をどこまで学びを進めても、秘教の準備段階
でしかなく、

また秘教の領域に入ると、戒律などから解放されてしま
う、つまり覆ってしまう事などを知り、秘教のレベルが
本質的で、、

また現代が、新興宗教も含め、大衆的な宗教を遥かに超
えた領域に出会える機会が増えた為というのもあるのか



実は真の体脱が出来て始めて霊的探求と発達のスタート
ラインであるという事などから考えて、顕教に魅力を感
じないか、顕教には割りと直ぐに限界が見えてしまう、
スタートライン以前の達成をある程度果たしてしまう、
というのもあるかと

そして、顕教を極めても、悟り・解脱に至れない、とい
う事に気付くというのもあるかと、、顕教で悟り・解脱
に至れるのなら、宗教学者や宗教知識のある人達に、覚
者が現われるだろうけれど、実際にはそうなっていない
訳だし、


気付きの程度は様々でも、体脱・テレポ、物質・非物質
化なども十分に達成していない所か、霊視能力でさえ怪
しい人達、悟り・解脱者でもない人達が教祖であったり
、霊視能力さえない人達が教団のトップにいる事などに
気付けば、既存の大衆的な宗教のレベルが見えて来るの
だろうと


教祖ばかりではなく、そもそも優れた秘教家を輩出して
いない宗教・教団が、果たして宗教・教団とほんとにい
えるのか、というのも割りと明らかかな?とも思います

チベットで修行した西洋の女性修行者が聞いた話として
「顕教で悟り・解脱(光の身・虹の身)に至れた者は一
人もいない」とある僧侶から聞いたそうですが、これは
他の僧侶から聞いても意見が同じで、チベット密教に於
いての共通認識だったと
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少子高齢社会に尽きますが、その団体自体が肥大化し官僚組織化してしまった為に、


本来の魅力が無くなってしまった為です。
創価学会においては、学会職員、公明党職員等の所謂組織寄生虫が幅をきかせて、
末端から手を変え品を変え、金を吸い上げることに奔走しています。
金集め、金儲け、権力迎合が、宗教本来の目的に取って代わってしまいました。
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