アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ウィーン会議後に成立したドイツ連邦の境界は、
オーストリアのおおよそ西半分のみがドイツ連邦に組み込まれているのですが、
オーストリアの国境と完全には一致していないのは何故なのですか?

A 回答 (1件)

ウィーン会議の目的は、「革命前の状態への復帰」が名目でした。

ですから、革命中に滅亡した神聖ローマ帝国も復活させねばならず、結果としてドイツ連邦は神聖ローマ帝国とほぼ同じ領土となりました。

その結果、オーストリアの全土が組み込まれていません。
(正確に言えばプロイセン王国も全土が入っていません)

そもそもこの「ドイツ連邦」というのはドイツを統一させるものではありません。

むしろその逆で、会議ではイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの勢力均衡をはかることも原則とされたために、実際のドイツ連邦というのはいわば、プロイセンとオーストリアがヨーロッパ中央部での覇権争いを抑止するための人工的な勢力均衡の枠組みでした。
(プラス、保守反動体制(ウィーン体制)による、ドイツ統一を防ぐ役目)

ですから、上記の、神聖ローマ帝国の復活と言うのは全くの名目でした。

その後、オーストリアを破ったプロイセンによってドイツが統一されるのはご存知の通りです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「革命前の状態への復帰」が大前提でしたね。大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/13 12:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!